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令和二年成道会 ~我と大地有情と、同時に成道す~

今年も正泉寺で12月8日に成道会をお勤めさせていただきました。31名の檀信徒の方にご参列いただき、法要の後に豆乳粥を皆様でいただきました。

コロナウイルス感染防止の観点から座談会は行わず、お粥を召しあがっていただいた後解散とさせていただきました。

今年も多くの方にご参列いただきありがとうございました。今年も残りわずかとなりました。除夜の鐘の準備も着々と進んでおります。皆様お体にお気をつけて31日にまた元気な姿を見せてください。



 

法話


成道会とはお釈迦様がお悟りを開かれた事をたたえる法要です。

今から2500年前お釈迦様は出家し様々な修行ののち、行っていた修行に疑問を持ち12月1日より菩提樹の下で座禅を組み12月8日の明け方お悟りを開かれたと伝えられています。

「我と大地有情と、同時に成道す」

この言葉は、お釈迦さまがお悟りを開かれたときの言葉です。大地有情とは、自然環境、そして、この世の生きとし生ける全てのいのちのことです。お釈迦さまは、自分だけではなく、全てのいのち、そしていのちと一体となっている自然環境と共に悟りを開いた、とお示しになられたのです。

先月、テレビを見てましたらノベール物理学賞を受賞された小柴昌俊先生という方が亡くなられたという報道がありました。小柴先生は世界ではじめてニュートリノの観測に成功された方です。先生の説によると、137億年の昔、ニュートリノ現象によってビックバンがおこり、一つの天体が大爆発をおこして、太陽をはじめとする地球や月、多くの星ができたそうです。しかも私達のこの地球には108の元素があり、108の元素があるために、92ケの元素をもつ人間という複雑な生物ができたといいます。私は、この小柴先生の説を知って驚きました。父と母の縁によっていのちを頂きましたが、私達は、地球の92ケの元素をいただいて生きているのです。人間だけではなく、鳥も魚も動物も、いや植物も、いや流れる水や雲さえも、すべては、母なる地球の元素をいただき、父なる太陽からの運ばれてくる熱や光に守られていたのです。いきているということの事実は、私がいきているのではなく、「いのち」が「私を生きている」「あなたを生きている」ことなのです。頭がいいとか悪いとか男である女である 子供であるとか大人であることは小さなことです。偉いも偉くないもないのです。「いのち」、その落ちつきどころに落ちつくのが坐禅です。お釈迦さまの、「我と大地有情と、同時に成道す」。「私も地球も生きとし生けるもの同じ素晴らしいいのちであった。」とのべられたのです。

12月に入ると本山である永平寺と總持寺ではお釈迦様が悟りを開かれた坐禅の修行にならい、1日から8日間全ての行事を中止しひたすら坐禅を修行します。40分の坐禅を1日14回睡眠とトイレに行くいがい只管坐禅します。特に7日目から8日目にかけては寝ずに夜通し坐禅を行います。

私が永平寺の修行僧だった時、永平寺では3泊4日の参禅研修を定期的に行っておりました。男女それぞれ10名ずつ合計20名での参禅研修です。参禅研修で参禅指導のお坊さんが3日目に参禅者へ自分が坐禅している姿を絵にしてくださいとおっしゃいました。20名それぞれが上手い下手はあるけれどどれも丁寧にそして作法に従って真っすぐ座っている絵を描き上げました。皆さんが書き上げるとお坊さんは自分の書いた一枚の絵を参禅者に見せます。両足をしっかり組み座っている人の絵です。シンプルな人一人しか書かれていないその絵を見せながら「この絵は坐禅の絵に見えて実は坐禅の絵ではない」といいます。難しい禅問答のように聞こえますが、いったい何が坐禅の絵とちがうのでしょうか。その理由はその絵には自分の周囲で自分と同じように坐禅をしているはずの人の姿や、自分が坐禅をしていたお寺の柱や窓、床等が一切描かれていません。

「坐禅とは自分とその周囲に存在する様々ないのちとのつながりを実感する仏行である」ということを坐禅を行ずる人々にお伝えしたかったのです。

これは、人間同士だけの話ではありません。

 

みなさまの中には、野菜を育てたことがあるというという方が沢山いらっしゃると思います。畑だけではなく鉢植えのトマトやナスでも花壇でヒマワリを育てた経験があるかもしれません。自給自足という程でもなく、営利目的でもない、ただ食卓に一品二品をそえるための小さな畑。土をおこし、種を植え、水をやり、野菜たちに語りかけながら育てるの。 いつも私はお檀家様から野菜を沢山いただきます。夏にはキュウリやトマト、ナスビ、ピーマン、オクラ、南瓜と、冬には大根、白菜、ブロッコリー、ニンジン。まったくの無農薬で育ててられる方もいらっしゃいます。野菜を育てると、毎日、虫との格闘であります。ある時、駐車場の掃除をしていると、お檀家さんが「うちのキュウリもいでって」と声をかけてくれました。お寺の近くの畑ですので苗が小さい時から見かけてきたキュウリの苗、そこに何本も実っていました。その多くは曲がりくねったものばかり。への宇はまだ良いほうで、つの宇やめの宇のものもあります。少し誇張しすぎました(笑)。個性的”というか何ともほほえましい限りです。近頃のスーパーなどに並ぶ厚化粧のワックス野菜や、化学肥科ばかり詰めめ込まれた野菜と比べ、おおらかでいきいきとしていることでしょうか。 人の生き方でも、見てくれで生きる生き方と、本音本領で生きる生き方があります。見てくれの良いものを求めている間は結局、自分自身の見てくれに捕らわれている。曲がっていても、虫食いでも、それが本物のいのちの姿なのだと気がつくことが、いのちとのつながりを実感する仏行になります。

釈迦さまのお言葉、「我と大地有情と、同時に成道す」。「私も地球も生きとし生けるもの同じ素晴らしいいのちであった。」曲がったキュウリの素晴らしい命に触れることが出来ました。

 

この世にいのちをいただいて、生かされている私たちは、成長し、やがては老い、消滅していきます。自分と考え方も性格も同じ存在はないがゆえに、思い通りにならない現実を受け止めていかなくてはなりません。それゆえ、この世は苦しみの世界である。そうした真実を素直に受け止めながら、心穏やかに毎日を過ごすのが、仏の道の目標です。

今、世界でコロナウイルスが流行し無常を感じ思い通りにならない現実や人とのつながり方を考えさせられることが多くあります。その現実をネガティブに考えるのではなくお釈迦様の「私も地球も生きとし生けるもの同じ素晴らしいいのちであった。」という言葉の通り命のつながりを実感できるチャンスだと思っていただきたいと思います。
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