行持・コラム

HOME//行持・コラム//従容録の自己流解説「41則~50則」

ブログ

従容録の自己流解説「41則~50則」

さて、従容録の第11則から20則を読み解いていきます。
1則から10則まではこちら 「従容録1則~10則」
11則から20則まではこちら「従容録11則~20則」
21則から30則まではこちら「従容録21則~30則」
31則から40則まではこちら従容録31則から40則

以下の点を読み解いていく為の軸とします。
1,自己の本質や自己そのものが単一で存在しない
  これは、自己の存在認識が二元論的に自分と他人の対比による言語化された虚構の概念であるから。

2,「悟り」や「真理」という言葉に根拠を持たない。
  仏陀は悟りについて具体的に経典で言及していない。あくまでも悟ったと言う経験談を語っているに過ぎないので「悟り」が何かを定義しない。

3,人権や道徳、倫理に関わる問題はそのまま読み進める。
  ジェンダー、身分、職業、暴力、身体的障害等は現代の感覚とかけ離れているが、あくまでも当時の感覚と捉え気を悪くせず受け止めていただきたい。

4,本則の漫画のみを読み解くと読み手の自由な解釈が無限に出てくるため、
  宏智正覚禅師と万松行秀禅師が何を狙ってエピソードを取り上げたかにフォーカスして読み解く。

目次

第四十一則「洛浦臨終」

第四十一則 洛浦臨終(らくほりんじゅう)

衆に示して曰く:

有る時は忠誠己れを扣(たた)いて苦屈(くくつ)申(の)べ難し。
有る時は殃(わざわ)い及んで人に向う。
承当不下なり。
行に臨んで賤(かるがる)しく折倒(せっとう)し、末後最も慇懃(おんごん)なり。
泪(なみだ)は痛腸(つうちょう)より出づ。
更に隠諱(いんき)し難し。
還って冷眼(れいげん)の者有りや。

承当不下・・・合点のいかない様子。
行に臨んで・・・臨終。
賤しく折倒し・・・高価な物をたやすく投げ売りすること。


現代語訳
ある時は、師匠が弟子の為に骨を折り心を砕きながら指導をする。
ある時は、師匠が親切過ぎて還って弟子が混乱し伝えたいことが伝わらないこともある。
とある師匠が臨終するとき、高価な物を安く売りまくるように、丁寧親切に法を説き、弟子の事を思い熱い涙をこぼして慈悲を隠すことも出来なくなる。
師匠のこんなにも親切思いやりのある様を見て心が動かない者などいないのであろう。
さて、そんな師の臨終の話を見てみよう。

本則

挙す。
洛浦(らくほ)、臨終、衆に示して云く、「今一事有り。爾(なんじ)諸人に問う【猶自ら兵機を説く】、這箇(しゃこ)若し是といわば即ち頭上に頭を安ず【恁麼も也得ず】。若し不是といわば即ち頭を斬って活を覓(もと)む」【不恁麼も也得ず】。
時に首座(しゅそ)、云く、「青山常に足を挙げ、白日灯を挑(かが)げず」【語り得て分明ならば出ずること転た難し】。
浦、云く、「是れ甚麼の時節ぞ、這箇の説話を作す」【失銭遭罪】。
彦従(げんじゅう)上座有り。出でて云く、「此の二途を去って、請う師、問わざれ」【開き易きは終始の口、保ち難きは歳寒の心】。
浦、云く、「未在更に道え」【詩は重吟に到って始めて功を見る】。
従、云く、「某甲道い尽くさず」【人をして見せしめざるに転た風流】。
浦、云く、「我汝が道い尽くすと道い尽くさざるとを管せず」【没底を放ち来って得ざれば休せず】。
従、云く、「某甲侍者の和尚に祗対(したい)する無し」【影草身に随う】。
晩に至って従上座を喚ぶ。「汝が今日の祗対(したい)甚だ来由有り【只管頭を粘ずるに習う】。先師の道うことを体得すべし。
目前に法無く、意目前に在り【月中の桂を斫却せば清光応に更に多かるべし】。他は是れ目前の法にあらず、耳目の到る所に非ずといえり【月落ちて来れ相見せん】。那句(なく)か是賓、那句か是主【切に忌む話両橛と作ることを】。若し揀得出(けんとくしゅつ)せば鉢袋子(はったいす)を分付せん」【棒を把って狗を喚ぶ】。
従、云く、「不会」【正に分付すべし】。
浦、云く、「汝会すべし」【将に九仭の山を成さんとす】。
従、云く、「実に不会」【一簣の土を進めず】。
浦、喝して云く、「苦なる哉苦なる哉」【一舡の人を賺殺す】。
僧、問う、「和尚の尊意如何?」【失火の処に膚炭を拾う】。
浦、云く、「慈舟清波(じしゅうせいは)の上に棹ささず、剣峡(けんきょう)徒労(いたず)らに木鵝(もくが)を放つ」【巧みを弄して拙を成す】。

洛浦・・・洛浦元安(833~897年)。長い間臨済禅師の侍者をしていた。夾山善会禅師の弟子。
猶自ら兵機を説く・・・兵は戦う者の意味。問答でお互いの仏道や公案を掲げて力量をはかることを法戦という。臨終に際しても、なお法戦に余念がないこと。
頭上に頭を安ず・・・蛇足。意味のないこと。
白日灯を挑げず・・・あまりにも明るいので、あえて明かりをつける必要が無い。明白な事。
語り得て分明ならば出ずること転た難し・・・鸚鵡が上手に口真似をすると、人間に大事にされ、ますます篭から出られなくなってしまう事。ここでは首座が洛浦禅師の真似をして、かえって坩堝に落ちる事をいう。
失銭遭罪・・・昔、金銭を盗まれると、油断しているからだと盗まれた人が罰金に処されたことをいう。
彦従上座・・・洛浦禅師の弟子。上座は高座の上に登り自身の仏道を語れる力量のある人をいう。首座を務めると口座の元首という意味で座元と呼ばれる。
未在更に道え・・・未だ徹底して言葉に出来ていないから、もっと言語化してみろという意味。
詩は重吟に到って・・・漢詩は何度も再考して見直して熟考して初めて良いものが完成する。
没底・・・底の底。
影草身に随う・・・影草は草を水につけて、草の影に隠れている魚を捕る漁法。ここでは、従上座が身を隠して洛浦の様子を伺っていること。
頭を粘ずる・・・何度も最初と同じ議論を繰り返ししつこいという意味。
先師の道うこと・・・先師とは夾山善会禅師のこと。洛浦禅師の師匠。
月中の桂を斫却せば・・・月に覆いかぶさっている桂の枝をどければ。
鉢袋子・・・鉢という食事の器。応量器を入れる袋。
将に九仭の山を成さんとす・・・高い山作ろうとした。
一簣の土を進めず・・・山を作ろうとしたが、一掬いの土も盛る事が出来なかった。骨折り損のこと。
一舡の人を賺殺す・・・乗合船の人を欺くこと。一般の人を馬鹿にすること。
失火の処に膚炭を拾う・・・火事の後に消し炭を拾う事。何の役にも立たないこと。
剣峡・・・波の高い海峡。
木鵝・・・流れが速い海では船と船がぶつかって沈没してしまう。そこで、割った木片を予め流し、波の具合を見ながら進む。この割った木片を木鵝という。

現代語訳
洛浦禅師が臨終になって修行僧達を集めた。そして「私はこの死に際にお前たちに問う事がある【臨終になっても弟子への教化を怠らない】。『ここに○○が存在している、という事象が道理に適っている』と言えば余計なことであり、『存在は空であり幻だ。道理に適っていない』と言えばそれもまた分別を離れる為の分別であり離れられていない。」と言った【在るといっても不適当であり、無しと言っても不適当】。
すると首座和尚が前に出てきて言った。「雲のかかった山があり、雲が風で動いているわけでは無く山が歩いているから雲が動いて見えるのです。これは山を見れば明らかなことでしょう。」【これは過去に洛浦禅師が修行僧達に言った言葉そのままだ。立派な事を言ってるようで自らを縛っているぞ】。
洛浦禅師が言った。「いつ私がそんなことを言ったのだ。」【首座は言葉を盗まれた上に罰金まで払わされた。】。
今度は彦従上座が前に出てきて言った。「道理に適っているとか適っていないとかの二元論で答えろと言うのは止めていただきたい」【口先ではうまく言えたつもりでも、二元論を離れ続けて生活できるわけがないだろう】。
洛浦禅師は彦従上座に言った。「その回答は悪くないが、まだ不十分だ。もう少し言えるか?」【言葉は全て言い間違いである。もっと工夫せよ。】。
彦従上座は「これ以上言葉を並べる事は致しません。」と答えた【手の内を見せないのもまた良い】。
洛浦禅師は「お主が正しい言葉を言えるかどうかは興味が無い。真の仏道とは何か言ってみよ」と言った【徹底的に追及するつもりだ】。
彦従上座は「私が仏道の真髄を言い尽くしてしまったら先輩僧侶が答えられなくなってしまいます」と言った【問答を躱して様子を伺っているな】。
その晩に洛浦禅師は彦従上座を呼び出した。そして洛浦禅師は言った。「今日のお主の答えは中々見どころがあるな~【さらに追及しようとはしつこい禅師だ】。是非私の師匠である夾山禅師の言葉を参究して欲しい。かつて夾山禅師はこんな言葉を残した。『目の前に存在する事物に客観的根拠は無い。あたかも自分の感想が絶対であり常識であり根拠だと思い込んでいるだけである【月に係る枝を払えば月明りがはっきりと見える】。全ての事物は、それってあなたの感想ですよね!?で片付いてしまう。したがって事物の根拠を客観的に識ることは出来ないのである』と」【枝も月も落ちてきてしまえば知るものなどなにも無い】。
「この夾山禅師の言葉の中でどの言葉が客観的であり、どの言葉が主観的か分かるか?」と彦従上座に聞いた【客観主観の二元論に捉われてはいけない】。
彦従上座は「わかりません」と答えた【この答えは良い】。
洛浦禅師は「いや、お主になら分かるはずだ」と言った【あともう一歩】。
彦従上座は「いや、マジでわかりません」と答えた【こりゃダメだ】。
洛浦禅師は「なんと情けない奴だ」と言った。
この話を聞いた別の僧侶が「では洛浦禅師の考えはいかがでしょうか?」と聞いてきた【無駄な質問だ】。
洛浦禅師は「生きづらく、苦しみの中に居る人の為に仏道はある。苦しくも切なくもない人には私のような仏道は必要ないだろう。骨折り損であった。しかし、これで良いのだ。」と答えた。

頌に曰く。
雲を餌とし月を鈎として清津(せいしん)に釣る【人を驚かす浪に入らざれば意に称う魚に逢う難し】。
年老いて、心孤にして未だ鱗を得ず【気急にして作麼かせん】。
一曲の離騒帰り去りて後【甚麼の処に在るや】、泪羅江上に独醒の人【洛浦猶在り】。

泪羅・・・湖南省にある河。
独醒の人・・・楚の屈原という人のこと。楚の懐王に仕えていた人であった。家柄と優秀さで懐王から信頼されていたが、政敵から諫言をされ左遷されてしまう。その後、政敵が進言した秦との同盟で逆に秦に裏切られ楚に都が陥落してしまう。屈原は「皆、対局が見えず酔っ払ったままだ。私一人だけ醒めている」と言い、楚の未来に絶望し泪羅で入水自殺してしまう。ここでは、洛浦禅師が一人寂しく最後を迎える様を表す。

現代語訳
形無き雲を餌として智慧の月を針として弟子たちを釣り上げようとした【急流に入らなければ魚は釣れない】。
年老いて死に臨むとき、首座和尚と彦従上座に問いかけたがどちらも心に適わなかった【急ぎ焦っても手遅れだ】。
洛浦禅師は私一人だけが醒めていると言って入水した屈原のように、一人寂しく人生を閉じた【洛浦禅師が亡くなったかと思ったら、目の前にいるではないか】。

解説

師匠から弟子へ教えを引き継ぐ話です。
ここでは智慧とは、空とは、物の存在の認識とはという事を題材に弟子たちに洛浦禅師が問いかけます。
首座和尚の答えは、青山常に足を挙す、です。山に雲がかかっているとき、雲が動いているのか山が動いているのかということです。分かりやすい例でいくと、川下りで船に乗っている時、船が動いているのか岸が動いているのか分からなくなることがあります。ぼーっと岸を見ていると自分では無く岸が動いているように見えます。逆に下を向き、河を見ると確かに船が進んでいます。何が動いているかと問われれば、岸が動くわけでも無く、船が動くわけでも無く、自分の認識作用が動くことで岸や船が動くように見えていると言うことです。自己の認識作用が働いて初めて「物事、現象が在る」ことになる。
すると洛浦禅師は何を言っているのだと言います。「甚麼の時節ぞ」というのは、過去に洛浦禅師が言った言葉を、「私がいつそんなことを言った?」という意味にも見えますし、「臨終の時に、くだらない事を言うな!」という意味にも取れます。どちらにしても説話と言っているので、よく用いられる話です。そんな借り物の話ではなく自分の言葉で言ってみろということでしょう。
続いて彦従上座が前に出てきて答えます。是と不是に対して二元論を離れて言う事は何も無いと言います。
洛浦禅師はまくしたてるようにもっと言えと言います。すると彦従上座はのらりくらりと躱し答えません。
今回の話はここで終わりません。
夜に彦従上座を呼び出して洛浦禅師の師匠夾山禅師の言葉を出します。夾山禅師の言葉は難しいですが、主観であるのに客観であると思い込んで生きている。根拠がないのに根拠があると思っている。正しい悪いは自己の判断なのに、万人に通用する常識だと思って生きている。これが人間だということです。夾山禅師の師匠船子禅師は「何かの言葉や常識を守り抜くことは永久に馬が杭に繋がれているようなものだ」と言います。
以前も20則「地蔵親切」で「分からない」ということについて話をしました。知識を付けて常識を身に着けて物事が分かった方が良いと思いがちですが、「私は永遠に分からない」という思いを持っている方が自由に活躍し遊戯することができるのでしょう。
仏道でも同じです。師匠がこのように言った。経典にこのように書いてある。と言い。それが根拠かのように仏道を歩むのは馬が繋がってるのと同じです。現代もよく頭の凝り固まった学者にいます。
よくある青山が歩くなどの話をパクってきた首座和尚ではなく彦従上座を呼んだのは、彦従上座ならば借り物の言葉ではなく自分の言葉を用いるだろうと踏んだからでしょう。
そして、南泉斬猫の話のように議論から降りる術を持っているからこそ、議論から降ろさないように一人呼び出したのでしょう。

そして、夾山禅師の言葉を出されたが、彦従上座は意味が分からないと言います。現代語訳では省略しましたが、洛浦禅師は意味が理解できれば自分の後継ぎにすると言っています。ここで、分からないと言われてしまうと後継ぎも居なくなり、自分の法を受け継ぐ人が居なくなってしまう。洛浦禅師はよく考えて分かってくれと言います。それでもなお彦従上座は「いや分け分からん」と分からないを徹底します。
そして洛浦禅師は「分かってもらえないのは苦しい限りだ」と嘆きます。そして嘆きながらも喜んで上座を褒めています。
自分のテーマや座右の銘みたいなモノがあって、それを大事にすることがある。特に年を重ねるにつれて、私の生き方は、私のアイデンティティは、私の人生は正しいと自信を持てると思うようになります。
これこそ馬が繋がれている状態です。
彦従上座は洛浦禅師や夾山禅師の言葉に縛られること無く自由自在の仏道を歩めることでしょう。

最後に、他の僧侶が洛浦禅師の真意を聞きに行きます。
洛浦禅師は「迷いフラフラしている人には型にはめ縄で縛って導かなければならないが、しっかりと地に足を付け歩める人は還って縛らない方が良い」と言います。しっかり地に足を付け歩める彦従上座や首座に今回の問答は無駄であったということです。

第四十二則「南陽浄瓶」

第四十二則 南陽浄瓶(なんようじょうびょう) 

衆に示して曰く:

鉢を洗い瓶を添うるも、尽く是れ法門仏事。
柴を般(にな)い水を運ぶも、妙用神通に非ざること無し。
甚麼(なん)としてか放光動地を解せざる。

放光動地・・・仏陀の説法の時、眉間の白毫より光を放ち地球全土を照らし、大地を振動させたという。

現代語訳
鉢を洗い、瓶に水を汲むことも全てが仏事であり修行である。
山で柴刈りをして、川で洗濯をするのも仏道であり作法である。
どうして、このような仏や菩薩の無作の修行を理解しようとしないのか。

本則

挙す。
僧、南陽の忠国師に問う、「如何なるか是れ本身の盧舎那?」【汝豈是名を替えんや】。
国師、云く、「我が与めに浄瓶(じょうびょう)を過し来たれ」【話頭を忘了すること莫れ】。
僧、浄瓶を将って到る【錯認を得る事莫れ】。
国師、云く、「却って旧処に安ぜよ」【重ねて此の義を宣ぶ】。
僧、復た問う、「如何なるか是れ本身の盧舎那?」【甚の処に去来するや】。
国師、云く、「古仏過去すること久し」【此の離れること遠からず】。

南陽・・・南陽慧忠(689~775年)。六祖慧能禅師の弟子。なお、景徳伝灯録には「僧、塩官斉安和上に問う」となっている。
盧舎那・・・毘盧遮那仏。大日如来。直訳すると「普く隙間なく一切を照らす」となる。本身仏と言われる。

現代語訳
ある僧侶が南陽禅師に質問した。「毘盧遮那仏とはどんな仏ですか?」【君の名が毘盧遮那仏であるのに忘れたのか?】。
南陽禅師は「そこの瓶を持ってきてくれないか」と言った【質問を忘れたのか】。
僧侶は瓶を手にとって禅師のもとへ持ってきた【瓶を毘盧遮那仏と思うなよ】。
すると南陽禅師は今度は「瓶を元の場所に戻してきなさい」と言った【重ねて毘盧遮那仏を示した】。
僧侶はまた「毘盧遮那仏とはどんな仏ですか?」と質問した【行ったり来たりフラフラしてるな】。
南陽禅師は「毘盧遮那仏がさっきまで生きていたのに、もう亡くなってしまったか」と言った【答えは離れるとも遠くないぞ】。

頌に曰く。
鳥は空を行く【築著磕著】、魚は水に在る【左使右使】、江湖(ごうこ)相忘れ【這辺那辺】、雲天に志を得たり【可不可無し】。
疑心一糸すれば【只此の山中に在らんや】、対面千里【雲深くして処を知らず】。
恩を知って恩を報ず【茲(ここ)を念(おも)うこと茲に在り】、人間幾幾(いくばく)ぞ【一子親しみ得たり】。

築著磕著・・・あちこちでぶつかること。磕は石と石がぶつかるときの音。
江湖・・・江西省と湖南省。大きな河(江)と湖のことである。馬祖道一が活躍した江西省と石頭希遷が活躍した湖南省を指し、仏道修行が行われる広い場所の意味で使われる。

現代語訳
鳥は空を飛ぶから鳥である【飛ぶ行為全てが毘盧遮那仏】。魚は水を泳ぐから魚である【左右自由自在に泳ぐ全てが毘盧遮那仏】。自分の知覚出来ない範囲の事などは考えていない。しかし、知覚できる範囲は無限である。
少しでも自己を知ろうと言語化を試みても、知る自己は遠く千里も離れていて知ることは出来ない。
自己と認識する対象物との関係性を構築することこそ、今この瞬間の自己をならうということである。

解説

この話は日常底にある善でも悪でも是でも非でもない、当たり前の働きを徹底して丁寧に敬意を持って行うということです。
示衆にもあるように器を洗う事も、瓶に水を注ぐ事も、一つ一つの事柄を自我意識を持ち込まず敬意を持って行う事が仏道修行です。そして山で柴刈りするおじいさんも、川で洗濯するお婆さんも、善も悪も可も不可も無く毘盧遮那仏そのものを体現しています。

本則を見ていきましょう。
まず、毘盧遮那仏という仏ですが、毘盧遮那とは普く照らすという意味です。縁起の話を何回か持ち出しました。自己に関係なく物事が存在することはありません。日本から遠いブラジルで誰かが財布を落としても、それを認識する自己が居なければ「財布を落とした」という事象は存在していません。もしそれがニュースになって、耳に入れば「財布を落としたニュースが放送された」という認識が生まれニュース内のみで存在します。
であれば、存在とは自己の認識している範囲内のみで現成します。それは光で照らされている場所だけ認識できるように。そして逆説的に存在はすべて「自己の認識」という光に照らされているわけです。
道元禅師は正法眼蔵「現成公案」で、『万法の家風をきかんには、方円とみゆるよりほかに、のこりの海徳山徳おおくきわまりなく、よもの世界あることをしるべし』と記しています。
縁起の法によって見る時、山が△に見えたり、海の水平線が丸く見えるほかに、仕事場と見る漁師や猟師がいたり、子供にとっては遊び場に見えたりと無限の存在の在り方が在ることを知らなければならない。自己の見方はあくまでも、自己と山、自己と海の関係性において構築される限定的なものです。
そして、見える範囲で存在している山も海も見えない範囲で無限に非存在が広がっていることも忘れてはいけないと言います。
この自己と対象物の関係性で現れる存在を毘盧遮那仏と言います。
であれば、毘盧遮那仏とは何かという問いかけを言い換えれば「自己の認識が及ぼす範囲において存在するものを教えてください」ということです。
南陽禅師はその問いかけに「そこの瓶を持ってきてくれないか」と言います。この時、「瓶」の定義や「瓶」の存在について言及しなくても僧侶は「瓶」を「瓶」だと認識したのです。この時、僧侶と瓶の関係性が構築され、「瓶として扱う自己」という存在が現成したのです。現成公案の内容に照らせば、瓶とは何か、自己とはなにか、自己の認識作用とは何かという問いかけが生れた時に「瓶として扱う自己」という毘盧遮那仏が在るのです。
問答としては「瓶を持ってきてくれないか」という言葉で完結していますが、南陽禅師は優しいのでしょう、瓶を戻してきなさいと言って更に毘盧遮那仏を示します。
このことが分からなかった僧侶は、また「毘盧遮那仏とは?」と聞きます。
南陽禅師は瓶を持ってきて、瓶を戻した時に、毘盧遮那仏が現れたのに、言葉で追求しようとしたことで毘盧遮那仏が無くなってしまったと嘆いたわけです。

頌を見てみましょう。
魚や鳥の例えは同じく正法眼蔵「現成公案」に出てきます。現成公案の方が説明的で分かりやすいので紹介します。
『うを水をゆくに、ゆけども水のきわなく、鳥そらをとぶに、とぶといえどもそらのきわなし。しかあれども、うをとり、いまだむかしよりみずそらをはなれず、只用大のときは使大なり、要小のときは使小なり。』
意訳します。
魚が泳ぐ、鳥が空を飛ぶのではなく、水の中を泳ぐから魚であり、空を飛ぶという行為で鳥となる。魚の存在を保証する水の大きさは泳ぐ魚によって保証される。鳥の存在を保証する空の広さは飛ぶ鳥の範囲によって保証される。
「とり」「うを」「みず」「そら」の存在を現実にするのは「およぐ」「とぶ」という行為関係においてのみである。

「○○を瓶として扱う自己」という存在を現実にするのは「瓶を扱う」という行為ということになります。その自己を自己紹介よろしく「謙虚な人柄」「真面目」「登山が趣味」「○○大学卒」などと言葉を並べるのは、今の行為に保証されないただの言語です。それで自己の存在を現すことは出来ません。自己を言語で説明するのは対面しているのに千里も遠く離れ見えない自己を探すようなものだと頌では記します。

最後に注意点ですが、行為で保証されると書くと「我思うゆえに、我あり」のように、あたかも「我」が予め存在し、「我」の行為で世界が作られているかのように錯覚します。
「我」を保証し続ける「神」のようなものは仏教では設定いたしません。

第四十三則「羅山起滅」

第四十三則 羅山起滅(らざんきめつ)

衆に示して曰く:

還丹(げんたん)の一粒、鉄を点じて金と成す。
至理の一言、凡を転じて聖と成す。
若し金鉄二無く、凡聖本同じきことを知らば、
果然(かぜん)として一点もまた用不著(ゆうふじゃく)。
且く道(い)え、是れ那の一点ぞ。

還丹の一粒・・・仙人の霊薬。
用不著・・・役に立たない。

現代語訳
仙人の霊薬は鉄に一滴たらすと黄金になる。
同じく、真理の言葉は凡夫を聖者に変える事が出来る。
しかし、黄金と鉄、凡夫と聖者という二元が本来同一であると知れば、霊薬の一滴も真理の言葉も不要であろう。
さて、真理の言葉とはどのようなものであろうか?だれか分かる者はいるか?

本則

挙す。
羅山、巌頭(がんとう)に問う、「起滅不停(きめつふじょう)の時如何?」【金剛と泥人と背を揩(す)す】。
頭、咄(とつ)して云く、「是れ誰か起滅す」【識得すれば寃(あだ)を為さず】。

羅山・・・羅山道閑(???~???年)。巌頭全豁(がんとうぜんかつ)禅師の弟子。
巌頭・・・巌頭全豁(がんとうぜんかつ)禅師(828~887年)。徳山宣鑑(とくざんせんかん)禅師の弟子。二十二則に登場する。

現代語訳
羅山が巌頭禅師に質問した。「いろいろな妄想や雑念が湧き出てきます。このように頭の中がグルグルする時はどうしたら良いですか?」。
巌頭禅師は舌打ちして答えた。「雑念が湧き出てくるという妄想をしているのは誰だ!!」【湧き出てくる雑念が不生不滅であると分かれば雑念も邪魔にはならないだろう】。

頌に曰く。
老、葛藤を斫断(しゃくだん)し【転た枝蔓を生ず】、狐窠窟(こかくつ)を打破す【更に頑涎を吐く】。
豹は霧を披(ひら)いて文を変じ【皮毛を脱却す】、龍は雷に乗じて骨を換(か)う【別に軀殻を改む】。
咄【一喝万機罷(や)む。三朝両耳聾す】。
起滅紛紛是何物ぞ【好客に疎伴無し】。

葛藤・・・祖録に葛藤の語句はよく出てきて様々な解釈がされる。ここでは、自分自身を縛り苦しみを与える妄想雑念煩悩のこと。
枝蔓を生ず・・・葛や藤などの寄生植物は枝を折るとかえってどんどん分岐して伸びるということ。
狐窠窟・・・狐の住処。百丈野狐にも出てきたが、ここでは狐は自身を苦しめる毒のこと。
頑涎を吐く・・・狐の涎には毒があるという。現実、エキノコックスという寄生虫が原因で北海道で集団感染が起きている。
豹は霧を披いて文を変じ・・・「列女伝」にある故事。豹が飲まず食わずで霧の中七日間潜んで、毛皮に模様をつけたという話。禍が転じて福となる。
龍は雷に乗じて・・・「禹門三級の瀧」の話。鯉が登竜門を昇り龍になる時、雷を起こして尻尾を焼き天に昇るという故事。状況が一変して好転すること。
三朝両耳聾す・・・百丈禅師が馬祖道一に怒鳴られて三日間耳が聞こえなくなったという故事。
好客に疎伴無し・・・上品な客が連れてくる客ならば上品であるという意味。

現代語訳
グルグルしていた妄想雑念を一時断ち切り、妄想の発生場所を見破った【考えるなという考えも雑念であろう。切ろうとしてもどんどん生えてくる葛や藤のようだ。徒に妄想が湧き出ていることを考えなくても良い】。
まるで豹が霧の中で長年すごし毛皮に模様がついたように、鯉が瀧を昇り龍になったっように、巌頭禅師の舌打ちは強烈だ。
妄想や雑念は湧き出てくるだろう、しかし湧き出る自己や湧き出る場所は自分自身で作り出さなければそこには存在しない。

解説

よく、坐禅で「無になれません」「頭の中がぐるぐるします」という方がいます。私ももちろん坐禅をして無になったこともないですし、考えていないという時間も無さそうです。
今回の話で、巌頭禅師は雑念を止める事は出来ないし、止めようとしなくても良いと示してくれています。

示衆ではたった一粒たった一言で「自己」「他己」という二元を打ち砕くことが記されています。この二元論的見方が無ければ打ち砕く必要もないが、我々はどうしても自分と他人、善と悪、常識と非常識という二元論で生きてしまいます。
道元禅師の著書にも正法眼蔵「坐禅箴」というものがあります。箴というのは針鍼と同じ意味で一本の細い針で刺し治すという意味があります。坐禅箴の内容と共に、今回の話を解説していきます。

坐禅箴で取り上げられている二つの話を軸に進めていきます。
『非思量』
薬山禅師に僧侶が質問します。
僧「ひたすら坐禅をしている時、何を思量すればよいですか?」
薬山「不思量底(思量しないところ)を思量するのだ」
僧「不思量底(思量しないところ)をどのように思量するのですか?」
薬山「非思量である」
この話を、ある師家はありのままを善悪なく受け止めていく境地が非思量であり不思量底であると解釈をしていました。
その解釈をすると真理の境地を「天地いっぱいの命」だの、「宇宙の真理」という表現がでてくるわけです。
私はその立場解釈をとりません。まず、ありのままを受け止める事ではなく、物事の認識を解体する事がポイントです。
「これは机である」と言った時に、私が「これ」を机として扱い「机」と認識するという「私」と「これ」の関係性において「机」という存在が現れてくる。そして、「つくえ」という言語で固定化され物質の存在が机として維持されていく。
しかし、坐禅のように坐るという行為以外を遮断し、自己の体調も整え自己との関係性も出来る限り遮断することで「○○が存在する」という認識が解体されていく。この解体されていくというのは無くなるという事ではない。坐禅をしてことがある方は分かると思いますが、どんだけ坐禅しても妄想が尽きることはありません。もし、関係性を断絶するだけで「○○が存在する」という認識が無くなり、「自己」も無くなれば、坐禅のテクニックだけ伝わり、こんな問答は伝わらなかったでしょう。
不思量底をどのように思量するのかという疑問は、「解体され意味が消失した○○」を思量するにはどのように思量するのですか?ということです。それを思量するときに非思量を用いるというのが薬山禅師の「非思量である」の言葉です。その「解体され意味が消失した○○」が何か?という問いかけに終わるのが「非思量」の句です。思量するというと考え概念化し答えを出すことです。
これは何か?物を置き、紙を置き字を書く台である。であればコレは机だというように概念的に答えを出します。非思量は「なんだ?」で留まり、分からないままにするのです。すると妄想雑念も追いかけることは無くなります。「妄想」はなんだ?「妄想する自己」は何だ?解体され続ける概念を追いかける必要性がなければ容易に問いかけだけで終われます。
まとめると、坐禅に思量が無いなんてことはありません。必ず思量しています。何を思量するのかが重要です。その思量とは「何か」を概念化することではなく「○○」とは何だ?という部分で思考を停止することです。

『磨磚』
馬祖道一が南岳懐譲禅師のもとで修行していた時のこと。
南岳禅師が馬祖に「なんの為に坐禅しているのか?」と聞いた。
馬祖は「仏に成ろうとしています(図作仏)」と答えた。
すると南岳禅師は近くに在る磚(かわら)を拾い、石にあてて研ぎ始めた。
馬祖は「師匠、何をしているのですか?」と聞いた。
南岳禅師は「瓦を磨いて鏡にしようと思う」と答えます。
馬祖は「瓦を磨いても鏡にはなりません」と言った。
南岳禅師は「坐禅して、どうして仏になることができるだろうか」と言った。
馬祖は「では、どうすればよいのですか?」と聞いた。
南岳禅師は「人が牛車に乗っていて、もし牛車が動かない時、車を打つのが良いのか、それとも牛を打つのがよいのか」と答えた。
馬祖はその師匠の言葉で沈黙した。
南岳禅師はさらに言った「坐禅を学ぶと言う事は、坐仏を学することだ。」

さて、磨磚の話を見ると多くの人は坐禅という手段を使って仏になるという目的を達成しようと試みる馬祖とそれを否定する南岳禅師という図式の話と捉える。しかし、私はそのように読まない。
まず、補足をしておくと、鏡と聞くと現代の我々は姿をはっきりと映す鏡のことを思い浮かべる。しかし、鏡の歴史を見ると現代のガラス質の鏡は1300年代にルネッサンスで誕生した。その以前はメッキを貼ったり銅鏡のように金属を磨き鏡として用いた。ガラス質やメッキの鏡は姿を映す用途だが、銅鏡のようにはっきりと姿を映さない鏡は主に宗教道具であったり、アクセサリーやオブジェのような物であったと言われている。
この話で南岳禅師が示しているのは「磨く(行為)=鏡(存在)」であるという事です。
「なんの為に坐禅しているのか?」というのは坐禅の先に何か求めるモノが在るのか、坐禅とは別に悟りに到達する手段が在るのか、坐禅に一切の意図を持たせず行うものなのかという問いである。
そして、馬祖は「仏に成ろうとしています(図作仏)」と答える。坐禅によって仏に成るのか、仏を行ずることを仏に成ると言ったのか、坐禅によって仏が現れるから仏に成ると言ったのか。もしくは仏に成るという概念を脱却し仏に成るのか。よくよく馬祖という人物を過去の従容録から読み取ると、図作仏は坐禅という手段をもって仏に成るという意味では無く、「仏に成る」瞬間は坐禅であるということと見える。
すると、南岳禅師は瓦を磨き始めた。馬祖は「師匠、何をしているのですか?」と聞く。この馬祖の質問はいわゆる意味不明な事をしている事への問いかけではない。
明らかに「何」と聞かれれば「瓦を磨いているのである」それ以外に見えないであろう。これは「磨く」という行為がなんの現成であるかを問いている。そして南岳禅師は「磨く(行為)モノ=鏡(存在)」であると答える。
つまり行為と存在は一体であり、先程の「不思量底を思量する(行為)=○○(存在)」と同じ意味となる。違うのは不思量底を思量する先にある存在は概念化出来ないということであろう。
ここでは磨いた結果が鏡ではなく、磨くもの=鏡である。これを坐禅に当てはめると坐禅(手段)で仏に成る(結果)ではなく、坐禅=作仏となる(瓦を磨いても鏡にはなりません)。
そして南岳禅師は「坐禅して、どうして仏になることができるだろうか」と坐禅は手段ではないと言う。
馬祖はその言葉を聞いて「では、どうすればよいのですか?(如何即是?)」と聞いた。これは「どうすれば」の問いではなく、「どうすれば」と「よいのか」が同時に問いとして現れている。つまり、坐禅(行為)と作仏(存在)が同時に現れる時、「どうする(行為)」と「よい(存在)」が同時に現れているのですか?と問いかけている。ここはちょっと漢文を読まないと分かりずらいと思います。
南岳禅師はその言葉を聞いて「人が牛車に乗っていて、もし牛車が動かない時、車を打つのが良いのか、それとも牛を打つのがよいのか」と公案を出した。ここでは「進む車(存在)」の現成を示している。「進む車」を存在させたいとき、行為として何があるのか?という事である。
南岳禅師は「叩く(行為)」によって「進む車(存在)」が現成すると言う。ここで叩く実体(車と牛)があるかどうかは問題では無い。車を叩こうが牛を叩こうが「叩く」ことによって「進む車」が現成すると説いている。
馬祖はそれを聞いて黙る。これは言葉に詰まったのではなく、南岳禅師の言葉が問いでは無かったからであろう。そして南岳禅師の言葉の肯定が沈黙にあらわれている。
最後に「坐禅を学ぶと言う事は、坐仏を学することだ。」と言う。ここまで来れば意味は簡単に分かる。「坐禅=坐仏」という図式を改めて示したのである。

この二つの話を踏まえて羅山起滅の話を読むと、
「誰が起滅する?」の語句は「誰が」ではなく「何が」である。「私が起滅する」だとすると「私」を根拠づける行為、「起滅する私」を正起させる行為があるはずである。それを問いかけてみよ。という言葉である。その言葉はまさに霊薬の一滴であり、身体を治す針の一刺しである。
羅山の質問は「起滅する私」が行為無く在る前提で行われている。極めて堅い金剛(ダイヤモンド)と脆い泥人形をぶつければ「堅い○○」と「脆い○○」が現成する。ぶつけるという行為が無い限りの存在も現成しないのである。
この質問に巌頭禅師は舌打ちをする。咄(とつ)は叱るの意味合いかと思われるが舌打ちと訳しています。この舌打ちに意味があると考える。「舌打ち(行為)」によって「○○」という存在が現れると言った時、その存在様式を問う事になる。

概念化出来ない○○が不思量底を思量することで現成する。その○○を「概念化出来ない何か」で踏みとどまらせ、恁麼(そのようなもの)で置いておく。坐禅中に妄想雑念が起こり雑念が消え、また起こるという中で、誰が妄想しているのかを思量するのではなく、どこから雑念が湧き出てくるのかを思量するのでもなく、坐禅(行為)が何(存在)を現成させているのかを思量するのである。その何というのは言語によって概念化されていない(不思量底)ものであるから、存在の根拠となる坐禅を思量するのかと言えば非思量となる。

まとめると、「妄想雑念が収まらない時どうしたら良いですか?」の問いかけに対して、「妄想雑念する自己」を根拠づける「行為」を問いかけていけ、となります。
不思量底を思量する坐禅をしている内はこの自己も解体されて行を仏とすることが出来るのです。

第四十四則「興陽妙翅」

第四十四則 興陽妙翅(こうようみょうじ)

衆に示して曰く:

獅子象を撃ち、妙翅(みょうじ)龍を搏(う)つ。
飛走すら尚(なお)君臣を別かつ。
衲僧(のっそう)、合(まさ)に賓主(ひんじゅ)を存すべし。
且(しばら)く天威を冒犯(ぼうはん)する底の人の如きは如何が裁断せん。

妙翅・・・ガルーダという伝説上の鳥。火の鳥。海中の龍を捕食すると言われている。羽を広げると1200万キロメートルと言われる。1200万キロメートルは地球の一周の300倍。
天威を冒犯・・・天子の威厳を軽んじること。君主の地位を脅かす事。

現代語訳
大きな象もライオンに狩られる。最強の龍もガルーダに捕食される。
空を飛ぶ鳥にも速く走る哺乳類にも食物連鎖があり捕食者と被食者がいる。
修行僧の間にも指導する師家と指導される僧との間に礼儀作法があるのは当たり前だろう。
その礼儀作法を弁えず、無礼な修行僧を裁くにはどのような手段があるだろうか?

本則

挙す。
僧、興陽の剖(ほう)和尚に問う、「娑竭(しゃかつ)海を出でて乾坤静かなり、覿面(てきめん)に相呈する事如何?」【鱗を披る曲鱔、角を帯びる泥鰌】。
師、云く、「妙翅鳥王、宇宙に当る。箇の中誰か是出頭の人?」【翅を展べて崩騰す六合の雲、風を搏って鼓蕩す四溟の水】。
僧、云く、「忽ち出頭に遇う時又作麼生?」【汝に破胆を許す】。
陽、云く、「鶻(たか)の鳩を捉えるに似たり。君覚らずんば御楼前に験(こころ)みて始めて真を知れ」【好く勧むれども聴かず】。
僧、云く、「恁麼ならば則ち叉手当胸、退身三歩せん」【更に第二槌を待て】。
陽、云く、[須弥座下の烏亀子、重ねて額を点じて痕せしむることを待つこと莫れ」【再犯容(ゆる)さず】。

僧・・・「僧」と書かれているとき、普通は名前が出てこないが大陽警玄禅師(943~1027年)の弟子である投子義青(とうすぎせい)禅師(1032~1083年)のことであると言われている。
興陽の剖和尚・・・興陽清剖禅師(???~???年)。大陽警玄禅師(943~1027年)の弟子。投子義青の兄弟子。
達磨門下の僧侶は面授と言い師匠と弟子が顔を合わせて教えを引き継ぎます。しかし、大陽警玄禅師は長生きであったが弟子に法を嗣がせなかった。友人である浮山法遠に血脈を渡し、もし法遠が「この人こそ警玄の法を嗣ぐにふさわしい」と思ったらその人に渡してくれと言います。そして法遠は投子義青に血脈を渡します。大陽警玄と投子義青の生年没年を見ると二人は出会っていないことが分かる。(禅林僧宝伝)
娑竭・・・龍王。海から龍王が出ると生き物全てが息を潜めて天地が静かになると言われている。
覿面に相呈・・・いきなり目の目に現れる。
曲鱔・・・ウミヘビ。
泥鰌・・・どじょう。
御楼前に験みて・・・平原君(へいげんくん)という大臣の話。昔、平原君の屋敷の2階から愛人が道行く人を眺めていると、足の不自由な人が居るのを見た。愛人は、その人の歩く姿が滑稽に見えたので笑った。すると、笑われた人が憤慨し平原君に笑った女の首をよこせと直談判した。しかし、平原君が一向に処罰を下さないのを見て、家臣たちがぽつぽつと平原君の元を去っていった。まずいと思った平原君は美しい愛人は切れないが、女中の首を切って差し出せばいいだろうと思い、女中の首を渡した。すると、笑われた男は「これは違う」とさらに憤慨した。それを見た家臣達はどんどん平原君の元を離れていった。仕方なしに愛人の首を斬り屋敷の前に吊り下げた。これこそが本物だと言って見せたので家臣たちが徐々に戻ってきた。
つまり、これが本物だと示したという意味。
叉手当胸・・・叉手とは右手を握り前に出し、外側から左手で右手首を抱くようにかけて、左右の長指を交差させる作法。その叉手を胸に当てることが目上の僧侶に対する相見の作法。よくカンフー映画とかでみる。これは曹洞宗行持規範の叉手とは違う。
須弥座下の烏亀子・・・須弥山という山を支える亀のこと。愚か者のこと。

現代語訳
投子義青が興陽禅師に質問した。「龍の王様が海から顔を出すと、あらゆる生物は恐れて静まり返ってしまうと言います。もし、今目の前に龍の王様が現れたらどうしますか?」【投子は自分が龍王のつもりらしいが、大方ウロコのあるウミヘビか角のあるドジョウがいいところだろう】。
興陽禅師は「龍よりも大きい鳥が出てきて龍も含めて全ての生き物が頭を引っ込めるだろう。」と答えた【興陽禅師の答えは流石だ】。
投子は「では、そこにひょっこり顔を出す龍が居たらどうしますか?」と聞いた【恐れ知らずだ】。
興陽禅師は「鷹が鳩を狩るようなものだ。もし、怖い者見たさで頭を出そうものなら、その捕食者が本物だったと食われながら知ることになるだろう。」と答えた【言い聞かせて納得できないなら痛い目を見てみろ】。
投子はシュンとしながら「そうですね。頭を出すのは止めておきましょう」と言った【追撃が来るぞ】。
興陽禅師は「馬鹿な奴め。今後、頭を出しても、あっちで額を打ち、こっちで頭をぶつけてたんこぶが出来るのがオチだから引っ込んどけ!!!!」と叱りつけた【二度目は無いぞ】。

頌に曰く。
糸綸降(くだ)り【聖旨を聴け】、号令分かる【違うこと有れば斬る】。
寰中(かんちゅう)は天子【君は万国に臨む】、塞外(さいがい)は将軍【独り一方に鎮む】、雷驚いて蟄の出ずるを待たず【五更早を侵して起き】。
那(なん)ぞ知らん風、行雲を遏(とど)むることを【已に夜行の人有り】。
機底聯綿(きていれんめん)として、自ずから金針玉線有り【具眼を謾じ難し】。
印前恢廓(いんぜんかいかく)として、元、鳥篆虫文(ちょうてんちゅうぶん)なし【字義炳然】。

糸綸・・・天子の勅命。
寰中・・・天子の直轄地。
雷驚いて蟄の出ず・・・雷に驚いて土の中の虫が出てくること。
五更・・・時間区分。昔は時計が無かったので、日没から日の出までを五等分して数えた、その1更を5等分し1点とした。つまり、一更一点は日没直後、三更三点は0時0分、五更五点は日の出直前。ここでは少し早起きをしての意味。
行雲を遏むることを・・・「列子」にある故事。薛譚は師匠の秦青のところで謳(うた)を学んでいた。もう十分学びえたと考え、「学びつくした」と言い故郷に帰ろうとした。師匠は「そうか」と言い、まちはずれの分かれ道で歓送会をしてくれた。席上で師匠は、楽器を鳴らし、拍子を取りながら、悲壮な歌を歌った。その歌がとても哀しく切なかった。歌声は林の木々をざわめかせ、空に上って流れる雲を止めてしまった。超常の歌声であった。薛譚は背負おうとした荷物を取り落とし、その場で師匠を拝礼して、もう一度弟子に戻してもらうよう懇願した。そして、それ以降は死ぬまで帰郷するとは言いださなかった。
十分だと思っても永遠に十分なことなど無いという意味。
已に夜行の人有り・・・「史記」にある故事。張良が黄石公と橋の上で会う約束をしていた。張良が早起きをして橋を見ると、すでに黄石公が夜中からずっと橋で待っていたという話。
印前恢廓・・・印鑑を押す前は何も無いという意味。
鳥篆虫文(ちょうてんちゅうぶん)・・・文字の形。中国語は虫が葉を齧った跡や鳥の足跡を文字にしたといわれている。

現代語訳
天子は勅命を発し、将軍はそれを八方に伝える【勅命に逆らってはいけない、逆らえば斬られる】。
直轄地は天子がいて穏やかである。郊外は将軍が納めて平和である【どちらも平穏無事】。
しかし、投子は自分は十分に仏道を学び修行僧の中でも抜きんでていると思っている【早起きしたが上には上がいる】。
師に勝る力量も無く勝負を挑んだのだからガルーダの威風に圧倒されてしまった。
興陽禅師の返しは綺麗な刺繍を施すように見事だ。力量を示すのに多くの言葉はいらないようだ【文字の無いところで明らかになる】。

解説

注釈にも書いたが、投子義青は師である大陽警玄禅師に会っていない。臨済禅師の流れを汲む浮山法遠から血脈を渡されたに過ぎない。なので修行はどうやら興陽禅師の元でしていたと考えられる。兄弟子でもあり、師匠のような立場でもある興陽禅師に意気揚々と挑む投子義青の話が紹介されている。
投子義青は「私こそ、このお寺でどの修行僧も黙らすことの出来る優秀な修行僧です。」と興陽禅師に言います。そして「もう修行僧の頂点に立ち、仏道を学びつくした私は何をすれば良いですか?」と聞きます。興陽禅師の目の前に龍王がいますと。
それに対して、「お前はまだまだだ。」と叱られます。
ざっくり言えば力量があるからって調子に乗るなよということです。

仏教では慢心を強く戒める。この慢心にも七つの種類「慢・過慢・慢過慢・我慢・増上慢・卑慢・邪慢」があると言います。
「慢」・・・自分より劣ったものに対して、自分の方が優れていると思うこと。相手を見下すこと。
「過慢」・・・自分と対等のものに対して、自分の方が優れていると思うこと。相手を見下すこと。
「慢過慢」・・・自分より優れたものに対して自分の方がすぐれていると思いこむこと。やれば相手より出来ると思ってやらないこと。
「我慢」・・・自分の長所にだけ目を向けて、我を強く持ち自分の方が相手よりすぐれていると思い上がること。
「増上慢」・・・分かっていないのに分かった振りをすること。
「卑慢」・・・優れたものに対して、大したことないと思うこと。
「邪慢」・・・自分の行いが絶対正しいと思うこと。徳が無いのに徳があると思うこと。

これらの七慢は褒められたり、けなされたり、立場が上になったりと集団生活の中でよくよく起こる心の反応です。
さて、皆さんもこの七慢に思い当たることがあるのではないでしょうか。私はいっぱいあります。常に自己を点検していかなければいけません。
よく相手の事を知らないのに、馬鹿にしていませんか?自分の事を過大評価、過小評価していませんか?そもそも正しい評価が出来ると思い込んでいませんか?
投子義青はこの後、謙虚さを学んだことでしょう。我々も謙虚に謙虚に。

第四十五則「覚経四節」

第四十五則 覚経四節(かくきょうしせつ)

衆に示して曰く:

現成公案、只現今に拠る。
本分の家風、分外(ぶんげ)を図らず。
若し也た強いて節目を生じ、枉(ま)げて工夫を費やさば、
尽く是れ混沌の与(ため)に眉を画き、鉢盂(ほう)に柄を安ずるなり。
如何が平穏を得去らん。

現成公案・・・現成は目の前に現れるという意味。公案は領主が法律を民衆に知らしめる為に使う立て札。村の橋などの人通りの多いところに掲げることが一般的。仏道の修行は規範を学ぶことから始まる。規範を学ぶことを公案と呼ぶ。
なお、正法眼蔵現成公案の巻での公案は「問い」の意味で用いられているようである。
強いて節目を生じ・・・ここでの節目は木目と条目(箇条書きにした文章)を表し規則のこと。無理な規則を作る事。
混沌・・・『荘子』に出てくる寓話。混沌という眼・鼻・口・耳の7つの孔が無い生物がいた。ある海の皇帝が手厚くもてなしてくれた混沌にお礼として顔に7つの穴を空けてあげた。すると混沌は死んでしまった。
無用な事をして、かえって重要な事を台無しにしてしまうこと。
鉢盂に柄を安ず・・・応量器という食事の器に柄を付けるように無用なこと。お茶碗に柄を付けると使いにくいよね。

現代語訳
目の前に在る存在は全て妄想であろう。
修行道場の規範や行持は何も特別なことはさせない。
あえて特別な工夫を巡らそうと考えると、かえって余計な事になってしまう。それはお茶碗に柄を付けるようなものだ。
では、この家風を徹底して実践するにはどうしたらよいか。

本則

挙す。
円覚経に云く、「一切時に居して妄念を起こさざれ【不】。諸の妄心に於て亦息滅せざれ【不】。
妄想の境に住して了知を加えざれ【不】。了知無きに於て真実を弁ぜざれ【不】」。

円覚経・・・中国で著述されたお経。偽経といわれている。

現代語訳
円覚経にこのように書かれている。
24時間365日妄想を起こさないように過ごしなさい【いや、植物ではあるまいし、無理だ】。
多くの妄想する心を止めようと心を動かすことも、また妄想である。それを止める事は出来ない【いや息滅しろ】。
今のこの瞬間、妄想する対象と妄想する機能と妄想する自己をしっかりと観察し、妄想を切り離しなさい【存在を認識出来ないのは死んでいるのと同じだ】。
妄想を切り離している以上、その状態を言語化することは出来ないし、する必要もない【いや、言い間違えてでも言語化しよう】。

頌に曰く。
巍巍堂々(ぎぎどうどう)【更に窮めて須らく鄒捜の字を道うべし】、磊磊落落(らいらいらくらく)【撩天鼻孔】。
閙処(にょうしょ)に頭を刺し【牀(じょう)窄(せま)ければ先に臥せ】、穏処(おんじょ)に脚を下す【粥稀(うす)ければ後に坐せ】。
脚下線絶えて我自由【歩に信せて滄州を過ぎる】。鼻端(びたんでい)泥(でい)尽きて、君きることを休めよ【彼此便りを著く】。
動著すること莫れ【已に是蹺手乱下】。千年の故紙中(こしちゅう)の合薬(ごうやく)【大いに神効有り】。

撩天鼻孔・・・鼻の穴が天に届くようだ。
鼻端泥尽きて・・・鼻先についた泥を斧一振りで削ぎ落す。第二則の達磨廓然にも出てくる。

現代語訳
堂々と坐禅を行じ、快活に坐禅を組む。
想いが多く起こる日常生活においては【寝床が狭ければ先に寝よう】、捉われ続ける思いが絶えれば自由になる。足に絡まった紐が切れて歩けるように【お粥が薄ければ後に貰おうか】。
鼻先についた泥が全部なくなったら、もう手を加える必要はない。
迷いや悟り、出家や在家、楽や苦と騒ぎ立てることはないぞ【動揺するなという言葉も既に動揺】。千年前の薬で効能は無い。

解説

よく、修行は大変でしたね、沢山勉強してきましたね。と言われることがある。ここで強く言っておきます。あのテレビで流れる永平寺の修行生活の様子はNHKの編集の賜物です。特別な事をしている感じや難しい禅問答を交わしている場面を強調して流しているに過ぎません。修行生活は掃除、食事、坐禅(ただ座るだけ)、睡眠だけです。つまり、食って寝て排泄するだけです。
示衆では、ここに何か特別な修行を持ち込もうとすると、修行の根底が崩れるというのです。よく、滝に打たれたり、火渡りをしたり、山の中を千日もかけて走り回るなどの馬鹿馬鹿しい娯楽をして、これこそが修行であり仏教であり悟りだと主張する外道がいます。それで霊能力が身に付くのか分かりませんが、仏教では別に霊能力を身に着けることが目的ではありませんから、仏教を名乗らないでもらいたいですね。
まぁ、そんな輩がインド中国でも昔から居たようです。
では、仏教では何をするのか。それは日常の作務、洗濯、食事、睡眠、歩き方、立ち方、全てを整えるのです。
縁起の考え方に立ち返れば、物の存在は「自己」と「自己の認識機能」と「対象物」との関係の中で変化し限定的に瞬間的に決定づけられる。その対象物への認識が強い執着と支配や所有などの自我意識を増長させる。
対象物への執着と自我意識のレベルを落とすためには、やはり坐禅でしょう。しかし、何も見ず聞かず認識もしない植物になりたいわけでも無い。でれば、対象物への関わり方を整え生活する術が必要不可欠となる。だからこそ、身の回りの全てを整えていく。
円覚経の解釈は難しいですが、ここでは4つの禁止事項が書かれています。妄念を起こすな、妄念の心を滅するな、「分かった」という思いを持つな、「分かる」ことが無いからこそ真実を言うな。
只管打坐、ただただ黙って言語を用いず妄念を用いず坐る。頌ではこの徹底した坐禅の姿勢が示されています。

第四十六則「徳山学畢」

第四十六則 徳山学畢(とくざんがくおわんぬ)

衆に示して曰く:

万里寸草(すんそう)無きも浄地人を迷わす。
八方片雲無きも晴空汝を賺(すか)す。
是楔(けつ)を以て楔を去ると雖も、空を拈じて空を拄(ささ)うることを妨げず。
脳後の一槌、別に方便を見よ。

万里寸草無き・・・長い間歩いても草一本、物一つないこと。存在が空であり実体が無いことを示す。
賺す・・・だます。
楔を以て楔を去る・・楔(くさび)を木材に打ち込んで割る時に、割れずに木材に楔が食い込んでしまうことがある。その時は楔をもう一本、最初の楔の上から打ち込んで木材を割る。すると最初の楔も回収することが出来る。
脳後の一槌・・・思いがけない一撃。ここでは、空に捉われた人への一撃。

現代語訳
本来無一物という言葉通り、存在にも現象にも実体が無く空である。しかし生活する上で、存在も現象も空であると思いながら生きると逆に行動に迷い、混乱してしまう。
雲一つない晴れた空のように、「何も無い」「何もかも空である」とそれはそれで偏った見方に陥っている。
楔が木に食い込んでもう一本の楔を打ち込んで取るように、空に執着し、本来無一物に固執している時は空を持って空を破ろうとする。しかし、楔を取ったとしても楔の跡が残ってしまう。同様に空への執着が残ってしまう。
では、取れなくなった楔を綺麗に取り除ける一撃はどのようなものか?

本則

挙す。
徳山円明大師、衆に示して云く、「及尽(ぎゅうじん)し去るや【這箇の在る有り】、直に得たり、三世諸仏、口壁上に掛くることを【留取して被を喫せよ】。猶、一人有って呵呵(かか)大笑す【且く道(い)え、是誰ぞ】。 若し此の人を識(し)らば参学の事畢(おわ)んぬ」【椀茶を与えて喫せしめん】。

徳山円明大師・・・徳山縁密禅師(???~???年)。雲門文偃(うんもんぶんえん)禅師(864~949年)の弟子。雲門三句はこの人によって作られた。
及尽・・・吸い尽くす。究め尽くすの意味。
被を喫せよ・・・「五灯会元」に『留取して被を喫せよ』とあるため、被は飯の誤字であろうか。

現代語訳
徳山の円明大師が修行僧たちに言った。
「全ての仏道を究め尽くした【究め尽くしたという見解が残っている】。
究め尽くすと仏達も語る言葉が残らないから、口をハンガーにでも掛けて箪笥に収めてしまう【口を掛けずにご飯を食べる事に喫するのが良いだろう】。皆が口を収めた時に一人大笑いをしている者がいる【これは誰だ?!】。
もし、この大笑いしている人が誰が認識することが出来れば仏道修行において、もう学ぶことは無いだろう【お椀にお茶を入れて喫するのが良いだろう】。」

頌に曰く。
収【甚の処に向かって著けん】。
襟喉(きんこう)を把断(はだん)す【正に好し身を転じ気を吐くに】。
風磨し雲を拭う【繊塵も必ず去る】。
水冷く天秋なり【打成一片】。
錦鱗(きんりん)謂うこと莫れ、滋味無しと【腥羶少なからず】。
釣り尽くす滄浪(そうろう)の月一鈎【清波を犯さずして意自ずから殊なり】。

収・・・おさめる。三世諸仏も一人も、笑う人も、識も学も究め尽くし、ガッツポーズを作る。
襟喉を把断す・・・胸倉を掴んで締め上げる。

現代語訳
仏道修行を究め尽くし全てを手の内に収めた【一体どこに収めたというのか】。
三世諸仏の胸倉を掴んで何も言わさぬ気だ【振りほどいて息をしたらよい】。
風が吹き雲が散り散りになる【小さな雲も尽く散る】。
水が冷たくなり秋が一層深まる【一片の塵も無い】。
そんな水の中にいる魚は味がしないと思われがちだ【いや生臭い】。
さて水面に映る三日月が釣り針となって魚を釣り上げたぞ【徳山円明大師は波に触らず釣り上げた。素晴らしい】。

解説

吉峰寺にて永平寺2世懐奘が道元禅師の言葉を記している。「仏道を学ぶとき、教学を究めて知識で知ろうとするのは海で砂粒の数を数えるように虚しいことだ。また、教学を捨てて何か特別な修行実践をしようと工夫を巡らすのは瓦を磨いて鏡としようとするように虚しい工夫だ。」(永平元禅師語録)。

空である、実体が無いと認識すること自体が「空」を実体視している。縁起によれば「空」を定義している以上、「空」を扱う行為がそこにある。しかし、実体が無いと認識する行為が残っているのに、無いも残っていないと言えることは無い。
とすると何も実体が無い事を「空」という言葉でくくっている以上、それは空ではなく、「空」という概念を打ち砕くため「空」を用いても「空」の跡が残る。
簡単に言えば、「実体がない」という認識を持ちながら日常生活も送れないし、仏道修行においても行為をする主体と対象が見えないと成立しないということである。
実体が無いと言いつつも仏道を学び究めるにはどうすれば良いのか?

本則では、「空」が分かって諸仏が黙っても、大笑いしている人(行為主体)がいる。その主体となる者の在り様が分かれば「空」から「畢竟空」になると言っている。そして、万松行秀は飯を喫し、茶に喫すというコメントを残している。
実体が無い中で、自らの行為で限定的な在り様を生成していくことが「喫茶喫飯」の言葉に現れている。
応量器を用い、自己と他己に敬意を払い、自己と他己を脱落せしむるとき「畢竟空」となる。逆に通常のお椀を使いテレビでも見ながら食事をすれば、ただの腹を満たし、貪り、いい加減な食事となる。また、平皿に盛り付け、口を付けて直接食べれば、犬畜生の餌として生成される。
では、具体的に何の行為が何を生成し、どの行為を持って敬意と成すのか。それを保証するのは、その集団、その場所で決められた律(ハラダイモクシャ)である。国や文化によって敬意の表し方が違うが、行為とルールを統一した集団によって初めて応量器や仏飯が生成され、喫茶喫飯が成立する。

頌では、究め尽くし実体が無いと言っても、仏道の味わいがあるだろうということを示し徳山円明禅師を讃えています。

第四十七則「趙州柏樹」

第四十七則 趙州柏樹(じょうしゅうはくじゅ)

衆に示して曰く:

庭前の柏樹、竿上(かんじょう)の風幡(ふうばん)、一華無辺の春を説くが如く、
一滴大海の水を説くが如し。
間生(かんせい)の古仏、迴(はる)かに常流(じょうる)を出ず。
言思(ごんし)に落ちず若為(いか)んが話会(わえ)せん。

竿上の風幡・・・六祖慧能禅師の話。ある時、慧能禅師が法性寺で涅槃経について講義をしていた。すると風が吹き旗が揺れた。それを見たある僧侶が「風が動いた」と言った。別の僧侶が「いや旗が動いた」とい言った。二人の議論は終わらず言い合いをしていると慧能禅師が「風が動いたのではない、旗が動いたのではない。心が動いたのだ」と言った。

現代語訳
趙州禅師は柏樹と示した。慧能禅師は風も旗も動いていないと示した。
一輪の花が春を現成し、一滴の水が海を現成させる。
趙州禅師は500年に一度の偉大な僧侶であるから、世間に捉われず、言語思慮に落ちずに仏法を示した。

本則

挙す。
僧、趙州に問う、「如何なるか是祖師西来意」【多羅閑管】。
州、云く、「庭前の柏樹子」【焦塼打著す連底の凍】。

趙州・・・趙州従諗(じょうしゅうじゅうしん)(778~897年)。南泉普願禅師の弟子。
多羅・・・修多羅(しゅたら)。サンスクリット語のスートラ。綴るという意味がある。お経は多羅葉という葉の裏に書かれ、それを20枚綴りくらいに纏めシルクロードに流通した。仏教の経典以外でもスートラと呼ばれるがここでは仏典をあらわす。
閑管・・・無用なもの。
焦塼打著す連底の凍・・・焼けた瓦を投げて底まで凍っている氷を融かした。焼けた瓦は趙州禅師の言葉。氷は僧侶の質問。

現代語訳
ある僧侶が趙州禅師に質問した。「達磨大師がインドから中国に伝えた仏法の真髄はなんでしょうか?」【それが分かれば経典はもういらない】。
趙州禅師が答えた。「庭先の柏樹(柏の木)だ。」【趙州禅師の言葉は僧の疑義を完全に打ち砕いた】。

頌に曰く。
岸眉(がんび)雪を横たえ【塩を喫すること多きこと米を喫するが如し】、河目(かもく)秋を含む【一点も謾じ難し】。
海口(かいこう)浪を鼓(く)し【有句は宗旨に非ず】、航舌(こうぜつ)流れに駕(が)す【無言は聖凡を絶す】。
撥乱(はつらん)の手【也(また)是(これ)柏樹】、太平の籌(はかりごと)【也是柏樹】。
老趙州老趙州【甚としてか応ぜざる】。
叢林を攪攪(こうこう)して卒(つい)に未だ休せず【天童は第二】。
徒(いたづ)らに工夫を費やして、車を造って轍(わだち)に合す【将ち来って使い、用いて恰好なり】。
本技倆無うして壑(がく)に塞(ふさ)がり溝(こう)に填(み)つ【風流を買い尽くして銭を著けず】。

岸眉・・・趙州眉毛を岸に例えた。
河目・・・目が横に付いている様を川に例えている。
海口・・・趙州の口は波のように出入りし、海岸にぶつかっては音を立てている。
襟喉を把断す・・・胸倉を掴んで締め上げる。
撥乱の手・・・乱世を平定する英雄の手腕。
攪攪・・・かきみだすこと。
壑に塞がり溝に填つ・・・壑は谷、谷にも溝にも充満している様。ここでは、仏法が天地に充満していることを表す。

現代語訳
趙州禅師は長寿であったため、眉毛は雪のように白かった。
目は鋭く、物事を明らかに見ることができる【だれも騙すことはできない】。
口は海の波が打ち寄せるように勢いがある【言葉で宗旨は会得できない、言葉以外で参ぜよ】。その波に随って進む船のような舌がある【無言こそ不戯論こそ偉大である】。
天下を平定する手腕を持ち【これこそ柏樹】、太平する道具を持っている【これも柏樹】。
趙州禅師よ。趙州禅師よ。
趙州禅師が庭先の柏樹子と答えたことにより、多くの修行道場がかき乱され、現代(1100年代)も議論が止まない。
余計な工夫を費やして、趙州禅師の意図に合わせようと皆必死になっている【こじつければ、合っているかのように感じる】。
趙州禅師の無技量が仏法を満たしていることを皆は知らないのであろうか【趙州禅師の意図を頑張って探ろうとしているが、頑張る必要も無く誰にでも見る事が出来るのにな】。

解説

第5則では青原行思禅師に「仏法の大意は?」と聞き、第6則では馬祖道一禅師に「西来意を直指せよ」と聞いた。
その答えは共に、問いかけすらも躱されてしまった。
趙州禅師もまた、柏樹と答え議論から降りたのであろう。頌では、この趙州禅師の言葉を聞いて趙州禅師から300年後の今でも意図を探ろうと議論する輩が居ると言っている。
仏法に実体もなく、達磨大師が何故中国に渡り何を説いたのかなど議論の余地は無い。分からないものは分からないままにしておき、趙州禅師のように庭先の柏樹(柏の木)を眺めるだけであろう。
因みに、趙州録より従容録が引用しているが、原文では趙州禅師の答えに僧侶は納得せず「柏の木などという物で言われても分かりません。仏法の真髄を聞いているのですから精神的な内容で答えてください。」と生意気なことを言います。
すると、趙州禅師は「庭先の柏樹だ。」とまた答える。とここまで記されています。
今回、漫画では趙州録を記させていただく。

また、あえて祖師西来意を「真理」や「仏法」に置き換えて見てみる。
趙州禅師の寺の庭には柏樹が多く植わっていたと言われる。であれば、この答えは「真理」もある、「仏法」もある。しかし在るには有るが一つではない。時と場合と条件によっていくつもある。とでも考察しておく。
これも無用な議論、思慮かもしれない・・・・・

第四十八則「摩経不二」

第四十八則 摩経不二(まきょうふに)

衆に示して曰く:

妙用無方(みょうゆうむほう)なるも手を下し得ざる処有り。
弁才無礙(べんさいむげ)なるも口を開き得ざる時有り。
龍牙(りゅうげ)は無手の人の拳を行ずるが如く、夾山は無舌の人をして解語(げご)せしむ。
半路に身を抽(ぬき)んずる底、是れ甚麼人(なんびと)ぞ。

妙用・・・神通妙用の意味。自由自在の働き。
龍牙・・・龍牙居遁禅師(835~923年)。洞山良价禅師の弟子。
夾山・・・夾山善会(805~881年)。船子徳誠の弟子。

現代語訳
どんなに手先が器用でなんでもこなしてしまう人でも手を出せない事がある。
どんなに口が達者でよく喋る人でも言葉が出ない時がある。
しかし、卓越した出家者である龍牙居遁禅師は手が無い人に拳を握らせた。
また、夾山善会禅師は言葉が話せない人に喋らせることができた。
この「出来る」「出来ない」や「話せる」「話せない」という有無の隙間から身体を出せる人とはどんな人であろうか?

本則

挙す。
維摩詰、文殊師利に問う、「何等か是菩薩入不二の法門なる?」【問処は第幾(だいいくばく)ぞ】。
文殊師利、日く【好し劈口(へつく)に塞を与えるに】、「我が意の如くんば【醞造(おんぞう)し将(も)ち来たる】、一切法に於て【更に少なきを嫌う】、無言無説【火を把って照らし看よ】、無示無識【有りや也た未だしや】、諸の問答を離る【面皮厚きこと多少ぞ】、
是を入不二の法門と為す」【如何なるか是二】。
是に於いて文殊師利、維摩詰に問うて云く、「我等各自に説き已(おわ)る【能く説き快く説く】、仁者当に説くべし、
何等か是菩薩入不二の法門なる?」【一逓一刮悪発を賭せず】。
維摩黙然【甚麼の処に去るや】。

維摩詰・・・ヴィマラ・キールティ。維摩居士。インドの毘耶離城の長者(金持ち)。在家の立場で仏道をよく理解し実践した人。ガウタマシッダールタの教団へ頻繁に顔を出し修行僧にいちゃもんをつけ論破していった(ウザい)人。この話は維摩経に出てくる文殊菩薩が維摩の病気(仮病)のお見舞いに行ったときのこと。
文殊師利・・・マンジュシリー王子。ガウタマシッダールタの弟子。第1則にも出てくる。ガウタマシッダールタから「お見舞いに行ってきて」と言われ、多くの弟子が「論破されたから嫌です。」と断る中、マンジュシューリ王子が渋々お見舞いに行くことになった。
不二の法門・・・天と地、中と外、上と下などの二元論的な見方から脱出する実践。
醞造・・・酒を造る。
仁者・・・あなた。
一逓一刮・・・やりとり。

現代語訳
維摩居士が病気の見舞いに来た文殊菩薩に質問した。
「菩薩が善悪や良し悪しや生死などの二項対立による見方から抜け出す実践とはなんですか?」【よくある質問】。
文殊菩薩が答えた【文殊が口を開こうものなら塞いでしまえ】。「私が思うに、一つの説法ですらも止めて、あらゆるものごとについて言語化することもなく、解説することもない。また仮に概念を設けることもない。これが不二の法門です。」【問答していながら問答から離れろとは】。
今度は文殊菩薩が維摩居士に質問した。
「私たち菩薩はあなたの質問に対してそれぞれ答えを述べた。今度はあなたの二項対立による見方から抜け出す実践を聞きたい。」【このやりとりは悪くないぞ】。
すると維摩居士は黙ったまま一言も言葉を発さなかった【維摩居士はどこに行ったのか】。

頌に曰く。
曼殊(まんじゅ)疾(やまい)を問う、老毘耶(ろうびや)【仁義道中】。不二門開いて作家を看る【衲僧分上】。
珉表粋中(みんぴょうすいちゅう)、誰か賞鑑せん【大弁は訥の如し】。
忘前失後、咨嗟(しさ)すること莫れ【大智は愚の如し】。
区区として璞(たま)を投ず楚庭の臏士(ひんし)【直を献じて曲を得たり】。
燦燦として珠を報ず隋城の断蛇(だんじゃ)【夜光人に投ずれば剣を按ぜざること鮮(すく)なし】。
点破することを休めよ【幸いに自ら完全】。
玭瑕(しか)を絶す【指点するに一任す】。
俗気渾(すべ)て無うして却って些に較(あた)れり【相上に人を観れば之を失すること多し】。

曼殊・・・文殊菩薩。
老毘耶・・・毘耶は維摩居士が住んでいた城の名前。つまり老毘耶は維摩居士のこと。
珉表粋中・・・珉表は宝石を包む石。石の中に宝石がある。見た目よりも中身はすごいだろう、しかし誰にも分からないという意味。
咨嗟・・・嘆き悲しむこと。
楚庭の臏士・・・「従容録第2則」の示衆に出てくる『卞和三たび献ず』の故事と同じ。臏士は足の筋を断ち切る刑に処せられた人。
隋城の断蛇・・・隋の国の祝元暢という人が、傷ついた蛇を助けたら恩返しに蛇が玉を持ってきたという故事。
夜光・・・蛇が持ってきた玉が夜を照らすくらい輝いていた。
点破・・・指し示す事。
玭瑕・・・玉の傷。

現代語訳
文殊菩薩が維摩居士の病気の見舞いに行った【見舞いは義理であり欠かせない】。
その場で不二の法門についての問答が始まった。各々菩薩達が答えを言った【優秀な菩薩達だ】。
維摩居士の「黙る」という答えは不二の法門が現れている。それを分かる人は少ないだろう【かえって黙った方が雄弁】。
文殊菩薩に問い詰められ、口ごもっていると見るのは間違いだぞ【智慧ある者は愚かに見える】。
維摩居士の「黙る」という答えの意味を理解出来る者は稀であろう。かつて只の石を宝石だと偽ったという疑いを掛けられた人が一生懸命に傷一つない宝石であることを示したように、維摩居士も渾身の答えを持ってきたのだ。
維摩居士の答えを点検することなど無用である【点検したければ勝手にどうぞ】。
その答えには傷一つないぞ。
維摩居士は在家でありながら、そこらの菩薩よりも優秀であろう【見た目や性質だけで判断すると失敗するぞ】。

解説

まず、本則の話の前後を含めて維摩経の内容を紹介する。なお、現代語訳含め「文殊菩薩」「維摩居士」で統一する。
維摩居士が病気になったと仏陀に伝えた。すると仏陀はお見舞いの使いを出そうと舎利弗などの十大弟子に見舞いの依頼をした。しかし。それぞれ維摩居士に言い負かされた経験を語りお見舞いを断った。次に弥勒菩薩などの菩薩(修行僧)達に見舞いの依頼をした。しかし、菩薩達も言い負かされた経験を語りお見舞いを断った。
ここまでが維摩経の第1章から3章である。
そして、4章で文殊菩薩がお見舞いに行く事を了承した。すると、周りで「文殊菩薩がお見舞いに行くってよ」「なんか維摩居士と面白いやり取りするんじゃないか」との話になり、野次馬弟子たちが文殊菩薩に付いていく事になった。そして野次馬を引き連れて文殊菩薩が維摩居士の屋敷に行く。
そして5章から維摩居士と文殊菩薩の対話が続いていく。
では、早速第8章の「入不二法門」を紹介していく。
維摩居士が文殊菩薩を含む菩薩達に聞いた。
「修行僧達よ、菩薩にとって二元対立を超えた不二の法門に入ることは、どのようなことですか? それぞれの意見を聞かせてください。」
法自在菩薩が言った。「維摩居士よ。生ずることと滅することが二元的に対立しています。生じることも起こることもないものは滅することがありません。なにものも生ずることが無いと認識することを獲得する。それが不二の法門です。」
徳守菩薩が言った。「維摩居士よ。『我』と『我が物』という思い。これが二元的に対立しています。自己についてあれこれと分別しなければ『我が物』というものも存在しません。この分別を止めることが不二の法門です。」
徳頂菩薩が言った。「維摩居士よ。汚れと清らかさという思い。これが二元的に対立しています。汚れについて知る事で清らかさへの偏見が無くなります。偏見する思考を取り除く事が不二の法門です。」
善宿菩薩が言った。「維摩居士よ。心が動揺する事と、心に念じて熟慮する事が二元的に対立しています。しかし、心が動揺することなく、心に念じて熟慮することもなく、心を働かせなければ物事を断定することもありません。断定しない事が不二の法門です。」
妙臂菩薩が言った。「維摩居士よ。菩薩の心と声聞の心。これが二元的に対立しています。しかし、心に実体が無いと知れば菩薩の心も声聞の心もありません。心の特徴が等しい事、それが不二の法門です。」
不眴菩薩が言った。「維摩居士よ。感受する事と感受しない事、これが二元的に対立しています。感受しないならば、知覚することが無く、知覚が無ければ、議論や推論もありません。一切法(あらゆるものごと)に感受がないことが不二の法門です。」
善眼菩薩が言った。「維摩居士よ。一つの特徴を持つこと、これが二元的に対立しています。しかし、判断せず分別しなければ一つの特徴を持つことがありません。そして特徴が無いということもありません。覚知する特徴と異なる特徴が平等であると知ることが不二の法門です。」
弗沙菩薩が言った。「維摩居士よ。善と悪ということ。これが二元的に対立しています。善と悪に立脚しないこと。これが不二の法門です。」
獅子菩薩が言った。「維摩居士よ。過失があること、過失がないこと。これが二元的に対立しています。しかし、金剛石(ダイヤモンド)で飾られた智慧を持つことによって、束縛されることもなく、解放されることもない。これが不二の法門です。」
獅子意菩薩が言った。「維摩居士よ。有漏(煩悩がある)と無漏(煩悩がない)が二元的に対立しています。しかし、平等性をもって修行している者は有漏や無漏を意識することは無く、意識の無い事に達しているのでもありません。この意識に縛られていないことが不二の法門です。」
浄解菩薩が言った。「維摩居士よ。快と不快が二元的に対立しています。しかし、清らかな智慧を持っていれば快を離れ快に執着することがありません。これが不二の法門です。」
那羅延菩薩が言った。「維摩居士よ。世間的なもの出世間的なもの。これが二元的に対立しています。しかし、世間的なものが空であれば、何も出るものがなく入る事もない。行く事もなければ行かない事もない。これが不二の法門です。」
善意菩薩が言った。「維摩居士よ。輪廻と涅槃。これが二元的に対立しています。輪廻の本性を見れば輪廻することもなく、涅槃することもありません。これを理解することが不二の法門です。」
現見菩薩が言った。「維摩居士よ。尽きることと尽きないこと。これが二元的に対立しています。しかし、尽きることとは究極まで尽きることです。尽きたものが尽きることはありません。ゆえに尽きる事がないと言われます。そして尽きる事がないと言っても刹那的で条件によるものです。その理解が不二の法門です。」
以下続く・・・・・・・・・
と全部で31人の菩薩が答えます。
そして、最後に文殊菩薩が答えます。「菩薩達よ。あなた方は不二の法門について巧に語ってくれた。しかしながら、あなたたちが言葉で説いた限りでは、その全てが二元的に対立しています。一つの説法ですらも止めて、一切法(あらゆるものごと)について言語化することもなく、解説することもない。また仮に概念を設けることもない。これが不二の法門です。」
そして文殊菩薩は続けて維摩居士に質問します。
「維摩居士よ。私たちはそれぞれ自分の言葉で不二の法門について語りました。あなたにとっての不二の法門を説いてください。」
すると維摩居士は沈黙してなにも語らなかった。
文殊菩薩は維摩居士を讃えてこのように言った。
「維摩居士よ。素晴らしい。これこそが不二の法門に入ることであり、文字や言葉や概念を追求することがありません。」
この文殊菩薩の言葉を聞いて多くの菩薩達は無生法忍(真理を認める知)を得た。
(維摩経 入不二法門品第九)

不二・・・dvaya。二重の。二種類の。対の。対立する二つのものが、それぞれ不変の実体が無く空であること。

さて、長々と維摩経の一部を書かせていただいた。
菩薩達が不二の法門の実践について答えてくれたが、どれも正解である。しかし、言葉で示している以上は「不二の法門」の概念を持ち出している。概念は全て二元的に対立して初めて成立するものであるから「二項対立を脱却する実践」を「二項対立」で説明するという矛盾を孕んでいる。
なので文殊菩薩はあえて「言語化を止める事、概念化を止める事」という概念・言葉で答えた。
そして、文殊菩薩の「維摩居士の答えを聞きたい」と言われた時に、文殊菩薩の答えに共感しているからこそ「黙然」という答えを持って言語化概念化を放棄した答えを示した。
あっぱれである。

第四十九則「洞山供真」

第四十九則 洞山供真(とうざんくしん)

衆に示して曰く:

描けども成らず。画すれども就らず。
普化(ふけ)は便ち斤斗(きんと)を翻(ひるがえ)し、龍牙(りゅうげ)は只半身を露わす。
畢竟那(なん)の人ぞ、是何の体段ぞ。

描けども成らず。画すれども就らず・・・五祖法演(???年~1104年)の言葉「描けども描成らず。画すれども画就らず。
」から引用した。
普化・・・24則の示衆にもでてくる普化禅師。
斤斗・・・斤は木を切る道具。柄が軽くてよく蜻蛉がえりをする。
龍牙・・・龍牙居遁禅師(835年~923年)。洞山良价禅師の弟子。
体段・・・なりふり。

現代語訳
絵を描こうと思っても、見たままを書くことは出来ない。洞山の肖像画をどんなに丁寧に書いても不十分である。
普化禅師は師匠である盤山宝積禅師から「私の肖像画(本当の姿)を描いてくれ」と言われ、弟子の中で唯一宙返りをして称賛された。
龍牙禅師は「肖像画(本物の姿)を描いてくれ」と言われ、全部は描けないが半身だけ描こうと言い報慈禅師から称賛された。
では真の姿とはなんであろうか?亡き人の姿をどのように現したら真の供養になるのであろうか?

本則

挙す。
洞山、雲巌(うんがん)の真を供養する次いで【誰か道う是仮と】、遂に前の真を邈(ばく)する話を挙す【一廻拈出すれば一廻新たなり】。
僧あり問う、「雲巌祇(ただ)這(これ)是(これ)と道(い)う意旨如何(いかん)?」【且喜すらくは錯って認めざることを】。
山、云く、「我当時(とのかみ)幾(ほと)んど錯(あやま)って先師の意を会す」【己を以て人に方(たくら)ぶ】。
僧、云く、未審(みぶかし)、「雲巌還って有ることを知るや也た無しや?」【草を折って天を図る】。
山、云く、「若し有ることを知らずんば争(いか)でか恁麼に道うことを解せん【日出でて山に連なる】。
若し有ることを知らば争でか肯(あ)えて恁麼に道わん」【月円かにして戸に当たる】。

洞山・・・洞山良价禅師(807~869年)。雲巌曇晟禅師の弟子。
雲巌・・・雲巌曇晟禅師(780~841年)。薬山惟儼禅師の弟子。
真を邈する・・・真は肖像画。邈は写すという意味。つまり肖像画を描くということ。

現代語訳
洞山禅師が師匠である雲巌禅師の供養法要を行った際、かつての雲巌禅師とのやりとりを話した。
「昔、雲巌禅師の元を離れ旅に出る時、雲巌禅師に『旅先であなたの師匠はどんな人ですか?と聞かれたらどのように答えれば良いですか?』と聞いた。すると雲巌禅師は『ただ、「これこれ、このとおりの人だ」と言っておきなさい』と答えた。」
その話を聞いた修行僧の1人が前に出てきて聞いた。「これこれ、とはどんな意味ですか?」【分からない事を素直に聞ける偉いやつだ】。
洞山禅師は「私もその言葉を聞いた時は師匠の意図を誤って理解するところだった」と言った。
修行僧はその答えの意味が分からずさらに聞いた「雲巌禅師は自分でその意味を分かっていたのでしょうか?」【分別をもって物事の絶対性を図る事は出来ないぞ】。
洞山禅師は「もし雲巌禅師が分かっていなかったら『言語化できない何か(これこれ)』という言葉は出ないだろう【朝日が昇っても山があったら日は出てこない】。もし意味が分かっていたら『これこれ』ではなく、はっきりと言語化出来ているだろう【満月も戸に隠れてしまったら満月ではない】。」と答えた。

頌に曰く。
争でか恁麼に道うことを解せん【暗裏に横骨を抽(ぬ)く】。
五更鶏唱(とな)う家林の暁【金烏東に上る】。
争でか肯えて恁麼に道わん【明中舌頭に坐す】。
千年の鶴は雲松と与(とも)に老う【玉兎西に沈む】。
宝鑑澄明(ほうかんちょうめい)にして正偏(しょうへん)を験(けん)し【事窮めて的要なり】、
玉機転側(ぎょくきてんそく)して兼倒(けんとう)を看る【交互す明中の暗】。
門風大いに振るって規歩綿々(きほめんめん)【西天令厳なり】、
父子変通して声光浩浩(せいこうこうこう)【見、師に過ぎて方(はじ)めて伝授するに堪えたり】。

暗裏に横骨を抽く・・・暗い中で喉に刺さった骨を抜く。
金烏・・・太陽。
宝鑑澄明・・・宝鑑は素晴らしい鏡。物事を映す鏡を心に例えて、明らかに物事を見る事を表す。その見方がとても明らかだという意味。
正偏・・・洞山禅師が唱えた正偏五位。正中偏、偏中正、正中来、偏中至、兼中到。
玉機転側・・・玉を器に乗せて持つと前後左右に動く様。
規歩綿々・・・清規(規範)に則て一挙手一投足生活していること。
西天令厳なり・・・インドの規範は厳しいという意味。
声光浩浩・・・名声が広く伝わる。

現代語訳
もし在ることを知らなければ、どうして「これこれ」という言葉が出ようか【暗闇で喉に刺さった骨を抜くことが出来るのは見る事が出来なくても在ることが分かるからだ】。
夜明け前にニワトリが鳴き、暁を知らせる【暗くても暁を知る事ができる】。
もし在ることを知っていたら、どうして「これこれ」と言葉が出てこないのか【明るく物事が見える時には言葉が出てくる】。
雲を突き抜けるほど高い松の木の頂上に鶴が留まっていても、雲も松も鶴もぼんやりとしか見えない【月が西に沈んでいく、暗くなっていくぞ】。
洞山禅師の心は物事の偏りを見極め、物事を平等に観る事が出来る。
洞山禅師の家風は修行生活の中に実践として現れ、その変化自在の規範が広く天下に広がっていく【雲巌禅師を超越し、雲巌禅師の法を嗣いだ】。

解説

今回は洞山禅師のお話です。洞山良价禅師は曹洞宗の「洞」の字の方です。別に道元禅師は曹洞宗を名乗ってませんし、私も現代の曹洞宗が洞山禅師の家風を踏襲しているとは思いません。しかし、その思想は大きな影響を与えました。
特に正偏五位という洞山禅師の思想は広く研究されています。詳しく知りたい方は論文を読んでください。
ここでは講義をしたいわけでは無いので、省略します。
では、まず示衆からです。
肖像画を描いてくれと言われた普化禅師と龍牙禅師の例えが出てきます。
正泉寺にも23世(私から見て先々代)の肖像画がありました。捨てましたが。現代は絵画の技術や絵の具の材料が発達しているのか、まさに見たままが描かれ写真のような肖像画でした。個人的には写真のように書くのであれば写真でいいじゃんと思いますが。
ただ我々は見た儘を書くことは出来ないのです。見たまま描ける能力が備わっているのであれば遠近法や陰影法などの技術が発見される前から見たまま描いた絵が見つかっているはずです。
普化禅師は描けないし、描いても決して本物(と思い込んでいるもの)をその通りに描けないと分かっているからこそ、「描け」と言われ宙返りをした。龍牙禅師も描けないからこと半身だけ描き全身は捉えられないことを示した。
この2人の例えは、他己の存在や他己の絶対性を否定する比喩として語られています。

では本則を見ていきましょう。
洞山禅師は師匠の法要の折に、昔話を始めます。
かつて雲巌禅師の元を離れ旅に出る時、暇の挨拶を雲巌禅師にしに行き、そこで質問します。『旅先であなたの師匠はどんな人ですか?と聞かれたらどのように答えれば良いですか?』と。すると雲巌禅師は『ただ、「これこれ」と言っておきなさい』と答えた。」
この「あなたの師匠はどんな人でしたか?」という問いは「師匠の肖像を写し終えたか?どんな肖像だ?」つまり「師匠の教えを完璧に理解し悟りを得たか?」という意味です。
この問答のあと、旅の途中で「洞山過水の偈」というのを作ります。
川を渡った時に水に映る自分を見て作った偈文です。
切忌随他覚・・・他(鏡像)に従って(自己の在り方を)もとめることを避ける
迢迢与我疎・・・私と他は遥かに遠い存在である
我今独自往・・・私は今、一人で自ら行く
処処得逢渠・・・所々で「私以外のもの(影)」に出会う
渠今正是我・・・「私以外のもの」は正に「私」である
我今不是渠・・・「私」は「私以外のもの」ではない
応須与摩会・・・まさに須らく恁麼(概念化できないモノ)に会って
方得契如如・・・初めて「仮に設定されたもの」に触れることができる

水や鏡に映った自分の姿というのは肖像画以上にはっきりとそっくりに映します。
精神分析学者のジャック・ラカンによると人間は生後6か月で鏡に映る自己の姿に興味を示し、鏡像が自己であると認識するそうです。鏡像を自己であると認識できる生物はそう多くはなく、鏡像認識は人間の「自己が確かにここに在る」という感覚を強烈に植え付けます。これが私の姿だ、この体が私の持ち物だ、これは私が自由にできる体だと何度も植え付けられ、自己の身体こそ自己そのものであると思うわけです。
そして、成長すると確かな自己の確立のために「希望を持とう」「夢を持とう」「生きがいが必要だ」という馬鹿げた発想になるわけです。
しかし、仏教ではこの自己同一化は妄想だと一蹴します。もちろん人間が人間として生活する為に自己同一化の過程は必要不可欠です。しかし、私を中心に思考を展開し続けると、思い通りにならない自己や自己を取り巻く環境から苦しみを受けます。
しかし、縁起の観点からいえば「自己を知る」こと自己を言語化し自己を概念化することは所詮、妄想の域を出る事は出来ない。
私が私である根拠は、今この瞬間の自己の行為と対象物との関係性で構築される限定的なものだからです。それを鏡像や他人からの承認にたよることは、自己が私の中に内蔵されていたり、他人によって担保されていると思い込むことと同じです。

鏡像の中に自己を求める事も無く、自らの行為によって限定的に現れる自己をたよりとする。そして概念化された自己を解体していけば、自己の在り方も「恁麼(そのようなもの)」としか言いようがない。丸くもなく四角くもなく堅くもなく柔らかくもないなんでもないものとして現れてくる。それを「仮設(仮に設定する)」自己と対象物とそれを認識する機能によって、存在の在り方を現成させていく。

この洞山禅師の話をきいた修行僧は「これこれ」に何かしらの概念があると思い質問をします。概念があると思わなければ「これこれ」が「何?」という質問も出てこないでしょう。
すると洞山禅師も「私も最初は、雲巌禅師の言葉に何か意味や概念があると最初は思っていたよ」と答えます。
修行僧は「雲巌禅師には概念化された絶対的な自己があったのでしょうか?」と聞きます。
洞山禅師は「いや、もし自己の教えが無いと思っているのであれば『これ、このとおりの人だ』という言葉が出てこないだろう。またもし概念化された自己を持ち出して話をしていたら師匠は私の教えは○○であると答えるだろう。」と答えます。

暗中にあたって明あり。概念化された自己が無い中で現成させていく自己が在る。
明中にあたって暗あり。自己が見えたと思ったその時に現成させた自己は一瞬で空として現成する。
ということです。

難しい話ですが、頌を見ていきます。
まず正偏五位を五更に例えて記されています。五更とは時間区分です。昔は当然時計がありません。そこで日没から日の出までを五等分して1更、2更、3更、4更、5更とします。さらにそれを5等分して1点、2点と振り分けます。つまり1更の1点は日没直後、3更の3点は深夜0時、5更の5点は日の出直前となります。そして金烏は太陽を玉兎は月を表します。
鏡像に自己を見ることは日の出前で空が明るいのに太陽がまだ見えていないようなものだと言います。
そして、自己をはっきりと「○○する自己」と認識しているのに限定的であるように満月も戸にかかってしまうと欠けてしまうと言います。
水に映った姿を見て、心をよく観察すれば(宝鑑澄明)、認識に偏りがあることが分かるだろう。それは概念化された自己を解体することで証明される。そして、偏りと平等を何度も繰り返しながら(玉機転側)自己の在り方を現成させていく。
洞山禅師の門下の規律がこの教えに現れている。

最後に清規について書かれています。
私はこのサンガ(出家者の集団)における規範がとても重要だと思っています。清規というのは、ある集団、ある環境、ある地域において守られるルールの事です。一方、戒というのはモラルに近い個人で守るルールや指針です。
集団の中で、物事への敬意のはらい方、その作法を確立することで全員が同じ方向で自己と対象物を現成公案させることができます。永平寺においては修行僧同士がすれ違う時に、お互いに立ち止まり合掌し曲躬問訊(90度の礼)する決まりになっています。かたや可睡斎というお寺では古参に会ったら大きな声で「お疲れ様です」と言うという決まりがありました。
これらは、相手を只のすれ違った人として現成させるのではなく、共に修行する敬意を払う仲間として扱い、自他ともに仏と成る共通認識の行為です。
また、食事の際は応量器という器を細かい作法に従って用います。これも、器に口を付けて手を使わずに食べれば、自己は犬畜生として現成し、器も餌の皿として現成します。また、器を手に持ち箸を持ち食べれば俗人として現成し、器はお茶碗として現成します。また、器を開く作法、食事を貰う作法、食べる作法、洗う作法を用いて食事を進めれば、出家者として現成し、応量器として現成します。それは器の形の違いや人の賢愚の違いではなく、その時の清規による行為によってそのように現成するからです。
洞山禅師はその規範を徹底し、その清規が今でも伝わっております。

第五十則「雪峰甚麼」

第五十則 雪峰甚麼(せっぽうなんぞ)

衆に示して曰く:

末後の一句始めて牢関(ろうかん)に到る。
巌頭(がんとう)自負して上(かみ)親師(しんし)を肯(うけが)わず、下(しも)法弟(ほってい)に譲らず、
為復(はたまた)是れ強いて節目を生ずるや。
為復別に機関あるや。

末後の一句・・・とどめを刺す言葉。強烈に心に刺さり何も言えなくなってしまう言葉。
牢関・・・堅牢で打ち破れない様。

現代語訳
理屈を超え、言語も超えた一言が堅牢な壁を打ち破った。
巌頭は自らを認め、師匠である徳山禅師にも弟弟子達にも一歩も譲らない。
この強硬な姿勢はただ頭が固いだけであろうか、それとも何か意図があってそのようにしているのだろうか?

本則

挙す。
雪峰住庵の時に両僧あり、来って礼拝す【香を尋ね気を逐う】。
峰、来たるを見て以て庵門を托して放身して出でて云く、「是甚麼(なん)ぞ?」【此は猶是抛身の勢い、隠身の勢い作麼生】。
僧、亦云う、「是甚麼ぞ」【果然(かぜん)として識らず】。
峰、低頭(ていず)して庵に帰る【語無しと道うこと莫くんば好し】。
僧、後に巌頭に到る【消を伝え息を寄す】。
頭、問う、「甚麼の処より来たるや?」【鑚(き)らず穴せず】。
僧、云く、「嶺南」【這裏は是嶺北】。
頭、云く、「曾て雪峰に到るや?」【熟処忘じ難し】。
僧、云く、「曾て到る」【更に諱むことを得ず】。
頭、云く、「何の言句かありし?」【醋ならずば休せず】。
僧、前話を挙す【一字公門に入れば八牛も拽きださず】。
頭、云く「他(かれ)、甚麼とか道いし?」【却って好し低頭して便ち出づるに】。
僧、云く、「他(かれ)、語無うして低頭して庵に帰る」【恁麼ならば則ち曽て雪峰に到らず】。
頭、云く、「噫(あ~あ)、当時(そのかみ)、他(かれ)に向かって末後の句を道わざりき【而今に道い了るや未だしや】。若し伊(かれ)に向かって道わば天下の人、雪老を奈何(いかん)ともせじ」【何ぞ我便ち是雪老と道わざる】。
僧、夏末(げまつ)に至って、再び前話を挙して請益(しんえき)す【好酒、人を醒ますこと遅し】。
頭、云く、「何ぞ早く問わざる?」【瞌睡(かっすい)を貪る】。
僧、云く、「未だ敢えて容易にせず」【可煞(はなはだ)叢林(そうりん)に慣る】。
頭、云く、「雪峰我と同条に生ずと雖も、我と同条に死せず【另を索むる者は先ず窮す】。末後の句を知らんと要せば、只這是(これこれ)」【旋(やや)蒸熱(じょうねつ)して売る】。

雪峰・・・雪峰義存(せっぽうぎそん)禅師(822~908年)。徳山宣鑑禅師の弟子。この本則の話は会昌という統治者が廃仏を行った時の年代の話だそうです。
香を尋ね気を逐う・・・いろいろな所を巡り歩き仏教を勉強して回るのは、犬が腐った魚の香りを追いまわすようだという表現からきた。
抛身・・・身をなげうつ。
巌頭・・・巌頭全奯禅師(828~887年)。徳山宣鑑禅師の弟子。雪峰禅師より年下だが兄弟子にあたる。
鑚らず穴せず・・・掘らなければ穴が空かないという意味。
熟処・・・熟知。
醋ならずば休せず・・・口酸っぱくいっても止めない。
公門・・・公儀役所のこと。ここでは、役所に申し出たが最後、引き戻せないという意味で使われている。
夏末・・・4月15日から7月15日の90日間を一夏という。これは安居といい修行の集中期間である。その終りのほうという意味。
請益・・・修行僧が師家(指導者)に質問し答えを受けること。
另を索むる者は先ず窮す・・・另は分ける事。兄弟たちで相続を分け続けると全員貧しくなるという意味。ここでは、兄弟弟子で見立てが違うのはよくないという意味。

現代語訳
会昌という皇帝が廃仏を行っていた時のこと。雪峰禅師は嶺南の奥地、人里離れた草庵で修行していた。そこへ2人の僧侶が雪峰禅師を尋ねてきた【まるで犬が腐った魚の香りを追いまわすようだ】。
雪峰禅師は2人がこちらに来るのを見て、自分で門を開けて、バッっと飛び出していきなり「これはなんだ!!!!」と言った【飛び出す術を用いるということは隠れる術も用いることがあるぞ】。
片方の僧侶が鸚鵡返しに「これはなんだ!!!!」と言った【雪峰禅師の意図は分からなかったか】。
雪峰禅師は頭を下げて草庵の中に入ってしまった【言葉を出していないと見てはいけない、これは静かな雷だ】。
2人の僧侶は今度、雪峰禅師の兄弟子である巌頭禅師を尋ねた【フラフラと何を求めているのか】。
巌頭が聞いた。「どこから来たのかね?」【こちらから訊ねないと問答は出来ぬ】。
僧侶は「嶺南から来ました」と答えた【ここは嶺北だ】。
巌頭は「ここに来る前、雪峰禅師のところに行ったかね?」と聞いた【雪峰禅師と親しい間柄だからこそ、嶺南と聞くと思い出す】。
僧侶は「はい、行ってきました」と答えた。
巌頭禅師は「雪峰禅師はなんと言っていたかね?」と聞いた。
僧侶はいきさつを話した。
巌頭禅師は「それで、雪峰禅師は最後になんと言っていたのかね?」と聞いた。
僧侶は「雪峰禅師は一言も言わずに黙って頭を下げて庵の中に入っていってしまいました。」と答えた【この答えじゃ本当は雪峰禅師に会っていないな】。
巌頭禅師は「あ~あ。その時、雪峰禅師はズバッと一句言っていたら良かったのに【言語と言語道断どちらも末期の一句だ】。一句言っていたら、どんな優秀な僧侶が尋ねてきてもびくともしなかっただろうに。」と言った。
しばらくして、僧侶は夏の終わりに再びこの話を持ち出して巌頭禅師に教えを求めた【名酒ほど酔いが醒めるのが遅い】。
すると巌頭禅師は「なぜもっと早く聞いてこないのだ!!」と言った【居眠りしていたのか】。
僧侶は「難しい内容でしたので、長期間ずっと考えておりました。」と答えた。
巌頭禅師はそれならばと答えた。「雪峰禅師と私は同じ師匠の元で仏道を志し、共に同じ教えに従って歩んできた。しかし、同じ仏道を歩むとは決まっていない。」【財産を分けすぎると貧乏になる】。
更に言った。「私が言うべき一句が聞きたいか!!!!。『これ、このとおりだ!!!』。
雪峰禅師が『これはなんだ!!!』といい私は『これ、このとおりだ!!!』と言う。言語概念文字の尽きたところだ!!!!!!!」。

頌に曰く。
切瑳琢磨【一事に因らざれば】、変態殽訛(へんたいこうか)【一智に長ぜず】。
葛陂化龍(かっぴけりゅう)の杖【已に海を過ぎて雲を穿つことを聞く】、陶家居蟄(とうかきょちつ)の梭(おさ)【猶牆に倚り壁に貼くことを見ず】。
同条に生ずることは数あり【世相近し】、同条に死するは多無し【習うこと相遠し】。
末後の句只這是【且く一半を信(まか)す】。風舟、月を載せて秋水に浮かぶ【切に垜根(だこん)を忌む】。

切瑳琢磨・・・切の如く瑳の如く琢の如く磨の如し、と全部みがくという意味。骨や石や玉を磨き光を出す事。他の指導を受けて精進すること。
変態殽訛・・・意味不明ななまり言葉。
葛陂化龍の杖・・・後漢書に出てくる話。費長房という人が役所に勤めていた。役所の前に古道具屋があり、そこに大きな壺があった。店主がその壺にひょいっと入っていった。費長房が不思議に思っていると、後日その店主に「一緒に入らんか」と誘われる。入るとそこに素晴らしい世界が広がっていた。そして店主に青い竹の杖を貰い壺から出た。そして葛が生い茂っている土手に杖を投げたら龍に変わって天に昇って行った。杖が非常に素晴らしい働きをしたということ。ここでは巌頭の言葉の働きが素晴らしい様を表す。
陶家居蟄の梭・・・晋書に出てくる故事。雷沢というところで機を織る時に使う横糸を通す梭を陶侃という人が拾ってきた。それを壁にかけておいたら、雷が鳴りその梭が龍になって昇天したという話。同じく雪峰の言葉の働きが素晴らしい様を表す。
世相近し・・・世は性の誤字。人の生まれつきはだいたい似通っているという意味。その後の教養で差が出てくる。
垜根・・・しりごみ。

現代語訳
雪峰禅師、巌頭禅師の兄弟は師匠である徳山禅師の教えをうけて弁道精進してきた【一つのことに集中してきた】。
急に飛び出して「これはなんだ?」と言ったり、低頭して帰っていたっり、末期の一句などと言い意味不明である。
雪峰禅師の「これはなんだ?」も巌頭禅師の「これ、このとおりだ!」も共に仏道を端的に現している。
同じ場所に生まれる兄弟は多いが同じ場所で死ぬ兄弟は多くは無い。雪峰禅師も巌頭禅師も同じ師匠に従い学んだが、その仏道の歩みは違ったものであろう。
言語作用、認識作用、概念を離れた「是」については「このようである」としか言いようがない【これが正解ではないぞ】。
空に浮かぶ月を乗せて船が秋の水面に浮かぶようだ【しりごみせず精進せよ】。

解説

今回の話は「是」についてです。よく中国仏教では、「是」とか「這」とか「恁麼」という言葉を使います。全て「これ」とか「このような」という意味です。
本則から見ていきましょう。雪峰禅師がバッと飛び出て「是なんぞ」と言います。
まず、なんで飛び出てきたのか。「是なんぞ」の是は何を指しているのか。なんぞは疑問形なのか、是=なんぞという文章なのか。
多くの疑問が残ります。
では、疑問を紐解きつつ進めていきます。まず、雪峰禅師の飛び出したという行為を見ると、我々の今目の前に在る物は飛び出して急に現れているわけでは無いと認識します。机にコップがあるとして急に飛び出してくることはない。しかし、縁起の観点からは違います。コップという現象は「○○」という概念化されていない何かに液体を入れ、手に持ち、飲むという行為をした瞬間に「コップ」と「飲む自己」という存在が同時に現成します。なので、雪峰禅師が飛び出そうが、ただ門の前に立っていただけであろうが、存在を認識しどのように扱うかという2人の僧侶の行為によって存在は飛び出してくるのです。なので実際に飛び出したかどうかはともかく、「雪峰禅師」という存在が飛び出して来た。そして、「是」というこれは、「この存在の在り方」です。この存在とは行為に裏付けられる「○○する自己」と「その対象物」です。つまり、「2人の僧侶それぞれ」と目の前に急に飛び出して来た「○○」はどのように現成し、どのようにな行為に裏付けされ概念化されているのか?ということです。
しかし、ここでどのように概念化されているのか?と問いかける事は「自己は○○である」という答えが出てきてしまう。限定的に現成する存在様式は無常であり無我である以上、最終的な「自己=○○」という結論が続くことはありません。であれば「是なんぞ」は疑問形ではなく「是=甚麼(概念化されたものではない)」という提示です。万松行秀はコメントで飛び出す術があれば隠す術もあると付け加えています。ということは概念化されたものを在るかのように仮設することもあれば突然概念を消し去り無くすことでも提示が出来るわけです。
そして、雪峰禅師の言葉を聞いて、2人の僧侶は「これなんぞ」と返します。つまり「是=甚麼」であると返したのです。一見するとなるほど、この2人の僧侶はやり手だと思うわけです。しかし、万松行秀はコメントで雪峰禅師の意図が分からなかったと言っています。なぜ意図が分からなかったと言えるのかは後の巌頭禅師との会話で分かります。
さて、話は雪峰禅師に戻します。雪峰禅師は僧侶の言葉を聞いて、低頭して庵に帰っていきます。
これ以上の言語(存在を概念で固定化)は不要と判断し、僧侶を置き帰っていったのでしょう。この雪峰禅師の行為は言語化を用いない仏道を明らかに示す方法です。
そして2人は巌頭禅師の元へ行きます。
そこで「どこから来たのか?」と問いかけられます。いつものパターンであればこの問いかけは「自己の認識はどの心の働きで実体視されているのか?」という問いになります。しかし、2人の僧侶は普通に「嶺南から来ました」と答えます。そして、巌頭禅師は「弟弟子の雪峰には会ったか?」と聞き、僧は「会った」と答えます。そして事の顛末を話すわけですが、僧侶は「雪峰禅師は『是甚麼』の言葉以外に何も言わず低頭して帰ってしまった」と言います。
このやりとりで2人の僧侶は雪峰禅師の意図が分かっていないことが分かります。「嶺南から来ました」とい返答、「何も言わず帰った」という言葉どおり、言語を離れた活作用が理解できていない。
巌頭禅師は「あ~あ、この2人にガツンと一句言ってやればよかったものを」と言います。そして、廃仏によって庵でひっそり修行している雪峰禅師もその一言があれば天下の統治者も手出しが出来ないだろうと続けます。
日にちがたって夏の終りに2人の修行僧が、「この前の話はどのような意味でしょう」と聞きに来ます。
早く聞きに来いよという突っ込みを入れつつも、巌頭禅師は答えてくれます。
雪峰禅師と私(巌頭)は同じ徳山禅師の元で修行し同じ教えを受けたが、その仏道は徳山禅師とも雪峰禅師とも異なる。雪峰禅師も徳山禅師と異なる。仏の悟りに実体も根拠も確かな○○という概念はない。只、修行という行為によってのみ証明されるものであるからだ。
末期の一句を私が言うならば「これ、このとおりだ」と言う。その意味は「存在がある」とは「有り無し」のありではなく、認識できない霊的な感じる何かがあるでもなく、アートマンのような唯一無二の何かがあるのでもない。「これ、このとおり」とは縁起による限定的で実体のない行為に付随された公案がある。ということです。その「これ」を常に問い続ける事で「このとおり」に成るということです。
と勝手に解釈を加えて記しておきます。

最期の頌はこの雪峰禅師と巌頭禅師を讃えています。

SHARE
シェアする

ブログ一覧