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2024.3.17~春彼岸会法要・正泉寺寄席~

一日中よく晴れ、暖かく春らしい陽気でした。
天候にも恵まれ、彼岸会法要と正泉寺寄席も無事に終えることができました。

目次

春彼岸法要

午前中は、春彼岸会法要を修行いたしました。
約150名の方にご参列いただきました。皆様お疲れ様でした。

法話~布施~

今日は、修証義第4章について、「布施」のお話をさせていただきます。
布施(ふせ)「布の施し」と書きます。 なぜ、布を施すのか。
こんな逸話があります。

あるときブッタが町で教えを説いていた時、ボロボロの服を着て杖をついたお婆さんが仏陀のところに来ました。
そして、「大変すばらしい教えを授かりました。しかし、ご覧のとおり、貧乏でお釈迦様にお渡しする物がありません。申し訳ございません」と涙を流し、ボロボロの黄ばんだ布で(涙を)ぬぐいました。
そのときお釈迦様は「でしたらその涙をぬぐった布をいただけませんか?」と仰いました。
お婆さんは「とんでもございません。この布は赤ん坊のおしめに使った後、雑巾にして牛小屋の掃除をした布です。汚れで黄色くなっています。こんな布をお渡ししてしまったら失礼になります。」と断ります。
お釈迦様は「いえ、お婆さんの真心の涙が詰まったその布こそが最高の功徳であり最上の施しです」と言い、お婆さんから布を施していただきました。
そして、お婆さんの真心を心に刻むため、そのボロ布を袈裟に縫い付けました。
今でもその名残として、お袈裟の四隅に四角い布を縫い付けます。

このお話のように、布施とは相手の為を思って真心で行う行為のことを言います。
しかし、相手の為にと行動しても、思う通りの結果が出ないことや、うまくいかないこともよくあります。
例えば、電車で席を譲ったのに、「そんな!!席を譲られる年じゃありません。」と逆に気分を害してしまったり。
相手にどのように受け止められるか、どんな結果が自分に返ってくるのかは分かりません。
そして、悪い妄想をして良い行いを実行する勇気がでません。

そんな我々にお釈迦様はこんな言葉を残しています。
『「その報いは私にはこないだろう」と善を軽んずるな。滴り落ちる水がいつかバケツ一杯に溜まるように、良き行いはいつしか満ちていく。』(法句経122 中村元訳)

「これっぽちのこと」とか、「これが誰の助けになるんだ」とか、「自分が評価を受けるわけじゃないから」と、言い訳をしながら良き行いを軽く見てはいけないという意味です。


これは、私の知り合いの話です。
その方は、私よりも少し年上のお坊さんで、今から13年前新潟県のお寺の副住職をしていました。本山での修行の後、実家のお寺に入ったそうです。
副住職になってから半年後の3月11日、あの東日本大震災が起きます。 新潟県も大きく揺れたそうです。
まだ雪が残る中、隣の福島県では原発がメルトダウンした、津波で大勢の方が行方不明のままである、余震が続き未だ危険な状態が続いている。と毎日のように震災のニュースが続きます。
不安と絶望が日本中を襲います。
彼は、ニュースで情報を得ながらいつも通りのお寺での修行生活をしていました。
5月になり新潟も少し暖かくなってきたころ、住職である師匠から、「来週から、震災の避難所へ行きボランティアに参加してきなさい」と言われます。

彼は、とても迷ったそうです。
ボランティアの経験も無く、被災地に行って自分が出来る事はあるのだろうか。逆に邪魔になってしまうんじゃないか。
そんな弟子の胸の内を察したのか、師匠からもう一言。 「出来る事があるかどうかは行ってから考えなさい」その言葉で彼は1週間のボランティアへ行きました。

場所は岩手県大船渡市。名前の通り大きな港があり海に面した都市です。
津波の被害も大きく町は瓦礫で溢れかえっていたそうです。
震災から2か月弱、まだ仮設住宅も無く、避難されている方々は小学校の体育館に段ボールやブルーシートを敷き生活をしていました。
そこで炊き出しや物資の配布、困りごとを聞きまわるなどの活動をボランティア団体のメンバーと共に行ったそうです。
しかし、彼はボランティアの経験も無く、支援の知識もない。 忙しく動き回る他のボランティアメンバーの横で殆ど何も出来ず、悔しい思いをしたそうです。
そして、二日三日とボランティアを続けていくうちに「こんなところにいても、自分が出来る事なんか何もないじゃないか」と思い始めました。
とはいえ、1週間いると一日の流れにも慣れてきて少しだけ、自分の判断で動けるようになったそうです。

しかし、ボランティアの期間は1週間。慣れてきたと思った矢先に帰宅です。
7日目の朝、彼はボランティアをしていた小学校の体育館の隅で帰り支度を整えていました。
すると、一人の70歳くらいの被災者の女性が彼に近づいてきたそうです。
そして彼に話しかけます。
「あら、あなた帰るの?」
「はい。今日で帰ります。」
「そうなのね。」と言いながらその女性は彼の手をぎゅっと握ったそうです。
そして「ありがとね。あなた、おうちはどこなの?」
「新潟です」
「ま、遠いところから来てくれたのね。ご両親は健在なの?」
「はい」
「じゃあ、ご両親のもとに帰ったら暖かいお風呂に入って、ふかふかのベッドに寝てしっかり休んでね。私、ほんとにあなたが来てくれて嬉しかったわ。この町は何も無くなってしまったけど、私たちは大丈夫よ。 ほんとにほんとにありがとね。」
そういいながら女性はさらに強くぎゅーと手を握ったそうです。
彼は、目からぽろぽろあふれ出る涙を止めることが出来なったそうです。

このボランティアに来る前、「自分には出来ることなんか無さそうだ」と思っていたはずなのに、そして実際1週間殆ど右往左往しながら何もできなかったはずなのに。
今目の前には自分の手を握り、ありがとうと声を掛けてくれる人がいた。
彼にはそれがとてもとても暖かかったのです。

彼は、自分の行動がどれ程、被災者の役に立ったのか、どれほど助けになったのか、今でも分からないと言います。
しかし、最後に手を握り被災者でありながら「ありがとう」と言ってくれた人がいた。
自分の行動の功徳は自分でははかることは出来ないのです。

仏陀の言葉、『「その報いは私にはこないだろう」と善を軽んずるな。滴り落ちる水がいつかバケツ一杯に溜まるように、良き行いはいつしか満ちていく。』

現地に行くことが出来なくても、ささやかな募金をしてくれた方、被災地の復興を心から願ってくれている方、応援のメッセージをくれる方、沢山の思いがいっぱいに満ちていくのです。


今年の年始に能登半島地震がございました。
正泉寺では、1月6日より、募金活動をしてまいりました。 この2か月半で有難い皆様の功徳が集まりました。
いっぱいに集まった皆様のこの功徳は、3月いっぱいを持って締め切りとさせていただき、被災地へと送らせていただきます。
ご協力まことにありがとうございました。


我々が「こんなことやっても、なんにもならないよ」と思うようなことでも、慈悲の心を持ち相手に寄り添った行いならば、それは、様々な縁によって大きくなっていきます。
日常でもそうです。
いつも家族にしてもらっていた洗い物を自分がやってみる。
ちょっとだけ元気に挨拶してみる。
一言ありがとうの言葉を添えてみる。
誰からも感謝されなくても道端に落ちていたゴミを拾って家のゴミ箱に捨ててみる。

どんなに小さなことでもよいのです。慈悲の心をもって相手に寄り添った行いを実践していきましょう。

正泉寺寄席

午後は「正泉寺寄席」を開催いたしました。
午前中の彼岸会法要から引き続きご参加くださった方、チラシ等を見てごご来場くださった方、
約70名の方にお越しいただきました。



笑い、歌い、感動し…
皆様にも、大変楽しいひと時を過ごしていただけたのではないでしょうか。

ご出演くだいました
古今亭佑輔様、岡大介様、入船亭扇ぱい様
ありがとうございました。

ご来場くださいました皆様、
ありがとうございました。

運営にご協力いただいた
護持会役員の皆様、ありがとうございました。

皆様に感謝申し上げます。

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