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従容録の自己流解説「21則~30則」

さて、従容録の第11則から20則を読み解いていきます。
1則から10則まではこちら 「従容録1則~10則」
11則から20則まではこちら「従容録11則~20則」

以下の点を読み解いていく為の軸とします。
1,自己の本質や自己そのものが単一で存在しない
  これは、自己の存在認識が二元論的に自分と他人の対比による言語化された虚構の概念であるから。

2,「悟り」や「真理」という言葉に根拠を持たない。
  仏陀は悟りについて具体的に経典で言及していない。あくまでも悟ったと言う経験談を語っているに過ぎないので「悟り」が何かを定義しない。

3,人権や道徳、倫理に関わる問題はそのまま読み進める。
  ジェンダー、身分、職業、暴力、身体的障害等は現代の感覚とかけ離れているが、あくまでも当時の感覚と捉え気を悪くせず受け止めていただきたい。

4,本則の漫画のみを読み解くと読み手の自由な解釈が無限に出てくるため、
  宏智正覚禅師と万松行秀禅師が何を狙ってエピソードを取り上げたかにフォーカスして読み解く。

目次

第二十一則「雲巌掃地」

雲巌掃地 従容録

第二十一則 雲巌掃地(うんがんそうち)

衆に示して曰く:

迷悟を脱し、聖凡を絶すれば、多事無しと雖も、
主賓を立て貴賎を分つことは別に是れ一家。
材を量って職を授くることは即ち無きにあらず。
同気連枝(どうきれんし)、作麼生(そもさん)か会す。

迷悟・・・迷いと悟りという対立したもの。二元論の概念。
聖凡・・・二元論の概念。
同気連枝・・・同じ幹で育った枝。転じて兄弟のように気心の知れた間柄を表す。

現代語訳
我々は物事を認識するとき、対比と二元論で判断する。もし、この二元論の見方を脱却すれば、悩みも苦しみを引きずることも無いだろう。
しかし、日常生活で、物事と物事の対比、概念の対比を用いずに生活できるわけでは無い。人間に価格表示があるわけでは無いが、他人の特性や特技、気質を考え役割を与えたりすることもある。
この事を踏まえ、気心の知れた間柄の僧侶が問答すると、どうなるか見てみようか。

本則

挙す。
雲巌掃地の次いで【沙弥行童気力を得ず】、
道吾云く、「太区区生」【兵を埋めて闘いに挑む】。
巌云く、「須らく知るべし、区区たらざる者有ることを」【惜しむべし話両橛(りょうけつ)となることを】。
吾云く、「恁麼ならば則ち第二月有りや?」【豈止(ただ)に第二にのみならんや、百千万箇】。
巌、掃菷を提起して云く、「這箇は是れ第幾月ぞ?」【水晶宮裏より出頭し来る】。
吾便ち休し去る【尽く不言の中に在り】。
玄沙云く、「正に是れ第二月」【一人虚を伝うれば万人実を伝える】。
雲門云く、「奴は婢を見て慇懃」【邪に随って簸箕(ひき)を撲(う)つ】。

雲巌・・・雲巌曇晟(うんがんどんじょう)禅師(780~841年)。百丈懐海禅師に参じた後、薬山惟儼禅師から法を得た。
沙弥行童・・・沙弥も行童も戒に従い寺院で修行するが、まだ正式な僧侶となっていない若者。だいたい15歳以下。
道吾・・・道吾円智禅師(769~835年)。雲巌曇晟禅師の実の兄にあたる。最初は役所に勤めていたため、仏道の上では雲巌曇晟禅師の弟弟子にあたる。薬山惟儼禅師から法を得た。
太区区生・・・太いは「はなはだ」、区区は勤労の意味、生は助詞。大いにご苦労様ですの意味。
両橛・・・クサビ。2つのクサビで2つに割るという意味。
第二月・・・乱視が激しい人は空に月が2つあるように見える。二元論的な見方の妄想をいう。
玄沙・・・玄沙師備(げんしゃしび)禅師(831~906年)。雪峰禅師の法を得る。
雲門・・・雲門文偃(うんもんぶんえん)禅師(864~949年)。雪峰禅師の法を得る。
奴・・・下僕。
婢・・・下女。
簸箕(ひき)を撲(う)つ・・・大口をたたく。

現代語訳
ある日、雲巌が箒で庭掃除をしていた【雲巌禅師ほどの人が掃除に精を出していたら小僧たちもサボっていられない】。
そこへ、弟弟子であり実兄である道吾が来て言った。「おっ、精が出ますね~。お疲れ様~」。
すると雲巌が「精が出ていない者もいるね~」と返した【精が出る、精が出ていいなの対比に持ち込んだのは惜しい】。
道吾は「精が出ていない者がいるとすれば、勝手に(あいつは精を出していない)と自分が妄想しているだけだろう」【この妄想は日常の中で百千万も存在する】。と返した。
そこで雲巌は持っていた箒を立てかけて言った。「では、掃除を止めた私の姿はどんな妄想によって、どのように見える?」。
道吾は、そこから先は言葉に及ぶものは無いとみて、黙って去っていった。
後に、この話を玄沙は「まさにこの二人の言葉全てが、妄想分別だ」と批評した【一人が語った妄想も、皆で共有すれば現実となる】。
またさらに後に雲門は「この話を批評してる時点で、それも妄想分別だ」と玄沙を批評した【雲門も余計な大口を叩いた】。

頌に曰く。
借り来たって聊爾(りょうじ)として門頭(もんとう)を了ず【当処に発生す】。
用い得て宜しきに随って便ち休す【随処に滅尽す】。
象骨巌前(ぞうこつがんぜん)、蛇を弄する手【他人を道わんと欲せば】。
児の時の做処(さしょ)、老いて羞(はじ)を知るや【まず自己を治めよ】。

聊爾・・・ちょっとのこと。
門頭・・・眼耳鼻舌身意の六根門。。
象骨巌前・・・雪峰山が象の鼻の形に似ていた事に由来。雪峰禅師のことを指す。
蛇を弄する手・・・従容録二十四則「雪峰看蛇」を参照。

現代語訳
雲巌と道吾は掃除というちょっとした出来事を使って五感や心の動きから起こる妄想分別を掃除していった。
雲巌の箒の使い方に感服し道吾は去っていった。
雪峰禅師に蛇の妄想をさせられた玄沙と雲門は、この話を批評する前に、以前の自分たちはどうだったか思い返してみるが良いだろう。

解説

仏教のスタートは一切皆苦からです。人間は基本設定が苦しみを受けるようになっている欠陥だらけの生物である。常に過去の辛い記憶を思い返したり、未来を不安に思い、今の自分の人生に今までの人生に納得が出来ず虚しくなる。苦しくなる。
なので、これを如何に解決しながら生きていくのか、これが一切皆苦であり仏道を志す原動力です。
決して先祖供養や葬儀や他者貢献が目的の宗教ではありません。ブッダも道元禅師も他人を救おうと出家をしたわけではありません。
その苦しみの根源にあるのが妄想分別です。この妄想とは目の前に無い事を頭の中で作り出す事だけを指すのではありません。
私がここにいる。ここにコップがある。スマホを私は見ている。これらも全て妄想と言っています。何故かと言うと、私という存在が無条件で存在している。コップという存在が私に関係なく、あらかじめ世界に存在していることを前提に物事を判断しながら生活をしているからです。
これの何が妄想かというと、今この瞬間に「私」と「私以外の物」の対比を行い「わたし」という言語に結び付け「私」を妄想し存在させていると考えます。コップも「コップ」と「コップ以外のもの」という対比によってコップがあると妄想していると考えます。
もし、地球上に人間が私一人だけだと、そもそも強烈な自我意識を持つ必要性はありません。名前も必要ありません。「人間」という言語も必要ありません。もし、地球上が全て水で覆われた惑星であれば「海」という概念も「陸」という言語も必要ありません。必要に応じて存在を妄想していくのが人間です。
仏教ではここから存在の在り方を変えていきます。コップが在るのではなく、液体を入れて飲むという行為をした時に限定的にコップという存在が現れる。であれば「私がコップでジュースを飲む」という言葉は成立しません。「私」と「コップとして扱われたモノ」という関係性の上で「飲む私」という存在が現れ、「液体が入ったモノ」という存在が現れる。これを縁起と言います。
ここまで、存在の在り方を解体すれば、「私は苦しむ生き物である」という根本から、苦しみを取り除くのではなく、「私」という存在そのものを解体することが出来る。
これが今回の話のポイントです。
衆に示して曰くでは、縁起により、妄想もせず、対比もせず物事を見る事が出来ればそれで仏道は成り立つが、日常生活で「このコップの在り方は?」とか「目の前の人との関係性による自己の存在の仕方は?」などと考える余地はあまりないだろうし、集団生活の中で人と人を比べない生き方なんて不可能である。この不可能である中で気心の知れた兄弟が会話をしたら、どんな仏法が見えてくるだろう。という問いかけをしています。
そして、雲巌と道吾は「頑張る」「頑張らない」の対比で物事を見るのは妄想だ、という問答をします。最後に雲巌は箒を置き、掃除を止めてしまった。ここで先ほど「頑張って掃除をしていた人」が「頑張っていない人」に変わった。つまり、対比をしようにも、それを扱う人の主観と関わり方で「頑張っている人」「頑張っていない人」にもなり得る諸行無常であることを示した。道吾は「頑張っている人」「頑張っていない人」という言葉で表せない雲巌を見て納得し黙って去っていった。

大学時代、農学部の同期にオーストラリア人と日本人のハーフで超美人のモデルをやっている子がいました。当時、町田駅経由で大学に通っていましたが、町田駅にその同期の顔写真がでかでかと広告に使われているのを見てぎょっとしたのを覚えています。その同期は「今日はクルーズ船でデート!」とか「昨日はヘリコプターをチャーターした」とか「今の彼氏はベンチャー企業の社長」という話をよくしていました。まぁ、美人なので同じ大学生ではなくお金にも余裕があり容姿にも自信がある人が集まってくるのでしょう。しかし、往々にして「あのモデルは自分よりも仕事を貰っている」や「今の彼氏は体の相性が良くない」と不満も漏らす。
どんなに恵まれていても、自分が自己をどのように扱うかという事を考えた時に自分の人生に納得できる人はいないのだと考えさせられます。それは、おそらく他人と比較するからだけではなく、自己は他人から強制された存在だからでしょう。
仕事が無くてつらい時期を過ごしても、大多数の人が仕事をしている中での無職か、無職だらけの世界での無職かは心の焦りや後ろめたさは大きく違うでしょう。他人から言葉に出されなくても「あなたって○○だね」と言われながら生きていく。

私は、人に対して存在しているだけで尊いとは言いません。そう扱ってくれる親や友人がいるのなら、それは大いに結構な事ですが。
私は他人から強制的に自己を存在させられているのは大仕事だと言います。よく、他人と比較するなという人が居ますがそんなことは無理です。山奥で仙人になれば出来るでしょうが。
雲巌や道吾のようにお互いに、今の自己の在り方は対比か縁起かという問いをかけ続ける姿勢は立派だと思います。

第二十二則「巌頭拝喝」

巌頭拝喝

第二十二則 巌頭拝喝(がんとうはいかつ)

衆に示して曰く:

人は語を将(も)って探り、水は杖を将って探る。
撥草瞻風(はっそうせんぷう)は尋常(よのつね)用(もち)うる底なり。
忽然(こつねん)として箇の焦尾(しょうび)の大虫を跳出(ちょうしゅつ)せば又作麼生(そもさん)。

撥草瞻風・・・山深い道を草をかき分け歩き道を尋ねる。行脚の意味。師匠を探し求めるという意味。
焦尾の大虫・・・尾を焼いて人の化ける虎。素晴らしい力量のある人のこと。
同気連枝・・・同じ幹で育った枝。転じて兄弟のように気心の知れた間柄を表す。

現代語訳
人の性格性質は言葉を使ってはかり、水の深さは杖を使って計る。
人の気質を探るということは自分の本当の師匠を探し求めるようなものだ。
実際に僧侶の多くは本師を探している。
では、突然目の前に人間離れした素晴らしい人が現れたらどうするか?

本則

挙す。
巌頭、徳山に到り門に跨(またが)って便ち問う、「是れ凡か?是れ聖か?」【這の賊】。
山、便ち喝す【髑髏を烈破す】。
頭、礼拝す【未だ好心に当たらず】。
洞山、聞きて云く、「若し是れ豁公(かつこう)にあらずんば大いに承当(じょうとう)し難し」【幣を厚くし言を甘くす】。
頭云く、「洞山老漢、好悪を識らず。我れ当時(そのかみ)、一手抬(いっしゅたい)一手捺(いっしゅなつ)」【我豈知らざらんや】。

巌頭・・・巌頭全豁(がんとうぜんかつ)禅師(828~887年)。徳山宣鑑(とくざんせんかん)禅師の弟子。
徳山・・・徳山宣鑑(とくざんせんかん)禅師(782~865年)。龍潭崇信禅師の弟子。「徳山の棒、臨済の喝」と評された。
凡・・・普通の人を表す。人間界の人間の意味。対義語は人格が完成した人を表す「聖」。
洞山・・・洞山良价禅師(807~869年)。雲巌曇晟禅師の弟子。曹洞宗の洞の字は洞山に由来。
豁公・・・巌頭のこと。
一手抬一手捺・・・片手で持ち上げ片手で押さえつける。

現代語訳
巌頭がある日、師匠である徳山禅師の寺に行き、門の敷居を跨いで「これは寺に入っているでしょうか?それとも寺の外でしょうか?ど~っち~だ?」と言った【こいつ師匠を試してるぞ】。
徳山がそれを聞いて「かぁーーーーーーーーーつ」と叫んだ【巌頭の頭を吹き飛ばす勢い!!】。
巌頭はその師匠の出方を見て、すぐに礼拝した【心から礼拝しているわけではなさそうだ】。
巌頭はこのことを洞山に話した。
すると洞山は「さすが巌頭さんですね~。あなたでなかったら徳山禅師の意図を理解できなかったでしょう!」と言った【巌頭を褒め出方をうかがっているな】。
巌頭は「洞山老人は人の心も分からないでいい加減なことを言いますな~。半分正解と言っておきましょう。」と返した【巌頭は慌てているな。半分正解などと言わなくても分かっているよ】。

頌に曰く。
来機(らいき)を挫(とりひ)しぎ【風行けば草偃す】、権柄(けんぺい)を総(す)ぶ【符到れば奉行す】。
事に必行(ひっこう)の威あり【仏手も遮ることを得ず】。国に不犯の令あり【誰か敢えて当頭せん】。
賓は奉を尚(たっと)んで、主は驕り【下は以て上を風刺す】、君は諫めを忌んで、臣は佞(ねい)す【上は以て下を風化す】。
底(な)んの意ぞ巌頭、徳山に問う【然も父子が師(いくさ)を興すと雖も】。
一抬一捺、心行を看よ【未だ干戈相待つことを免れず】。

来機・・・仏道を学ぼうとする人。
風行けば草偃す・・・強い風が吹くと草はたちまちに横倒れになってしまう。転じて力のある僧侶の前では頭が上がらないの意。
権柄・・・軽量を測る秤。ここでは物事を適切に処置すること。
符到れば奉行す・・・符は君主から渡される信任状。これを持っていれば誰でもひれ伏すの意。
下は以て上を風刺す・・・目上の人に間違いを指摘しにくいので、それとなく伝えるということ。
上は以て下を風化す・・・部下にきつく当たると、パワハラになってしまうので徳をもって自然に教えるということ。
干戈相待つことを免れず・・・手を抜かず戦うという意味。

現代語訳
徳山禅師は、自分の仏道を試しにきた巌頭に見事に答えた【誰でも頭が下がるだろう】。
徳山禅師の喝は威力抜群であり、巌頭の礼拝は国の法律に従うように当たり前だ。
家来が主君を敬い褒めると、主君は威張ってしまう。主君が家来を戒めないと、家来たちが好き勝手やってしまう【部下はいい感じに上司を立て、上司はパワハラにならないように部下に接するのが良いだろう】。
巌頭はどのような意図で徳山禅師に「これは寺に入っているでしょうか?それとも寺の外でしょうか?ど~っち~だ?」と聞いたのだろうか。褒めるも叱るもどっちでも良いが、対人関係の心の動きをよく見よ【徳山禅師と巌頭の争いは手加減が無いな。まるで親子のようだ】。

解説

悩みの原因のほとんどは人間関係です。
他人の心は分からない。正確で多面的でズバリ○○な人と言い表すことは難しい。豪快な人も繊細な一面を持ち、悪人も優しい一面を見せる。ヒトラーも買っていた犬を愛で、家族思いであったことは有名な話。
英雄で冒険家のコロンブスは原住民を虐殺した殺人者である。
巌頭の問いはまさに、「私は出家か在家かどっちだ?」という問いかけでもあり、「私は善人か、悪人か?」という問いかけでもある。その「私」の性質は二元論でしか測ることが出来ない。二元論で出家在家を答え、善人悪人を答えることは意味が無い。それは、戦勝国の戦士は英雄で、敗戦国の戦士は戦犯という馬鹿げた答えと変わらない。
そんな二元論による思慮分別を喝によって吹き飛ばしたのだろう。

この話のポイントは必ず対人では分からない部分が残るということです。親や友人が分かった風になるのが一番怖い。そして、自分の思慮分別に相手を当てはめようとすると、たちまちに支配や暴力や洗脳が始まる。
特に親子関係は難しい。親は子供の幸せを願って、塾に通わせ習い事をさせ、偏差値の高い小中学校、有名な大学、一流企業に就職させようとする。それが、自分基準の幸せだから。これが善意とか悪意は関係ない。支配された子供は自分にも子供が出来た時に支配しようとすることも、押し付けられた子供は抑圧から逃れようと自傷行為や他人攻撃に発展することも、洗脳された子供は自分自身で自己の在り方を問いかけることは無いだろう。
親子関係は生まれて初めてぶつかる人間関係であり、親か子供が死ぬまで続く切り難い人間関係です。

第二十三則「魯祖面壁」

魯祖面壁

第二十三則 魯祖面壁(ろそめんぺき)

衆に示して曰く:

達磨九年、呼んで壁観(へきかん)と為す。
神光(じんこう)三拝、天機を漏泄(ろせつ)す。
如何が蹤を掃い、跡を滅し去ることを得ん。

達磨・・・菩提達磨(不明~不明年)。インドの僧侶。中国に渡り少林寺の洞窟で九年間坐禅をしたと言われる。壁に向かって坐禅をしていたため、壁観婆羅門と呼ばれていたと言われる。しかし、本来は「壁と風景が同化する」という意味合いに近いので壁に向かっていたかはよく分かっていない。また、アーリア人の流れを汲む人であり目が青かったという。
神光・・・神光慧可禅師(487~593年)。菩提達磨の弟子。達磨には四人の弟子がいた。ある時、面接試験のようなものを行いそれぞれに仏道について聞いた。三人の弟子は各々、所感を答えたが、慧可禅師は三度礼拝して立ち、何も言わなかった。

現代語訳
洞窟で坐禅する菩提達磨の事を巷では壁観婆羅門と呼び、その弟子である慧可禅師が三拝をして達磨の法を継承した。
坐禅の足跡が残り、三拝の痕跡が残っている。如何にしてこの跡を消し去ろうか?

本則

挙す。
魯祖、凡そ僧の来たるを見れば便ち面壁す【相見了也】。
南泉、聞きて云く「我れ尋常(よのつね)、他に向かって、空劫以前に承当せよ【考せざるに自ら招く】。
仏未だ出世せざる時に会取せよと道うすら【和尚会すや也未だしや】、
尚ほ一箇半箇を得ず【只詮索を漏らす為なり】。他恁麼ならば驢年(ろねん)にし去らん」【忙者は不会】。


魯祖・・・魯祖宝雲(ろそほううん)禅師(不明~不明年)。馬祖道一禅師の弟子。
南泉・・・南泉普願禅師(748~834年)。馬祖道一禅師の弟子。
空劫以前・・・地球が出来る前の世界。地球や世界を認識する生物が居ない時。
考せざるに・・・考は拷問のこと。
詮索・・・詮は木の杭。索は縄のこと。水道を引く時に杭や縄でしっかり固定しないと漏れてしまう。
驢年・・・干支の驢馬の年。干支に驢馬はいない為、絶対に無いものを示す。
忙者は不会・・・心があせっている人には理解できない。納得できないという意味。

現代語訳
魯祖は誰かが訪ねてきても、壁を向いて坐禅をしてしまう。これでは誰も目を合わせる事も話すことも出来ない。
南泉禅師がこれを聞いて言った。「私は常々、修行僧達に世界や社会を認識し作り上げるホモサピエンスが誕生する以前の事を考えてみろ。仏陀がこの世に生まれる前の仏教について考えてみろと言っている。しかし、この意味が納得できる修行僧はあまりいないだろう。魯祖の部屋に行き、魯祖が面壁坐禅をしているからといって話さないのでは、非常識なことが目の前に来た時に理屈で否定したくなるだろう。」

頌に曰く。
淡中に味わい有り【誰か汝をして塩を添え醋を著けしむるや】、妙に情謂(じょうい)を超ゆ【別日に再び商量せん】。
綿綿として存するが如くにして、象の先なり【已に第二に落つ】。
兀兀(ごつごつ)として愚の如くにして、道貴し【人の価を著くる無し】。
玉に文を雕(ちりば)めて以て淳を喪し【和尚、手高し】、珠は淵に在って自ずから媚ぶ【少売弄】。
十分の爽気、清く暑秋を磨す【体露金風】。一片の閑雲、遠く天水を分かつ【好事魔多し】。

情謂・・・分別と言語。
兀兀・・・不動。体の動きが不動という意味だけでなく、思慮分別妄想までも不動になることをいう。
少売弄・・・自分の商品を自慢する商人。
体露金風・・・秋の風が吹くなかですっぽんぽん。
下は以て上を風刺す・・・目上の人に間違いを指摘しにくいので、それとなく伝えるということ。
上は以て下を風化す・・・部下にきつく当たると、パワハラになってしまうので徳をもって自然に教えるということ。
干戈相待つことを免れず・・・手を抜かず戦うという意味。

現代語訳
淡々と行じる意味も得る物も無い坐禅の中に意味がある。そこに分別や言語による妄想は無い。
魯祖の坐禅は仏陀から達磨大師を経て脈々と受け継がれてきたように見えるが、仏陀が生れる前を考えれば「坐禅」や「坐禅以外の行為」などの概念は存在しないであろう【前と今と先を分けてしまうと二元論に落ちるぞ】。
ひたすらバカみたいに、動かず考えず坐禅をする尊さがそこにある【黙って坐る姿に値段はつけられない】。
言葉を使って仏法を示そうとするのは玉に装飾を施して立派に見せるようなものだ。立派に見えても玉本来の自然な美しさが無くなってしまう。
魯祖と南泉の境涯は暑さを吹き飛ばす秋の風のように颯爽として、薄い雲が海と空を綺麗に分けるようなものだ。

解説

人類が地球上に私一人のみだとおそらく悩みは殆どなくなるでしょう。そして物心ついても言語という物を用いる事がないでしょう。分別判断はあっても、それを明確に言語で固定化して有る物を在ると強烈に認識する必要性がなくなります。ロシアに行けば雪を表す単語が多くなり、降水量が多い日本では五月雨、俄雨、時雨、豪雨など雨を表す単語が多くなり、砂漠地帯に行けばラクダを表す単語が多くなる。それは必要に応じて共有するツールとして言語化された概念を持つからです。人類が私一人ならば共有する必要はなくなるでしょう。
坐禅はある種の言語化された概念の解体が発生します。まず、坐禅は静かな所で暑くも寒くもなく、座り心地も悪くなく、眠くもなく、満腹でも空腹でもなく、雨風にさらされるわけでも無い環境状態で行います。禅宗は厳しいイメージがあるのでどんな環境でも気合一発坐禅しろと言われそうですが、そうではありません。
なぜ、環境と自己の状態を整えるのか。それは、頭の中で起こる分別妄想を言語で固定化する働きを無くすからです。寒かったり、怒りに震えている時は常に○○は■■だという思いが抜けず、頭の中がグルグルします。
しかし、坐禅ができる環境が常にあるわけでも無く、曹洞宗の修行において坐禅の時間が極端に多いわけでもありません。
禅宗などと呼ばれているのは、出家者が名乗ったからではなく、坐禅や受け継がれてきた仏法が何かも分からない学者や在家の戯言でしょう。
示衆にもあるように達磨大師は坐禅を伝えたわけでも無く、魯祖の坐禅と南泉の仏法に大きな違いなども無いし、坐禅と坐禅以外の修行の区別も無ければ、悟りと悟り以外のものの区別もないのであろう。

第二十四則「雪峰看蛇」

雪峰看蛇

第二十四則 雪峰看蛇(せっぽうかんじゃ)

衆に示して曰く:

東海の鯉魚(りぎょ)、南山の鼈鼻(べつび)、普化の驢鳴(ろめい)、子湖の犬吠(けんぺい)、
常塗(じょうと)に堕せず異類に行かず。
且(しば)らく道(い)え、是れ什麼人(なんびと)の行履(あんり)の処ぞ。

東海の鯉魚・・・従容録第六十一則に出てくる話。雲門禅師が「悟りの道や涅槃の門とは何ですか?」と聞かれた際に答えた「東海の鯉魚を棒で叩くと大雨が降るようなものだ」と答えたことに由来。
南山の鼈鼻・・・この第二十四則の本則の話。
普化の驢鳴・・・普化禅師が生野菜を齧っていると臨済禅師が「驢馬みたいだな」と言った。すると普化禅師が驢馬の鳴き声の真似をした。
子湖の犬吠・・・子湖は子湖利蹤(800~880年)。南泉普願禅師の弟子。【子湖に一隻の狗あり】の碑を建てて弟子を育成しいたと言われる。
常塗・・・仏祖が行じてきた道のり。
行履・・・行い。素行。

現代語訳
雲門禅師が悟りや涅槃を鯉に例え、南山では毒蛇が出ると聞いて焦り、普化禅師が驢馬みたいと言われれば驢馬の真似をする、子湖禅師は「この寺に犬の修行僧がいる」と立て札を建てた。
常套手段で仏道を示す訳でもなく、かといって人間離れした仏道を示すわけでも無い。
さて、こんなふうに仏道を示す僧侶はどんな実践をしているのか?

本則

挙す。
雪峰衆に示して云く、
「南山に一条の鼈鼻蛇(べっぴじゃ)有り、汝等諸人、切に須らく好く看るべし」【坐具を提起して云く、這箇是倩り来る底にあらず】。
長慶云く、
「今日堂中大いに人有りて喪身失命(そうしんしつみょう)す」【風を聞いて便ち颺る】。
僧、玄沙に挙似す【塁ねること三に過ぎず】。
沙云く、
「是れ我が稜兄(りょうひん)にして始めて得べし【狐朋狗党】、然も是の如くなりと雖も我は即ち不恁麼(いんも)」【別に一条の長有らば便ち請う拈出せよ】。
僧云く、
「和尚作麼生(そもさん)?」【毒虫、頭の上に痒いところを措く】。
沙云く、
「南山を用いて作麼(なに)かせん」。
雲門、柱杖を以って峰の面前に竄向(ざんこう)して怕(おそ)るる勢いを作す【何ぞ自ら己命を傷つくことを得たり】。

雪峰・・・雪峰義存(せっぽうぎそん)禅師(822~908年)。徳山宣鑑禅師の弟子。
鼈鼻蛇・・・頭がスッポンに似た蛇。
長慶・・・長慶慧稜禅師(854~932年)。雪峰義存禅師の弟子。
玄沙・・・玄沙師備(げんしゃしび)禅師(835~908年)。雪峰義存禅師の弟子。
狐朋狗党・・・同じ穴の狢。
雲門・・・雲門文偃(うんもんぶんえん)禅師(864~949年)。
竄向・・・向こうへ投げ出すこと。

現代語訳
ある時、雪峰禅師が修行僧たちに言った。「南山に毒蛇が出るという。人を呑み込み猛毒を持っているから気を付けるように。」【雪峰禅師は実際に見たのだろう】
皆が恐れおののくのを見て長慶がボソッと言った。「あ~あ、多くの修行僧が蛇に呑み込まれて毒に侵されてしまった。」
これを聞いていた修行僧が隣にいた玄沙に「長慶さんがあんなこと言ってますよ」と声をかけた。すると玄沙は「長慶さんだからこそその言葉が出てきたのだろう。私にはとても長慶さんのように言えないな~~」と言った【玄沙と長慶は同じことを思ったのだろう】。
修行僧は玄沙に「では玄沙さんでしたら、どんな事を言いますか?」
玄沙「南山じゃなくても毒蛇なんかどこにでもいるだろう!とでも言おうかな~」
すると雲門が雪峰禅師の前に行き、杖を投げ出して(杖を蛇に見立てて)「蛇が出たぞ!!」と、毒蛇が恐ろしくてたまらないという芝居をして見せた【自分が作り出した蛇に命を奪われることなど無い】。

頌に曰く。
玄沙は大剛【機に当たって父に譲らず】、長慶は勇少なし【義を見て為さず】。
南山の鼈鼻(べっぴ)、死して用無し【条の断貫索を担う】。風雲際会、頭角(ずかく)を生ず【時来れば蚯蚓(みみず)も蛟龍(こうりゅう)となる】。
果して見る韶陽(じょうよう)手を下して弄することを【忍俊不禁】。
手を下して弄す【弄不出ならば即ち休せよ、両廻三度】。激電光中変動を看よ【貶眼すれば喪身失命】。
我に在って能く遺り能く呼ぶ【少弄売】。
彼に於て擒(きん)あり縱あり【七寸手に在り】。
底事(なにごと)ぞ如今(いま)阿誰(だれ)にか付するや【万松老漢】。
冷口(れいく)人を傷(やぶ)って痛みを知らず【阿耶阿耶】。

韶陽・・・雲門禅師のこと。
少売弄・・・自分の商品を自慢する商人。
七寸手に在り・・・七寸は蛇の急所。
阿耶阿耶・・・おやおや。

現代語訳
玄沙は豪快だ【師匠に一歩も譲らない】。長慶は謙虚だ【修行僧になにもしない】。
南山の毒蛇も死んでしまって用無しになったな。死んだ蛇も時と場合によって毒蛇になる【ミミズも龍になる】。
雲門は毒蛇を活かしきった。雲門は毒蛇を活かす事も殺す事も自由自在だ。杖を蛇に見立てて芝居を打った機転の速さは流石であろう。
毒蛇が口を開けて待っていても、なにもしない人が沢山いる。是非とも活きた人間になってほしいものだ。

解説

今回は妄想の話です。
毒蛇が出るぞ!と言われ、毒蛇に咬まれる危険性や自分が毒蛇に咬まれたらと妄想して不安になってしまう。実際に今咬まれているわけでも無く、毒蛇に遭遇しているわけでも無いのに。その妄想によって起こる不安や強迫観念が本当の蛇の毒だと言っているのです。

仏陀はある時、弟子にこんな質問をしました。
仏陀「弟子たちよ、我々出家者と在家者の間には大きな違いがある。それが分かるか?」
弟子「分かりません。」
仏陀「それは、二の矢を受けるかどうかだ。我々は不本意ながらも暴力暴言病気や死に遭うことがある。それらの一の矢は自分の意志では完璧に防げない。しかし、在家者はここから妄想し起きる確率の大小にかかわらず心に矢を受け続ける。」
リストラなどで仕事を失うと、これからの生活が成り立たなくなる、生活水準が下がる、社会的地位が下がるだろうと妄想し心が疲弊する。
学校を風邪で休むと、次に学校に行ったときにクラスメイトは自分の知らない話題で話すのではないか、授業の内容が分からなくなっているのではないかと妄想し学校に行きたくなくなる。
入院すると、入院費は、家に残っている家族は、中途半端だった会社の仕事は、さらに一人の時間が長いとより深く長く妄想しより体調が悪くなる。
渋滞にはまり遅刻しそうになったとき、取引先に起こられる妄想、取引が上手くいかなくなる妄想をして、どうしようもないのにハンドルを握る手の手汗がにじんでくる。
我々は不安をネガティブな妄想をどんどん作り出す癖に、とことん安心したい生き物です。
二人に一人はガンになる時代などと不安を煽り生命保険のCMをバンバンながす。不安を煽り安心を売る商売はさぞかし儲かる事でしょう。宗教も同じです。この本を買わないと仕事がうまくいかなくなる。沢山布施しないと家が絶えるなどの常套文句でどれだけ儲けられるか。普段、焦ったり不安にならない人は騙される方が悪いと言いますが、人生の中で連続してうまくいかない時もあれば、急に家族問題や金銭トラブル、大きな事故にぶち当たることもあります。そんな心が疲弊している時に不安を煽られたら、在りもしない安心にすがりたくなるものでしょう。

一番の安心は妄想しないことです。高価な本や壺を買う事ではありません。保険に入ることではありません。宗教に入る事ではありません。
現状を把握し、これからの事を分析し、計画を立て実行する。これがとても重要です。ネガティブに、ただの感情でなにもせずに不安や焦燥という二の矢を受けないようにすることがここで示されています。

補足ですが、保険の意義は「低い確率で大きな損失に皆でお金を出し合って備える」とこです。二人に一人がかかるガンに保険などシステム的にかけようがないのです。

第二十五則「塩官犀扇」

塩官犀扇 従容録

第二十五則 塩官犀扇(えんかんさいせん)

衆に示して曰く:

刹海(せっかい)涯(はて)無きも当処を離れず。塵劫(じんごう)前の事、尽く而今にあり。
試みに伊(かれ)をして覿面(てきめん)に相呈せしむれば、便ち風に当たって拈出することを解せず。
且らく道え過(あやまち)什麼(なん)の処にか在る。 

刹海・・・世界。地球。
塵劫・・・無限の時間。
覿面・・・目の前。

現代語訳
この広大な世界を見ると地平線や水平線が見えて丸く端っこがあるように見えるが、実際に丸いわけでも端があるわけでも無い。端があるように見えるのは自分の二元論的な見方がそう見せている。
遠い昔の事柄の事を考えても、今この瞬間の事柄しかない。「春が夏になる」とは言わないように夏が来て夏という今が独立している。
試しに、この空間的、時間的な縁起の理を聞いてみると、力量の無いものは戸惑って、縁起の理を提示できない。
では戸惑ってしまう人とはなにがダメなのか?

本則

挙す。
塩官、一日侍者を喚ぶ、「我が為に犀牛(さいぎゅう)の扇子を過ごし来たれ」【要且つ他を少(か)くことを得ず】。
者云く、「扇子破れぬ」【未だ挙せざる時に却って完全】。
官云く、「扇子、既に破れなば我れに犀牛児を還し来れ」【いうことを見ずや破れぬと、何ぞ話を領せざる】。
者、対(こた)うる無し【扇子猶在り。有りと雖も無きが如し】。
資福、一円相を描きて、中に於て一の牛の字を書く【功を出だし行を新たにして能く做して売ることを会す】。

塩官・・・塩官斉安禅師(不明~842年)。馬祖道一禅師の弟子。
犀牛の扇子・・・犀の骨を使って作った扇子。
犀牛児・・・扇子の骨組みだけ。
資福・・・資福如宝禅師(不明~不明年)。仰山禅師の孫弟子。塩官斉安禅師よりも後の時代の人。

現代語訳
ある時、塩官禅師が侍者に「犀牛の扇子を持ってきてくれ」と言った【誰にでも必要な物だ】。
侍者は「扇子は破れて使えません」と言った。
塩官禅師は「では、扇子の骨組みだけ持って来なさい」と言った【扇子が破けているのに骨だけ持ってこいとは意味の分からない人だ】。
侍者は何と返していいのか分からず黙ってしまった【扇子が在るとはいえ、無いようなものだ】。
この話を聞いた資福は空中に〇を書いてその中に『牛』の文字を書いた。

頌に曰く。
扇子破るれば犀牛を索(もと)む【一做さざれば二休せず】。
捲攣中(けんれんちゅう)の字来由有り【強いて道理を説くが如し】。
誰れか知らん桂穀(けいこく)千年の魄【根を千丈に埋む】、妙に通明一点の秋と作らんとは【現世に苗を生ず】。

捲攣・・・木製の盆。一円相のこと。
桂穀・・・月輪。
魄・・・月の明かりが当たっていない部分。

現代語訳
扇子が破れたので骨組みを持ってこいと言った【一回言って分からなければ何度でも言おう】。
一円相に牛の字を書いたが、そこに縁起の理がある【道理を説いている】。
誰が月には光が届かない場所があることを知っていようか。しかし、千年以上も光が当たらない場所に光が届いた。

解説

今回は物、物質の在り様の話です。
扇子という存在を考えると、風を送り扇ぐものと定義されます。
ここで、我々が日常で考える二元論的に言うと「扇子で自分を扇ぐ」となるわけです。しかし、縁起では変わってきます。そこに予め扇子が在るわけでは無く、「仰ぐもの」=「扇子」となるわけで、仰いでいない扇子は扇子ではないということです。つまり縁起で言えば「扇ぐ行為をする私」と「扇子」が扇ぐ行為で現成する、となります。
ここで「塩官禅師は扇子を持ってきてくれ」と言いました。しかし、扇子が扇がれて初めて扇子になるわけだから、骨組みだけの破けた扇子が扇子ではない理由も無いわけです。骨組みだけでも扇げば扇子になる。それは扇ぐという行為によって現成する存在であるから。
このことが侍者は分からなかった。そして資福禅師はこの話を聞いて、空中に牛を書いた。空中に書いた牛と目の前にいる牛と絵に描いた牛は牛を見る、牛を牛と捉えるという行為において牛は牛として現成するだろうということを示したのでしょう。
道元禅師正法眼蔵画餅の巻で、「絵に描いた餅は飢えを満たさない」というが、米餅もずんだ餅も菜餅も全て絵に描いた餅である。餅という概念をもって餅を餅として扱う行為がそこにある以上、餅と自己の関係性の上で画餅は餅であると言う。

もちろん日常でこんな言葉の使い方はしませんが、塩官禅師は侍者が縁起を分かっているのか突然試したのでしょう。示衆にもあるように縁起を日常で実践していれば突然試されても一円相を描くように返せたでしょう。

第二十六則「仰山指雪」

第二十六則 仰山指雪 ぎょうざんしせつ

衆に示して曰く:

氷霜色を一にし、雪月が光と交う。
法身を凍煞(とうせつ)し漁夫を清損す。
還って賞玩(しょうがん)に堪えんや也(ま)た無しや。

凍煞・・・凍死。
漁夫を清損す・・・12則地蔵種田の頌に出てくる故事と同じ。楚という国の大臣が、派閥争いで左遷される話が由来。左遷された大臣が左遷先の田舎で痩せ衰えていた。滄浪という河のほとりに行ったときに漁師から「おや、あなたは有名な大臣じゃないですか。どうしたんですか暗い顔して」と訊ねてきた。大臣は「世間が濁ってしまって、私一人だけ清らかだ」と愚痴った。すると漁師が「河の水が綺麗なら帽子を洗えばいいし、濁っていたら足を洗えばいいじゃないですか」と言った。世間を悲観するよりも、その世間でどのように生きるかを見ようという故事。

現代語訳
氷も霜も同じ白い色をしている。満月に出ている時に雪が降ると月も雪も光が当たり同じように輝く。これらは目で見ただけでは境界線が見えづらく判別しにくい。
物事の境界線を引いているのは自分自身である。自分が考える「正しさ」や「常識」もまた自分自身で区切っているに過ぎない。

本則

挙す。
仰山、雪獅子を指して云く、「還って此の色を過ぎ得る者有りや?」【仰山、覚えず平地に喫交することを】。
雲門云く、「当時(そのかみ)便ち与に推倒せん」【舡を奈何ともせず、戽斗を打破す】。
雪竇(せっちょう)云く、「只だ推倒を解して扶起を解せず」【路に不平を見て剣を抜いて相助く】。

仰山・・・仰山慧寂(840~916年)。爲山霊祐禅師の弟子。
雪獅子・・・雪で作った獅子。雪だるま的なもの。
雲門・・・雲門文偃(864~949年)。雪峰義存禅師の弟子。
戽斗・・・船の中の水を出す器。
雪竇・・・雪竇重顕(980~1052年)。雲門文偃禅師の曾孫弟子。碧巌録の作者。
扶起・・・助け起こす。積極的に起き上がらせる。

現代語訳
ある時、仰山禅師が雪だるまを指して修行僧に言った「この雪だるまよりも白いものはあるだろうか?」【平坦な道を歩きながら道端にあった雪だるまに食らいついた】。
後に雲門は「私がその時にその場に居たら、雪だるまを蹴飛ばして『雪の白さがどこにあるのだ!』と言ってやったのに」と言った【雪だるまそのものを破壊してしまっては白い○○という概念も持ちようがないではないか】。
雲門の曾孫弟子である雪竇は後にその話を聞いて「雲門さんは蹴飛ばす事が出来るようだが、雪だるまを助け起こして自由自在に『白』という概念に『純白』や『月白』『ミルク色』といった種類を持たせることを知らぬようだ。」と言った【蹴飛ばすのも助け起こすのも素晴らしい】。

頌に曰く。
一倒一起雪庭の獅子【あたかも箇の活底に似たり】。
犯すことを慎んで仁を懐き【法を識る者は恐れる】、為すに勇んで義を見る【路に不平を見る】。
清光眼を照らすも家に迷うに似たり【東西弁せず】、明白、身を転ずれば還って位に堕す【更に一層楼に上る】。
衲僧家(のっそうけ)了(つい)に寄ること無し【且く一生を過ぐ】。同死同生何れを此とし何れを彼とせん【刀斧斫(き)れども開けず】。
暖信(だんしん)梅を破って、春、寒枝に到り【返魂香(へんごんこう)を収得して】、涼飃(りょうひょう)葉を脱して、秋、潦水(ろうすい)を澄ましむ【来って塗毒鼓を撾つ】。

潦水・・・水溜まり。沼地。

現代語訳
雲門が雪だるまを倒し、雪竇が起こした【二人ともよく雪だるまを活かした】
仰山禅師は「正義」や「常識」に捉われないように慈悲の心でこの問答を始めた。そして各々が仁義をもって答えた。
雪だるまの白い光で目が眩み、方向感覚が無くなるように、物事の勝手に引いてしまった境界線を壊していった。
そのような、まっさらな境界線の無い世界から目を背けると自己の認識があたかも実体を持っているように錯覚してしまう。
真の出家者はそのような勝手に引いてしまった境界線を拠り所とすることは無い。生も死も区別を持たず、刀や斧が入り込む隙間も無い。
春という存在を見ても、「冬が春になった」とは言わず、「春が来た」という。春という存在は境界線を引かずとも独立して存在している。秋という存在を見ても「夏が秋になった」とは言わず、「秋が来た」という。夏と秋は前後裁断されており、各々自己と季節の関係性で構築される独立した存在であろう。

解説

アンミカというタレントが「白って200色あんねん」とバラエティー番組で発言し少し話題になった。番組内で手元にある白いタオルを褒めた際に出た言葉だという。私はテレビを殆ど見ないのでリアルタイムでも見ていないし、アンミカというタレントの事もよく知らないが、なんとも仏教的な発言だなと感心したのを覚えている。
我々は物事に境界線を引き、その境界線で囲われたモノを言語化することで強烈に物事を実体視する。なぜ実体視するかというと、生活に必要だからだ。
ロシアに行けば雪を表す単語は多数存在し、降水量の多い日本では雨を表す単語が多く存在する。サハラ砂漠に行けばラクダを表す単語が多く存在し、仏教発祥のインドでは怒りや悲しみなどの感情を表す単語が状況に応じて多数存在する。
そして、生活の上で必要である物事の実体視が時として煩悩や苦しみ生きづらさを生む。
インドでは「苦しみ」は「思い通りにいかない苦しみ」である。家族のこと、仕事のこと、恋愛のこと、病気のこと、思い通りに行かなことの多くは人間関係と老いと病だろう。
しかし、思い返してほしい、そもそも「思い通り」という事柄は「思い通りではない」事柄との境界線に引かれた実体の無い妄想です。
そして、その「思い通り」と思考している自己もまた「私は○○」だと言語で実体かのように定義されている只の概念です。もし、この物事の境界線を勝手に引いて勝手に実体視し、勝手に苦しんでいるだけであると分かれば、本当に理解すれば雲門が言うように境界線を破壊して実体視を完全に止めてしまえば良い。
しかし、物事に境界線を引かずに、自己を私だと他の何人でも無いのだと境界線を引かずに生きていく事は不可能です。であれば、勝手に引いた境界線で実体視されている虚構であることを承知で、間違いであることを承知で境界線の引き方を常識に捉われず再定義しなおすことも、また仏道の在り方でしょう。それを雪竇は示してくれた。

第二十七則「法眼指簾」

第二十七則 法眼指簾(ほうげんしれん)

衆に示して曰く:

師多ければ脈乱れ、法出でて姦生ず。
無病に病を医するは、以て傷慈なりと雖も、条有れば条を攀(よ)ず、
何ぞ挙話(こわ)を妨げん。

法出でて姦生ず・・・現代でも「上に政策あれば下に対策あり」という言葉が中国で言われている。政策で民を統制しても法をかいくぐり悪さをする人がいる。その隙間を埋めるようにまた政策を発動してもまた新たな対策が生れ悪さをする。いたちごっこが起こる。
条有れば条を攀(よ)ず・・・無縄自縛、自縄自縛のような意味。

現代語訳
師匠が多いとそれぞれから違う事を言われて返って混乱してしまう。
法律をしっかり細かく作ってもかいくぐって悪さをする人が出てくる。
まだ病気になっていなくても常に病気を治すように予防するのは結構な事だが、無病というのも病の一つである。
そのような病気を治す話を一つ挙げてみよう。

本則

挙す。
法眼、手を以て簾(れん)を指す【知らずと道(い)うこと莫れ。見ずと道うこと莫れ】。
時に二僧有り、同じく去って簾を巻く【行を同じくして歩を同じくせず】。
眼云く、「一得一失」と【剣下の身を分かつ】。

法眼・・・法眼文益(ほうげんぶんえき)禅師(885~958年)。地蔵桂琛(じぞうけいちん)の弟子。
簾・・・竹で編んだすだれ。僧堂(坐禅食事睡眠をする堂宇)の前後の入り口にこのすだれがある。永平寺では夏は竹の簾、冬は布の簾であった。坐禅中や睡眠中以外の出入りが多い時は巻き上げておく。

現代語訳
ある時、法眼禅師が僧堂の簾を指さした【僧堂では言葉を発してはいけないが、巻き上げろという意味だろう】。
すると二人の修行僧が前に出て一緒に簾を上げた【行為自体は同じだが歩調は同じではない】。
法眼禅師はそれを見て「一人は良いが、もう一人はダメだ」と言った【一太刀で身体を切り分けた】。

頌に曰く。
松は直く棘(いばら)は曲がれり、鶴は長く鳬(かも)は短し【動著することを得ず】。
羲皇世(ぎこうせ)の人、倶に治乱を忘る【葫蘆(ころ)提鏨肥(ていざんこ)ゆることを得たり】。
其の安きや潜龍(せんりゅう)淵に在り【仏眼見れども見えず】、其の逸するや翔鳥(しょうちょう)絆(きずな)を脱す【斫頭して望めども及ばず】。
何んともする無し、祖禰(そねい)西来す【上粱正からざれば】。裏許(りこ)得失相い半ばす【下柱参差(かちゅうしんさ)す】。
蓬(よもぎ)は風に随って空に転じ【業識茫茫として本の拠るべき無し】、舡は流れを截(き)って岸に到る【順水に帆を張る、快便に逢い難し】。
箇の中霊利(れいり)の衲僧【街に罵る酔漢、誰か敢えて承頭(じょうとう)せん】、清涼の手段を看取せよ【我が這裏(しゃり)にも也有り、只是其の人に遇うこと稀なり】。

葫蘆(ころ)・・・ひょうたん。
提鏨肥(ていざんこ)・・・石を削る道具のように瓢箪が大きく実っている様。
潜龍淵に在り・・・龍が潜っている時は眠っている時であり、とても静かだ。
其の逸するや翔鳥絆を脱す・・・鳥が足を縛っている縄をとって大空へ飛んでいく様。
祖禰西来す・・・達磨大師がインドから中国へ渡ったこと。
下柱参差す・・・建物の梁が真っ直ぐでないと下の柱もバラバラになり整わないということ。
清涼の手段・・・法眼禅師は清涼院というお寺の住職をしている。法眼禅師の手段のこと。

現代語訳
松は真っすぐであり、バラは曲がりくねっている。鶴の首は長く鴨の首は短い【そのままでよい】。
昔、良い王様が統治していた頃、民は戦争という言葉も忘れて平和という概念も無く暮らしていた【まるまる肥えたヒョウタンのように】。
その安寧は龍が眠っているかのようであった【縁起から見ても戦争も平和も見えない】。
その安寧は鳥が自由に大空を飛んでいるようであった【手をかざして見ても鳥が見えない】。
その安寧の土地に達磨大師がインドからはるばる来たのは致し方無いことである【建物の梁が曲がっていれば柱も安定しない】。
ヨモギが風に舞って、船が急流を横切って向こう岸に渡るようなものである。
達磨大師の門下の僧侶達よ、法眼禅師の仏道を見よ。

解説

私が永平寺の1年目修行僧であった時、維那(いのう)という役職の僧侶が朝の雑巾がけが終わった後、そのまま部屋に帰らずに雑巾を持ったまま山内をもう一度くまなく点検しホコリ一つも残さないように掃除を続けていました。維那老師は修行僧の人事権を持ち、修行僧の模範となる僧侶です。維那老師はホコリを取るだけでなく、各持ち場に帰った修行僧達の事も同時に点検し常に永平寺内の行仏威儀を見守っていました。
私もそれに倣って、永平寺内を歩く際には必ず廊下にゴミが落ちていないか、不便が無いか見るようにしていました。
私が永平寺の古参になると、そんな姿を後輩も見てか私と一緒に歩くと私がホコリを見つけるよりも先にゴミを見つけ先に拾うようになっていました。
私はホコリを指さしたわけでもなく、ゴミを拾えと言ったわけでもないのに拾う後輩。その是非を考えれば殆どの人は良い行いだと言うだろう。しかし、ここに是非の非の余地を残しておかなければならない。具体的に何がダメなのかという問いかけは無駄である。ホコリを探しゴミを拾う行為のダメなところを考えても見つけ出せる答えは自分の概念価値観の範疇を超えることはない。その範囲外での事柄がある余地を残さなくてはならない。
もし、その余地が無ければ「私の行為は正しい」「私の価値観は絶対だ」という自我意識に支配されてしまう。
他人のことも、事象のことも、自分のことも、死についても、悩みについても、悟りについても、子育てにも、教育にも政治にも宗教にも「分からないことが残る」という余地を残さないと自我意識の外の価値観や出来事に見舞われた時に心が大きく揺さぶられてしまう。

今回の話で法眼禅師は「一人は良いが、もう一人はダメだ」と言った。しかし、どちらの修行僧かは言っていない。であるならばどちらの修行僧にも簾を上げる行為の是非において是と非両方の可能性があるという事である。そして、○○は良い□□はダメという明確な個々人の是非の話をしているわけではない。二人ともそれぞれが半分良くて半分ダメである余地を残さなくてはありもしない悟りや「あるがままの自己」に振り回されてしまう。

第二十八則「護国三懡」

第二十八則 護国三懡(ごこくさんも)

衆に示して曰く:

寸糸を挂(か)けざる底の人、正に是れ裸形外道(らぎょうげどう)。
粒米(りゅうべい)を嚼(か)まざる底の漢、断(さだ)めて焦面(しょうめん)の鬼王に帰す。
直饒(たとい)、聖処(しょうしょ)に生を受くるも未だ竿頭(かんとう)の険堕(けんだ)を免れず、
還って羞(はじ)を掩(おお)う処有りや。

焦面の鬼王・・・餓鬼界にいる鬼の王。

現代語訳
少欲知足だと言って、服を着ない苦行を行う者は仏道を外れた恥知らずの外道である。
断食を修行だと思って、何日も食事を摂らない者は仏道から外れた餓鬼道に落ちて行く。
たとえ、生まれながらにして仏道を歩む心を持っていたとしても、高いところに上りすぎて降りる手段を持っていないと頂上から更に一歩踏み出して落ちてしまう。
恥を恥と思い、自己の恥を省みる事の出来る人はどれほどいるのであろうか。

本則

挙す。
僧、護国に問う、「鶴が枯松に立つ時如何?」【歩歩高きに登る事は易し】。
国云く、「地下底一場の懡儸(もら)」【心心を放下することは難し】。
僧云く、「滴水滴凍(てきすいてきとう)の時如何?」【法身被無くして寒にたえず】。
国云く、「日出て後一場の懡儸(もら)」【雪消えて死人を露出し来る】。
僧云く、「会昌沙汰(かいしょうさた)の時、護法善神、甚麼(なん)の処に向かって去るや?」【点すれば即ち到らず】。
国云く、「三門頭の両箇、一場の懡儸(もら)」【到るときは即ち点ぜず】。

護国・・・護国守澄(ごこくしゅちょう)禅師(???~???年)。疎山匡仁の弟子。
懡儸・・・恥ずかしい姿。慚愧。わらいぐさ。はじさらし。
会昌沙汰・・・唐の国の統治者である武宗が道教を保護し、仏教を排斥したことを指す。会昌5年(845年)4月から8月にかけて260,500人の僧侶が還俗させられ、寺院4,600か所が取り壊された。同時期にマニ教ゾロアスター教キリスト教も排斥された。
武宗は翌年の会昌6年に道教の秘薬の飲みすぎで33歳にて死去。
三門頭の両箇・・・山門にいる仁王。

現代語訳
ある僧が護国禅師に聞いた。「鶴が、ボロボロに枯れて枝葉も落ちた松の幹に止まっている時はどうでしょうか?」【一歩一歩高いところに登っていくのは難しい事ではないな】。
護国が答えた。「地にしっかり足をつけて立っている私からすると危険であり、滑稽であり、恥さらしじゃ。」【心が浮つき驕り高ぶっている時ほど、人生が上手くいっている時ほど謙虚に足元を見て下がるのは難しい】。
僧が続けて聞いた。「柔軟な水が一滴一滴そのままの水滴の姿で凍って固まっている姿はいかがでしょうか。」【柔らかい衣服が無いと凍死してしまう】。
護国が答えた。「日の出を迎えればたちまちに氷が解けて中身があらわになって恥ずかしい限りじゃ!!」【凝り固まった正義が剥き出しになった】。
僧が続けて聞いた。「昔、廃仏が行われた時、仏教を守護する神々はどこに行ってしまったのですか?」【助けに来い!来い!と思っている時は来ない】。
護国が答えた。「山門の両脇に仁王像がしっかり立っているのに、なにも出来ないとは!!いい恥さらしじゃ!!」【助けに来るときは、願っても無いのに来るものだ】。

頌に曰く。
壮士稜稜として鬢(びん)未だ秋ならず【天の到らざることを恨む】。
男児憤(ふん)せざれば侯(こう)に封ぜられず【程を貪ること、はなはだ速やかなり】。
翻(かえ)って思う清白伝家の客【已に太多生】。
耳を洗う渓頭牛に飲(みずか)わず【末後はなはだ過ぎる】。

壮士・・・30歳前後。
稜稜・・・勢いがある様。
清白伝家の客・・・清廉潔白で名が知れた人の家。
已に太多生・・・たくさん。
耳を洗う渓頭牛に飲(みずか)わず・・・あなたは天下を取ると言われた人が、耳が汚れたと言って浜で耳を洗い、連れていた牛に水を飲ませた故事。潔癖な人を指す。

現代語訳
この僧侶は白髪一本も無い血気盛んな者である【名が残っていないのが不思議だ】。
男児はやる気満々でないと官僚に採用させてもらえない【めっちゃ早歩きしながら道を進むようだ】。
この僧侶と違って護国禅師は富も名誉も捨てた潔癖な人だ【これだけ十分であろう。これ以上の潔癖はいらない】。

解説

この話は恥知らずを挙げています。
枯れた松に止まる鶴は、高いところに登って有頂天になっている様を表します。人間も成功し名誉を得て富に恵まれると降りる事が難しくなってきます。政府に文句だけを言う人は、ただただ時代に環境に状況に合わせて生活水準を下げられない人が多いように見受けられます。いったん上ると下は見えない。降りられない。別に川に行って洗濯しろと言っているわけではないのに、水道料金が高いだの米の価格が高いだの賃金が上がらないだのと宣う。
鶴も糞をしておそらく松の下は糞で汚れている事でしょう。
そして名誉というのは多くの場合、いかに誰かの役にたったか、いかに多くの人の役にたったかで得られる。
仏教は誰かの役に立つためにあるわけでも、誰かを救うためにある宗教でもない。最近は布教ゲームと言わんばかりに、いかに多くの人に仏教を伝えたか、いかに深く仏教を伝えたかなどの講義や主張をする人がいる。
人は、何かの役に立つために生きているのだろうか、誰かの役に立つために生まれてきたのだろうか。そうではない。どんな子供にも何かの能力が得意が長所が在るはずだとか。個性を伸ばそうだとか。夢や希望を持とうという事を学校で家庭で社会で言われ続ける。何も無かったらいけないのですか?
もちろん、得意を活かし、誰かの役に立ち、夢や希望を持っていることは結構なことです。ただそれこそが生きがいだ、生きる意味だ、自分が生れてきた意味だ、役に立たない人は無意味に生きていると思うのは恥知らずも良いところです。

柔軟な水が凍る例えは凝り固まった思考を表します。人間は成長するに従いアイデンティティも持ち、常識や社会の仕組み対人関係を学び、これこそが正しく常識でルールで礼儀だと思うわけです。しかし、「私が」という思いを前面に押し出し人と相対すると堅い思考がぶつかり合いお互いに怪我をする。
また、私は迷惑を被ったと考え、私は周りに迷惑をかけているという自覚の無い人も恥知らずです。「かれは、われを罵った。かれは、われを害した。かれは、われにうち勝った。かれは、われから強奪した」という思いをいだく人には、怨みはついにやむことがない。
「かれは、われを罵った。かれは、われを害した。かれは、われにうち勝った。かれは、われから強奪した」という思いをいだかない人には、ついに怨みが息む。
実にこの世においては、怨みに報いるに怨みをもってしたならば、ついに怨みの息むことがない。怨みをすててこそ息む。これは永遠の真理である。」(ダンマパダ 中村元訳)

最後の山門の仁王像の例えは、誰かが私の基準に合わせてくれるだろう。自分の常識で動いてくれるだろうと思う事です。
その人(仁王像)に役割があり、それを全うしなければならないと思う。しかし、何かが生まれ存在することに本来意味なんかないのです。そのものの存在がどのような存在として現成しているのかは実際の所、私のそのモノの関係によって決まってくる。仁王像を役立たずだとして扱えば、ただのデカいゴミです。しかし、ふとした時に仁王に守られたと感じ仁王像を守護神として扱えば仁王像は仁王像として現成するでしょう。
まわりの人々は母父、医者、弁護士、パイロット、子供、警察官様々な様相を持ちます。その在り方に自分自身の行為が関係ないと思い込み、相手にこうあるべきだと押し付けるのは恥知らずもいいところです。

今回の話はただ、恥知らずになってはいけないということです。しかし、これが難しい。我々は厚顔無恥を基本としているから。

第二十九則「風穴鉄牛」

第二十九則 風穴鉄牛(ふけつてつぎゅう)

衆に示して曰く:

遅棊鈍行(ちきどんこう)は斧柯(ふか)を爛却(らんきゃく)す。
眼転じ頭迷えば杓柄(しゃくへい)を奪い将(もち)ゆ。
若し也(また)、鬼窟裏(きくつり)に打在(だざい)し、死蛇頭を把定(はじょう)せば、還って変貌の分あらんや也(また)無しや。

遅棊鈍行・・・下手な碁打ちが時間を費やす事。
斧柯を爛却・・・碁の観戦に夢中になり、気づいたら持っていた斧の柄が腐っており、家に帰ると100年経っていたという故事。
鬼窟裏に打在し・・・碁局の片隅に追いやられること。

現代語訳
下手な碁打ちが長考しだらだらと碁を打っている。
そんな下手くそは活きる石も殺し、意味の無い石ばかりいじっている。
一石を打ち込んで一気に挽回出来る腕前の者はいないのか?

本則

挙す。
風穴(ふけつ)、郢州(えいしゅう)の衙内(がだい)に在って上堂して云く、「祖師の心印、状(かたち)が鉄牛の機に似たり【針箚不入】。
去れば即ち印住し【鼻孔を拽廻す】、住すれば即ち印破す【脚跟を裁断す】。
只去らず住せざるが如きは印するが即ち是か印せざるが即ち是か?」【泥裏に土塊を洗う】。
時に盧陂(ろひ)長老有り。出でて問うて云く、「某甲(それがし)、鉄牛の機有り。請う師、印を塔せざれ」【宛も逆水の波有り】。
穴、云く、「鯨鯢(けいげい)の巨浸(こしん)を澄ましむるを釣るに慣れて、却って嗟(なげ)く蛙歩(あほ)の泥沙にちまろびすることを」【引魂翻子、搐気袋】。
陂、佇思(ちょし)す【已に鬼門の関を過ぐ】。
穴、喝して云く、「長老何ぞ進語せざる」【已に崖岸に臨んで更に一推を与(あた)う】。
陂、擬議(ぎぎ)す【許多の時節、甚(なん)の処に去来するや】。
穴、打つこと一払子して云く、「還って話頭を記得するや、試みに挙せよ看ん」【人の為にして、為に徹し、人を殺しては血を見る】。
陂、口を開かんと擬す【猶、自ら焼埋に伏せず】。
穴、又打つこと一払子【仍(なお)、三十棒を少(か)く】。
牧主、云く、「仏法と王法と一般なり」【官と做ることを会せざれば傍州(ぼうしゅう)の例を看る】。
穴、云く、「箇の什麼をか見る」【却って好し一払子与うるに】。
牧、云く、「当に断ずべきに断ぜざれば返って其の乱を招く」【自ら罵り自ら招く】。
穴、便ち下座(あざ)【意を得る事、濃(こまや)かなる時、正に好し休するに】。

風穴・・・風穴延沼(ふけつえんしょう)禅師(896~973年)。南院慧顒(えぎょう)の弟子。
郢州の衙内・・・春秋戦国時代の楚の文王が都にした場所。衙内とは天子の居住地や官庁の場所を表す。
祖師の心印・・・釈迦牟尼仏から心が引き継がれてきたという意味。印とは証明のこと。
鉄牛の機・・・鉄牛とは禹の国王が黄河の氾濫を防ぐため、大きな鉄で出来た牛を埋めて治水工事をしたという故事。鉄牛は動かないし、何の役に立っているか見えないけれども、動かずに人知れず働いているという意味。機は心の働き。
盧陂長老・・・伝承不詳。風穴禅師の随身であると考えられる。長老は老人ではなく、小僧でも和尚でもない修行者のこと。
鯨鯢の巨浸を澄ましむるを釣るに慣れて・・・鯨が大海を泳いでいて大きな波を起こすので、釣りあげて波を静めて海水を澄ませることが習慣になっている。
ちまろび・・・馬偏に展の字。変換不可のためひらがなで書く。馬が転がり回るという意味。
引魂翻子・・・死人の魂魄を呼び返す旗。
搐気袋・・・返魂香の香りが入っている袋。香りで死者を蘇らす。
鬼門の関・・・生きて帰って来られない関所。ここでは、盧陂長老が思考停止してしまうようではどうしようもないという意味。
牧主・・・牧は司るの意味。今でいう県知事的な意味。
官と做ることを会せざれば傍州の例を看る・・・官僚が行政の仕事が分からない時、隣の国の行政を見習うという意味。
意を得る事、濃かなる時・・・十分に自分の意が通った時、引き際を弁えたほうが良いという意味。

現代語訳
ある時、風穴禅師が楚の国の役所で仏教の講義をした。その講義の中で「釈迦牟尼仏から達磨大師、そして歴代の僧侶へ受け継がれてきた仏道は、鉄牛の働きと似ている」と言った。
鉄牛とは禹の国王が黄河の治水工事の際に埋めた鉄製の牛である。鉄牛は動かないが、人知れず働きがある。その鉄牛の働きは思慮分別で理解できるものではない。
続けて風穴禅師は言った。「人々は、河の氾濫が静まらない時は鉄牛が悪いと思い、氾濫が静まれば鉄牛を妄信し鉄牛のお陰だと思う。仏道も同じく人から人へ受け継がれるとき、受け継がれた証明印が貰えない時は、この師匠ではダメだ、違う寺に行こうと思い。証明印を貰えれば師匠を妄信してしまう」【鼻を捩じり持ち引き留めればよいのか、足を切り取ってしまえばよいのか】。
修行僧を見渡しさらに風穴禅師は「では、証明印を渡した方が良いのか渡さない方が良いか?」と聞いた【泥の中で土の塊を洗うようだ】。
すると修行僧の中から盧陂長老が前に出てきて「私は鉄牛の働きを心得ています。お師匠様、私は師匠から証明印をあえていただく必要はございません!」【なんとも血気盛んな言葉だ】。
風穴禅師は「なんだ、鯨を釣り上げた~~~!!と思ってよく見てみたら小さなカエルが釣りあげられて、泥の中で転げまわっていたぞ」【長老にまだチャンスを与えたようだ】。
盧陂長老は禅師の言葉を聞いて考え込んでしまった【あ~あ、せっかくのチャンスを無駄にしたな】。
風穴禅師は「長老!なぜ何も言わない!!」と言った【まだチャンスを与えたようだ】。
盧陂長老はそれでもまだ言いよどんでいた【何を考えこんでいるのだ】。
風穴禅師は払子で盧陂長老の事をバシッと払い「そなた、先程なんと言った!もう一度言ってみよ!」と言った【人の為に徹底的に親切にし、人の為に徹底的に厳しくする】。
盧陂長老は口を開こうとした【なんだ死んだわけではなかったのか】。
風穴禅師は盧陂長老のことを、またバシッと払子で払った【三十回叩いても足りないぞ】。
その様子を見かねて一緒に聞いていた県知事が「仏法の話も、世間の話も、あまり変わりませんな~」と言った【政治家ともなれば他人から学ぶ術を心得ている】。
風穴禅師は「これはこれは県知事殿。どこらへんが変わりませんか?」【お手柔らかに対応しているな。払子でバシッといったればいいのに】。
県知事は「メリハリをつけて厳しくする時は厳しくしないと返って反乱を招くことになります」【反乱を招くといってもそれは自業自得である】。
その言葉を聞いて風穴禅師は演台から降りた【引き際を弁えていた】。

頌に曰く。
鉄牛之機【哮吼すや也未だしや】、印住印破【鉤錐手に在り】。
毘盧(びる)頂寧(ちょうねい)を透出して行き【上げんとすれば足らず】、化仏(けぶつ)舌頭に却り来って坐す【下に匹ぶれば余り有り】。
風穴衡(こう)に当たって【世情冷暖を看る】、盧陂負堕(ふだ)す【人面高低を逐(お)う】。
棒頭喝下【豈分説すべけんや】。電光石火【消停することを待たず】。
歴歴分明(れきれきふんみょう)、珠(たま)盤に在り【撥せざるに自ら転ず】。
眉毛を貶起(そうき)すれば還って蹉過(しゃか)す【声に和して便ち打たん】。

鉤錐手に在り・・・鉤と錐で猛獣を自由自在に操れることから風穴が自由自在であるという意味。
毘盧頂寧・・・毘盧遮那仏の頭のてっぺん。毘盧遮那仏は法身仏。
化仏舌頭・・・応身仏の舌。
衡に当たって・・・衡は秤。秤で自由自在に他人を裁量することが出来る。
負堕・・・インドの外道が議論に負けたことを言う。
眉毛を貶起すれば還って蹉過す・・・見ようとすればかえって見えなくなること。

現代語訳
鉄牛の働き【捉え方次第である。生きていれば吠えるし、死んでいれば吠えない】、師匠から証明印を貰ったかどうか【師匠が渡すかどうか自由自在】。
師匠の元を去る時は毘盧遮那仏の頭を飛び越えて、師匠の元で修行を続ける時は仏の舌の上で坐禅をする。
風穴禅師は相手の心の働きをしっかりと見て、盧陂長老を叱った。
風穴禅師は棒で叩き喝を入れた、電光石火の速さで分別の隙間を与えなかった。
仏祖の足跡がはっきりと見えるように、玉が盤上を転がるように宛もない足跡を見せるように。
仏法は見ようとすれば見えなくなってしまう。二元論では概念では見えないのであろう。

解説

曹洞宗や臨済宗には小参や上堂というのがあります。永平寺では小参は月に2回、上堂は何かの節目に行われます。ともに、住職や諸老師に質問が出来るいわば質問タイムです。
200人ほどいる修行僧の中からだいたい12人ほどが前に出てきて公開質問をします。特に1年目の修行僧は素朴な疑問を投げかけます。「食事に肉や魚が出ませんが、お米も大根も生き物であることには変わり有りません。これは殺生ではないのですか?」「坐禅で足が痛いのですが、これって修行なのですか?」等々。これに対して老師は間髪入れず答えます。長考しながら、「え~~っと、なんだろう?」とはなりません。
相手に何かを伝える時というのは、言語で完璧に自分の想いが伝わると思って話してはいけません。伝わらないだろうという余地を残し、聞く側も正確に相手の心は理解できないだろうという余地を残さなくてはいけません。
仏法も同じです。師匠のことは全て理解できないし、弟子にも全部を伝えるつもりはない中で伝えていく。
今回の話は、この師匠から弟子に代々受け継がれてきた、仏法が鉄牛と同じだというわけです。
何が同じかというと、鉄牛は黄河の治水工事の際に地中に埋められました。しかし、禹の国の話です。禹というのは夏王朝の初代王です。そもそもが夏王朝が伝説的な王朝で禹という人物も実在したかどうか分かりません。今から4000年前の話ですし、従容録が書かれた時代からも3000年前の話です。ということは鉄牛が埋められているかどうかも定かではありません。初代天皇神武天皇よりも古い時代の話です。
仏教も同じく、釈迦牟尼仏や達磨大師の話や修行内容、生活様式が伝わってはいるが、そこからどのように心を動かし、どのように釈迦牟尼仏や達磨大師を扱うかは現代の人次第であるということです。
これが「鉄牛の機」と「仏祖の心印の機」が同じようだというところです。
そして風穴禅師は、弟子がもし師匠が示す仏法が分かったと思えばそれは勘違いで師匠のことを崇拝しているだけであると言い、弟子が師匠から学ぶ仏法が無いと思えば、まさにその通りだが、だからと言って師匠の元を離れてはダメだと言います。
そして師匠も、仏法を受け継いだ証明の印を渡したら弟子はこれで私は悟った、仏法が分かったと勘違いしてしまう。逆に証明の印を渡さない方がかえって良いのかとも考えられる。渡すが良いのか渡さない方が良いのかどっちだろうか?と修行僧に聞きます。
盧陂長老はこの事が分かったから私には仏祖の心印を授けていただかなくて結構と言った。
分かったから証明の印はいらない、というのは結局のところ、存在が分からない「鉄牛」や「祖師の行仏」に実体があると思っているから出た言葉であろうと見受けられるわけです。そうではなく実体や存在に根拠が無いものに対して自己がどのように扱うかの縁起を示さなければいけない。なので風穴禅師は鯨じゃなくてカエル(アホ)が釣れたわい。と言った。
仏法に実体は無く、今の自己の仏道の捉え方実践の仕方扱い方の行為によって仏法が現成するとすれば、今この場で余計な事は言わずに盧陂長老は自身の仏法を示すか、言語化出来ない事を承知で言い間違えるかすれば良かったわけです。
しかし結局、盧陂長老は最後まで言語化しよう実体化しようともがいて風穴禅師に叱られてしまった。
見かねた県知事が仏法も世間の法を同じですね。厳しくしないといけない時は徹底的に厳しくするところが同じです。と言った。
原文の「断ずべきに断ぜざれば~~~」というのは敵に情けはかけず侵略するときは女子供含めて皆殺しの意味でしょうが、まぁ、徹底的に厳しくするところは同じです。という意味でしょう。
風穴禅師は今回の内容が修行僧に理解できなくても盧陂長老の無意味な言語化の長考に一手を打ってくれた県知事に免じて、厳しさにも慈悲があるというところだけが伝われば好しとしようと演台から降りて行った。

第三十則「大隋劫火」

第三十則 大隋劫火(だいずいごうか)

衆に示して曰く:

諸の対待(たいだい)を絶し両頭を坐断す。
疑団を打破するに那(なん)ぞ一句を消(もち)いん。
長安寸歩を離れず、太山(たいざん)只重さ三斤。
且(しば)らく道(い)え甚麼(なん)の令に拠ってか敢えて恁麼(いんも)に道(い)うや。

諸の対待を絶し・・・一切の相対を断絶する。一切の二元論概念を取り払う。
長安寸歩を離れず・・・ここが長安の都であるから歩いて行く必要はない。
太山・・・中国の五岳の一つ。泰山ともいう。

現代語訳
一切の物質現象にいたるまで、相対を超越し、二元論による概念化や妄想を断ち切る。
徹底的に物事の在り様を疑問に思い問いかけ、その疑問を打ち破る為の一句も用いないところに仏道がある。
長安の都まで遠く離れているといえども、長安の都まで足を運ばなくても都が現成し、標高の高い山すら重さは2kgも無い。
このように言えるのは、どんな理によってだろうか?

本則

挙す。
僧侶、大隋(だいずい)に問う「劫火洞然(とうねん)として大千倶に壊(え)す。未審(みぶかし)、這箇(しゃこ)は壊か不壊か?」【愁人、愁人に向かって説く事なかれ】。
隋云く、「壊」【早く是那(なん)ぞ堪えん】。
僧云く、「恁麼ならば則ち他に随い去るや?」【目前に験(こころ)むべし】。
隋云く、「他に随い去る」【下坡走らず、更に一推を与う】。
僧、龍済に問う、「劫火洞然として大千倶に壊す、未審、這箇は壊か不壊か?」【同病相憂う】。
済云く、「不壊」【契頭に打破し鼻孔を捩転す】。
僧云く、「甚んとしてか不壊なる?」【又、恁麼にし来たる】。
済云く、「大千に同じきが為なり」【生鉄鋳成す】。

大隋・・・大隋法真(だいずいほうしん)禅師(834~915年)。長慶大安の弟子。
劫火洞然・・・世界が一気に滅びる災害。インドの時間概念や物質の構成概念である四劫に由来。ここでは大災害と訳しておく。
大千・・・宇宙。世界中。
下坡・・・下り坂。
龍済・・・龍済紹修禅師(???~???年)。地蔵桂琛の弟子。修山主として知られる。
契頭・・・分別。
生鉄鋳成す・・・不純物の無い鉄の鋳物は頑丈で壊れないという意味。

現代語訳
ある僧侶が大隋禅師のもとに来て質問した。「大災害が来て世界が滅亡するという噂がありますが、この時、仏性は壊滅するでしょうか?」【心配症の人が、心配症の人に不安事を聞いても仕方がない】。
大隋禅師は「壊滅する」と言った【心配症の人はこの答えに耐えられないだろう】。
僧侶は「では、存在全てが世界と一緒に壊滅するのですね?」と聞いた【今、目の前の事柄のみが存在しているのみである】。
大隋禅師は「他の存在様式に従い全てのモノが壊滅していく」と言った【不安症の人が下り坂をいつまでも勢いに任せて降りないから背中を一押しした】。
僧侶はますます不安になり、今度は龍済禅師に聞いた「大災害が来て世界が滅亡するという噂がありますが、この時、仏性は壊滅するでしょうか?」【心配性の人同士がまた出会った】。
龍済禅師は「壊滅しない」と言った【僧侶の壊と不壊の概念を打ち砕き、鼻を捩じり目の付け所を変えさせた】。
僧侶は「どうして壊れないのですか?」と聞いた【こいつ、めちゃくちゃ心配性だな】。
龍済禅師は「世界中の存在様式が縁起により同一に現れているからだ」【不純物の無い鉄は壊しようがないな】。

頌に曰く。
壊と不壊と【仏手も揀不出(けんふしゅつ)】、他に随い去るや大千界【沒量の大人、語脈裏に転却せらる】。
句裏了(つ)いに鉤鎖(こうさ)の機無し【牙に粘き歯に帯ぶること亦少なからず】。
脚頭多く葛藤に礙(さ)えらる【誰か汝をして板を生じ蔓を引かしむ】。
会か不会か【心忙しく手急がし】、分明底の事、丁寧はなはだし【是盲者の過にして日月の咎に非ず】。
知心は拈出して商量すること勿れ【牙人販子を見る】。
我が当行(とうこう)に相売買するに輸(ま)く【堂屋裏に揚州を販(ひさ)ぐ】。

鉤鎖・・・鉤とくさり。人をひっかけて縛り付ける仕掛け。
葛藤・・・言葉に出せない事柄。言葉に出すと言葉に縛られ自分の言葉で自ら縛るということ。
知心・・・お互いに見知った仲。
商量・・・考えはかる。忖度。
牙人販子・・・牙は互の誤字。仲買人のこと。見知った仲ならば文句を言わず取引が出来る。
当行・・・わがこの店。当は当人などにも使われる意味合いと同じ。行は商店の意味。

現代語訳
大隋の壊と龍斉の不壊、どちらも選びようがない。他に随って壊滅することと、他と同じだからこそ不壊であるとは、共に人を縛り付ける言葉ではない。
多くの僧侶は壊と不壊を聞いて言葉に縛られ身動きが取れなくなっている【自分の蔓が自分の蔓にまとわりついている】。
天童正覚の弟子たちよ、この話が分かったか?
本来は明確な事柄であるのに大隋禅師も龍斉禅師も丁寧に対応したものだ【目を瞑っていいるから見えないのであって、太陽が照らしてくれていないわけではない】。
互いの心を知り合った仲ならば問答は必要ない。無駄な問答を止めたら、実は簡単な問いかけであることが分かるぞ。

解説

私が小学5年生の時、2000年のノストラダムスの大予言や20世紀から21世紀の意向をコンピューターが認識出来なくて大量のバグが起きる等の噂が広まりました。またコロナウイルス流行の時も、ウイルスに関する不確かな情報や、感染者に対する差別、ワクチンに対するデマなど人々は分からない事柄にとても無防備です。
この解説を書いている2025年6月も来月7月5日に大地震がくる等の予言が流行しています。そんな予言はくだらないと一蹴出来るほど、我々人間は賢くありません。常にネガティブで不安症で、心配性で、常に妄想に溺れ、心が弱く、不確定な未来を嫌い、不確実な情報を鵜呑みにするポンコツ生物です。
この話では、心配性な僧侶が「世界が滅亡したら」などという、どうしようもない不安に襲われ大隋禅師と龍斉禅師に質問をする内容です。
そして、縁起による物事の捉え方を実践する仏教においては、どのように考えるのか。
僧侶の問いかけは、世界が滅亡するときに、私や私の周りにある財産、物質現象、人々は同じく壊れてしまうのかというものです。
今の自己の行為が対象物の存在を決めると考えれば、自己が死に自己の行為が無くなれば存在自体も壊れてなくなると考えられそうですが、それでは壊れる以前の物質現象が予め存在していないと「○○が壊れる」という表現が成り立ちません。
大隋禅師は壊れる時は、同時に全ての物事と共に壊れていく。つまり、「○○が壊れる」という概念すらも同時に壊れていく。と答えます。
龍斉禅師は壊れる事は無いと言います。つまり、「○○が壊れる」と認識している時点で壊れた○○はもう存在しておらず、壊れた○○の存在は「壊れたという態度で扱う○○」という存在様式として改めて現成しています。であれば「壊れた○○」が改めて壊れる事はありません。これは般若心経の不生不滅不増不減と同じ表現です。
縁起の理を言語で表している以上、「壊」も「不壊」もどちらも正解であり不正解である。さらに正解不正解の二元論でも語れない。ブッダの言葉を語ればこれらは「無記」です。言い表しようがない。
分からない事は分からないままでいいでしょう。

分からない事柄に時間を割いたり、心を費やすよりも、今の自分の存在の在り方をどのように整えていくのか、行を仏と成していくのか。それこそが重要でしょう。
コロナウイルスにしたって、コロナワクチンにしたって、地震や隕石にしたって我々の多くはウイルスの専門家でも無いし地震の研究者でもない、専門家ですら分からない事柄を相手にしても仕方がないでしょう。

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