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2026.3.20~彼岸会法要・正泉寺寄席~

令和8年3月20日

午前中は彼岸会法要はを修行いたしました。

約150名の方にご参列いただきました。

午後は毎年恒例の「正泉寺寄席」を実施いたしました。
あいにくの雨でしたが、100名以上の方にご来場いただきました。

相模原市出身の落語家 古今亭佑輔さん、
https://share.google/jG6B8k4PKDcDBSyyx

紙切り 林家八楽さん、

落語家 柳家しろ八さん

にご公演いただきました。
めずらしく冬のように寒い日でしたが、
たくさん笑って身体もポカポカになりました♪

皆様、ありがとうございました!

目次

法話 ~十円玉の価値~

少しずつ気温が上がり、春の陽気となってまいりました。
この時期は桜や花壇の花が咲き始めると同時に雑草も伸びてきます。
この花と雑草に関してお経の中にこのような文言があります。
花は愛おしいと思うとすぐに散ってしまう。雑草は邪魔だなと思うとどんどん伸びてくる。


これは、花は儚い、雑草は煩わしい、という意味ではありません。
愛おしいという思いを持って植物を見るとそれは花として認識され、邪魔だという態度で植物に接すると雑草として認識される。自分自身が植物に対してどのように接するかで同じ植物でも花にも雑草にもなりうるという意味です。
我々は、花と認識すれば、自分が勝手に認識してるわけでは無く、誰が見ても花は花だろう、雑草は誰が見ても雑草だろうと考え、自分の考えが正しいとどこかで思い込みながら生活をしています。
この自分の正当性というものが何かのきっかけで暴走することがあります。匿名というきっかけがあればSNSで異なった意見の人への誹謗中傷が、集団というきっかけがあれば少数派の弾圧が、民意という大義名分を得れば戦争が起こります。
誰しもが自分の認識こそが正しいと思っているからこそ、このようなことが起こるのです。
他人は自分と違う考えを持っているだろう、違う価値観も一理あるだろうと分かっていれば怒りも対立も争いも無いはずです。

先日、本堂の建替えに向けて、倉庫の整理をしていました。すると、奥からピンク電話と呼ばれる公衆電話が出てきました。今の公衆電話機と違い、十円玉のみしか受け付けず、ダイヤルを回し、電話を掛けるピンク色の電話機です。

倉庫から出てきたピンク電話を見ると、ふと以前、鹿児島で修行をしていた時のことを思い出しました。
鹿児島では、老人ホームで傾聴ボランティアをすることがありました。そこで元教員のお婆さんがピンク電話の思い出話をしてくださいました。

そのお婆さんは結婚される前、養護学校で教員をされていたといいます。
ある時、美代ちゃんという女の子が入学してきました。美代ちゃんは幼稚園までは普通に通えていたそうですが、小学校に上がると徐々に休みがちになり、1年生の終わりには全く学校に行けなくなってしまったそうです。
そして2年生3年生になっても学校へ行けませんでした。心配した美代ちゃんのご両親は何とか勉強だけでも、少しだけでも学校に慣れて欲しいと思い、話し合いをします。
悩んだ結果、ご両親は美代ちゃんを中学に上がるまで養護学校に預けることにしました。
その養護学校は全寮制で、一度入ると長期間家に帰る事ができません。
養護学校へ預ける日、ご両親は美代ちゃんに
「なんにも心配いらないわ。先生の言う事をちゃんと聞くのよ」と頭をなでながら言います。
先生も「これから仲良くしてね」と美代ちゃんの手を握ります。
先生と美代ちゃんは手を繋ぎながら教室に向かいます。
見送るご両親の目には涙が浮かんでいました。不安と寂しさで胸がいっぱいだったのでしょう。
教室に向かう美代ちゃんもずっと下を向いていたそうです。

美代ちゃんは4年生からの入学でしたが、1年生の内容から学ばなければなりませんでした。
先生は一対一で主要教科を丁寧に教えていきます。
美代ちゃんは呑み込みも早く問題を正解するたびに「大正解よ」と褒めると嬉しそうに笑ってくれたそうです。
ある時、就寝前の暗い廊下から美代ちゃんの話し声が聞こえてきました。近付くと学校内に唯一あるピンクの公衆電話で美代ちゃんはお母さんと話をしていました。
「あ、お母さん?うん・・・元気だよ。ねえ聞いて、今日ね、引き算が出来るようになったの!」と楽しそうに話をしています。
そして
「ううん、全然寂しくないよ。だってこうやってお母さんと電話でお話しできるもん。」と言います。
急に両親の元を離れ心細かったのでしょう。美代ちゃんは頻繁に寝る前、お母さんに電話をしてお話をしていたそうです。
それから、美代ちゃんは漢字も沢山覚え少し難しい本も読めるようになっていきました。
ほんの少しずつではありましたが、1年間で美代ちゃんは沢山のことを学び覚えていきました。

4年生も終わりに近づいたころ、先生が算数を教えていた時のことです。
先生が机に500円玉と100円玉と10円玉を並べて、美代ちゃんに「どのお金が一番価値のあるお金ですか?」と聞きます。
すると美代ちゃんはしばらくお金を見つめた後に「10円玉」と言います。
先生は「もう一度聞くわね。一番価値の大きなお金は?」と聞きます。
美代ちゃんはまた「10円玉」と答えます。
先生は「500円玉と100円玉と10円玉だと、500円のほうが沢山物が買えるのよ。だから一番価値があるのは500円でしょ?分かりましたか?」と教えます。
美代ちゃんはまたしても「ううん、10円玉」と答えます。
何度か説明しても頑なに10円玉と答える美代ちゃんに先生は少し強い口調で「それじゃあ、10円玉の方が価値がある理由をいってごらん」と言います。
すると美代ちゃんは少し恥ずかしそうに「10円玉は電話が出来るお金、電話をするとお母さんの声が聞けるの!」と言いました。

先生ははっとしたそうです。美代ちゃんにとって、十円玉だけがお母さんの声を聴ける唯一の硬貨なのです。百円玉でも五百円玉でもダメ、公衆電話に入らないから。
美代ちゃんにとって、十円玉こそが他の硬貨とは違う価値がある。
先生は、美代ちゃんの答えを間違いだ、ということは出来なかったそうです。

お婆さんはこの思い出話をしてくれた後に「美代ちゃんは頭のいい子だったから500円玉の価値も分かっていたと思う。それでも10円玉がくれるお母さんの声を思うと、やっぱり10円玉は特別だったんだ。大人が頭ごなしに常識かのように価値を押しつけようとしてはいけないかった。」と後悔の思いを話してくれました。

我々は成長し、勉強し知識を得て、情報を聞いて、それが正しいのだと思い込んでいきます。当たり前のように十円よりも五百円の価値が高いと。
しかし、私の考えは正しくないかもしれないという余地を残しておく、そうすると相手の考え価値観を頭ごなしに否定することも争う事もないのでしょう。そのことを、お婆さんの思い出話から学ばせていただきました。

最近、戦争の話をたびたび耳にし、不穏な空気も感じます。
国・地域・民族、そして宗教など、様々な価値観が衝突し争いが起きます。「自分の認識こそが正しい」という思いのなれ果てが戦争といえます。
一方、仏教は歴史上、ほとんど戦争をしてきませんでした。それは「自分は正しくないかもしれない」という考えが根本にあるからです。
この「自分は正しくないかもしれない」「他人の価値観を頭ごなしに否定しない」という仏教の教えは、自分の心を安定させると共に、家族や会社など小さな集団から地域や国など大きな集団の平和にも繋がっていきます。
ぜひこの「私の考えは正しくないかもしれないという余地を残しておく」という教えを実践し、自分の身近なところから平和を考えてみてください。

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