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2024,2,15 ~涅槃会~

今年も、正泉寺本堂にて涅槃会の法要を行いました。
今年は春一番の陽気で、暖かな風が吹いていました。

目次

涅槃会法話『禅と蝉』

今日は禅定についての話をします。
本日お唱えしたお経は、お釈迦様が亡くなるときに弟子たちへ「これだけは心にとめて生きていきなさい」と示された遺言が書かれています。その中の八個の教えの一つが「禅定」という内容です。
坐禅の禅に定めると書き禅定といいます。
この「禅定」とは今この瞬間に意識を向けるという教えです。
我々は、日常の中で一度に多くの事を考え、行動します。
食事をしながら、テレビを見る。車の運転をしながら音楽を聴く。電車に乗りながらスマホを見る。お茶を飲みながら友達と話す。ならがながらと。
時には運転をしながら、「あれ携帯どこやったっけ」などとカバンの中をガサガサと探す人もいるかもしれません。
また、一つの行動しかしていなくても頭の中で目の前のことに集中しているとは限りません。何か作業をしながら、今日の夕飯何にしようかな。明日のプレゼンの発表が不安だな。あの時、ああしとけば良かった。あの時の言葉はまずかったかな。どんな風に思われているかな。などと頭の中が思考でぐるぐるしていることが多いと思います。
この巡ってくる思考が幸せな事だけでしたら良いのですが、人間そうはいきません。頭の中を巡る思考は基本的に不安や悩み怒り悲しみとネガティブな事ばかりです。
仏陀の教え禅定は一つの事に只管意識を向け集中し、余計な事を頭の中で巡らせないという教えです。

皆さん、幽霊の絵を見たことがありますか。幽霊の絵を持ってきました。なんともおどろおどろしい怖い姿をしています。亡くなった人が化けて出てきた絵というイメージがあります。しかし、実はこの幽霊の絵は亡くなった人を表しているわけではありません。怒りや不安悩みに取りつかれた、生きている人間を表しています。
幽霊には大きな特徴が3つあります。長い髪に前に垂れている手、そして足が無い事です。すぐにイメージがつくと思います。短髪スポーツ刈りで腕を組みお相撲さんのように四股を踏んでいる幽霊は見たことが無いですね。
まず一つ目の特徴、髪が長く後ろに向かって伸びています。これは、女性の絵だからではなく、過去の事に後ろ髪をひかれている事を表しています。終わったことをいつまでも思い返し過去に捉われている状態です。
2つ目は前に垂れている手です。これは「ほしいほしいの手」と言われています。無い物ねだりの手です。あれも欲しいこれも欲しいもっと欲しいと身勝手な欲望に心を乱し、不安や心配ばかりしている状態です。
3つ目が足が無い事です。これは地に足がついていない状態です。ふらふらと周りに流され、あの人がこう言ったから。まわりがこうしてるからと自分と言う主体が無い。時には周りに流され悪事に手を染めてしまう事も。

仏教ではこの幽霊と逆の事を実践していきます。座禅の時は、後ろ髪をひかれないように振り返らず、手は体の中心に置き、何も物を欲しがらず、足はしっかりと地面につけ、何事にも動じずにどっしりとただ只管座る。
また、箒で庭の掃除をする時は、しっかりと掃く場所を見て振り返らず、手は箒を動かすことに集中し、足は掃くべき場所にしっかりと置く。

道元禅師はこの、坐禅に対して、身も心も脱ぎ落し座る事である、と言います。身つまり体も心も脱いで座る。私と言う存在から体と心を取り去ったらいったい何が残るのか、それは皆さん全員に生まれながらに平等に備わっている命でございます。今この瞬間の命に向き合い只管座る。これが坐禅でございます。

いまから5年前、永平寺での修行中、ちょうど梅雨が明けて7月の中旬、蒸し熱くなってくる時期です。お昼前くらいに坐禅をしに坐禅堂に向かいました。坐禅堂に近づくと、かすかに蝉の鳴き声が聞こえてきます。みーみーみー。ああ夏の季節が来たんだなと思いながら歩きました。そして坐禅堂に近づくとその鳴き声がどんどん大きくなってきます。みーんみーんみーん。坐禅堂の中に入ってびっくりしました。2匹の蝉が坐禅堂の真ん中の柱に止まり大きな鳴き声で鳴いていました。み゛―ん゛み゛―ん゛み゛―ん゛み゛―ん゛み゛―ん゛み゛―ん゛み゛―ん゛み゛―ん゛み゛―ん゛み゛―ん゛み゛―ん゛。冷房が無い坐禅堂は夏の時期になると風通しを良くするため窓も扉も開けています。おそらく、そこから入ってきたのでしょう。これから座禅が始まるのに、こんなに大きい鳴き声の中、穏やかに座禅ができるのかと少し不安になりました。
自分の場所に着き、座り、姿勢を整えます。そして、蝉の鳴き声に包まれている坐禅堂の中で呼吸を整えていきます。途中、鳴きやんだり蝉が移動する羽の音が聞こえたりと意識が蝉に向かう事もありましたが、少しずつ少しずつ心を整えました。するとしばらくして蝉の事が気にならなくなりました。
そして40分後、坐禅の終わりを告げる鐘がカーンとなりました。そこには心穏やかに座れた私がいました。
蝉の鳴き声で座禅が出来ないのではないかという私の思いは杞憂でした。坐禅堂から出た後に一緒に坐禅をしていた他の修行僧から、「今日蝉が居たね」、と話しかけられました。「だね。蝉の鳴き声で座禅が出来ないかと思った。」というと。その修行僧は、「いやむしろ蝉がこんなに命がけで鳴いて、限りある命を一生懸命生きているのだから、勇気をもらえたよ。蝉も座禅してたんだな。」
その言葉を聞いてはっとしました。まさに蝉も身と心を脱ぎ去り自身の命に向き合っていたのか。偶然か蝉という漢字は「虫」の「禅」と書きます。
蝉の鳴き声に包まれ蝉と共に座禅が出来た貴重な経験でした。
人間は自分の限りある命をついつい忘れ、今この瞬間の命を疎かにしがちです。蝉が全力で今を生きていたように、我々のこの一瞬一瞬も不安や悩みや怒りに振り回され無駄にしてはいけない命なのです。

仏陀が説かれた、今この瞬間に意識を向け、心を整える禅定。是非この実践を皆様も行っていただきたいと思います。日常の中にいると気を散らすものが近くにあったり、一人になれる時間が無かったりと、禅定の実践が難しいこともあります。そのときは是非、正泉寺に来て共に座禅をしましょう。

毎週土曜日、日曜日と坐禅会がございます。是非ともに座りましょう。

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