従容録の自己流解説「21則~30則」
1則から10則まではこちら 「従容録1則~10則」
11則から20則まではこちら「従容録11則~20則」
以下の点を読み解いていく為の軸とします。
1,自己の本質や自己そのものが単一で存在しない
これは、自己の存在認識が二元論的に自分と他人の対比による言語化された虚構の概念であるから。
2,「悟り」や「真理」という言葉に根拠を持たない。
仏陀は悟りについて具体的に経典で言及していない。あくまでも悟ったと言う経験談を語っているに過ぎないので「悟り」が何かを定義しない。
3,人権や道徳、倫理に関わる問題はそのまま読み進める。
ジェンダー、身分、職業、暴力、身体的障害等は現代の感覚とかけ離れているが、あくまでも当時の感覚と捉え気を悪くせず受け止めていただきたい。
4,本則の漫画のみを読み解くと読み手の自由な解釈が無限に出てくるため、
宏智正覚禅師と万松行秀禅師が何を狙ってエピソードを取り上げたかにフォーカスして読み解く。
目次
- ○ 第二十一則「雲巌掃地」
- ・衆に示して曰く:
- ・本則
- ・頌
- ・解説
- ○ 第二十二則「巌頭拝喝」
- ・衆に示して曰く:
- ・本則
- ・頌
- ・解説
- ○ 第二十三則「魯祖面壁」
- ・衆に示して曰く:
- ・本則
- ・頌
- ・解説
- ○ 第二十四則「雪峰看蛇」
- ・衆に示して曰く:
- ・本則
- ・頌
- ・解説
- ○ 第二十五則「塩官犀扇」
- ・衆に示して曰く:
- ・本則
- ・頌
- ・解説
- ○ 第二十六則「」
- ・衆に示して曰く:
- ・本則
- ・頌
- ・解説
- ○ 第二十七則「」
- ・衆に示して曰く:
- ・本則
- ・頌
- ・解説
- ○ 第二十八則「」
- ・衆に示して曰く:
- ・本則
- ・頌
- ・解説
- ○ 第二十九則「」
- ・衆に示して曰く:
- ・本則
- ・頌
- ・解説
- ○ 第三十則「」
- ・衆に示して曰く:
- ・本則
- ・頌
- ・解説
第二十一則「雲巌掃地」
第二十一則 雲巌掃地(うんがんそうち)
衆に示して曰く:
迷悟を脱し、聖凡を絶すれば、多事無しと雖も、
主賓を立て貴賎を分つことは別に是れ一家。
材を量って職を授くることは即ち無きにあらず。
同気連枝(どうきれんし)、作麼生(そもさん)か会す。
迷悟・・・迷いと悟りという対立したもの。二元論の概念。
聖凡・・・二元論の概念。
同気連枝・・・同じ幹で育った枝。転じて兄弟のように気心の知れた間柄を表す。
現代語訳
我々は物事を認識するとき、対比と二元論で判断する。もし、この二元論の見方を脱却すれば、悩みも苦しみを引きずることも無いだろう。
しかし、日常生活で、物事と物事の対比、概念の対比を用いずに生活できるわけでは無い。人間に価格表示があるわけでは無いが、他人の特性や特技、気質を考え役割を与えたりすることもある。
この事を踏まえ、気心の知れた間柄の僧侶が問答すると、どうなるか見てみようか。
本則
挙す。
雲巌掃地の次いで【沙弥行童気力を得ず】、
道吾云く、「太区区生」【兵を埋めて闘いに挑む】。
巌云く、「須らく知るべし、区区たらざる者有ることを」【惜しむべし話両橛(りょうけつ)となることを】。
吾云く、「恁麼ならば則ち第二月有りや?」【豈止(ただ)に第二にのみならんや、百千万箇】。
巌、掃菷を提起して云く、「這箇は是れ第幾月ぞ?」【水晶宮裏より出頭し来る】。
吾便ち休し去る【尽く不言の中に在り】。
玄沙云く、「正に是れ第二月」【一人虚を伝うれば万人実を伝える】。
雲門云く、「奴は婢を見て慇懃」【邪に随って簸箕(ひき)を撲(う)つ】。
雲巌・・・雲巌曇晟(うんがんどんじょう)禅師(780~841年)。百丈懐海禅師に参じた後、薬山惟儼禅師から法を得た。
沙弥行童・・・沙弥も行童も戒に従い寺院で修行するが、まだ正式な僧侶となっていない若者。だいたい15歳以下。
道吾・・・道吾円智禅師(769~835年)。雲巌曇晟禅師の実の兄にあたる。最初は役所に勤めていたため、仏道の上では雲巌曇晟禅師の弟弟子にあたる。薬山惟儼禅師から法を得た。
太区区生・・・太いは「はなはだ」、区区は勤労の意味、生は助詞。大いにご苦労様ですの意味。
両橛・・・クサビ。2つのクサビで2つに割るという意味。
第二月・・・乱視が激しい人は空に月が2つあるように見える。二元論的な見方の妄想をいう。
玄沙・・・玄沙師備(げんしゃしび)禅師(831~906年)。雪峰禅師の法を得る。
雲門・・・雲門文偃(うんもんぶんえん)禅師(864~949年)。雪峰禅師の法を得る。
奴・・・下僕。
婢・・・下女。
簸箕(ひき)を撲(う)つ・・・大口をたたく。
現代語訳
ある日、雲巌が箒で庭掃除をしていた【雲巌禅師ほどの人が掃除に精を出していたら小僧たちもサボっていられない】。
そこへ、弟弟子であり実兄である道吾が来て言った。「おっ、精が出ますね~。お疲れ様~」。
すると雲巌が「精が出ていない者もいるね~」と返した【精が出る、精が出ていいなの対比に持ち込んだのは惜しい】。
道吾は「精が出ていない者がいるとすれば、勝手に(あいつは精を出していない)と自分が妄想しているだけだろう」【この妄想は日常の中で百千万も存在する】。と返した。
そこで雲巌は持っていた箒を立てかけて言った。「では、掃除を止めた私の姿はどんな妄想によって、どのように見える?」。
道吾は、そこから先は言葉に及ぶものは無いとみて、黙って去っていった。
後に、この話を玄沙は「まさにこの二人の言葉全てが、妄想分別だ」と批評した【一人が語った妄想も、皆で共有すれば現実となる】。
またさらに後に雲門は「この話を批評してる時点で、それも妄想分別だ」と玄沙を批評した【雲門も余計な大口を叩いた】。
頌
頌に曰く。
借り来たって聊爾(りょうじ)として門頭(もんとう)を了ず【当処に発生す】。
用い得て宜しきに随って便ち休す【随処に滅尽す】。
象骨巌前(ぞうこつがんぜん)、蛇を弄する手【他人を道わんと欲せば】。
児の時の做処(さしょ)、老いて羞(はじ)を知るや【まず自己を治めよ】。
聊爾・・・ちょっとのこと。
門頭・・・眼耳鼻舌身意の六根門。。
象骨巌前・・・雪峰山が象の鼻の形に似ていた事に由来。雪峰禅師のことを指す。
蛇を弄する手・・・従容録二十四則「雪峰看蛇」を参照。
現代語訳
雲巌と道吾は掃除というちょっとした出来事を使って五感や心の動きから起こる妄想分別を掃除していった。
雲巌の箒の使い方に感服し道吾は去っていった。
雪峰禅師に蛇の妄想をさせられた玄沙と雲門は、この話を批評する前に、以前の自分たちはどうだったか思い返してみるが良いだろう。
解説
仏教のスタートは一切皆苦からです。人間は基本設定が苦しみを受けるようになっている欠陥だらけの生物である。常に過去の辛い記憶を思い返したり、未来を不安に思い、今の自分の人生に今までの人生に納得が出来ず虚しくなる。苦しくなる。
なので、これを如何に解決しながら生きていくのか、これが一切皆苦であり仏道を志す原動力です。
決して先祖供養や葬儀や他者貢献が目的の宗教ではありません。ブッダも道元禅師も他人を救おうと出家をしたわけではありません。
その苦しみの根源にあるのが妄想分別です。この妄想とは目の前に無い事を頭の中で作り出す事だけを指すのではありません。
私がここにいる。ここにコップがある。スマホを私は見ている。これらも全て妄想と言っています。何故かと言うと、私という存在が無条件で存在している。コップという存在が私に関係なく、あらかじめ世界に存在していることを前提に物事を判断しながら生活をしているからです。
これの何が妄想かというと、今この瞬間に「私」と「私以外の物」の対比を行い「わたし」という言語に結び付け「私」を妄想し存在させていると考えます。コップも「コップ」と「コップ以外のもの」という対比によってコップがあると妄想していると考えます。
もし、地球上に人間が私一人だけだと、そもそも強烈な自我意識を持つ必要性はありません。名前も必要ありません。「人間」という言語も必要ありません。もし、地球上が全て水で覆われた惑星であれば「海」という概念も「陸」という言語も必要ありません。必要に応じて存在を妄想していくのが人間です。
仏教ではここから存在の在り方を変えていきます。コップが在るのではなく、液体を入れて飲むという行為をした時に限定的にコップという存在が現れる。であれば「私がコップでジュースを飲む」という言葉は成立しません。「私」と「コップとして扱われたモノ」という関係性の上で「飲む私」という存在が現れ、「液体が入ったモノ」という存在が現れる。これを縁起と言います。
ここまで、存在の在り方を解体すれば、「私は苦しむ生き物である」という根本から、苦しみを取り除くのではなく、「私」という存在そのものを解体することが出来る。
これが今回の話のポイントです。
衆に示して曰くでは、縁起により、妄想もせず、対比もせず物事を見る事が出来ればそれで仏道は成り立つが、日常生活で「このコップの在り方は?」とか「目の前の人との関係性による自己の存在の仕方は?」などと考える余地はあまりないだろうし、集団生活の中で人と人を比べない生き方なんて不可能である。この不可能である中で気心の知れた兄弟が会話をしたら、どんな仏法が見えてくるだろう。という問いかけをしています。
そして、雲巌と道吾は「頑張る」「頑張らない」の対比で物事を見るのは妄想だ、という問答をします。最後に雲巌は箒を置き、掃除を止めてしまった。ここで先ほど「頑張って掃除をしていた人」が「頑張っていない人」に変わった。つまり、対比をしようにも、それを扱う人の主観と関わり方で「頑張っている人」「頑張っていない人」にもなり得る諸行無常であることを示した。道吾は「頑張っている人」「頑張っていない人」という言葉で表せない雲巌を見て納得し黙って去っていった。
大学時代、農学部の同期にオーストラリア人と日本人のハーフで超美人のモデルをやっている子がいました。当時、町田駅経由で大学に通っていましたが、町田駅にその同期の顔写真がでかでかと広告に使われているのを見てぎょっとしたのを覚えています。その同期は「今日はクルーズ船でデート!」とか「昨日はヘリコプターをチャーターした」とか「今の彼氏はベンチャー企業の社長」という話をよくしていました。まぁ、美人なので同じ大学生ではなくお金にも余裕があり容姿にも自信がある人が集まってくるのでしょう。しかし、往々にして「あのモデルは自分よりも仕事を貰っている」や「今の彼氏は体の相性が良くない」と不満も漏らす。
どんなに恵まれていても、自分が自己をどのように扱うかという事を考えた時に自分の人生に納得できる人はいないのだと考えさせられます。それは、おそらく他人と比較するからだけではなく、自己は他人から強制された存在だからでしょう。
仕事が無くてつらい時期を過ごしても、大多数の人が仕事をしている中での無職か、無職だらけの世界での無職かは心の焦りや後ろめたさは大きく違うでしょう。他人から言葉に出されなくても「あなたって○○だね」と言われながら生きていく。
私は、人に対して存在しているだけで尊いとは言いません。そう扱ってくれる親や友人がいるのなら、それは大いに結構な事ですが。
私は他人から強制的に自己を存在させられているのは大仕事だと言います。よく、他人と比較するなという人が居ますがそんなことは無理です。山奥で仙人になれば出来るでしょうが。
雲巌や道吾のようにお互いに、今の自己の在り方は対比か縁起かという問いをかけ続ける姿勢は立派だと思います。
第二十二則「巌頭拝喝」
第二十二則 巌頭拝喝(がんとうはいかつ)
衆に示して曰く:
人は語を将(も)って探り、水は杖を将って探る。
撥草瞻風(はっそうせんぷう)は尋常(よのつね)用(もち)うる底なり。
忽然(こつねん)として箇の焦尾(しょうび)の大虫を跳出(ちょうしゅつ)せば又作麼生(そもさん)。
撥草瞻風・・・山深い道を草をかき分け歩き道を尋ねる。行脚の意味。師匠を探し求めるという意味。
焦尾の大虫・・・尾を焼いて人の化ける虎。素晴らしい力量のある人のこと。
同気連枝・・・同じ幹で育った枝。転じて兄弟のように気心の知れた間柄を表す。
現代語訳
人の性格性質は言葉を使ってはかり、水の深さは杖を使って計る。
人の気質を探るということは自分の本当の師匠を探し求めるようなものだ。
実際に僧侶の多くは本師を探している。
では、突然目の前に人間離れした素晴らしい人が現れたらどうするか?
本則
挙す。
巌頭、徳山に到り門に跨(またが)って便ち問う、「是れ凡か?是れ聖か?」【這の賊】。
山、便ち喝す【髑髏を烈破す】。
頭、礼拝す【未だ好心に当たらず】。
洞山、聞きて云く、「若し是れ豁公(かつこう)にあらずんば大いに承当(じょうとう)し難し」【幣を厚くし言を甘くす】。
頭云く、「洞山老漢、好悪を識らず。我れ当時(そのかみ)、一手抬(いっしゅたい)一手捺(いっしゅなつ)」【我豈知らざらんや】。
巌頭・・・巌頭全豁(がんとうぜんかつ)禅師(828~887年)。徳山宣鑑(とくざんせんかん)禅師の弟子。
徳山・・・徳山宣鑑(とくざんせんかん)禅師(782~865年)。龍潭崇信禅師の弟子。「徳山の棒、臨済の喝」と評された。
凡・・・普通の人を表す。人間界の人間の意味。対義語は人格が完成した人を表す「聖」。
洞山・・・洞山良价禅師(807~869年)。雲巌曇晟禅師の弟子。曹洞宗の洞の字は洞山に由来。
豁公・・・巌頭のこと。
一手抬一手捺・・・片手で持ち上げ片手で押さえつける。
現代語訳
巌頭がある日、師匠である徳山禅師の寺に行き、門の敷居を跨いで「これは寺に入っているでしょうか?それとも寺の外でしょうか?ど~っち~だ?」と言った【こいつ師匠を試してるぞ】。
徳山がそれを聞いて「かぁーーーーーーーーーつ」と叫んだ【巌頭の頭を吹き飛ばす勢い!!】。
巌頭はその師匠の出方を見て、すぐに礼拝した【心から礼拝しているわけではなさそうだ】。
巌頭はこのことを洞山に話した。
すると洞山は「さすが巌頭さんですね~。あなたでなかったら徳山禅師の意図を理解できなかったでしょう!」と言った【巌頭を褒め出方をうかがっているな】。
巌頭は「洞山老人は人の心も分からないでいい加減なことを言いますな~。半分正解と言っておきましょう。」と返した【巌頭は慌てているな。半分正解などと言わなくても分かっているよ】。
頌
頌に曰く。
来機(らいき)を挫(とりひ)しぎ【風行けば草偃す】、権柄(けんぺい)を総(す)ぶ【符到れば奉行す】。
事に必行(ひっこう)の威あり【仏手も遮ることを得ず】。国に不犯の令あり【誰か敢えて当頭せん】。
賓は奉を尚(たっと)んで、主は驕り【下は以て上を風刺す】、君は諫めを忌んで、臣は佞(ねい)す【上は以て下を風化す】。
底(な)んの意ぞ巌頭、徳山に問う【然も父子が師(いくさ)を興すと雖も】。
一抬一捺、心行を看よ【未だ干戈相待つことを免れず】。
来機・・・仏道を学ぼうとする人。
風行けば草偃す・・・強い風が吹くと草はたちまちに横倒れになってしまう。転じて力のある僧侶の前では頭が上がらないの意。
権柄・・・軽量を測る秤。ここでは物事を適切に処置すること。
符到れば奉行す・・・符は君主から渡される信任状。これを持っていれば誰でもひれ伏すの意。
下は以て上を風刺す・・・目上の人に間違いを指摘しにくいので、それとなく伝えるということ。
上は以て下を風化す・・・部下にきつく当たると、パワハラになってしまうので徳をもって自然に教えるということ。
干戈相待つことを免れず・・・手を抜かず戦うという意味。
現代語訳
徳山禅師は、自分の仏道を試しにきた巌頭に見事に答えた【誰でも頭が下がるだろう】。
徳山禅師の喝は威力抜群であり、巌頭の礼拝は国の法律に従うように当たり前だ。
家来が主君を敬い褒めると、主君は威張ってしまう。主君が家来を戒めないと、家来たちが好き勝手やってしまう【部下はいい感じに上司を立て、上司はパワハラにならないように部下に接するのが良いだろう】。
巌頭はどのような意図で徳山禅師に「これは寺に入っているでしょうか?それとも寺の外でしょうか?ど~っち~だ?」と聞いたのだろうか。褒めるも叱るもどっちでも良いが、対人関係の心の動きをよく見よ【徳山禅師と巌頭の争いは手加減が無いな。まるで親子のようだ】。
解説
悩みの原因のほとんどは人間関係です。
他人の心は分からない。正確で多面的でズバリ○○な人と言い表すことは難しい。豪快な人も繊細な一面を持ち、悪人も優しい一面を見せる。ヒトラーも買っていた犬を愛で、家族思いであったことは有名な話。
英雄で冒険家のコロンブスは原住民を虐殺した殺人者である。
巌頭の問いはまさに、「私は出家か在家かどっちだ?」という問いかけでもあり、「私は善人か、悪人か?」という問いかけでもある。その「私」の性質は二元論でしか測ることが出来ない。二元論で出家在家を答え、善人悪人を答えることは意味が無い。それは、戦勝国の戦士は英雄で、敗戦国の戦士は戦犯という馬鹿げた答えと変わらない。
そんな二元論による思慮分別を喝によって吹き飛ばしたのだろう。
この話のポイントは必ず対人では分からない部分が残るということです。親や友人が分かった風になるのが一番怖い。そして、自分の思慮分別に相手を当てはめようとすると、たちまちに支配や暴力や洗脳が始まる。
特に親子関係は難しい。親は子供の幸せを願って、塾に通わせ習い事をさせ、偏差値の高い小中学校、有名な大学、一流企業に就職させようとする。それが、自分基準の幸せだから。これが善意とか悪意は関係ない。支配された子供は自分にも子供が出来た時に支配しようとすることも、押し付けられた子供は抑圧から逃れようと自傷行為や他人攻撃に発展することも、洗脳された子供は自分自身で自己の在り方を問いかけることは無いだろう。
親子関係は生まれて初めてぶつかる人間関係であり、親か子供が死ぬまで続く切り難い人間関係です。
第二十三則「魯祖面壁」
第二十三則 魯祖面壁(ろそめんぺき)
衆に示して曰く:
達磨九年、呼んで壁観(へきかん)と為す。
神光(じんこう)三拝、天機を漏泄(ろせつ)す。
如何が蹤を掃い、跡を滅し去ることを得ん。
達磨・・・菩提達磨(不明~不明年)。インドの僧侶。中国に渡り少林寺の洞窟で九年間坐禅をしたと言われる。壁に向かって坐禅をしていたため、壁観婆羅門と呼ばれていたと言われる。しかし、本来は「壁と風景が同化する」という意味合いに近いので壁に向かっていたかはよく分かっていない。また、アーリア人の流れを汲む人であり目が青かったという。
神光・・・神光慧可禅師(487~593年)。菩提達磨の弟子。達磨には四人の弟子がいた。ある時、面接試験のようなものを行いそれぞれに仏道について聞いた。三人の弟子は各々、所感を答えたが、慧可禅師は三度礼拝して立ち、何も言わなかった。
現代語訳
洞窟で坐禅する菩提達磨の事を巷では壁観婆羅門と呼び、その弟子である慧可禅師が三拝をして達磨の法を継承した。
坐禅の足跡が残り、三拝の痕跡が残っている。如何にしてこの跡を消し去ろうか?
本則
挙す。
魯祖、凡そ僧の来たるを見れば便ち面壁す【相見了也】。
南泉、聞きて云く「我れ尋常(よのつね)、他に向かって、空劫以前に承当せよ【考せざるに自ら招く】。
仏未だ出世せざる時に会取せよと道うすら【和尚会すや也未だしや】、
尚ほ一箇半箇を得ず【只詮索を漏らす為なり】。他恁麼ならば驢年(ろねん)にし去らん」【忙者は不会】。
魯祖・・・魯祖宝雲(ろそほううん)禅師(不明~不明年)。馬祖道一禅師の弟子。
南泉・・・南泉普願禅師(748~834年)。馬祖道一禅師の弟子。
空劫以前・・・地球が出来る前の世界。地球や世界を認識する生物が居ない時。
考せざるに・・・考は拷問のこと。
詮索・・・詮は木の杭。索は縄のこと。水道を引く時に杭や縄でしっかり固定しないと漏れてしまう。
驢年・・・干支の驢馬の年。干支に驢馬はいない為、絶対に無いものを示す。
忙者は不会・・・心があせっている人には理解できない。納得できないという意味。
現代語訳
魯祖は誰かが訪ねてきても、壁を向いて坐禅をしてしまう。これでは誰も目を合わせる事も話すことも出来ない。
南泉禅師がこれを聞いて言った。「私は常々、修行僧達に世界や社会を認識し作り上げるホモサピエンスが誕生する以前の事を考えてみろ。仏陀がこの世に生まれる前の仏教について考えてみろと言っている。しかし、この意味が納得できる修行僧はあまりいないだろう。魯祖の部屋に行き、魯祖が面壁坐禅をしているからといって話さないのでは、非常識なことが目の前に来た時に理屈で否定したくなるだろう。」
頌
頌に曰く。
淡中に味わい有り【誰か汝をして塩を添え醋を著けしむるや】、妙に情謂(じょうい)を超ゆ【別日に再び商量せん】。
綿綿として存するが如くにして、象の先なり【已に第二に落つ】。
兀兀(ごつごつ)として愚の如くにして、道貴し【人の価を著くる無し】。
玉に文を雕(ちりば)めて以て淳を喪し【和尚、手高し】、珠は淵に在って自ずから媚ぶ【少売弄】。
十分の爽気、清く暑秋を磨す【体露金風】。一片の閑雲、遠く天水を分かつ【好事魔多し】。
情謂・・・分別と言語。
兀兀・・・不動。体の動きが不動という意味だけでなく、思慮分別妄想までも不動になることをいう。
少売弄・・・自分の商品を自慢する商人。
体露金風・・・秋の風が吹くなかですっぽんぽん。
下は以て上を風刺す・・・目上の人に間違いを指摘しにくいので、それとなく伝えるということ。
上は以て下を風化す・・・部下にきつく当たると、パワハラになってしまうので徳をもって自然に教えるということ。
干戈相待つことを免れず・・・手を抜かず戦うという意味。
現代語訳
淡々と行じる意味も得る物も無い坐禅の中に意味がある。そこに分別や言語による妄想は無い。
魯祖の坐禅は仏陀から達磨大師を経て脈々と受け継がれてきたように見えるが、仏陀が生れる前を考えれば「坐禅」や「坐禅以外の行為」などの概念は存在しないであろう【前と今と先を分けてしまうと二元論に落ちるぞ】。
ひたすらバカみたいに、動かず考えず坐禅をする尊さがそこにある【黙って坐る姿に値段はつけられない】。
言葉を使って仏法を示そうとするのは玉に装飾を施して立派に見せるようなものだ。立派に見えても玉本来の自然な美しさが無くなってしまう。
魯祖と南泉の境涯は暑さを吹き飛ばす秋の風のように颯爽として、薄い雲が海と空を綺麗に分けるようなものだ。
解説
人類が地球上に私一人のみだとおそらく悩みは殆どなくなるでしょう。そして物心ついても言語という物を用いる事がないでしょう。分別判断はあっても、それを明確に言語で固定化して有る物を在ると強烈に認識する必要性がなくなります。ロシアに行けば雪を表す単語が多くなり、降水量が多い日本では五月雨、俄雨、時雨、豪雨など雨を表す単語が多くなり、砂漠地帯に行けばラクダを表す単語が多くなる。それは必要に応じて共有するツールとして言語化された概念を持つからです。人類が私一人ならば共有する必要はなくなるでしょう。
坐禅はある種の言語化された概念の解体が発生します。まず、坐禅は静かな所で暑くも寒くもなく、座り心地も悪くなく、眠くもなく、満腹でも空腹でもなく、雨風にさらされるわけでも無い環境状態で行います。禅宗は厳しいイメージがあるのでどんな環境でも気合一発坐禅しろと言われそうですが、そうではありません。
なぜ、環境と自己の状態を整えるのか。それは、頭の中で起こる分別妄想を言語で固定化する働きを無くすからです。寒かったり、怒りに震えている時は常に○○は■■だという思いが抜けず、頭の中がグルグルします。
しかし、坐禅ができる環境が常にあるわけでも無く、曹洞宗の修行において坐禅の時間が極端に多いわけでもありません。
禅宗などと呼ばれているのは、出家者が名乗ったからではなく、坐禅や受け継がれてきた仏法が何かも分からない学者や在家の戯言でしょう。
示衆にもあるように達磨大師は坐禅を伝えたわけでも無く、魯祖の坐禅と南泉の仏法に大きな違いなども無いし、坐禅と坐禅以外の修行の区別も無ければ、悟りと悟り以外のものの区別もないのであろう。
第二十四則「雪峰看蛇」
第二十四則 雪峰看蛇(せっぽうかんじゃ)
衆に示して曰く:
東海の鯉魚(りぎょ)、南山の鼈鼻(べつび)、普化の驢鳴(ろめい)、子湖の犬吠(けんぺい)、
常塗(じょうと)に堕せず異類に行かず。
且(しば)らく道(い)え、是れ什麼人(なんびと)の行履(あんり)の処ぞ。
東海の鯉魚・・・従容録第六十一則に出てくる話。雲門禅師が「悟りの道や涅槃の門とは何ですか?」と聞かれた際に答えた「東海の鯉魚を棒で叩くと大雨が降るようなものだ」と答えたことに由来。
南山の鼈鼻・・・この第二十四則の本則の話。
普化の驢鳴・・・普化禅師が生野菜を齧っていると臨済禅師が「驢馬みたいだな」と言った。すると普化禅師が驢馬の鳴き声の真似をした。
子湖の犬吠・・・子湖は子湖利蹤(800~880年)。南泉普願禅師の弟子。【子湖に一隻の狗あり】の碑を建てて弟子を育成しいたと言われる。
常塗・・・仏祖が行じてきた道のり。
行履・・・行い。素行。
現代語訳
雲門禅師が悟りや涅槃を鯉に例え、南山では毒蛇が出ると聞いて焦り、普化禅師が驢馬みたいと言われれば驢馬の真似をする、子湖禅師は「この寺に犬の修行僧がいる」と立て札を建てた。
常套手段で仏道を示す訳でもなく、かといって人間離れした仏道を示すわけでも無い。
さて、こんなふうに仏道を示す僧侶はどんな実践をしているのか?
本則
挙す。
雪峰衆に示して云く、
「南山に一条の鼈鼻蛇(べっぴじゃ)有り、汝等諸人、切に須らく好く看るべし」【坐具を提起して云く、這箇是倩り来る底にあらず】。
長慶云く、
「今日堂中大いに人有りて喪身失命(そうしんしつみょう)す」【風を聞いて便ち颺る】。
僧、玄沙に挙似す【塁ねること三に過ぎず】。
沙云く、
「是れ我が稜兄(りょうひん)にして始めて得べし【狐朋狗党】、然も是の如くなりと雖も我は即ち不恁麼(いんも)」【別に一条の長有らば便ち請う拈出せよ】。
僧云く、
「和尚作麼生(そもさん)?」【毒虫、頭の上に痒いところを措く】。
沙云く、
「南山を用いて作麼(なに)かせん」。
雲門、柱杖を以って峰の面前に竄向(ざんこう)して怕(おそ)るる勢いを作す【何ぞ自ら己命を傷つくことを得たり】。
雪峰・・・雪峰義存(せっぽうぎそん)禅師(822~908年)。徳山宣鑑禅師の弟子。
鼈鼻蛇・・・頭がスッポンに似た蛇。
長慶・・・長慶慧稜禅師(854~932年)。雪峰義存禅師の弟子。
玄沙・・・玄沙師備(げんしゃしび)禅師(835~908年)。雪峰義存禅師の弟子。
狐朋狗党・・・同じ穴の狢。
雲門・・・雲門文偃(うんもんぶんえん)禅師(864~949年)。
竄向・・・向こうへ投げ出すこと。
現代語訳
ある時、雪峰禅師が修行僧たちに言った。「南山に毒蛇が出るという。人を呑み込み猛毒を持っているから気を付けるように。」【雪峰禅師は実際に見たのだろう】
皆が恐れおののくのを見て長慶がボソッと言った。「あ~あ、多くの修行僧が蛇に呑み込まれて毒に侵されてしまった。」
これを聞いていた修行僧が隣にいた玄沙に「長慶さんがあんなこと言ってますよ」と声をかけた。すると玄沙は「長慶さんだからこそその言葉が出てきたのだろう。私にはとても長慶さんのように言えないな~~」と言った【玄沙と長慶は同じことを思ったのだろう】。
修行僧は玄沙に「では玄沙さんでしたら、どんな事を言いますか?」
玄沙「南山じゃなくても毒蛇なんかどこにでもいるだろう!とでも言おうかな~」
すると雲門が雪峰禅師の前に行き、杖を投げ出して(杖を蛇に見立てて)「蛇が出たぞ!!」と、毒蛇が恐ろしくてたまらないという芝居をして見せた【自分が作り出した蛇に命を奪われることなど無い】。
頌
頌に曰く。
玄沙は大剛【機に当たって父に譲らず】、長慶は勇少なし【義を見て為さず】。
南山の鼈鼻(べっぴ)、死して用無し【条の断貫索を担う】。風雲際会、頭角(ずかく)を生ず【時来れば蚯蚓(みみず)も蛟龍(こうりゅう)となる】。
果して見る韶陽(じょうよう)手を下して弄することを【忍俊不禁】。
手を下して弄す【弄不出ならば即ち休せよ、両廻三度】。激電光中変動を看よ【貶眼すれば喪身失命】。
我に在って能く遺り能く呼ぶ【少弄売】。
彼に於て擒(きん)あり縱あり【七寸手に在り】。
底事(なにごと)ぞ如今(いま)阿誰(だれ)にか付するや【万松老漢】。
冷口(れいく)人を傷(やぶ)って痛みを知らず【阿耶阿耶】。
韶陽・・・雲門禅師のこと。
少売弄・・・自分の商品を自慢する商人。
七寸手に在り・・・七寸は蛇の急所。
阿耶阿耶・・・おやおや。
現代語訳
玄沙は豪快だ【師匠に一歩も譲らない】。長慶は謙虚だ【修行僧になにもしない】。
南山の毒蛇も死んでしまって用無しになったな。死んだ蛇も時と場合によって毒蛇になる【ミミズも龍になる】。
雲門は毒蛇を活かしきった。雲門は毒蛇を活かす事も殺す事も自由自在だ。杖を蛇に見立てて芝居を打った機転の速さは流石であろう。
毒蛇が口を開けて待っていても、なにもしない人が沢山いる。是非とも活きた人間になってほしいものだ。
解説
今回は妄想の話です。
毒蛇が出るぞ!と言われ、毒蛇に咬まれる危険性や自分が毒蛇に咬まれたらと妄想して不安になってしまう。実際に今咬まれているわけでも無く、毒蛇に遭遇しているわけでも無いのに。その妄想によって起こる不安や強迫観念が本当の蛇の毒だと言っているのです。
仏陀はある時、弟子にこんな質問をしました。
仏陀「弟子たちよ、我々出家者と在家者の間には大きな違いがある。それが分かるか?」
弟子「分かりません。」
仏陀「それは、二の矢を受けるかどうかだ。我々は不本意ながらも暴力暴言病気や死に遭うことがある。それらの一の矢は自分の意志では完璧に防げない。しかし、在家者はここから妄想し起きる確率の大小にかかわらず心に矢を受け続ける。」
リストラなどで仕事を失うと、これからの生活が成り立たなくなる、生活水準が下がる、社会的地位が下がるだろうと妄想し心が疲弊する。
学校を風邪で休むと、次に学校に行ったときにクラスメイトは自分の知らない話題で話すのではないか、授業の内容が分からなくなっているのではないかと妄想し学校に行きたくなくなる。
入院すると、入院費は、家に残っている家族は、中途半端だった会社の仕事は、さらに一人の時間が長いとより深く長く妄想しより体調が悪くなる。
渋滞にはまり遅刻しそうになったとき、取引先に起こられる妄想、取引が上手くいかなくなる妄想をして、どうしようもないのにハンドルを握る手の手汗がにじんでくる。
我々は不安をネガティブな妄想をどんどん作り出す癖に、とことん安心したい生き物です。
二人に一人はガンになる時代などと不安を煽り生命保険のCMをバンバンながす。不安を煽り安心を売る商売はさぞかし儲かる事でしょう。宗教も同じです。この本を買わないと仕事がうまくいかなくなる。沢山布施しないと家が絶えるなどの常套文句でどれだけ儲けられるか。普段、焦ったり不安にならない人は騙される方が悪いと言いますが、人生の中で連続してうまくいかない時もあれば、急に家族問題や金銭トラブル、大きな事故にぶち当たることもあります。そんな心が疲弊している時に不安を煽られたら、在りもしない安心にすがりたくなるものでしょう。
一番の安心は妄想しないことです。高価な本や壺を買う事ではありません。保険に入ることではありません。宗教に入る事ではありません。
現状を把握し、これからの事を分析し、計画を立て実行する。これがとても重要です。ネガティブに、ただの感情でなにもせずに不安や焦燥という二の矢を受けないようにすることがここで示されています。
補足ですが、保険の意義は「低い確率で大きな損失に皆でお金を出し合って備える」とこです。二人に一人がかかるガンに保険などシステム的にかけようがないのです。
第二十五則「塩官犀扇」
第二十五則 塩官犀扇(えんかんさいせん)
衆に示して曰く:
刹海(せっかい)涯(はて)無きも当処を離れず。塵劫(じんごう)前の事、尽く而今にあり。
試みに伊(かれ)をして覿面(てきめん)に相呈せしむれば、便ち風に当たって拈出することを解せず。
且らく道え過(あやまち)什麼(なん)の処にか在る。
刹海・・・世界。地球。
塵劫・・・無限の時間。
覿面・・・目の前。
現代語訳
この広大な世界を見ると地平線や水平線が見えて丸く端っこがあるように見えるが、実際に丸いわけでも端があるわけでも無い。端があるように見えるのは自分の二元論的な見方がそう見せている。
遠い昔の事柄の事を考えても、今この瞬間の事柄しかない。「春が夏になる」とは言わないように夏が来て夏という今が独立している。
試しに、この空間的、時間的な縁起の理を聞いてみると、力量の無いものは戸惑って、縁起の理を提示できない。
では戸惑ってしまう人とはなにがダメなのか?
本則
挙す。
塩官、一日侍者を喚ぶ、「我が為に犀牛(さいぎゅう)の扇子を過ごし来たれ」【要且つ他を少(か)くことを得ず】。
者云く、「扇子破れぬ」【未だ挙せざる時に却って完全】。
官云く、「扇子、既に破れなば我れに犀牛児を還し来れ」【いうことを見ずや破れぬと、何ぞ話を領せざる】。
者、対(こた)うる無し【扇子猶在り。有りと雖も無きが如し】。
資福、一円相を描きて、中に於て一の牛の字を書く【功を出だし行を新たにして能く做して売ることを会す】。
塩官・・・塩官斉安禅師(不明~842年)。馬祖道一禅師の弟子。
犀牛の扇子・・・犀の骨を使って作った扇子。
犀牛児・・・扇子の骨組みだけ。
資福・・・資福如宝禅師(不明~不明年)。仰山禅師の孫弟子。塩官斉安禅師よりも後の時代の人。
現代語訳
ある時、塩官禅師が侍者に「犀牛の扇子を持ってきてくれ」と言った【誰にでも必要な物だ】。
侍者は「扇子は破れて使えません」と言った。
塩官禅師は「では、扇子の骨組みだけ持って来なさい」と言った【扇子が破けているのに骨だけ持ってこいとは意味の分からない人だ】。
侍者は何と返していいのか分からず黙ってしまった【扇子が在るとはいえ、無いようなものだ】。
この話を聞いた資福は空中に〇を書いてその中に『牛』の文字を書いた。
頌
頌に曰く。
扇子破るれば犀牛を索(もと)む【一做さざれば二休せず】。
捲攣中(けんれんちゅう)の字来由有り【強いて道理を説くが如し】。
誰れか知らん桂穀(けいこく)千年の魄【根を千丈に埋む】、妙に通明一点の秋と作らんとは【現世に苗を生ず】。
捲攣・・・木製の盆。一円相のこと。
桂穀・・・月輪。
魄・・・月の明かりが当たっていない部分。
現代語訳
扇子が破れたので骨組みを持ってこいと言った【一回言って分からなければ何度でも言おう】。
一円相に牛の字を書いたが、そこに縁起の理がある【道理を説いている】。
誰が月には光が届かない場所があることを知っていようか。しかし、千年以上も光が当たらない場所に光が届いた。
解説
今回は物、物質の在り様の話です。
扇子という存在を考えると、風を送り扇ぐものと定義されます。
ここで、我々が日常で考える二元論的に言うと「扇子で自分を扇ぐ」となるわけです。しかし、縁起では変わってきます。そこに予め扇子が在るわけでは無く、「仰ぐもの」=「扇子」となるわけで、仰いでいない扇子は扇子ではないということです。つまり縁起で言えば「扇ぐ行為をする私」と「扇子」が扇ぐ行為で現成する、となります。
ここで「塩官禅師は扇子を持ってきてくれ」と言いました。しかし、扇子が扇がれて初めて扇子になるわけだから、骨組みだけの破けた扇子が扇子ではない理由も無いわけです。骨組みだけでも扇げば扇子になる。それは扇ぐという行為によって現成する存在であるから。
このことが侍者は分からなかった。そして資福禅師はこの話を聞いて、空中に牛を書いた。空中に書いた牛と目の前にいる牛と絵に描いた牛は牛を見る、牛を牛と捉えるという行為において牛は牛として現成するだろうということを示したのでしょう。
道元禅師正法眼蔵画餅の巻で、「絵に描いた餅は飢えを満たさない」というが、米餅もずんだ餅も菜餅も全て絵に描いた餅である。餅という概念をもって餅を餅として扱う行為がそこにある以上、餅と自己の関係性の上で画餅は餅であると言う。
もちろん日常でこんな言葉の使い方はしませんが、塩官禅師は侍者が縁起を分かっているのか突然試したのでしょう。示衆にもあるように縁起を日常で実践していれば突然試されても一円相を描くように返せたでしょう。
第二十六則「」
第二十六則
衆に示して曰く:
本則
挙す。
頌
頌に曰く。
解説
第二十七則「」
第二十七則
衆に示して曰く:
本則
挙す。
頌
頌に曰く。
解説
第二十八則「」
第二十八則
衆に示して曰く:
本則
挙す。
頌
頌に曰く。
解説
第二十九則「」
第二十九則
衆に示して曰く:
本則
挙す。
頌
頌に曰く。
解説
第三十則「」
第三十則
衆に示して曰く:
本則
挙す。
頌
頌に曰く。