従容録の自己流解説「81則~90則」
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以下の点を読み解いていく為の軸とします。
1,自己の本質や自己そのものが単一で存在しない
これは、自己の存在認識が二元論的に自分と他人の対比による言語化された虚構の概念であるから。
2,「悟り」や「真理」という言葉に根拠を持たない。
仏陀は悟りについて具体的に経典で言及していない。あくまでも悟ったと言う経験談を語っているに過ぎないので「悟り」が何かを定義しない。
3,人権や道徳、倫理に関わる問題はそのまま読み進める。
ジェンダー、身分、職業、暴力、身体的障害等は現代の感覚とかけ離れているが、あくまでも当時の感覚と捉え気を悪くせず受け止めていただきたい。
4,本則の漫画のみを読み解くと読み手の自由な解釈が無限に出てくるため、
宏智正覚禅師と万松行秀禅師が何を狙ってエピソードを取り上げたかにフォーカスして読み解く。
目次
- ○ 第八十一則「玄沙到県」
- ・衆に示して曰く:
- ・本則
- ・頌
- ・解説
- ○ 第八十二則「雲門声色」
- ・衆に示して曰く:
- ・本則
- ・頌
- ・解説
- ○ 第八十三則「道吾看病」
- ・衆に示して曰く:
- ・本則
- ・頌
- ・解説
- ○ 第八十四則「倶胝一指」
- ・衆に示して曰く:
- ・本則
- ・頌
- ・解説
- ○ 第八十五則「国師塔様」
- ・衆に示して曰く:
- ・本則
- ・頌
- ・解説
- ○ 第八十六則「臨済大悟」
- ・衆に示して曰く:
- ・本則
- ・頌
- ・解説
- ○ 第八十七則「疎山有無」
- ・衆に示して曰く:
- ・本則
- ・頌
- ・解説
- ○ 第八十八則「楞厳不見」
- ・衆に示して曰く:
- ・本則
- ・頌
- ・解説
- ○ 第八十九則「洞山無草」
- ・衆に示して曰く:
- ・本則
- ・頌
- ・解説
- ○ 第九十則「仰山謹白」
- ・衆に示して曰く:
- ・本則
- ・頌
- ・解説
第八十一則「玄沙到県」

第八十一則 玄沙到県(げんしゃとうけん)
衆に示して曰く:
動ずれば即ち影現じ、覚すれば即ち塵生ず。
挙起(こき)すれば分明(ふんみょう)、放下(ほうげ)すれば隠密。
本色(ほんじき)道人の相見如何が説話(せった)せん。
本色道人・・・卓越した仏道を歩む人。
現代語訳
身体や口や意識を動かせば、その影が現れる。それが影であり妄想だと分かっても、分かるという影が残り煩悩が生ずる。
「分かる」「分からない」を摘まみ上げて捨て去れば、影が見える事はない。
このような影を見る事がない卓越した僧侶の問答を見てみよう。
本則
挙す。
玄沙(げんしゃ)、蒲田県(ほでんけん)に至る。百戯(ひゃくぎ)して之を迎う。
次日、小塘(しょうとう)長老に問う、「昨日、許多(きょた)の喧閙(けんにょう)甚麼(なん)の処に向かって去るや?」【又閙なり】。
小塘、袈裟角を提起す【果然として手忙脚乱】。
沙、云く、「遼挑没交渉(りょうとうもつこうしょう)」【証拠を謝す】。
玄沙・・・玄沙師備(げんしゃしび)禅師(831~906年)。雪峰義存禅師の弟子。21則にでてくる。
蒲田県・・・中国の福建省の地域。
百戯して之を迎う・・・種々の仮装や演劇などのパーティーをもって歓迎すること。お祭り歓迎会。
小塘長老・・・玄沙禅師の弟子であろうか。長老は年老いているという意味ではなく、徳のある僧を表す。
喧閙・・・喧騒。がやがや。
袈裟角・・・袈裟のすみ。
遼挑・・・隔たっているの意味か。
現代語訳
玄沙禅師が招かれて浦田県(台湾の対岸あたり)へ行った。
すると、街の人々はコスプレ、演劇、屋台を出して盛大な歓迎会をした。その歓迎会は夜遅くまで続いた。
翌日、玄沙禅師は弟子の小塘に「昨日の喧騒はどこへ行ってしまったんだろうか?」と聞いた【その質問が喧騒だ】。
小塘は着けていたお袈裟の角を摘まみ上げ「ここです」と指し示した【突然の質問に狼狽したか】。
それを見た玄沙禅師は「なんだそれは、全く関係ないわい」と言った【証拠を示してくれたぞ】。
頌
頌に曰く。
夜壑(やがく)に舟を蔵(かく)し【衲子は謾じ難し】、澄源(ちょうげん)に棹を著(つ)く【肯(うけが)って死水に堕せんや】。
龍魚は未だ知らず水を命となすことを【局に当たる者は迷う】。
折筯(せっちょ)は妨げず聊(いささ)か一攪(いっかく)することを【草を打って蛇を驚かす】。
玄沙師、小塘老【一状に領過す】、函蓋箭鋒(かんがいせんぽう)【開き易きは終始の口】、深竿影草(たんかんようぞう)【保ち難きは歳寒の心】。
潜縮(せんしゅく)や老亀蓮に巣(すく)い【蔵身の処、沒蹤跡】、遊戯(ゆげ)や華鱗(かりん)藻を弄す【沒蹤跡の処、身を蔵すること莫れ】。
折筯・・・折れた箸。
函蓋箭鋒・・・箱と蓋がしっかりと合い、師匠と弟子がお互いに放った矢が空中でぶつかるということ。師と弟子の息がぴったり合い、仏道が伝わる様。
深竿影草・・・盗賊が用いる棒。草の中を探す際に用いる。ここでは師が弟子の力量を試すということ。
華鱗・・・鯉。綺麗な魚。
現代語訳
夜中に身体を隠し【玄沙禅師を侮るなよ】、澄み切った湖に船を出す【見えないといっても、水に落ちて動きが止まるわけでは無い】。
魚は水が自身の存在そのものだとは知らない。泳ぐという行為によって水と魚(泳ぐモノ)が現成する【泳がない魚は魚ではない】。
折れた箸で水をかき回してやれば気付くかもしれない【草むらを叩いて蛇を驚かすように】。
玄沙禅師と小塘長老はお互いに折れた箸でかき混ぜあっている。師匠と弟子の意図がピッタリと一致しているのであろう【会話が噛みあうのは簡単だが、心が噛みあい続けるのは難しい】。
言葉を用いず示した小塘は見事だ【身を隠し、足跡すらも消して見せた】、喧騒にも静寂にも自由自在な玄沙禅師は流石だ【足跡が消えているでは身を隠す必要はない】。
解説
難しい話です。
読み方のポイントは「事象の時間軸について」です。
我々が普段認識する現象は「明日はお祭りで騒げるぞ」→「お祭りで騒ぐ」→「昨日はお祭りではしゃいだ」となります。
しかし、これを転換していきます。「騒ぐ」という行為によって証明される「騒ぐ自己」と「お祭り(騒ぐ対象)」が限定的に現れる。「明日のお祭りを扱う自己」が現成し、「お祭りで騒ぐ自己」が現成し、「お祭りで騒いだ自己」が現成する。そこにお祭りを扱い続ける一貫した自己の存在に根拠がないと考えます。
昨日今日明日の話であるから分かりにくいですが、例えば生まれた時の自己はどうでしょうか。
先日、妻と自分が生れた時の話を母親に聞いたことがあるかどうかという話になりました。妻は嵐の日の何時何分に破水したのに中々生まれてこない難産であった(うろ覚え)みたいな話を聞いたそうです。私は自分がどのように生まれてきたのか聞いたことがありませんし興味がありません。なぜなら、母親からその話を聞いても生まれたという経験を今の自分が扱いようがないからです。
あくまでも母親の記憶の話であって、自分が生れた根拠はそこにはありません。これは誕生という過去の話だけではありません。死という未来も同じです。自分の死を自分は扱えません。死の時、死ぬ自分が身体的に動くことも言葉を発し概念化することも意識として認識することも出来ないからです。であれば不生不死となります。
これは、記憶がはっきりしている数分前、数時間、数日前も同じです。
だからこそ、玄沙禅師は弟子に「昨日の喧騒の事象をどのように扱えるのか?」と聞いたわけです。
弟子である小塘は袈裟の端を摘まみ上げるように、曖昧かつ少しの記憶でしか扱うことが出来ませんというような答えをするわけです。
玄沙禅師は過去の喧騒を扱えるかどうかと過去の自分の確かさと、今の自分に一貫した関係性は無いだろうという意味で無関係で隔たっていると言ったのです。
さて、過去の事柄の不確かさを解き明かしたのですが、ここでトラウマや過去の嫌な記憶が無くなるわけではありません。
問題は、過去を扱う今の自己をどのように組み立てるかです。ここまでくると、娑婆世界の日常では難しいでしょう。修行道場のような、ある種の習慣化と習慣の中にある扱い方のコツが必要となります。
第八十二則「雲門声色」

第八十二則 雲門声色(うんもんしょうしき)
衆に示して曰く:
声色(しょうしき)を断ぜざれば是随処堕(ずいしょだ)、声を以て求め、色を以て見れば如来を見ず。
路に就いて家に還る底有ること莫(な)しや。
随処堕・・・ここでの堕は堕落ではなく、脱落の意味。
声を以て求め、色を以て見れば・・・金剛経の一節。声を以て求め、色を以て見れば、是の人、邪道を行ずとある。
路・・・途中の意味。
現代語訳
見られたことは見られただけのもであると知り、聞かれたことは聞かれただけのものであると知り、考えられたことはまた同様に考えられただけのあると知り、識別されたことは識別されただけのものであると知ったならば苦しみが消滅する。
見たものから正しさを求め、聞いたことから正しさを求めるならば苦しみが増大する。
見られたもの、聞かれたものを、見ている時、聞いている時にこれが分かる者はいるのだろうか。
本則
挙す。
雲門衆に示して云く、「聞声悟道【双丸、耳を塞ぐ】、見色明心【両葉、睛を遮る】、観世音菩薩銭を将ち来たって餬餅を買う、
手を放下すれば却って是れ饅頭」【又風に別調の中に吹かれる】。
雲門・・・雲門文偃(うんもんぶんえん)禅師(864~949年)。雪峰義存禅師の弟子。
聞声悟道・・・音を聞いて悟る。香厳(きょうげん)禅師(潙山霊祐禅師の弟子)が竹に石の当たる音を聞いて悟ったという逸話による。
見色明心・・・物を見て悟る。霊雲(れいうん)禅師(潙山霊祐禅師の弟子)が桃の花を見て悟ったという逸話による。
餬餅・・・78則の雲門禅師の言葉による。
饅頭・・・小麦粉の生地で牛肉や豚肉を包み蒸す料理。日本では小豆などが用いられる。これを人間の頭と見立てて供えたことから頭の文字がつく。
現代語訳
ある時、香厳禅師が潙山霊祐禅師の元で修行していた。
潙山霊祐禅師が香厳禅師を呼びつけ問答を始めた。
「君は非常に優秀だ。しかし、書物を読んで身に着けた知識だけが全てではない。今、君に問題を出そう。君が生れたての赤ん坊のころ、東西南北も見分けがつかなかっただろう。その時に戻って私に仏法を説いてみて欲しい。」
香厳禅師はあれこれと言葉を並べ立て頑張って仏法の道理を説いてみた。しかし、潙山霊祐禅師には通用しなかった。
後日、香厳禅師は様々な書物を読み漁り、答えを探し求めたが見つからなかった。
ショックを受けた香厳禅師は持っていた書物を全て燃やし「私は今生で仏法を完全に理解することを望みはしない。とにかく、山に入って修行しよう」と言った。
そして潙山霊祐禅師の元を離れ、山にあるボロボロの小屋を改築し庵として1人修行を始めた。
ある日、庵の前を箒で掃いていると、箒が石に当たり、転がった石が竹に当たり「カッ」と音が鳴った。その音を聞いた時、忽然と大悟した。そして「一撃で『在る』ということを捨てた。今更何をもって修めようというのだ。行為は全て瞬間の出来事である。そこに行為の痕跡などない。音や視覚以外の自己の在り様がある。仏道を歩む者はこれを無常の悟りというのだろう。」と言った。
香厳禅師は山を降り、潙山霊祐禅師にこのことを話した。すると潙山霊祐禅師は「うむ、よろしい」と言った。
また、潙山霊祐禅師の元で三十年修行している霊雲禅師という人がいた。ある時、霊雲禅師が山へ柴刈りに行き、麓で休息しながら人里を眺めた。春の季節で桃の花が沢山咲いていた。
それを見た霊雲禅師は忽然と大悟した。そして「三十年間仏法を学び知識を蓄えてきた。何年も何年も勉強してきた。しかし、一回桃の花を見たことにより、物事の疑いが晴れた」という詩を詠み潙山霊祐禅師に呈した。潙山霊祐禅師は「縁起の理に浸かれば、知識による見方に戻る事はない」と言い、霊雲禅師に認可証を渡した。
この話を踏まえて雲門禅師が弟子たちに言った。
「観世音菩薩がお金を持ってゴマ餅を買った。買った後に手の中には饅頭があった。」
頌
頌に曰く。
門を出で、馬を躍(おど)らして、攙搶(ざんそう)を掃(はら)う【閫外は将軍の令】。
万国の煙塵、自ら粛清【風行けば草偃(ふ)す】、
十二処亡ず閑影響【併せて一家と作す】、
三千界に浄光明を放つ【更に両様無し】。
攙搶・・・彗星。昔は彗星があらわれると良くな事が起こると思われていた。ここでは禍と訳す。
粛清・・・騒乱なく静かな様。
現代語訳
将軍が城から兵を率いて進むのは世を乱す輩を討伐するからだ。
国の禍を粛清しに行くのだ。
眼耳鼻舌身意の六根と色声香味触法の六境を討伐しに行けば、六根六境からの影響は無くなる。
六根六境によるゴマ餅が饅頭となって世界中を照らす。
解説
さてゴマ餅の78則からもう一度ゴマ餅が出てきました。
示衆の訳ははウダーナ(自説経)から引用した仏陀の言葉です。
原文は金剛経からの引用になっています。
「見られたものは見られただけ」というのは見る能力、見る対象物があってもそれが○○だという判断を下さなければということです。
それが、視覚聴覚嗅覚味覚触覚感情に到るまで、それが○○だという判断分別さえなければそもそも自我意識も起こらず、生きづらさもなく、執着も起きないといいます。
縁側で寝ている猫も鉢で泳いでいるメダカも、何かを見て何かを聞いて何かに触れて激しく感情を動かしているようには見えません。仮に激しいストレスを感じていてもすれを引きずっていつまでも同じレベルのストレスを感じているようには見えません。まあ、これは個人の感想ですが・・・
人間は見たこと、聞いたこと、嗅いだことなどの情報に余計な分別判断を加え苦しんでいるのだから、見ただけのモノと分かればなんてことはない。しかしそこから「実際に見ている、聞いている時に心が動かない、判断が全くない人などいるのだろうか」と言います。判断が無ければ苦しまないと完全に理解しながら修行する人がいるのだろうか?見てみよう!と本則が始まります。
さて本則です。
原文は相変わらず雲門禅師が一人で話しています。因みにウダーナ(自説経)も仏陀が誰かの質問があったわけでもなく1人で話した内容が纏まっている(といわれる)ものです。
そこに、対応する話を勝手に私が持ってきて付け加え訳しています。
まず聞声悟道の話です。
香厳禅師は竹に石が当たる音を聞いて悟ったと言います。このとき悟りは大悟と書かれています。この大悟はいわゆる悟りではありません。どちらかというと悟りなど無いという悟りでしょうか。
東西南北も右も左も分からなかった赤ん坊の時の仏法を説いてごらんという師の宿題に対して、仏法や悟りという概念すらも無い状態こそが修行であり菩提であり涅槃であり発心であると分かったというのです。香厳禅師の詩はカッという音を追いかけずにいる時に、その「石が竹に当たった音」という概念が当たった後に存在しなかったと示されています。そして、「この音が○○だ」という事柄を捨てて見れば聞かれたものは聞かれただけのものであり、それ以上の事柄は無いのであれば、仏法も悟りもその瞬間に扱う事が出来ても、扱っている以上仏法から遠く離れてしまう。本を読み話を聞き、悟りを求めている以上、文字や言葉に判断分別を用いてしまう。であれば、師の答えには無常を説き、言葉で説ける無常は無いことになる。
霊雲禅師の話も同じです。
なお、香厳禅師の話は正法眼蔵300則上の17、霊雲禅師の話は正法眼蔵谿声山色を参照。
また、今回は視覚、聴覚のみでしたが、水浴びの触覚で大悟を得たといわれる16士の話などがあります。
この二人の話を踏まえて、雲門禅師は観世音菩薩がゴマ餅を買ったと思って手の中を見ると饅頭だったと言います。
「これはゴマ餅だ」と判断分別したかと思いきや、観世音菩薩は見て聞いて嗅いで味わって触って美味しそうという意識を動かした瞬間、それを「饅頭」に出来る自由自在の諸行無常の力量があると言うわけです。
第八十三則「道吾看病」

第八十三則 道吾看病(どうごかんびょう)
衆に示して曰く:
通身を病と做(な)す。
摩詰(まきつ)、癒(い)え難し。
是草、医するに堪えたり。
文殊、善く用ゆ。
争(いか)でか向上の人に参取し、箇の安楽の処を得るに如(し)かん。
如何なるか是安楽の処。
通身・・・全身。
摩詰・・・維摩居士のこと。仮病を使い、仏陀の弟子達に見舞いに来させた故事から。従容録48則にも出てくる。
草・・・ここの草は善財童子一茎草の故事のこと。華厳経に出てくる話。善財童子という方が旅をしながら様々な人に出会い仏道を学んでいく。最後に文殊菩薩の処に行く。そこで、文殊菩薩から「薬草を採ってきてくれ」と言われる。善財童子が外に出て見渡すと薬草ではない草は無かった。そこで善財童子は一茎の草を摘まんで文殊菩薩に持って行った。文殊菩薩はそれを受け取り「この薬はよく人を殺し、人を活かす」と言った。という話。
現代語訳
維摩居士の病気は無病という病気であるから治すことは出来ない。
ところが、見舞いに来た文殊菩薩はこの病気を治す薬を処方して見せた。
文殊菩薩の薬は病気無病、治不治という概念を打ち砕く最上の薬だ。
この薬を手に入れる方法はあるのだろうか?
本則
挙す。
潙山、道吾に問う、「甚麼(なん)の処より来たる?」【来処、分明(ふんみょう)ならんことを要す】。
吾、云く、「看病し来たる」【福田第一は即ち無きにあらず】。
山、云く、「幾人有って病む?」【更に両等を要す】。
吾、云く、「病者と不病者とあり」【却って是汝第二月有り】。
山、云く、「不病者は是智頭陀(ちずだ)なること莫しや?」【陥虎(かんこ)の機】。
吾、云く、「病と不病と総(そう)に他の事に干(かかわ)らず、速やかに道え速やかに道え」【却って葫蘆(ころ)に倒(さかさま)に藤に繳(まつ)わる】。
山、云く、「道い得るも也(また)没交渉」【禍いは慎家の門に入らず】。
潙山・・・潙山霊祐(いざんれいゆう)禅師(771~853年)。百丈懐海の弟子。15則、37則、87則に出てくる。
道吾・・・道吾円智禅師(769~835年)。雲巌曇晟禅師の実の兄にあたる。最初は役所に勤めていたため、仏道の上では雲巌曇晟禅師の弟弟子にあたる。薬山惟儼禅師から法を得た。21則、54則に出てくる。
福田第一・・・戒経に看病は八福田の第一とある。
第二月・・・21則の雲巌と道吾の問答から引用。
智頭陀・・・道吾の諱を円智という。この円を略し智といっている。頭陀は僧侶に対する敬称。
現代語訳
潙山禅師が道吾禅師に質問した。「どこから来たのですか?」【この質問の意味をよくよく理解しなければならない】。
道吾禅師は場所を答えずに「病人の看病をしに来た」と来た目的を言った【看病は一番の功徳だ】。
潙山禅師は「どのくらいの病人がいましたか?」と聞いた【病人と健常者を分けなければ質問に答えられない】。
道吾禅師は何人という数を答えずに「病人と非病人がいました」と答えた【一を二つに分解して見ている】。
潙山禅師は確信をもって「非病人とは道吾禅師自身のことですか?」と聞いた【これは落とし穴だ、道吾は気を付けなければ】。
道吾禅師は立ちあがり「私は病人と非病人という区別などに全く関係ありませんな!!!何をもって病人や非病人と呼んでいるのか!?」と言いながら「さあ、言ってみろ!」と潙山禅師に詰め寄った【言葉に縛られたかと思いきや言葉が言葉に縛られて枯れてしまった。】。
潙山禅師は「どんな言葉で病気を言っても、病気とは無関係になってしまう。」と言った。流石の潙山禅師である。二元論に陥る隙など見せなかった。
頌
頌に曰く。
妙薬何ぞ曾て口に過ごさん【呑不入、吐不出】。
神医も能く手を捉うること莫し【模索するに処無し】。
存するが如くにして渠(かれ)本無(ほんむ)に非ず【唯言う天下に偏(あまね)しと】。
至虚(しいきょ)にして渠本有に非ず【一繊毫を見ず】。
滅せずして生じ【虚なることは谷神の常に死せざるが若(ごと)し】、亡びずして寿(いのちなが)し【道は象帝に先立って自ずから長生す】。
全く威音(いおん)の前(さき)に超え【舒(の)べて頭に到らず】、独り劫空(ごうくう)の後に歩す【巻いて尾に到らず】。
成平(せいへい)や天蓋(おお)い地擎(ささ)ぐ【乾坤を把定す】。運転や烏(う)飛び兎(と)走る【造化を斡旋す】。
何ぞ曾て口に過ごさん・・・口に入れようが無い。
神医・・・名医。ゴッドハンド輝。
谷神・・・やまびこ。
威音・・・三千仏の最初の仏のこと。
烏飛び兎走る・・・ここでの烏は太陽、兎は月のこと。
現代語訳
文殊菩薩の薬は飲みづらい【口に入れても入れようが無い、吐き出そうにも出てこない。】。
どんな名医であろうが手に入れる事は難しい【探しようが無い】。
有るように見えて無いわけでは無いが、無いように見えて有るわけでも無い。
有り無しの有りとも言えず、無しとも言えない。
今有るわけでも、過去に有ったわけでもなく、この先に有る事もない。
その薬の用い方は、無分別にして天という概念を隠し、地という存在を持ち上げるようなものだ。
その薬の効能とは、日が昇り月が沈むように、何の意図もなく、何の為でもなく、何の得る処もないことである。
解説
維摩居士の話から始まります。
維摩居士は以前にも紹介したので概要だけ記載します。
仏陀に病気であると使者を送り、仏陀の弟子に見舞いに来させます。
見舞いの使者として文殊菩薩が選ばれます。そこで、様々な問答がなされ維摩の病気が明らかにされていきます。
「この病気は、妄想・顛倒(偏った見方)・煩悩より生じたものです。真実において、そのような病は無い。」といい、何故病が無いのかを解き明かしていきます。
さて本則では、この病(苦しみ)に実体がないと分かる為の薬(手法)はあるのかという話がテーマに取り上げられています。
道吾はどこから来たのか?と問われ、場所ではなく何をしに来たのかを言います。これも維摩経から引用されています。
お見舞いの為に維摩の屋敷に到着した文殊菩薩は維摩居士から「よく来られました。あなたは『まだ来ていない状態』から来て、『まだ会っていない状態』からお見えになりました」と言われます。
文殊菩薩は「はい。すでに来た者は、これから『来る状態』ではありません。すでに来た者に『来る』という属性は無いからです」と言います。
以上のことを踏まえると潙山禅師のどこから来たのか?という質問は、すでに来ている道吾は改めて『来る』という属性は認められないので「来たのか?」に対する答えは、「今この瞬間に何をしようとしているのか?」という問いに変換し答えることになります。
もちろん日常生活でこんな問答はおこりません。しかし、維摩経に明るい2人だからこそできる問答でしょう。
道吾の「病人を看病しにきた」という答えをもって維摩経に準じた問答であると理解した潙山も乗っかります。
潙山の「どのくらいの病人がいたか?」の「どのくらい」は数を言っているわけではありません。
維摩は病気について「無明と渇愛によって生じた。一切衆生が病んでいるから私も病になった。」と言います。
維摩経に準じた問答であれば、一切衆生すべての人が病であるので病人の数は答えようがありません。幾人というのは何人ではなく、「多くの人が居て」という意味であり、ここでは疑問文ですらない。潙山が幾人有ってと言ったのは(維摩経の問答に乗っかりますぞ)という意思表示であろう。
道吾はそれに「病気の人と、無病の人がいる」と言います。
維摩居士は「子供が病めば父母も病となり、子が癒えれば親も癒える。菩薩はあらゆる人の子を自分の子供のように愛す。衆生が病めば菩薩も病む。衆生が癒えれば菩薩も癒えるのです。この菩薩の病がなにを因とするのかといえば大悲を因とするのです。」と言います。
道吾も潙山も菩薩であれば大悲によって病むでしょう。しかし、無病の人もいるという道吾の答えは大悲が無い人が居るということであろうか?
これも、維摩経を読めば読み方が見えてくる。維摩は大悲の病を治す方法として「無常を説くな、涅槃を願うな。衆生の病を治すという行為によって菩薩の病が治る」といっています。
であれば、無病の人は大悲が無い人ではなく、今この瞬間に病気の人を看病している人ということになる。
そのことが分かった潙山は病人である潙山を治す道吾は無病だよね?と言います。
しかし、ここに潙山の罠があります。
何事かに実体を錯覚することが衆生の病であると説かれる維摩経に従えば、病や健康という概念で人を判別するのも病となってしまう。であれば病人と非病人の概念で問答を進める道吾は病の人ということになる。この矛盾に陥ってしまってはいけない。
そこを潙山に突かれる前に逆に道吾は「何をもって病人と非病人を区別しているのか!!??」と。自分で病人とか言い出したくせに・・・
潙山は分別無しに言葉は吐けないよと言います。これで、病人も非病人も居なくなりました。めでたしめでたし。
第八十四則「倶胝一指」

第八十四則 倶胝一指(ぐていいっし)
衆に示して曰く:
一聞千悟、一解千従。
上士(じょうし)は一決して一切了ず。
中下は多聞なれども、多く信ぜず。
剋的簡当(こくてきかんとう)の処、試(こころみ)に拈出す、看よ。
一聞千悟・・・一を聞いて千を得る。
一解千従・・・一を得て千に応用する。
上士は~・・・この二行は永嘉玄覚禅師の証道歌にある一節。
剋的簡当・・・簡潔明瞭。
現代語訳
一つを聞いて千の事柄を理解する者がいる。また、一つを理解して千の事柄に応用する者がいる。
それゆえに、優秀な人は一つを聞いて全てを解決する。
しかし、凡夫は千の言葉と万の研究をし尽くしても、解決できる事柄は限られている。
そんな我々凡夫にも簡潔に仏道を示してくれるのが師家(優秀な指導者)である。
試しに一つの話を紹介しよう。
本則
挙す。
倶胝(ぐてい)和尚凡そ所問有らば只一指を竪(た)つ【許多の気力を費やして作麼(なに)かせん】。
倶胝(ぐてい)・・・不詳。唐の時代の人と言われる。ある時、尼僧の質問に答えられず庵を捨てて、遊行し大梅禅師の弟子である天龍禅師の元で修行した。その際に、以前答えられなかった質問に天龍禅師が只指を一本立てて答えた。それを見た倶胝和尚は大悟した。それ以降、倶胝和尚は何を問われても指を一本立てるだけであったという。これを「一指頭の禅」という。
現代語訳
倶胝(ぐてい)和尚の師である天龍禅師は仏法について質問された際に、只指を一本立てるだけで言葉を用いず答えた。それにより倶胝和尚は悟りを得た。
それ以降、倶胝和尚は誰かに質問されるたびに只指を一本立てるだけであった【無駄な事を】。
ある時、倶胝和尚の元で修行している小僧が客人に「倶胝和尚が説いている仏法はどのようなものか?」と問われた。
すると小僧は倶胝和尚の真似をして指を一本立てた。
この話を聞きつけた倶胝和尚は小僧を呼びつけて、小刀で小僧の指をちょん切った。
小僧は「っぎゃーーーー!!!くぁwせdrftgyふじこ!!!」と叫び悶絶し逃げ去った。
倶胝和尚は走り追いかけて、小僧の名前を呼んだ。
振り返った小僧に倶胝和尚は指を一本立てて見せた。
それを見た小僧は忽ち意味を理解した。
月日が流れ、倶胝和尚が亡くなる直前に「天龍禅師より一指の禅を受け取ったが、ついにそれを使い切ることが出来なかった」と言った。
頌
頌に曰く。
倶胝老子指頭(しとう)の禅【驢蹄を縮却せよ】、三十年来用不残(ゆうふざん)【今に至るまで蹺手乱手】。
信(まこと)に道人方外(ほうがい)の術あり【這裏使い著けず】。
了(つい)に俗物の眼前に見る無し【猶少なきを嫌うこと在り】。
所得甚(はなは)だ簡に【乾坤に逼塞す】、施設(せせつ)弥(いよいよ)寛(ひろ)し【一捏を消せず】。
大千刹海、毛端(もうたん)に飲む【涓滴(けんてき)を留めず】。
鱗龍(りんりゅう)限り無し誰が手に落つ【天童猶在り】。
珍重(ちんちょう)す任公(にんこう)釣竿を把(と)ることを【人を驚かす手段を妨げず】。
師、復(ま)た一指を竪起して云く、看よ【人を慚惶殺す】。
用不残・・・残は尽と同じ意味。使いきれないの意味。
方外・・・世間一般の外。
一捏を消せず・・・一ひねりにも足りない。
大千刹海、毛端(もうたん)に飲む・・・三千大千世界。
鱗龍・・・龍。偉大な人。
人を慚惶殺す・・・殺は助字。人を馬鹿にしている。
現代語訳
倶胝和尚の示した指一本は三十年以上用い尽くせなかった。
まさに出家者の妙術である。
俗世間の人には全くこの示すところは分からないだろう。
この仏道を示すのはとても容易い、指を一本立てるだけである。しかし、立てた指が示す仏道はとても広大だ。
この世界を飲み込むほどに広大だ。
最上の仏も手に入れる事は難しいだろう。
私(天童正覚)が指を一本立てよう。さあ倶胝和尚の指一本と共に見よ!
解説
これは倶胝の指を立てる答えが何であるかはどうでもいい話です。
この話の本質は、仏法や仏道や悟りに「これこそが悟りだ」「これが正しい仏法だ」ということを論じないところにあります。
問答には大きく分けて2種類あります。あらかじめ答えが設定されている問答と、答えが分からないながらも問いに挑戦していく問答です。
おそらく多くの人が学校で学ぶ問いとは答えが設定されていると思います。でなければテストも出来ないし点数もつけようがありません。テストで点数が付けられて、順位が決まるのは出題者が答えを設定しているからです。
この「答えが決まっている問い」には欠点があります。出題者の意図に沿った答えが出ないと間違いになります。例えば国語の問題であっても著者の意図ではなく出題者の意図によって物語を読まない限り答えにたどり着けません。運転免許試験も同じです。私は仮免試験に21回落ちましたが、問答はとても滑稽です。『原動機付自転車は50km以下で走らなければならない。〇か×か』。これは本来問題を読めば、原付は30km以下と定められており、50km以下は30km以下を満たす必要条件となるため〇です。しかし答えは×です。これは出題者が×と決めたから×であってそれ以外の理由はありません(決して落ちたことへの言い訳ではありません・・・)。
仏教の「問い」は言うまでもなく後者の「答えが分からないながらも挑戦する問い」です。
答えが分からないし、仮に自分なりの答えを持っても客観性もなく絶対性もなく正確性も再現性も不明です。
仏道について質問する時、このことを踏まえないと「仏教の真理は○○だ」という結論に至り、それ以外の主張を受け付けなくなります。真理はある。しかし多数ある。その多数とは100や200の数ではありません。人の数にもよるし、同じ人でもその時の気分や思考、感性で変わる事もある。であれば、仏道における「問い」とは、その時の答えを出す事ではありません。何故なら答えを出してもその答えの実用性が続く保証が自分自身にも無いからです。「問い」はあくまでも「問い」として持ち続け、「問い」は「挑む」からこそ「問い」になります。
指一本の問答は、「答え」を示しているわけではないのです。別にこれは指一本立てる行為をしなくても良いのですが、これが仏法の「答え」だと錯覚した小僧に対して、慈悲の心?を持って絶対性を断ち切らせるために、指をちょん切ったのでしょう。
そして、逃げる小僧を追いかけ、指一本を立てた。その行動にも別に意味は無いが、問いが無いのに指一本立てるのは倶胝和尚が常に「問い」に挑みつづけているからに他ならない。
挑みつづける指一本は答えが出ない以上、生涯を掛けても使い尽くせないだろう。
第八十五則「国師塔様」

第八十五則 国師塔様(こくしとうよう)
衆に示して曰く:
虚空を打破する底の鉆鎚(ちんつい)、華嶽(かがく)を擘開(はっかい)する底の手段あって、
始めて元、縫虍(ほうこ)なき処、瑕痕(かこん)を見ざる処に到る。
且らく誰か是れ恁麼の人ぞ。
鉆鎚・・・鍛冶屋が用いる金鋏と金属の金槌。修行僧を鍛える様を表す。
華嶽・・・中国五山の一つ。華山。
擘開・・・手で二つに引き裂く。
縫虍・・・縫い目。
瑕痕・・・傷跡。
現代語訳
指導者は虚空を打ち破る手段を用い、山を切り裂く手段を用いる。
二つの物を対比せず、縫い目も傷跡もない境地を示す。
さあ、これはどのような人だろうか。
本則
挙す。
粛宗帝(しゅくそうてい)、忠国師(ちゅうこくし)に問う、「百年の後、所須(しょしゅ)何物ぞ?」【即今(そっこん)、也(また)少なからず】。
国師、云く、「老僧が与(ため)に箇の無縫塔(むほうとう)を作れ」【甚の処に向かって手を下さん】。
帝、曰く、「請う師塔様」【描不成、画不就】。
国師、良久して云く、「会(え)すや?」【這裏、会することを得ず、会せざれども別に求むること莫れ】
帝、云く、「不会」【却って些子(しゃし)に較(あた)れり】。
国師、云く、「吾に付法の弟子耽源(たんげん)というもの有り。却って此の事を諳(そらん)ず」【祖禰(そねい)了ぜざれば殃(わざわ)い児孫に及ぶ】。
後に帝、耽源に詔(みことのり)して此意如何と問う【作家の君主、遺嘱を忘れず】。
源、云く、「湘の南、譚(たん)の北【天は高く地は厚く、日は左に月は右】、中に黄金有り、一国に充つ【虚空に逼塞す】。無影樹下の合同船【密密として金刀剪(き)れども聞かず】、瑠璃殿上(るりでんじょう)に知識なし」【寂寂として簾垂れて顔を露わさず】。
粛宗帝・・・唐の皇帝。711年~762年。忠国師よりも早く亡くなってい。次の皇帝である代宗(だいそう)(726年~779年)の誤まりであろう。または、国師が亡くなった後の話から代宗が耽源に尋ねているのか。塩の専売化などを図り唐を再建しようとした。
忠国師・・・南陽慧忠禅師(689~775年)。六祖慧能禅師の弟子。粛宗と代宗の皇帝に招かれることが多かったようだ。42則に出てくる。
所須・・・求める物。
無縫塔・・・縫い目のない塔。ここでは円形の継ぎ目に無い石塔であろうか。現代では卵型のため卵塔と呼ばれる。
些子・・・すこし。
耽源・・・耽源応真(???~???年)。六祖慧能禅師のもとで修行し、南陽慧忠禅師の侍者を務めた。
湘の南譚の北・・・湘は形相。譚は言葉。認識される音や物のことか。
現代語訳
代宗皇帝が南陽の慧忠禅師に尋ねた。「百年後に欲しいものはありますか?」【今まさに欲しいと思うものがある】。
慧忠禅師が「わしの為に縫い目のない墓石を立てて下され。」【手を加えたら縫い目が出来てしまう】。
皇帝は「どのような形の塔がよろしいでしょうか?」と聞いた【この形は書くことは出来ないぞ】。
慧忠禅師はしばらく黙った後に「分かりましたか?」と言った【分かり様がない、分からなくても分かる事を求めなくて良いぞ】。
皇帝は「???。分かりません。」と言った【分からないという答えは少し正解だ】。
慧忠禅師は「私には耽源という弟子がいます。耽源であれば説明してくれるでしょう。」と言った【弟子に押し付けた】。
慧忠禅師が亡くなってから皇帝はかつての慧忠禅師の意図を探ろうと耽源を城に招いた。
そして耽源にかつての慧忠禅師から言われた言葉を説明し、意図を尋ねた【素晴らしい皇帝だ、慧忠禅師の言葉を忘れていなかった】。
耽源が言った。「目に見える世界の端、聞こえる世界の端、その世界の中に黄金があり、世界中に満ちている。認識される影の無い中を船が進んでいく。行きつく先の宮殿は虚空の宮殿である。そこに師はいない。」
頌
頌に曰く。
孤逈逈(こけいけい)【万法と侶(とも)為らず】、円陀陀(えんだだ)【無欠無余】。
眼力尽くる処、高うして峨峨(がが)たり【斫額(しゃくがく)して望めども及ばず】。
月落ち潭空(むな)しうして夜色重し【尽十方界、一鋌(いっちょう)の墨の如し】。
雲収まり山痩せて秋容多し【体露金風】。
八卦、位正しく【天地と其の徳を合す】、五行、気和す【日月と其の明を合す】。
身先ず裏(うち)に在り見来たるや【到る時は即ち点ぜず】。
南陽父子却って有ることを知るに似たり【且く一半を信ず】。
西竺(さいじく)の仏祖如奈何ともすること無し【千聖従来下風に立つ】。
孤逈逈・・・脱落の様子。
円陀陀・・・丸いこと。角やつなぎ目がない丸い様。
峨峨・・・山がそびえたつ様子。
斫額・・・額に手を当て遠くを見渡す様子。
西竺・・・インド。
現代語訳
縫い目のない円をように、角の無い丸のように、かける事も余ることも無い。
高くそびえたつ山のように、何も見えない新月の夜のようだ。
雲が去り秋の色が強くなった山のように、すがすがしい陽気のようだ。
自己がどこにあるのか見えるかな。忠国師と耽源は無縫塔があることを知っているかのようだ。
インドの仏祖もその形を言い得る事は出来ないだろう。
解説
示衆からです。
虚空を打破する。つまりなにも無い場所を破るという現実的には有り得ない事が書かれています。次に山を手で切り裂くという、これまた有り得ないことが書かれています。
次に縫い目のないところに傷跡がない。と今度は当たり前のことが書かれています。
しかし、虚空を打破することや山を切り裂くことが出来ないというのは、それが出来ない事であると頭の中で想像しているからです。
布に穴を空ける、紙を破ると言われればやったことが無くても出来るイメージを持てます。
過去の従容録を思い出してみてください。「そこに紙がある」「そこに山がある」という現象は「紙をあつかう自己」「山を扱う自己」が同時に現成し成り立ちます。それを「紙」と「紙以外のもの」との対比で、自分が認識し扱う以前から在るかのように錯覚している。これは物質だけでなく現象にも言えます。「打破する」ことと「打破を扱う自己」がそこに同時に現成していることが「打破」という存在です。
しかし、ここで終わってしまうと先尼外道と同じになってしまう。自己の心理作用によって事物を如何様にも現成させられるぞというのは予め自己の存在を定義しておかなければ成立しない理論である。
そして、予め自己がいるという考えは不変の一貫した自己が過去から現在そして未来に到るまで続くということである。「考える葦」や「我思うゆえにわれあり」という唯心論を前提に組み立てられる仏道と言うのは達磨門下の修行道場では認められない。かりに現在コスプレイヤーが多く認められたとしても私は認めない。
ここでいう虚空を打破するということは、自己が打破することでもなく、見知らぬ誰かが打破する事でもなく、勝手に打破されるものでもない。
もし、打破されたのであれば傷跡と縫い目が出来るが、次の文で縫い目も傷跡も無いと示される。
であれば、虚空=打破であり、山=切開である。虚空と打破に縫い目も傷跡もなく、山と切開に縫い目も傷跡も無い。
そのことを参究できる僧侶が果たしているのだろうか?
本則です。
慧忠禅師は以前にも出てきています。またそれとは別の話で景徳伝灯録28にも南陽慧忠禅師の話がありますので紹介しておきます。
慧忠禅師「何れの方よりか来れる」
僧「南方より来る」
慧忠禅師「南方に何なる知識(指導者)か有る」
僧「知識すこぶる多し」
慧忠禅師「如何が人に示す」
僧「彼方の知識、直下に学人に即心是仏と示す。仏は是れ覚の義なり、汝は今見たり聞いたり嗅いだりという感覚器官の性質を具えている。此の具わる性質は眉を動かし瞬きをするように自然な運用がなされる。その運用は体中に遍く行きわたり頭を触れば頭を知り、足を触れば足を知る。故に「正遍知(正しく全てを認識する)」という。この認識作用の外に仏はいない。この身は生滅があるが、心はいつ始まったか分からない終りも分からない、生滅がない。身が生滅するとは蛇が脱皮し、人が旧い家を捨てるようなものだ。身体は無常でも本質は不変である。これが南で説かれる仏法だ。」
慧忠禅師「であれば、先尼外道となんら変わりはない。先尼は不変の自己を説いた。不変の本質自己など論ずるに値しない。最近は自己の本質や宇宙の真理などという輩が増えてきた。何百人も僧侶を集めて六祖壇経を改竄し、人々を惑わす。もし、見る聞く嗅ぐ味わう触れる認知するという性質が仏性であるならば、釈尊も『見る聞く味わう触れる認知することを離れる』とは説かないだろう。」
この話からも分かるように仏法において不変で一貫される自己は無いと見る。
本則の初めに「百年後に欲しいもの」という問いがなされます。
百年後は死んでいるだろうという話ではなく、未来に欲しいものというのは「欲しい」と思う瞬間は今です。未来に欲しいものが欲しいものとして扱われるかどうかは分かりません。そして、先程の話に照らせば100年後の自己が今と同じ自己である根拠もありません。
慧忠禅師は縫い目のない塔を立てて下されとお願いします。この縫い目とは境目や傷跡が無いということです。
例えば、地面に石塔を建てようとすると地面と石の境目を意識しなければ工事が出来ません。石を削ろうと考えると、石と石以外の領域という境目を考えなくてはなりません。文字を彫ろうにも、塔を塔として扱おうにも縫い目なくというのは不可能です。
さらに「老僧が与(ため)に」とまで言われてしまうと、もう誰かの為という縫い目が出来てしまう。
困った皇帝は「どのような様相でしょうか?」と聞きます。
ここで「○○のような様相」と言えば縫い目になるので、黙っている。これが分かったか?と慧忠禅師は聞き返します。
皇帝は分かりません。と答えます。この分からないも一つの正解でもあります。縫い目を妄想し様相を呈することを止めた事物は結局分からない。
慧忠禅師は答え合わせを弟子に託します。
弟子耽源はあれこれと言い、縫い目の無い様相を言い間違えながら言います。
黙っていれば良いものを、喋るからぼろが出るのでしょうが、黙ると言う様相も師が示してくれたので敢えて言い間違えるのでしょう。
とはいえ、もう少し頑張って言い間違えて欲しいですね。
私であれば代宗皇帝の問いにこう答えよう。「是這箇が塔です」と。
第八十六則「臨済大悟」

第八十六則 臨済大悟(りんざいだいご)
衆に示して曰く:
銅頭鉄額(どうとうてつがく)、天眼龍睛(てんげんりゅうせい)、雕嘴魚鰓(ちょうしぎょさい)、熊心豹胆(ゆうしんひょうたん)なるも、
金剛剣下(こんごうけんげ)是計(はか)ること納(い)れず。
一籌することを獲(え)ず。
甚麼(なん)と為(し)てか此(かく)の如くなる。
銅頭鉄額・・・瑯琊慧覚禅師の言葉。「僧問う、如何なるか是仏。師曰く、銅頭鉄額。僧曰く、意旨如何。師曰く、鳥嘴魚鰓」
天眼龍睛・・・天人の眼。龍の瞳。物事を見通す眼。
熊心豹胆・・・熊も豹も獰猛な心を持っている。
金剛剣下・・・固い金剛石に剣を振り下ろしても切れないように、悟りを切り分けて言葉で表現しようにも不可能であること。
一籌・・・すこしも推し量ることはできない。
現代語訳
悟りとは何だ。仏とは何だ。と言われれば銅の頭、鉄の額、天の眼、龍の瞳、鷲の觜、魚の鰓、熊の心、豹の胆という祖師がいる。
金剛石に剣を振り下ろしても割れないように、悟りや仏を分解して説明することは出来ない。
すこしも推察することが出来ない。
なぜ、このように言い表すことが出来ないのか。
本則
挙す。
臨済(りんざい)、黄檗(おうばく)に問う、「如何なるか是仏法的的の大意?」【殺人は恕すべし、情理は容れ難し】。
檗、即ち打つ【棒棒血を見る】。
是(かく)の如きこと三度、乃ち檗を辞して大愚(だいぐ)に見ゆ【重きに便にして軽きに便せず】。
愚、問う、「甚麼(なん)の処より来たる?」【険、照顧せよ、著】。
済、云く、「黄檗より来る」【杖瘡(じょうそう)猶在り】。
愚、云く、「黄檗何の言句か有りし?」【這裏好(よ)し讐(あだ)を報ずるに】。
済、云く、「某甲三たび仏法的的の大意を問ひ三度棒を喫す。知らず過ありや過なしや?」【更に六十棒を少(か)く】。
愚、云く、「黄檗恁麼(いんも)に老婆爾(なんじ)が為に徹困(てつこん)なることを得たり、更に来って有過無過を問う?」【再犯を容さず】。
済、言下に大悟す【始めて痛痒を知る】。
臨済・・・臨済義玄(りんざいぎげん)禅師(???~867年)。黄檗希運禅師の弟子。臨済院の住職をしていた。13則、38則、80則に出てくる。
黄檗・・・黄檗希運(おうばくきうん)禅師(???~850年前後)。百丈懐海禅師の弟子。弟子に臨済義玄がいる。53則に出てくる。
的的の大意・・・適切な意味。正確な説明。
大愚・・・高安大愚禅師(???~???年)。南嶽門下。臨済禅師を指導した人。
老婆・・・老婆親切の心。懇切丁寧なこと。慈愛の心。
徹困・・・徹底した真心。
現代語訳
臨済(りんざい)が黄檗(おうばく)禅師の元で修行していた時のこと。
臨済が黄檗禅師に質問した。「仏法とはどのようなものでしょうか。的確に意味を教えてください。」【殺人罪も懲役が終われば釈放されるが、仏法の世界に情状酌量も許されることもないぞ】。
黄檗禅師は臨済を棒で叩いた【叩いた方から血が流れる】。
黄檗の元で修行している時に同じようなことが三度もあった。
そして、臨済は黄檗の元を離れて大愚禅師の元へ行った。
大愚禅師の寺に行くと、大愚禅師から「おぬし、どこから来た?」と聞かれた【危ない質問だ、臨済よ足元をしっかり見ろ】。
臨済は「黄檗禅師の元より来ました。」と答えた【叩かれた痕が残っているぞ】。
大愚禅師は「そうか。黄檗禅師はどのような言葉で仏法を示してくれた?」【黄檗禅師からいただいた棒に報いるのは今だ】。
臨済は「黄檗禅師に三回も仏法の意味を聞いたのに三回とも棒で叩かれました。私に何か非があったのか、又は冤罪なのか。まったく納得がいきません!!」と答えた【あと六十回くらい棒で叩いた方がいいよ】。
大愚禅師は「黄檗禅師がこんなに懇切丁寧に仏法を示してくれているのに、恩知らずの馬鹿者めが!!!!」と怒鳴った。
続けて大愚禅師は「しかも、私に過ちがあったかどうかなどを私に聞くなど以ての外だ!!!」と臨済の言葉を戒めた。
この大愚禅師の言葉を聞いて臨済は大悟した【やっと棒の痛みが効いてきたか】。
その後、しばらくして臨済は黄檗禅師の元へ戻った。
戻ると黄檗禅師に相見え、師匠である黄檗禅師を棒で叩いた。
黄檗禅師は嬉しそうに「この常識外れの男が、師匠を棒で叩きやがった。まったく恐れ知らずだ。」と言った。
頌
頌に曰く。
九包の雛(すう)【羽翼既に成る】、千里の駒【神駿(しんしゅん)亦(また)備う】。
真風籥(やく)を度(わた)し【一竅虚通ず】、霊機(れいき)枢(すう)を発す【一撥(いっぱち)便(すなわ)ち転ず】。
劈面(へきめん)に来たる時、飛電(ひでん)急なり【擬議を容れず】。
迷雲(めいうん)破る処、太陽孤なり【旧時の光彩】。
虎鬚(こしゅ)を捋(な)ず【万松門下誰か敢えてせん】。見るや也無しや【急に眼を著く】。
箇(これ)は是雄雄たる大丈夫【老婆心切を争奈(いかん)せん】。
九包の雛・・・九つの特徴を持つ鳳凰の雛。卓越した力を秘めた修行僧。
千里の駒・・・千里を走る馬。大器晩成の修行僧。
籥・・・風を送る管。吹奏楽器。
枢を発す・・・枢はカラクリの要。絶妙な心の動きが歯車にピッタリと適いカラクリが動き出す。
劈面・・・正面。
虎鬚を捋ず・・・虎の髭を撫でるように危ない。この本則の後日談として、大愚の元で大悟をした臨済が黄檗の元へ帰り、黄檗にビンタしたとある。この時に黄檗から「この男、虎の髭を撫でるように帰ってきて師匠を棒で叩きおったわ。」といわれた。
現代語訳
臨済は力を秘めている。千里を走る馬のように力強く、繊細な心使いが出来る男だ。
棒が正面から飛んできても迷いを破り大悟した。
黄檗に劣らない雄大な男だ。
解説
大悟(だいご)についての話です。
悟りに大きいも小さいも無いがここでは大悟と言っています。
正法眼蔵にも大悟の巻があります。
釈迦牟尼仏が悟り、摩訶迦葉、阿難陀と脈々と引き継がれてきた仏法を今の我々僧侶も学び実践しています。
仏祖にならい修行をする時に大悟が現成し、時に悟りという概念を用いず仏道に到り、時に悟りと言う概念をこねくり回し、時に悟りを捨て去る。これこそが仏祖の家風です。ここでいう大悟とは、悟りという概念を理解することではありません。釈迦牟尼仏の悟りも摩訶迦葉の悟りも達磨大師の悟りも分かりません。もし、タイムスリップして実際に会ったとしても分かりません。これは、やれば分かるという経験に裏付けされたものでも無く、パズルのように多くの仏祖から学べば分かるというものでもありません。大悟した者を仏祖と呼ぶのではなく、悟りという概念にも捉われず、大悟を飛び出し大悟を組み立てていく者を仏祖と呼ぶ。
正法眼蔵大悟の巻で臨済禅師の言葉を挙げている。「唐の国を探し回っても不悟の者を見つけるのは難しい。」
この人は悟っている、この人は悟っていない。という判断をもって相手の心を推し量るのは不可能であるということです。
いつもニコニコしている人が心の中でいつも楽しくしているかどうかは分からず、不機嫌そうな人が本当に不機嫌かどうかも分かりません。相手の属性や心や思いや思考は分かりません。達磨大師が法を4人の弟子に伝えた際、「我が皮を得たり」「我が肉を得たり」「我が骨を得たり」「我が髄を得たり」と言った故事があります。決して皮よりも肉の方が奥にあるから肉が優れているわけでも、骨の中に髄があるから髄の方が優れているわけでもありません。師匠と弟子であろうと心の内も相手の悟りも分かりません。その分からないものを引き継いでいく。分からないながら、言い間違えながら言葉に出して引き継ぐときに出る言葉が皮肉骨髄であり、今の世にも伝わる仏法です。その仏法を臨済は言葉で的確に間違いなく言い表してくださいという。黄檗は言い間違いのない悟りの言葉などあるはずもなく、棒で叩くしか手段を持ち合わせていなかった。いい加減な言葉や行動ではぐらかす師匠であったなら臨済は大悟しなかったであろうと思います。現代でも悟りや仏法を「丸出しの仏性」や「天地いっぱいの命」「宇宙の真理」などの意味不明な言葉で仏道を乱す師家がいます。悟っているのか、仏法とは○○だと言える人がいるのかどうかは分かりません。臨済禅師がいう「不悟の者を見つけるのは難しい」という言葉を考えれば、昨日の自分も不悟かどうか分からず、明日会う人が不悟かどうかも分からない。師匠も弟子も不悟かどうか悟かどうか分からない。分からないが、その大悟をテーマに歩み、飛び越えた仏祖の行住坐臥に学び、問いかけ続ける。その時に大悟現成する。悟りは仮であり、大悟は生み出されるものでもなく、どこからか持って来るものでもなく、自己に内蔵されているものでもないことが前提の大悟現成である。さらに大迷でない状態を大悟というのではない。壁に相対した時、柱に相対した時、応量器に相対した時、「大悟底の人」を問い続け、関わり方を仏祖にならうのである。
第八十七則「疎山有無」

第八十七則 疎山有無(そざんうむ)
衆に示して曰く:
門閉さんと欲すれば一拶(いっさつ)して便ち開く。
舡(ふね)沈まんと欲すれば一蒿(いっこう)して便ち転ず。
車箱(しゃそう)谷に入って帰路無し。
箭筈(せんかつ)天に通じて一門有り。
且らく道(い)え甚麼(なん)の処に向かって去るや。
一拶・・・拶は押すこと。ちょっと押すこと。
一蒿・・・蒿は船を漕ぐオール。ちょっと漕ぐこと。
車箱・・・谷の名前。深い谷といわれている。
箭筈・・・峰の名前。高い峰といわれている
現代語訳
門が閉じようとする時に、ちょっと手で押せば門が開く。
舟が沈みそうな時に、ちょっとオールでバランスをとれば危機を免れる。
このように、心の乱れや迷いはちょっとしたきっかけで落ち着き、安定することもある。
しかし、深い谷底にいて帰り道も分からないような心情の時や
高い山に登り天まで届きそうな高慢な心情の時はどのように地面に戻せばいいのだろうか?
本則
挙す。
疎山(そざん)、潙山(いさん)に到って便ち問う、「承る師言えること有り、有句無句は藤の樹に倚(よ)るが如しと【人の唇歯に挂(か)く】。
忽然として樹倒るれば藤枯る、句何の処に帰するや?」【言(こと)を承(う)くる者は喪(そう)し、句に滞る者は迷う】。
潙山、呵呵(かか)大笑す【禹力到らざる処、河声流れて西に向かう】。
疎山、云く、「某甲(それがし)四千里に布単を売り来たる、和尚何ぞ相弄(あいろう)することを得たる?」【草鞋銭を還し来るや未だしや】。
潙山、侍者を喚んで銭を取って這の上座に還せと【不滅の財は我に於いて浮かべる雲の如し】。
遂に囑して云く、「向後独眼龍あって子(なんじ)が為に点破(てんぱ)し去ること在らん」【更に四千里有り】。
後に明昭(めいしょう)に到りて前話を挙す【一客両主を煩わす】。
昭、云く、「潙山をば頭正しく尾正しいと謂いつべし。、只是知音(ちいん)に遇はず」【自ずから是蒲縄に短し、古井の深きに干(あず)かるに非ず】。
疎、復(また)問う、「樹倒るれば藤枯る、句は何の処に帰するや?」【又恁麼にし来る】。
昭、云く、「更に潙山をして笑い転(うた)た新たならしむ」【別人の拳頭(けんとう)をも地に画く】。
疎、言下に於て省有り【布単の債を還し了る】。
乃ち云く、「潙山元来笑裏に刀あり」【始めて覚える、皮を破り血を見ることを】。
疎山・・・疎山光仁禅師(837~909年)。洞山良价禅師の弟子。
潙山・・・潙山懶安(いさんらいあん)禅師(793~883年前後)。百丈懐海禅師の弟子。83則や15則に出てくる潙山霊祐(いさんれいゆう)禅師とは別人。潙山霊祐禅師の修行道場を継承し、その後長慶禅院に入る。長慶大安禅師とも。
藤・・・楞伽経に出てくる。藤の木は宿主の木を締め上げ枯らしてしまう。概念言語で自分自身を締め付け縛り付けることの例えとして用いられる。
禹力・・・夏王朝の初代王が黄河を治水した故事。禹王の力をもってしても黄河の流れを操る事は出来ない。言語化出来ない限界がある。
布単・・・パジャマ。布は高価である。家財を売り払ってまでも教えを請いたいということ。
囑して云く・・・将来のことを告げる事。将来○○だろう。
独眼龍・・・隻眼の人。眼光鋭く卓越した人のこと。ここでは明昭のこと。
点破・・・障害物を除くこと。点検看破の略として、一人前の印可を与える事。
明昭・・・明昭徳謙禅師(???~???年)。43則に出てくる羅山道閑禅師の弟子。左目が無く隻眼であったという。
頭正しく尾正しい・・・初めから終りまで正しい。
知音・・・旧知の仲。
現代語訳
ある時、疎山(そざん)が潙山(いさん)の元を訪ねた。
その時、潙山禅師は掃除中であったが、疎山は潙山禅師に仏道について質問した。
「師匠である洞山良价禅師は『人間は藤の枝が宿主の枝を締め付けるように。言葉に縛られ概念を思い込み自身を縛っていく。』と言っていた。では、宿主の木が倒れ藤も枯れた時、その言葉や概念はどこにいってしまうのか?」【言語に捉われる人は道を見失い、概念に執着する者は迷う】。
潙山禅師は持っていたチリトリを放り出して大笑いしながら部屋に帰ってしまった【力の及ばない処は何もしないほうが良い】。
疎山は潙山禅師を追いかけ「私はこの問いの答えを求めて何千キロと歩いて来ました!旅費も多く費やしました!!何故なにも答えてくださらない!?」と言った【旅費分の答えはもう貰っているぞ】。
すると潙山禅師は侍者(付き人)を呼び「この僧に銭を渡し帰ってもらえ。」と言った。
そして疎山の方を向き、「独眼龍と呼ばれる僧侶が君の問いを打ち破ってくれるだろう。」と言った【帰りも何千キロある】。
疎山は潙山禅師の言いつけ通り、独眼龍と呼ばれている明昭(めいしょう)禅師という僧侶を訪ねた。
疎山は明昭禅師に今までの経緯を話した。そして、明昭は「なるほど、潙山禅師は一貫して正しく答えていたぞ。君を愚弄したわけでも嘲笑したわけでもない。ただ、その意味を理解できる者が近くに居なかっただけである。」と言った【縄が短く水が汲めないだけである、井戸が深いわけでは無い】。
そこで、疎山は改めて同じ質問を明昭禅師にした。「師匠である洞山良价禅師は『人間は藤の枝が宿主の枝を締め付けるように。言葉に縛られ概念を思い込み自身を縛っていく。』と言っていた。では、宿主の木が倒れ藤も枯れた時、その言葉や概念はどこにいってしまうのか?」【馬鹿じゃないの?】。
明昭禅師は「潙山禅師が聞いたらまた大笑いするだろうよ」と言い笑った。
その言葉で疎山は理解した。そして疎山は「潙山禅師の大笑いの中には、一切の分別、一切の概念、有無、藤も木も一刀両断できる刀があったのですね。確かに語れない事柄については大笑いするしかないでしょう」と言った。
頌
頌に曰く。
藤枯れ樹倒れて潙山に問う【行いては到る水の窮まる処、坐しては看る雲の起こる時】。
大笑呵呵豈(あに)等閑(なおざり)ならんや【険すれども相弄する会を作さん】。
笑裏刀有り窺得破す【将に謂えり別に有りと】。
言思(ごんし)道無うして機関を絶す【四千里の地、我を賺(すか)し来る】。
等閑・・・かりそめ。いい加減。軽く見る。
窺得破・・・見破る。
現代語訳
藤が枯れ、木が倒れるという語句を明らかにする為、1万2000キロも遠方からやってきて潙山禅師に質問した【究め尽くそうという心構えは大事だ】。
潙山禅師の大笑いの答えは全く軽い答えではない【馬鹿にされたかと思いきや疎山は気づくことができた】。
大笑いの中にある藤も木も一刀両断する刀を見破ることが出来た【見破ったとはいえ、何かあると思ったら見当違いだ】。
言葉で言い得る事が出来ないことに気付いた【1万2000キロの道のりは無駄ではなかった】。
解説
良く出てくる藤の話です。
正法眼蔵にも葛藤の巻があり、葛藤は現代で言うモヤモヤや是か非かで迷う事を表すことでも無い。
ここでいう藤とは形而上学的な概念に縛られながら生きる我々のことを指しています。縛る妄想を藤、縛られ苦しむ自己を宿主に例えています。
ドイツの哲学者ヴィトゲンシュタインは「論考」の中で「語りえぬものについては、沈黙しなければならない」と結論づけています。これは難しい事は言葉で説明できないという意味ではありません。「倫理」も「神」も「○○である自己」も言語の届く範囲に無いという事です。言葉に出せば全てが間違いになってしまう。
そしてヴィトゲンシュタインは最後に「沈黙しなければならない。しかし、語る事は出来なくても示すことは出来る」と締めくくります。
達磨大師に慧可禅師が参じた際、慧可禅師が「心を落ち着ける方法は?」と聞きます。すると達磨大師は「ではお主の心を落ち着けてみよう。さあ、心を出してみてくれ」と言います。もちろん心は出せません。
金剛般若波羅蜜経に「心不可得」「過去心不可得」「現在心不可得」「未来心不可得」という言葉が出てきます。
「心」「精神」「悟り」などの形而上学的な事柄をズバリ言葉で言い表そうとしても、それは言語、概念の能力の及ばない処です。何故なら、扱い方によって無限に存在しているからです。例えば、トマトの「赤」と信号の「赤」と血の「赤」と真っ赤な太陽の「赤」は同じ赤と言語化されているが、同じ「赤」だろうか。
そこに生えているトマトの「赤」を言い表せるだろうか。さらにいえば、そのトマトの赤も1時間前の色と1時間後の色は同じだろうか。
そして、同じ赤でないなら1時間前のトマトと1時間後のトマトが同一である根拠はなんであろうか。
実は根拠はない。勝手に決めつけ思い込み、我々人間はそのような前提のもと生きているに過ぎない。
であれば、「○○である自己」にも根拠がない。藤に絡まれている自己も、からむ藤も、枯れた藤も、倒れた木(自己)、結局それが何かと問われれば根拠の無い「○○な藤」「○○な木(自己)」という間違った言語でしか言い得ない。
疎山の問いは正に、言葉で言える範囲を逸脱している。従容録に出てくる「仏法の大意とは」「悟りとは」「自己とは」「仏とは」という問いは全て潙山禅師からすれば大笑いする外ない問いなのでしょう。
しかし、ここで勘違いしてはいけない。言語化出来ず、大笑いされる「問い」を投げ出してはいけない。
「問い」は「問い」として扱い続け、挑みつづけなければいけない。潙山禅師も大笑いした後、「問い」を否定したわけではなく、独眼龍の元へ行き「問い」を持ち続けろと示した。
常に、「自己を縛る藤とは?」「縛られる自己の在り様とは?」「縛る藤を縛る葛を現成させるには?」と問い続け、今この瞬間の自己の在り様(関わり方)を問い続けなければ、仏の道とはいえないだろう。
第八十八則「楞厳不見」
第八十八則 楞厳不見(りょうごんふけん)
衆に示して曰く:
見有り不見有り、日午(にちご)灯を点ず。
見無く不見無し、夜半(やはん)墨を潑(そそ)ぐ。
若し見聞は幻瞖(げんえい)の如くなるを信ぜば、方(まさ)に声色空花の如くなることを知らん。
且く道(い)え教中還って衲僧(のっそう)の説話(せった)有りや。
幻瞖・・・まぼろし。瞖は翳とう漢字が正しい。
空花・・・まぼろしの花。。
現代語訳
物事を認識した時に、有り無しで見ようとするのは昼間にライトを点けるのと同じようなものである。太陽が明るいからライトの光が点いているのかどうか分からない。
有り無しという見方を無くせばいいのかといえばそうでもない。物事の有り無しを無視するのは暗闇の墨で文字を書くのと同じだ。暗くて文字など読めやしない。
もし、見て聞いて嗅いで味わって触れた物事が幻であると理解できれば空中に咲く花のように仮に設定された虚像であると知る事ができる。
経典の中に禅僧が幻を取り上げた話があるだろうか?
本則
挙す。
楞厳経(りょうごんきょう)に云く、吾が不見の時、何ぞ吾が不見の処を見ざる【是何の心倖ぞ】。
若し不見を見るというは自然に彼の不見の相に非ず【自知することは即ち得たり】。
若し吾が不見の地を見ずんば自然に物に非ず。如何が汝に非ざらん【心忙しく手急にして推出し擁入す】。
楞厳経・・・大仏頂如来密因修証了義諸菩薩万行首楞厳経。偽経とされている。曹洞宗でも楞厳咒として一部陀羅尼として読まれているが内容を参究することはない。
現代語訳
楞厳経に「私は不見(これを認識しいていない)と認識している時、何故不見という見を見ようとしないのか。不見を見るというのは見ている以上不見ということは出来ない。もし、『ここに○○が無い』と認識しているならば私と○○の関係性が構築されている。○○という概念を持ち出さないと有る無しを言えないのだから」とある。
頌
頌に曰く。
滄海(そうかい)を瀝乾(れきかん)し【依然として白浪滔天】、大虚(たいきょ)に充満す【毫釐糸忽を見ず】。
衲僧鼻孔長く【千里の寒梅暗香を度る】、古仏舌頭短し【一字の真言道満たずと】。
珠糸(しゅし)九曲を度し【枉げて心力を労す】、玉機わずかに一転す【文彩縦横意自ずから殊なる】。
直下(じきげ)相逢うて誰か渠(かれ)を識らん【是甚麼の面孔ぞ】。
始めて信ず、斯(こ)の人伴うべからざることを【貶(へん)して孤独地獄に入らん】。
瀝乾・・・しずくが乾く。
毫釐・・・糸の先っぽ。転じてごく少ないこと。
現代語訳
海の水が一滴も残さず乾いてしまった。虚空に形無いものが充満している。
禅僧の鼻の穴は長く、仏の舌先は短い。
長い鼻の穴に糸を通すのは難しいが、故事に九か所も折れ曲がった穴に蟻を使い糸を通した話がある。
舌先が短く言葉が話せないかと思いきや、言葉では言い表せない色彩豊かな織物を織ることができる者もいる。
このような人に出会おうとも、その人を知ることは出来ない。
この相対した人は言語化出来ない無位の真人であると知るだろう。
解説
碧巌録96則にも出てくる本則です。
「ここにコップが無い」と言った時に、コップという概念を持ち出している以上、コップを扱う自己とコップが現前していることになる。であれば「無い」とは言えない。つまり不見は見の相があるということである。そもそも概念として存在しない物事は有り無しを超越するであろう。
第八十九則「洞山無草」

第八十九則 洞山無草(とうざんむそう)
衆に示して曰く:
動ずるときは身を千丈に埋ずむ。
動ぜざるときは当処に苗(びょう)を生ず。
直きに須らく両頭を撒開(さっかい)し、中間(ちゅうげん)を放下(ほうげ)するも、
更に草鞋を買って行脚して始めて得べし。
現代語訳
なにかの行為をする時、それは煩悩と苦しみの種となる。
なんの行為もしない時、思考ばかりグルグルし種が発芽する。
であれば、行為と非行為を打ち破り、その中間をも投げ捨てるのである。
しかし、それだけでは不十分だ。草鞋を履いて行脚修行の時、同時に行為も非行為も打ち破る自己が現成するだろう。
本則
挙す。
洞山(とうざん)、衆に示して云く、「秋初夏末、兄弟或いは東し或いは西す。直に須らく万里無寸草(むすんそう)の処に向かって去るべし」【猫を唆して枯れ井に入る】。
又云く、「只万里無寸草の処の如き作麼生(そもさん)か去らん?」【一言既に発すれば駟馬(しめ)も追い難し】。
石霜(せきそう)、云く、「門を出ずれば便ち是草」【自ら脚下を看よ】。
大陽(たいよう)、云く、「直に道(い)わん門を出でざるも亦草漫漫地(まんまんち)」【汝が廻避の処没(な)し】。
洞山・・・洞山良价(とうざんりょうかい)禅師(807~869年)。雲巌曇晟禅師の弟子。曹洞宗の洞の字は洞山に由来。22則、49則、56則にでてくる。
秋初夏末・・・4月15日から7月15日までの修行の集中期間。この期間は行脚せずに一か所に修行達が留まり修行する。7月15日が過ぎると一斉に離散し他の修行道場を巡る。
石霜・・・石霜慶諸(807~888年)。道吾円智の弟子。道吾円智は雲巌曇晟禅師の実の兄にあたる。つまり洞山とは師匠が兄弟同士。
大陽・・・大陽警玄(たいようきょうげん)禅師(943~1027年)。洞山禅師の弟子の弟子の弟子の弟子の弟子。
現代語訳
洞山良价禅師が夏安居(げあんご)(雨季に行う修行の集中期間、この間は修行僧はお寺を移動しない)に修行僧を集めて言った。「夏安居が終われば、各々西の寺や東の寺へと修行道場を移っていく事だろう。是非とも一切の草が生えていない場所を目指して進んで欲しい。」【猫を騙して枯れ井戸に落とすようなものだ】。
そして夏安居の終わりに洞山禅師は「さて皆の者、この草木が繁る季節にどのように一切草が生えていない道を歩むのだ?」と聞いた【一言発したら馬でも追いかけられない】。
石霜が答えた。「草の無いところを歩もうと門を出ても、そこは草だらけの道だ。」と答えた【足元を見よ】。
それから100年後、この洞山禅師と石霜のやり取りを聞いた大陽禅師が言った。「いや、門を出なくても草だらけである」【どこを向いても避けようがない】。
頌
頌に曰く。
草漫漫【直下に底無く、傍らに辺無し】、門裏門外君自ずから看よ【絆倒を照顧せよ】。
荊棘林(けいきょくりん)中脚を下すことは易く【荒田に草を揀ぶ】、夜明簾(やめいれん)外身を転ずることは難し【浄地却って人を迷わす】。
看よ看よ【事は細を厭わず】。幾何(いくばく)般(はん)ぞ【枯木巌前(こぼくがんぜん)、差路(さろ)多し】。
且く老木に随って寒瘠(かんせき)を同じうす【但今日の志を存す】。
将に春風を逐うて焼瘢(しょうはん)に入らんとす【必ず心に称(かな)う時有らん】。
絆倒・・・絆はまとう。まとい倒すという意味。ここでは草がまといつき、倒れる。
荊棘林・・・進退窮まる荊の道。煩悩にまみれた迷いの道をあらわす。
夜明簾・・・水晶などで装飾された簾。月灯が反射して昼のように明るくなる。35則に出てくる。
差路・・・岐路。躓くことが多い。
寒瘠・・・瘠はやせる。冬に生い茂っていた草木も痩せてしまっている。
焼瘢・・草焼きのあと。
現代語訳
草が生い茂っている【草が伸びすぎて底が見えない、草むらの端も見えないくらい生い茂っている】。
門の中も門の外も良く見れば草だらけである【脚もとを見ないと躓くぞ】。
荊の道を切り進む方が実は容易だ【煩悩が見えるから切れるのだ】。草が見えない道を歩く方が危険だ【煩悩が見えなく清らかだと思われる道こそ危ない】。
よく見よ、どのくらいの草があるのだ。
老木のように冬を乗り越えろ。春になればおのずと草木が芽吹く。
解説
ちょうど今、この解説を書いているのは7月22日、夏安居の終わりで草が伸びている時期です。正泉寺の祖師堂の横の空き地はまさに背丈ほどの雑草が伸びています。そんな中を歩くのは大変です。
ここでは歩くのを妨げる草を、生きていく上で苦しみを生む煩悩に例えて話が進みます。
洞山禅師が「是非ともほかの寺に行くときは煩悩の無い清らかな修行を行って欲しい」と言います。
しかし、そんな修行道場はないでしょう。なぜなら、草のように自然と沸き起こるのが煩悩であり、それを切る行為=修行であり=証明であり=悟りであると言われるからです。つまり、草が無ければ修行も証明もない。なので洞山禅師は夏安居の最後に「この草木が繁る季節にどのように一切草が生えていない道を歩むのだ?」と問いかけます。石霜は「門を出れば草だらけの世界だ」と答えます。確かに煩悩(草)煩悩を切り続ける修行道場を出れば草だらけです。
大陽禅師がこの話を聞いて「門の中も草だらけ」つまり外に出なくても修行道場の中がすでに煩悩に溢れていると言います。
煩悩(草)が生えてこない場所など無いのでしょう。
大本山永平寺においても定期的に修行僧の不祥事が起こります。これらは煩悩に振り回された結果でしょうが、不祥事にはならなくとも煩悩に振り回され危ない橋を渡った修行僧もいるでしょう。近年は参禅研修の女子高校にわいせつな行為をした不祥事がありますが。他人に迷惑をかける行為だからこそ公になっただけであり、自己の修行生活の中での自分だけの不祥事など多々あるでしょう。
だからそこ、「足元を見ろ」と注意を促してくれる仲間と反省を促す行持と、関わる全てに敬意を持ち自我意識の関与しない習慣化された修行があるのでしょう。
頌では、草が見えるから切る事が出来る、草が見えない道場ではそもそも修行が難しいと書かれています。まさに、仏法僧の三宝に照らされる叢林での修行の重要性が説かれた本則でしょう。
第九十則「仰山謹白」

第九十則 仰山謹白(ぎょうざんきんぱく)
衆に示して曰く:
屈原(くつげん)独り醒(さ)む正に是れ燗酔(らんすい)。
仰山(ぎょうざん)、夢を説く、恰(あたか)も覚時に似たり。
且(しばら)く道(い)え、万松、恁麼(いんも)に説き、諸人恁麼に聞く。
且く道え、是覚か、是夢か。
屈原・・・41則に「独醒の人」として出てくる。楚の懐王に仕えていた人であった。家柄と優秀さで懐王から信頼されていたが、政敵から諫言をされ左遷されてしまう。その後、政敵が進言した秦との同盟で逆に秦に裏切られ楚に都が陥落してしまう。屈原は「皆、対局が見えず酔っ払ったままだ。私一人だけ醒めている」と言い、楚の未来に絶望し泪羅で入水自殺してしまう。
燗酔・・・泥酔
夢を説く・・・無門関に「仰山和尚、夢に弥勒の所に往いて、第三座に安ぜらる。」とある。そして、仏法は四句百句を越えると説いた。
現代語訳
自分の考えが正しい、私は常識人だと思っている者はただの酔っ払いであり夢を見ているだけだ。
仰山禅師も酔っ払いのように夢の話をする。しかし、その話は素面の時のようだ。
今、私(万松)は仏法を言葉で説き、諸君は言葉でそれを聞いている。
さて、その言葉は酔っ払いの言葉か、それとも素面の者の言葉か。
本則
挙す。
仰山(ぎょうざん)、夢に弥勒の所に往(ゆ)き第二座に居す【且く道う第一座は是誰ぞ】。
尊者、白して云く、「今日第二座の説法に当る」【低声来たって是非を説く者】。
山、乃ち起って白椎(びゃくつい)して云く【諦観法王法、法王法如是】、「摩訶衍(まかえん)の法は【此の義、文長し】、四句を離れ百非を絶す、謹んで白(もう)す」【言清く、行い濁る】。
仰山・・・仰山慧寂(ぎょうざんえじゃく)禅師(807~883年)。潙山の弟子。仰山の弟子たちの門流は潙仰宗と呼ばれた。15則、26則など多く出てくる。従容録では、雲門禅師の次に登場回数が多い。
白椎・・・第1則に出てくる白槌と同じ。白は「申す」という意味。カチッと音の出る木で出来た鳴らしもの。ここでは話始める合図に使っている。
諦観法王法、法王法如是・・・これも第1則と同じ。法王とは法を説く最上の人の意味で仏陀を表す。これこそが仏陀の法であるから、もう説くことはない。
摩訶衍・・・マハーガーナの音写。大乗という意味。摩訶衍という僧がいるが無関係。
四句・・・第6則に出てくる。すべての現象が一、異、有、無の四つに分類できるという概念。
百非・・・第6則に出てくる。この4つの概念自体にも一、異、有、無の4つの概念がるので、4×4で16。ここに過去現在未来の3つを掛けると48になる。そこに実際に現れる「顕在」と現れない「潜在」を掛けると96になる。そして根本の四句を足して100とする。
現代語訳
仰山(ぎょうざん)禅師が夢で弥勒菩薩のいる修行道場へ行った。すると第二座(上座から2番目)に就いた【第一座は誰だ】。
1人の僧侶が「今日は第二座の方が説法を行う当番です」と言った。
仰山禅師は法話が始まる合図の槌をカチッと鳴らし、「大乗の仏法は一切の言語を離れ、あらゆる概念に根拠を持たない。謹んで法を説こう」と言った【これで仏法を説き明かしている】。
しかし、その後、法を語る事は無く自分の席に戻ってしまった【良い事を行ったが行動は別の事をしている】。
頌
頌に曰く。
夢中衲(のう)を擁して耆旧(ぎきゅう)に参ず【熟境(じゅくきょう)忘じ難し】。
列聖(れっせい)森森として其の右に坐す【犬、赦書を銜(ふく)めば諸侯路を避ける】。
仁(じん)に当たって譲らず犍椎(けんつい)鳴る【心、人に負わざれば】。
説法無畏(むい)獅子吼(ししく)す【面に慙(は)ずる色無し】。
心安きこと海の如く【百川を呑納(どんのう)す】、胆量斗(たんりょうと)の如し【傍若無人】。
鮫目(こうもく)涙流れ【点々是血】、蚌腸(ぼうちょう)珠(たま)剖(わか)る【赤心片片】。
譫語(せんご)誰か知らん、我が機を泄(も)らすことを【手足倶に露われる】。
龐眉(ほうび)応に笑うべし家醜(かしゅう)を揚ぐることを【誰に因って致し得るや】。
四句を離れ百非を絶す【言、猶耳に在り】。
馬師父子、病に医を休(や)む【疼(とう)を走り痛を走る、神鬼明らめ難し】。
衲を擁して・・・衲は糞掃衣、袈裟のこと。糞掃衣を着てる者、つまり禅僧のこと。
耆旧・・・長老。
列聖・・・歴代の僧侶。祖師方。
仁に当たって譲らず・・・良きことは仁義に適ったことは他人に譲らずどんどん行っていくという意味。
犍椎・・・白槌のこと。ケンチとも読み、インドで用いられる鳴らしもの。
獅子吼・・・獅子は百獣の王。百獣の王のように力強い説法のこと。
百川を呑納す・・・海は百もの川の水を受け入れる。深く大いなる慈悲の心、受け入れる広い心を表す。
胆量斗・・・「蜀志」にある故事。姜維という人が亡くなった時、解剖すると肝の大きさが斗(18L)であった。っこのことから大胆という意味。
鮫目・・・海中にいる鮫人の涙は宝石になるという伝説。
蚌腸・・・ハマグリ。真珠がとれる。
譫語・・・戯言、寝言。
龐眉・・・龐は大きい顔。太い眉を表す。
馬師父子・・・第6則からの引用。
現代語訳
仰山禅師は夢の中で袈裟を纏い弥勒菩薩に参じた【弥勒菩薩のことをよく理解しているから夢に出てきたのであろう】。
その修行道場には歴代の祖師方が列席していた【犬でも朝廷の免状を咥えていれば誰もが道を空ける、仰山においても同じだ】。
第二座という上座に案内されたが、遠慮も辞退もせず白槌をカチッと鳴らし大乗の法を説いた【心に少しの私が無い】。
その様子は正に獅子の鳴き声のように力強く、何事にも動じないようだ【何も恥じる必要はない】。
心が定まり、大きな海のように穏やかだ【百の川の水を受け入れる海のような心を持っている】。
大胆不敵だ。海中の宝石のように素晴らしい法を説いた。
しかし、誰が夢の中で仰山禅師が心の安寧と仏法を示したことを知る事が出来ようか。
列席している祖師方は手の内を明かした仰山禅師のことを笑うだろう【誰の為に手の内を明かしたのであろう】。
馬祖道一禅師は四句百非の問いかけに病を偽って答えを示した。手法は違えど共に素晴らしい答えを示したものだ。
解説
説かれている内容としては第6則と同じであろう。
仏法とは何か、悟りとは何かと問われれば、「仏法とは○○だ」「悟りとは▲▲という状態だ」と説明がつかなければなりませんがそれは不可能です。例えば、リンゴを食べたことのない人へリンゴの味を言葉で説明してくださいと言われれば、不可能です。食レポよろしくニュアンスや美味しさを伝える事は出来てもリンゴの味そのものは伝わりません。ここで、リンゴを食べさせればリンゴの味を伝える事が出来ます。しかし、食べさせたとしても相手が感じたリンゴの味の感想や味そのものが自分が感じている感想や味と同一であることは証明できません。
リンゴが嫌いな人もいれば好きな人もいて、甘いと感じる人がいれば酸っぱいと感じる人もいる。同じ味を感じていますか?と相手に問いかけても、言葉を交わすことは無意味です。
であれば、仏法や悟りについて説く事もまた無意味です。経典はぶっちゃけ言えばリンゴの食レポのようなものです。すごく美味しいよ、是非食べてみて欲しい、食べなきゃ損、みたいな内容です。もう少し分かりやすく書いてくれよと思いますが、これが言語の限界でしょう。
リンゴの味のように語る事は無意味であるが、示すことは出来る。しかし、示し経験してもらっても最終的な根拠にはならない。なんともやっかいな宗教です。