従容録の自己流解説「81則~90則」
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以下の点を読み解いていく為の軸とします。
1,自己の本質や自己そのものが単一で存在しない
これは、自己の存在認識が二元論的に自分と他人の対比による言語化された虚構の概念であるから。
2,「悟り」や「真理」という言葉に根拠を持たない。
仏陀は悟りについて具体的に経典で言及していない。あくまでも悟ったと言う経験談を語っているに過ぎないので「悟り」が何かを定義しない。
3,人権や道徳、倫理に関わる問題はそのまま読み進める。
ジェンダー、身分、職業、暴力、身体的障害等は現代の感覚とかけ離れているが、あくまでも当時の感覚と捉え気を悪くせず受け止めていただきたい。
4,本則の漫画のみを読み解くと読み手の自由な解釈が無限に出てくるため、
宏智正覚禅師と万松行秀禅師が何を狙ってエピソードを取り上げたかにフォーカスして読み解く。
目次
- ○ 第八十一則「玄沙到県」
- ・衆に示して曰く:
- ・本則
- ・頌
- ・解説
- ○ 第八十二則「雲門声色」
- ・衆に示して曰く:
- ・本則
- ・頌
- ・解説
- ○ 第八十三則「道吾看病」
- ・衆に示して曰く:
- ・本則
- ・頌
- ・解説
- ○ 第八十四則「倶胝一指」
- ・衆に示して曰く:
- ・本則
- ・頌
- ・解説
- ○ 第八十五則「国師塔様」
- ・衆に示して曰く:
- ・本則
- ・頌
- ・解説
- ○ 第八十六則「」
- ・衆に示して曰く:
- ・本則
- ・頌
- ・解説
- ○ 第八十七則「」
- ・衆に示して曰く:
- ・本則
- ・頌
- ・解説
- ○ 第八十八則「」
- ・衆に示して曰く:
- ・本則
- ・頌
- ・解説
- ○ 第八十九則「」
- ・衆に示して曰く:
- ・本則
- ・頌
- ・解説
- ○ 第九十則「」
- ・衆に示して曰く:
- ・本則
- ・頌
- ・解説
第八十一則「玄沙到県」
第八十一則 玄沙到県(げんしゃとうけん)
衆に示して曰く:
動ずれば即ち影現じ、覚すれば即ち塵生ず。
挙起(こき)すれば分明(ふんみょう)、放下(ほうげ)すれば隠密。
本色(ほんじき)道人の相見如何が説話(せった)せん。
本色道人・・・卓越した仏道を歩む人。
現代語訳
身体や口や意識を動かせば、その影が現れる。それが影であり妄想だと分かっても、分かるという影が残り煩悩が生ずる。
「分かる」「分からない」を摘まみ上げて捨て去れば、影が見える事はない。
このような影を見る事がない卓越した僧侶の問答を見てみよう。
本則
挙す。
玄沙(げんしゃ)、蒲田県(ほでんけん)に至る。百戯(ひゃくぎ)して之を迎う。
次日、小塘(しょうとう)長老に問う、「昨日、許多(きょた)の喧閙(けんにょう)甚麼(なん)の処に向かって去るや?」【又閙なり】。
小塘、袈裟角を提起す【果然として手忙脚乱】。
沙、云く、「遼挑没交渉(りょうとうもつこうしょう)」【証拠を謝す】。
玄沙・・・玄沙師備(げんしゃしび)禅師(831~906年)。雪峰義存禅師の弟子。21則にでてくる。
蒲田県・・・中国の福建省の地域。
百戯して之を迎う・・・種々の仮装や演劇などのパーティーをもって歓迎すること。お祭り歓迎会。
小塘長老・・・玄沙禅師の弟子であろうか。長老は年老いているという意味ではなく、徳のある僧を表す。
喧閙・・・喧騒。がやがや。
袈裟角・・・袈裟のすみ。
遼挑・・・隔たっているの意味か。
現代語訳
玄沙禅師が招かれて浦田県(台湾の対岸あたり)へ行った。
すると、街の人々はコスプレ、演劇、屋台を出して盛大な歓迎会をした。その歓迎会は夜遅くまで続いた。
翌日、玄沙禅師は弟子の小塘に「昨日の喧騒はどこへ行ってしまったんだろうか?」と聞いた【その質問が喧騒だ】。
小塘は着けていたお袈裟の角を摘まみ上げ「ここです」と指し示した【突然の質問に狼狽したか】。
それを見た玄沙禅師は「なんだそれは、全く関係ないわい」と言った【証拠を示してくれたぞ】。
頌
頌に曰く。
夜壑(やがく)に舟を蔵(かく)し【衲子は謾じ難し】、澄源(ちょうげん)に棹を著(つ)く【肯(うけが)って死水に堕せんや】。
龍魚は未だ知らず水を命となすことを【局に当たる者は迷う】。
折筯(せっちょ)は妨げず聊(いささ)か一攪(いっかく)することを【草を打って蛇を驚かす】。
玄沙師、小塘老【一状に領過す】、函蓋箭鋒(かんがいせんぽう)【開き易きは終始の口】、深竿影草(たんかんようぞう)【保ち難きは歳寒の心】。
潜縮(せんしゅく)や老亀蓮に巣(すく)い【蔵身の処、沒蹤跡】、遊戯(ゆげ)や華鱗(かりん)藻を弄す【沒蹤跡の処、身を蔵すること莫れ】。
折筯・・・折れた箸。
函蓋箭鋒・・・箱と蓋がしっかりと合い、師匠と弟子がお互いに放った矢が空中でぶつかるということ。師と弟子の息がぴったり合い、仏道が伝わる様。
深竿影草・・・盗賊が用いる棒。草の中を探す際に用いる。ここでは師が弟子の力量を試すということ。
華鱗・・・鯉。綺麗な魚。
現代語訳
夜中に身体を隠し【玄沙禅師を侮るなよ】、澄み切った湖に船を出す【見えないといっても、水に落ちて動きが止まるわけでは無い】。
魚は水が自身の存在そのものだとは知らない。泳ぐという行為によって水と魚(泳ぐモノ)が現成する【泳がない魚は魚ではない】。
折れた箸で水をかき回してやれば気付くかもしれない【草むらを叩いて蛇を驚かすように】。
玄沙禅師と小塘長老はお互いに折れた箸でかき混ぜあっている。師匠と弟子の意図がピッタリと一致しているのであろう【会話が噛みあうのは簡単だが、心が噛みあい続けるのは難しい】。
言葉を用いず示した小塘は見事だ【身を隠し、足跡すらも消して見せた】、喧騒にも静寂にも自由自在な玄沙禅師は流石だ【足跡が消えているでは身を隠す必要はない】。
解説
難しい話です。
読み方のポイントは「事象の時間軸について」です。
我々が普段認識する現象は「明日はお祭りで騒げるぞ」→「お祭りで騒ぐ」→「昨日はお祭りではしゃいだ」となります。
しかし、これを転換していきます。「騒ぐ」という行為によって証明される「騒ぐ自己」と「お祭り(騒ぐ対象)」が限定的に現れる。「明日のお祭りを扱う自己」が現成し、「お祭りで騒ぐ自己」が現成し、「お祭りで騒いだ自己」が現成する。そこにお祭りを扱い続ける一貫した自己の存在に根拠がないと考えます。
昨日今日明日の話であるから分かりにくいですが、例えば生まれた時の自己はどうでしょうか。
先日、妻と自分が生れた時の話を母親に聞いたがあるかどうかという話になりました。妻は嵐の日の何時何分に破水したのに中々生まれてこない難産であった(うろ覚え)みたいな話を聞いたそうです。私は自分がどのように生まれてきたのか聞いたことがありませんし興味がありません。なぜなら、母親からその話を聞いても生まれたという経験を今の自分が扱いようがないからです。
あくまでも母親の記憶の話であって、自分が生れた根拠はそこにはありません。これは誕生という過去の話だけではありません。死という未来も同じです。自分の死を自分は扱えません。死の時、死ぬ自分が身体的に動くことも言葉を発し概念化することも意識として認識することも出来ないからです。であれば不生不死となります。
これは、記憶がはっきりしている数分前、数時間、数日前も同じです。
だからこそ、玄沙禅師は弟子に「昨日の喧騒の事象をどのように扱えるのか?」と聞いたわけです。
弟子である小塘は袈裟の端を摘まみ上げるように、曖昧かつ少しの記憶でしか扱うことが出来ませんというような答えをするわけです。
玄沙禅師は過去の喧騒を扱えるかどうかと過去の自分の確かさと、今の自分に一貫した関係性は無いだろうという意味で無関係で隔たっていると言ったのです。
さて、過去の事柄の不確かさを解き明かしたのですが、ここでトラウマや過去の嫌な記憶が無くなるわけではありません。
問題は、過去を扱う今の自己をどのように組み立てるかです。ここまでくると、娑婆世界の日常では難しいでしょう。修行道場のような、ある種の習慣化と習慣の中にある扱い方のコツが必要となります。
第八十二則「雲門声色」
第八十二則 雲門声色(うんもんしょうしき)
衆に示して曰く:
声色(しょうしき)を断ぜざれば是随処堕(ずいしょだ)、声を以て求め、色を以て見れば如来を見ず。
路に就いて家に還る底有ること莫(な)しや。
随処堕・・・ここでの堕は堕落ではなく、脱落の意味。
声を以て求め、色を以て見れば・・・金剛経の一節。声を以て求め、色を以て見れば、是の人、邪道を行ずとある。
路・・・途中の意味。
現代語訳
見られたことは見られただけのもであると知り、聞かれたことは聞かれただけのものであると知り、考えられたことはまた同様に考えられただけのあると知り、識別されたことは識別されただけのものであると知ったならば苦しみが消滅する。
見たものから正しさを求め、聞いたことから正しさを求めるならば苦しみが増大する。
見られたもの、聞かれたものを、見ている時、聞いている時にこれが分かる者はいるのだろうか。
本則
挙す。
雲門衆に示して云く、「聞声悟道【双丸、耳を塞ぐ】、見色明心【両葉、睛を遮る】、観世音菩薩銭を将ち来たって餬餅を買う、
手を放下すれば却って是れ饅頭」【又風に別調の中に吹かれる】。
雲門・・・雲門文偃(うんもんぶんえん)禅師(864~949年)。雪峰義存禅師の弟子。
聞声悟道・・・音を聞いて悟る。香厳(きょうげん)禅師(潙山霊祐禅師の弟子)が竹に石の当たる音を聞いて悟ったという逸話による。
見色明心・・・物を見て悟る。霊雲(れいうん)禅師(潙山霊祐禅師の弟子)が桃の花を見て悟ったという逸話による。
餬餅・・・78則の雲門禅師の言葉による。
饅頭・・・小麦粉の生地で牛肉や豚肉を包み蒸す料理。日本では小豆などが用いられる。これを人間の頭と見立てて供えたことから頭の文字がつく。
現代語訳
ある時、香厳禅師が潙山霊祐禅師の元で修行していた。
潙山霊祐禅師が香厳禅師を呼びつけ問答を始めた。
「君は非常に優秀だ。しかし、書物を読んで身に着けた知識だけが全てではない。今、君に問題を出そう。君が生れたての赤ん坊のころ、東西南北も見分けがつかなかっただろう。その時に戻って私に仏法を説いてみて欲しい。」
香厳禅師はあれこれと言葉を並べ立て頑張って仏法の道理を説いてみた。しかし、潙山霊祐禅師には通用しなかった。
後日、香厳禅師は様々な書物を読み漁り、答えを探し求めたが見つからなかった。
ショックを受けた香厳禅師は持っていた書物を全て燃やし「私は今生で仏法を完全に理解することを望みはしない。とにかく、山に入って修行しよう」と言った。
そして潙山霊祐禅師の元を離れ、山にあるボロボロの小屋を改築し庵として1人修行を始めた。
ある日、庵の前を箒で掃いていると、箒が石に当たり、転がった石が竹に当たり「カッ」と音が鳴った。その音を聞いた時、忽然と大悟した。そして「一撃で『在る』ということを捨てた。今更何をもって修めようというのだ。行為は全て瞬間の出来事である。そこに行為の痕跡などない。音や視覚以外の自己の在り様がある。仏道を歩む者はこれを無常の悟りというのだろう。」と言った。
香厳禅師は山を降り、潙山霊祐禅師にこのことを話した。すると潙山霊祐禅師は「うむ、よろしい」と言った。
また、潙山霊祐禅師の元で三十年修行している霊雲禅師という人がいた。ある時、霊雲禅師が山へ柴刈りに行き、麓で休息しながら人里を眺めた。春の季節で桃の花が沢山咲いていた。
それを見た霊雲禅師は忽然と大悟した。そして「三十年間仏法を学び知識を蓄えてきた。何年も何年も勉強してきた。しかし、一回桃の花を見たことにより、物事の疑いが晴れた」という詩を詠み潙山霊祐禅師に呈した。潙山霊祐禅師は「縁起の理に浸かれば、知識による見方に戻る事はない」と言い、霊雲禅師に認可証を渡した。
この話を踏まえて雲門禅師が弟子たちに言った。
「観世音菩薩がお金を持ってゴマ餅を買った。買った後に手の中には饅頭があった。」
頌
頌に曰く。
門を出で、馬を躍(おど)らして、攙搶(ざんそう)を掃(はら)う【閫外は将軍の令】。
万国の煙塵、自ら粛清【風行けば草偃(ふ)す】、
十二処亡ず閑影響【併せて一家と作す】、
三千界に浄光明を放つ【更に両様無し】。
攙搶・・・彗星。昔は彗星があらわれると良くな事が起こると思われていた。ここでは禍と訳す。
粛清・・・騒乱なく静かな様。
現代語訳
将軍が城から兵を率いて進むのは世を乱す輩を討伐するからだ。
国の禍を粛清しに行くのだ。
眼耳鼻舌身意の六根と色声香味触法の六境を討伐しに行けば、六根六境からの影響は無くなる。
六根六境によるゴマ餅が饅頭となって世界中を照らす。
解説
さてゴマ餅の78則からもう一度ゴマ餅が出てきました。
示衆の訳ははウダーナ(自説経)から引用した仏陀の言葉です。
原文は金剛経からの引用になっています。
「見られたものは見られただけ」というのは見る能力、見る対象物があってもそれが○○だという判断を下さなければということです。
それが、視覚聴覚嗅覚味覚触覚感情に到るまで、それが○○だという判断分別さえなければそもそも自我意識も起こらず、生きづらさもなく、執着も起きないといいます。
縁側で寝ている猫も鉢で泳いでいるメダカも、何かを見て何かを聞いて何かに触れて激しく感情を動かしているようには見えません。仮に激しいストレスを感じていてもすれを引きずっていつまでも同じレベルのストレスを感じているようには見えません。まあ、これは個人の感想ですが・・・
人間は見たこと、聞いたこと、嗅いだことなどの情報に余計な分別判断を加え苦しんでいるのだから、見ただけのモノと分かればなんてことはない。しかしそこから「実際に見ている、聞いている時に心が動かない、判断が全くない人などいるのだろうか」と言います。判断が無ければ苦しまないと完全に理解しながら修行する人がいるのだろうか?見てみよう!と本則が始まります。
さて本則です。
原文は相変わらず雲門禅師が一人で話しています。因みにウダーナ(自説経)も仏陀が誰かの質問があったわけでもなく1人で話した内容が纏まっている(といわれる)ものです。
そこに、対応する話を勝手に私が持ってきて付け加え訳しています。
まず聞声悟道の話です。
香厳禅師は竹に石が当たる音を聞いて悟ったと言います。このとき悟りは大悟と書かれています。この大悟はいわゆる悟りではありません。どちらかというと悟りなど無いという悟りでしょうか。
東西南北も右も左も分からなかった赤ん坊の時の仏法を説いてごらんという師の宿題に対して、仏法や悟りという概念すらも無い状態こそが修行であり菩提であり涅槃であり発心であると分かったというのです。香厳禅師の詩はカッという音を追いかけずにいる時に、その「石が竹に当たった音」という概念が当たった後に存在しなかったと示されています。そして、「この音が○○だ」という事柄を捨てて見れば聞かれたものは聞かれただけのものであり、それ以上の事柄は無いのであれば、仏法も悟りもその瞬間に扱う事が出来ても、扱っている以上仏法から遠く離れてしまう。本を読み話を聞き、悟りを求めている以上、文字や言葉に判断分別を用いてしまう。であれば、師の答えには無常を説き、言葉で説ける無常は無いことになる。
霊雲禅師の話も同じです。
なお、香厳禅師の話は正法眼蔵300則上の17、霊雲禅師の話は正法眼蔵谿声山色を参照。
また、今回は視覚、聴覚のみでしたが、水浴びの触覚で大悟を得たといわれる16士の話などがあります。
この二人の話を踏まえて、雲門禅師は観世音菩薩がゴマ餅を買ったと思って手の中を見ると饅頭だったと言います。
「これはゴマ餅だ」と判断分別したかと思いきや、観世音菩薩は見て聞いて嗅いで味わって触って美味しそうという意識を動かした瞬間、それを「饅頭」に出来る自由自在の諸行無常の力量があると言うわけです。
第八十三則「道吾看病」
第八十三則 道吾看病(どうごかんびょう)
衆に示して曰く:
通身を病と做(な)す。
摩詰(まきつ)、癒(い)え難し。
是草、医するに堪えたり。
文殊、善く用ゆ。
争(いか)でか向上の人に参取し、箇の安楽の処を得るに如(し)かん。
如何なるか是安楽の処。
通身・・・全身。
摩詰・・・維摩居士のこと。仮病を使い、仏陀の弟子達に見舞いに来させた故事から。従容録48則にも出てくる。
草・・・ここの草は善財童子一茎草の故事のこと。華厳経に出てくる話。善財童子という方が旅をしながら様々な人に出会い仏道を学んでいく。最後に文殊菩薩の処に行く。そこで、文殊菩薩から「薬草を採ってきてくれ」と言われる。善財童子が外に出て見渡すと薬草ではない草は無かった。そこで善財童子は一茎の草を摘まんで文殊菩薩に持って行った。文殊菩薩はそれを受け取り「この薬はよく人を殺し、人を活かす」と言った。という話。
現代語訳
維摩居士の病気は無病という病気であるから治すことは出来ない。
ところが、見舞いに来た文殊菩薩はこの病気を治す薬を処方して見せた。
文殊菩薩の薬は病気無病、治不治という概念を打ち砕く最上の薬だ。
この薬を手に入れる方法はあるのだろうか?
本則
挙す。
潙山、道吾に問う、「甚麼(なん)の処より来たる?」【来処、分明(ふんみょう)ならんことを要す】。
吾、云く、「看病し来たる」【福田第一は即ち無きにあらず】。
山、云く、「幾人有って病む?」【更に両等を要す】。
吾、云く、「病者と不病者とあり」【却って是汝第二月有り】。
山、云く、「不病者は是智頭陀(ちずだ)なること莫しや?」【陥虎(かんこ)の機】。
吾、云く、「病と不病と総(そう)に他の事に干(かかわ)らず、速やかに道え速やかに道え」【却って葫蘆(ころ)に倒(さかさま)に藤に繳(まつ)わる】。
山、云く、「道い得るも也(また)没交渉」【禍いは慎家の門に入らず】。
潙山・・・潙山霊祐(いざんれいゆう)禅師(771~853年)。百丈懐海の弟子。15則、37則、87則に出てくる。
道吾・・・道吾円智禅師(769~835年)。雲巌曇晟禅師の実の兄にあたる。最初は役所に勤めていたため、仏道の上では雲巌曇晟禅師の弟弟子にあたる。薬山惟儼禅師から法を得た。21則、54則に出てくる。
福田第一・・・戒経に看病は八福田の第一とある。
第二月・・・21則の雲巌と道吾の問答から引用。
智頭陀・・・道吾の諱を円智という。この円を略し智といっている。頭陀は僧侶に対する敬称。
現代語訳
潙山禅師が道吾禅師に質問した。「どこから来たのですか?」【この質問の意味をよくよく理解しなければならない】。
道吾禅師は場所を答えずに「病人の看病をしに来た」と来た目的を言った【看病は一番の功徳だ】。
潙山禅師は「どのくらいの病人がいましたか?」と聞いた【病人と健常者を分けなければ質問に答えられない】。
道吾禅師は何人という数を答えずに「病人と非病人がいました」と答えた【一を二つに分解して見ている】。
潙山禅師は確信をもって「非病人とは道吾禅師自身のことですか?」と聞いた【これは落とし穴だ、道吾は気を付けなければ】。
道吾禅師は立ちあがり「私は病人と非病人という区別などに全く関係ありませんな!!!何をもって病人や非病人と呼んでいるのか!?」と言いながら「さあ、言ってみろ!」と潙山禅師に詰め寄った【言葉に縛られたかと思いきや言葉が言葉に縛られて枯れてしまった。】。
潙山禅師は「どんな言葉で病気を言っても、病気とは無関係になってしまう。」と言った。流石の潙山禅師である。二元論に陥る隙など見せなかった。
頌
頌に曰く。
妙薬何ぞ曾て口に過ごさん【呑不入、吐不出】。
神医も能く手を捉うること莫し【模索するに処無し】。
存するが如くにして渠(かれ)本無(ほんむ)に非ず【唯言う天下に偏(あまね)しと】。
至虚(しいきょ)にして渠本有に非ず【一繊毫を見ず】。
滅せずして生じ【虚なることは谷神の常に死せざるが若(ごと)し】、亡びずして寿(いのちなが)し【道は象帝に先立って自ずから長生す】。
全く威音(いおん)の前(さき)に超え【舒(の)べて頭に到らず】、独り劫空(ごうくう)の後に歩す【巻いて尾に到らず】。
成平(せいへい)や天蓋(おお)い地擎(ささ)ぐ【乾坤を把定す】。運転や烏(う)飛び兎(と)走る【造化を斡旋す】。
何ぞ曾て口に過ごさん・・・口に入れようが無い。
神医・・・名医。ゴッドハンド輝。
谷神・・・やまびこ。
威音・・・三千仏の最初の仏のこと。
烏飛び兎走る・・・ここでの烏は太陽、兎は月のこと。
現代語訳
文殊菩薩の薬は飲みづらい【口に入れても入れようが無い、吐き出そうにも出てこない。】。
どんな名医であろうが手に入れる事は難しい【探しようが無い】。
有るように見えて無いわけでは無いが、無いように見えて有るわけでも無い。
有り無しの有りとも言えず、無しとも言えない。
今有るわけでも、過去に有ったわけでもなく、この先に有る事もない。
その薬の用い方は、無分別にして天という概念を隠し、地という存在を持ち上げるようなものだ。
その薬の効能とは、日が昇り月が沈むように、何の意図もなく、何の為でもなく、何の得る処もないことである。
解説
維摩居士の話から始まります。
維摩居士は以前にも紹介したので概要だけ記載します。
仏陀に病気であると使者を送り、仏陀の弟子に見舞いに来させます。
見舞いの使者として文殊菩薩が選ばれます。そこで、様々な問答がなされ維摩の病気が明らかにされていきます。
「この病気は、妄想・顛倒(偏った見方)・煩悩より生じたものです。真実において、そのような病は無い。」といい、何故病が無いのかを解き明かしていきます。
さて本則では、この病(苦しみ)に実体がないと分かる為の薬(手法)はあるのかという話がテーマに取り上げられています。
道吾はどこから来たのか?と問われ、場所ではなく何をしに来たのかを言います。これも維摩経から引用されています。
お見舞いの為に維摩の屋敷に到着した文殊菩薩は維摩居士から「よく来られました。あなたは『まだ来ていない状態』から来て、『まだ会っていない状態』からお見えになりました」と言われます。
文殊菩薩は「はい。すでに来た者は、これから『来る状態』ではありません。すでに来た者に『来る』という属性は無いからです」と言います。
以上のことを踏まえると潙山禅師のどこから来たのか?という質問は、すでに来ている道吾は改めて『来る』という属性は認められないので「来たのか?」に対する答えは、「今この瞬間に何をしようとしているのか?」という問いに変換し答えることになります。
もちろん日常生活でこんな問答はおこりません。しかし、維摩経に明るい2人だからこそできる問答でしょう。
道吾の「病人を看病しにきた」という答えをもって維摩経に準じた問答であると理解した潙山も乗っかります。
潙山の「どのくらいの病人がいたか?」の「どのくらい」は数を言っているわけではありません。
維摩は病気について「無明と渇愛によって生じた。一切衆生が病んでいるから私も病になった。」と言います。
維摩経に準じた問答であれば、一切衆生すべての人が病であるので病人の数は答えようがありません。幾人というのは何人ではなく、「多くの人が居て」という意味であり、ここでは疑問文ですらない。潙山が幾人有ってと言ったのは(維摩経の問答に乗っかりますぞ)という意思表示であろう。
道吾はそれに「病気の人と、無病の人がいる」と言います。
維摩居士は「子供が病めば父母も病となり、子が癒えれば親も癒える。菩薩はあらゆる人の子を自分の子供のように愛す。衆生が病めば菩薩も病む。衆生が癒えれば菩薩も癒えるのです。この菩薩の病がなにを因とするのかといえば大悲を因とするのです。」と言います。
道吾も潙山も菩薩であれば大悲によって病むでしょう。しかし、無病の人もいるという道吾の答えは大悲が無い人が居るということであろうか?
これも、維摩経を読めば読み方が見えてくる。維摩は大悲の病を治す方法として「無常を説くな、涅槃を願うな。衆生の病を治すという行為によって菩薩の病が治る」といっています。
であれば、無病の人は大悲が無い人ではなく、今この瞬間に病気の人を看病している人ということになる。
そのことが分かった潙山は病人である潙山を治す道吾は無病だよね?と言います。
しかし、ここに潙山の罠があります。
何事かに実体を錯覚することが衆生の病であると説かれる維摩経に従えば、病や健康という概念で人を判別するのも病となってしまう。であれば病人と非病人の概念で問答を進める道吾は病の人ということになる。この矛盾に陥ってしまってはいけない。
そこを潙山に突かれる前に逆に道吾は「何をもって病人と非病人を区別しているのか!!??」と。自分で病人とか言い出したくせに・・・
潙山は分別無しに言葉は吐けないよと言います。これで、病人も非病人も居なくなりました。めでたしめでたし。
第八十四則「倶胝一指」
第八十四則 倶胝一指(ぐていいっし)
衆に示して曰く:
一聞千悟、一解千従。
上士(じょうし)は一決して一切了ず。
中下は多聞なれども、多く信ぜず。
剋的簡当(こくてきかんとう)の処、試(こころみ)に拈出す、看よ。
一聞千悟・・・一を聞いて千を得る。
一解千従・・・一を得て千に応用する。
上士は~・・・この二行は永嘉玄覚禅師の証道歌にある一節。
剋的簡当・・・簡潔明瞭。
現代語訳
一つを聞いて千の事柄を理解する者がいる。また、一つを理解して千の事柄に応用する者がいる。
それゆえに、優秀な人は一つを聞いて全てを解決する。
しかし、凡夫は千の言葉と万の研究をし尽くしても、解決できる事柄は限られている。
そんな我々凡夫にも簡潔に仏道を示してくれるのが師家(優秀な指導者)である。
試しに一つの話を紹介しよう。
本則
挙す。
倶胝(ぐてい)和尚凡そ所問有らば只一指を竪(た)つ【許多の気力を費やして作麼(なに)かせん】。
倶胝(ぐてい)・・・不詳。唐の時代の人と言われる。ある時、尼僧の質問に答えられず庵を捨てて、遊行し大梅禅師の弟子である天龍禅師の元で修行した。その際に、以前答えられなかった質問に天龍禅師が只指を一本立てて答えた。それを見た倶胝和尚は大悟した。それ以降、倶胝和尚は何を問われても指を一本立てるだけであったという。これを「一指頭の禅」という。
現代語訳
倶胝(ぐてい)和尚の師である天龍禅師は仏法について質問された際に、只指を一本立てるだけで言葉を用いず答えた。それにより倶胝和尚は悟りを得た。
それ以降、倶胝和尚は誰かに質問されるたびに只指を一本立てるだけであった【無駄な事を】。
ある時、倶胝和尚の元で修行している小僧が客人に「倶胝和尚が説いている仏法はどのようなものか?」と問われた。
すると小僧は倶胝和尚の真似をして指を一本立てた。
この話を聞きつけた倶胝和尚は小僧を呼びつけて、小刀で小僧の指をちょん切った。
小僧は「っぎゃーーーー!!!くぁwせdrftgyふじこ!!!」と叫び悶絶し逃げ去った。
倶胝和尚は走り追いかけて、小僧の名前を呼んだ。
振りかった小僧に倶胝和尚は指を一本立てて見せた。
それを見た小僧は忽ち意味を理解した。
月日が流れ、倶胝和尚が亡くなる直前に「天龍禅師より一指の禅を受け取ったが、ついにそれを使い切ることが出来なかった」と言った。
頌
頌に曰く。
倶胝老子指頭(しとう)の禅【驢蹄を縮却せよ】、三十年来用不残(ゆうふざん)【今に至るまで蹺手乱手】。
信(まこと)に道人方外(ほうがい)の術あり【這裏使い著けず】。
了(つい)に俗物の眼前に見る無し【猶少なきを嫌うこと在り】。
所得甚(はなは)だ簡に【乾坤に逼塞す】、施設(せせつ)弥(いよいよ)寛(ひろ)し【一捏を消せず】。
大千刹海、毛端(もうたん)に飲む【涓滴(けんてき)を留めず】。
鱗龍(りんりゅう)限り無し誰が手に落つ【天童猶在り】。
珍重(ちんちょう)す任公(にんこう)釣竿を把(と)ることを【人を驚かす手段を妨げず】。
師、復(ま)た一指を竪起して云く、看よ【人を慚惶殺す】。
用不残・・・残は尽と同じ意味。使いきれないの意味。
方外・・・世間一般の外。
一捏を消せず・・・一ひねりにも足りない。
大千刹海、毛端(もうたん)に飲む・・・三千大千世界。
鱗龍・・・龍。偉大な人。
人を慚惶殺す・・・殺は助字。人を馬鹿にしている。
現代語訳
倶胝和尚の示した指一本は三十年以上用い尽くせなかった。
まさに出家者の妙術である。
俗世間の人には全くこの示すところは分からないだろう。
この仏道を示すのはとても容易い、指を一本立てるだけである。しかし、立てた指が示す仏道はとても広大だ。
この世界を飲み込むほどに広大だ。
最上の仏も手に入れる事は難しいだろう。
私(天童正覚)が指を一本立てよう。さあ倶胝和尚の指一本と共に見よ!
解説
これは倶胝の指を立てる答えが何であるかはどうでもいい話です。
この話の本質は、仏法や仏道や悟りに「これこそが悟りだ」「これが正しい仏法だ」ということを論じないところにあります。
問答には大きく分けて2種類あります。あらかじめ答えが設定されている問答と、答えが分からないながらも問いに挑戦していく問答です。
おそらく多くの人が学校で学ぶ問いとは答えが設定されていると思います。でなければテストも出来ないし点数もつけようがありません。テストで点数が付けられて、順位が決まるのは出題者が答えを設定しているからです。
この「答えが決まっている問い」には欠点があります。出題者の意図に沿った答えが出ないと間違いになります。例えば国語の問題であっても著者の意図ではなく出題者の意図によって物語を読まない限り答えにたどり着けません。運転免許試験も同じです。私は仮免試験に21回落ちましたが、問答はとても滑稽です。『原動機付自転車は50km以下で走らなければならない。〇か×か』。これは本来問題を読めば、原付は30km以下と定められており、50km以下は30km以下を満たす必要条件となるため〇です。しかし答えは×です。これは出題者が×と決めたから×であってそれ以外の理由はありません(決して落ちたことへの言い訳ではありません・・・)。
仏教の「問い」は言うまでもなく後者の「答えが分からないながらも挑戦する問い」です。
答えが分からないし、仮に自分なりの答えを持っても客観性もなく絶対性もなく正確性も再現性も不明です。
仏道について質問する時、このことを踏まえないと「仏教の真理は○○だ」という結論に至り、それ以外の主張を受け付けなくなります。真理はある。しかし多数ある。その多数とは100や200の数ではありません。人の数にもよるし、同じ人でもその時の気分や思考、感性で変わる事もある。であれば、仏道における「問い」とは、その時の答えを出す事ではありません。何故なら答えを出してもその答えの実用性が続く保証が自分自身にも無いからです。「問い」はあくまでも「問い」として持ち続け、「問い」は「挑む」からこそ「問い」になります。
指一本の問答は、「答え」を示しているわけではないのです。別にこれは指一本立てる行為をしなくても良いのですが、これが仏法の「答え」だと錯覚した小僧に対して、慈悲の心?を持って絶対性を断ち切らせるために、指をちょん切ったのでしょう。
そして、逃げる小僧を追いかけ、指一本を立てた。その行動にも別に意味は無いが、問いが無いのに指一本立てるのは倶胝和尚が常に「問い」に挑みつづけているからに他ならない。
挑みつづける指一本は答えが出ない以上、生涯を掛けても使い尽くせないだろう。
第八十五則「国師塔様」
第八十五則 国師塔様(こくしとうよう)
衆に示して曰く:
虚空を打破する底の鉆鎚(ちんつい)、華嶽(かがく)を擘開(はっかい)する底の手段あって、
始めて元、縫虍(ほうこ)なき処、瑕痕(かこん)を見ざる処に到る。
且らく誰か是れ恁麼の人ぞ。
鉆鎚・・・鍛冶屋が用いる金鋏と金属の金槌。修行僧を鍛える様を表す。
華嶽・・・中国五山の一つ。華山。
擘開・・・手で二つに引き裂く。
縫虍・・・縫い目。
瑕痕・・・傷跡。
現代語訳
指導者は虚空を打ち破る手段を用い、山を切り裂く手段を用いる。
二つの物を対比せず、縫い目も傷跡もない境地を示す。
さあ、これはどのような人だろうか。
本則
挙す。
粛宗帝(しゅくそうてい)、忠国師(ちゅうこくし)に問う、「百年の後、所須(しょしゅ)何物ぞ?」【即今(そっこん)、也(また)少なからず】。
国師、云く、「老僧が与(ため)に箇の無縫塔(むほうとう)を作れ」【甚の処に向かって手を下さん】。
帝、曰く、「請う師塔様」【描不成、画不就】。
国師、良久して云く、「会(え)すや?」【這裏、会することを得ず、会せざれども別に求むること莫れ】
帝、云く、「不会」【却って些子(しゃし)に較(あた)れり】。
国師、云く、「吾に付法の弟子耽源(たんげん)というもの有り。却って此の事を諳(そらん)ず」【祖禰(そねい)了ぜざれば殃(わざわ)い児孫に及ぶ】。
後に帝、耽源に詔(みことのり)して此意如何と問う【作家の君主、遺嘱を忘れず】。
源、云く、「湘の南、譚(たん)の北【天は高く地は厚く、日は左に月は右】、中に黄金有り、一国に充つ【虚空に逼塞す】。無影樹下の合同船【密密として金刀剪(き)れども聞かず】、瑠璃殿上(るりでんじょう)に知識なし」【寂寂として簾垂れて顔を露わさず】。
粛宗帝・・・唐の皇帝。711年~762年。忠国師よりも早く亡くなってい。次の皇帝である代宗(だいそう)(726年~779年)の誤まりであろう。または、国師が亡くなった後の話から代宗が耽源に尋ねているのか。塩の専売化などを図り唐を再建しようとした。
忠国師・・・南陽慧忠禅師(689~775年)。六祖慧能禅師の弟子。粛宗と代宗の皇帝に招かれることが多かったようだ。42則に出てくる。
所須・・・求める物。
無縫塔・・・縫い目のない塔。ここでは円形の継ぎ目に無い石塔であろうか。現代では卵型のため卵塔と呼ばれる。
些子・・・すこし。
耽源・・・耽源応真(???~???年)。六祖慧能禅師のもとで修行し、南陽慧忠禅師の侍者を務めた。
湘の南譚の北・・・湘は形相。譚は言葉。認識される音や物のことか。
現代語訳
代宗皇帝が南陽の慧忠禅師に尋ねた。「百年後に欲しいものはありますか?」【今まさに欲しいと思うものがある】。
慧忠禅師が「わしの為に縫い目のない墓石を立てて下され。」【手を加えたら縫い目が出来てしまう】。
皇帝は「どのような形の塔がよろしいでしょうか?」と聞いた【この形は書くことは出来ないぞ】。
慧忠禅師はしばらく黙った後に「分かりましたか?」と言った【分かり様がない、分からなくても分かる事を求めなくて良いぞ】。
皇帝は「???。分かりません。」と言った【分からないという答えは少し正解だ】。
慧忠禅師は「私には耽源という弟子がいます。耽源であれば説明してくれるでしょう。」と言った【弟子に押し付けた】。
慧忠禅師が亡くなってから皇帝はかつての慧忠禅師の意図を探ろうと耽源を城に招いた。
そして耽源にかつての慧忠禅師から言われた言葉を説明し、意図を尋ねた【素晴らしい皇帝だ、慧忠禅師の言葉を忘れていなかった】。
耽源が言った。「目に見える世界の端、聞こえる世界の端、その世界の中に黄金があり、世界中に満ちている。認識される影の無い中を船が進んでいく。行きつく先の宮殿は虚空の宮殿である。そこに師はいない。」
頌
頌に曰く。
孤逈逈(こけいけい)【万法と侶(とも)為らず】、円陀陀(えんだだ)【無欠無余】。
眼力尽くる処、高うして峨峨(がが)たり【斫額(しゃくがく)して望めども及ばず】。
月落ち潭空(むな)しうして夜色重し【尽十方界、一鋌(いっちょう)の墨の如し】。
雲収まり山痩せて秋容多し【体露金風】。
八卦、位正しく【天地と其の徳を合す】、五行、気和す【日月と其の明を合す】。
身先ず裏(うち)に在り見来たるや【到る時は即ち点ぜず】。
南陽父子却って有ることを知るに似たり【且く一半を信ず】。
西竺(さいじく)の仏祖如奈何ともすること無し【千聖従来下風に立つ】。
孤逈逈・・・脱落の様子。
円陀陀・・・丸いこと。角やつなぎ目がない丸い様。
峨峨・・・山がそびえたつ様子。
斫額・・・額に手を当て遠くを見渡す様子。
西竺・・・インド。
現代語訳
縫い目のない円をように、角の無い丸のように、かける事も余ることも無い。
高くそびえたつ山のように、何も見えない新月の夜のようだ。
雲が去り秋の色が強くなった山のように、すがすがしい陽気のようだ。
自己がどこにあるのか見えるかな。忠国師と耽源は無縫塔があることを知っているかのようだ。
インドの仏祖もその形を言い得る事は出来ないだろう。
解説
示衆からです。
虚空を打破する。つまりなにも無い場所を破るという現実的には有り得ない事が書かれています。次に山を手で切り裂くという、これまた有り得ないことが書かれています。
次に縫い目のないところに傷跡がない。と今度は当たり前のことが書かれています。
しかし、虚空を打破することや山を切り裂くことが出来ないというのは、それが出来ない事であると頭の中で想像しているからです。
布に穴を空ける、紙を破ると言われればやったことが無くても出来るイメージを持てます。
過去の従容録を思い出してみてください。「そこに紙がある」「そこに山がある」という現象は「紙をあつかう自己」「山を扱う自己」が同時に現成し成り立ちます。それを「紙」と「紙以外のもの」との対比で、自分が認識し扱う以前から在るかのように錯覚している。これは物質だけでなく現象にも言えます。「打破する」ことと「打破を扱う自己」がそこに同時に現成していることが「打破」という存在です。
しかし、ここで終わってしまうと先尼外道と同じになってしまう。自己の心理作用によって事物を如何様にも現成させられるぞというのは予め自己の存在を定義しておかなければ成立しない理論である。
そして、予め自己がいるという考えは不変の一貫した自己が過去から現在そして未来に到るまで続くということである。「考える葦」や「我思うゆえにわれあり」という唯心論を前提に組み立てられる仏道と言うのは達磨門下の修行道場では認められない。かりに現在コスプレイヤーが多く認められたとしても私は認めない。
ここでいう虚空を打破するということは、自己が打破することでもなく、見知らぬ誰かが打破する事でもなく、勝手に打破されるものでもない。
もし、打破されたのであれば傷跡と縫い目が出来るが、次の文で縫い目も傷跡も無いと示される。
であれば、虚空=打破であり、山=切開である。虚空と打破に縫い目も傷跡もなく、山と切開に縫い目も傷跡も無い。
そのことを参究できる僧侶が果たしているのだろうか?
本則です。
慧忠禅師は以前にも出てきています。またそれとは別の話で景徳伝灯録28にも南陽慧忠禅師の話がありますので紹介しておきます。
慧忠禅師「何れの方よりか来れる」
僧「南方より来る」
慧忠禅師「南方に何なる知識(指導者)か有る」
僧「知識すこぶる多し」
慧忠禅師「如何が人に示す」
僧「彼方の知識、直下に学人に即心是仏と示す。仏は是れ覚の義なり、汝は今見たり聞いたり嗅いだりという感覚器官の性質を具えている。此の具わる性質は眉を動かし瞬きをするように自然な運用がなされる。その運用は体中に遍く行きわたり頭を触れば頭を知り、足を触れば足を知る。故に「正遍知(正しく全てを認識する)」という。この認識作用の外に仏はいない。この身は生滅があるが、心はいつ始まったか分からない終りも分からない、生滅がない。身が生滅するとは蛇が脱皮し、人が旧い家を捨てるようなものだ。身体は無常でも本質は不変である。これが南で説かれる仏法だ。」
慧忠禅師「であれば、先尼外道となんら変わりはない。先尼は不変の自己を説いた。不変の本質自己など論ずるに値しない。最近は自己の本質や宇宙の真理などという輩が増えてきた。何百人も僧侶を集めて六祖壇経を改竄し、人々を惑わす。もし、見る聞く嗅ぐ味わう触れる認知するという性質が仏性であるならば、釈尊も『見る聞く味わう触れる認知することを離れる』とは説かないだろう。」
この話からも分かるように仏法において不変で一貫される自己は無いと見る。
本則の初めに「百年後に欲しいもの」という問いがなされます。
百年後は死んでいるだろうという話ではなく、未来に欲しいものというのは「欲しい」と思う瞬間は今です。未来に欲しいものが欲しいものとして扱われるかどうかは分かりません。そして、先程の話に照らせば100年後の自己が今と同じ自己である根拠もありません。
慧忠禅師は縫い目のない塔を立てて下されとお願いします。この縫い目とは境目や傷跡が無いということです。
例えば、地面に石塔を建てようとすると地面と石の境目を意識しなければ工事が出来ません。石を削ろうと考えると、石と石以外の領域という境目を考えなくてはなりません。文字を彫ろうにも、塔を塔として扱おうにも縫い目なくというのは不可能です。
さらに「老僧が与(ため)に」とまで言われてしまうと、もう誰かの為という縫い目が出来てしまう。
困った皇帝は「どのような様相でしょうか?」と聞きます。
ここで「○○のような様相」と言えば縫い目になるので、黙っている。これが分かったか?と慧忠禅師は聞き返します。
皇帝は分かりません。と答えます。この分からないも一つの正解でもあります。縫い目を妄想し様相を呈することを止めた事物は結局分からない。
慧忠禅師は答え合わせを弟子に託します。
弟子耽源はあれこれと言い、縫い目の無い様相を言い間違えながら言います。
黙っていれば良いものを、喋るからぼろが出るのでしょうが、黙ると言う様相も師が示してくれたので敢えて言い間違えるのでしょう。
とはいえ、もう少し頑張って言い間違えて欲しいですね。
私であれば代宗皇帝の問いにこう答えよう。「是這箇が塔です」と。
第八十六則「」
第八十六則
衆に示して曰く:
本則
挙す。
頌
頌に曰く。
解説
第八十七則「」
第八十七則
衆に示して曰く:
本則
挙す。
頌
頌に曰く。
解説
第八十八則「」
第八十八則
衆に示して曰く:
本則
挙す。
頌
頌に曰く。
解説
第八十九則「」
第八十九則
衆に示して曰く:
本則
挙す。
頌
頌に曰く。
解説
第九十則「」
第九十則
衆に示して曰く:
本則
挙す。
頌
頌に曰く。