従容録の自己流解説「11則~20則」
1則から10則まではこちら 「従容録1則~10則」
以下の点を読み解いていく為の軸とします。
1,自己の本質や自己そのものが単一で存在しない
これは、自己の存在認識が二元論的に自分と他人の対比による言語化された虚構の概念であるから。
2,「悟り」や「真理」という言葉に根拠を持たない。
仏陀は悟りについて具体的に経典で言及していない。あくまでも悟ったと言う経験談を語っているに過ぎないので「悟り」が何かを定義しない。
3,人権や道徳、倫理に関わる問題はそのまま読み進める。
ジェンダー、身分、職業、暴力、身体的障害等は現代の感覚とかけ離れているが、あくまでも当時の感覚と捉え気を悪くせず受け止めていただきたい。
4,本則の漫画のみを読み解くと読み手の自由な解釈が無限に出てくるため、
宏智正覚禅師と万松行秀禅師が何を狙ってエピソードを取り上げたかにフォーカスして読み解く。
目次
- ○ 第十一則「雲門両病」
- ・衆に示して曰く:
- ・本則
- ・頌
- ・解説
- ○ 第十二則「地蔵種田」
- ・衆に示して曰く:
- ・本則
- ・頌
- ・解説
- ○ 第十三則「臨済瞎驢」
- ・衆に示して曰く:
- ・本則
- ・頌
- ・解説
第十一則「雲門両病」
第11則 雲門両病(うんもんりょうびょう)
衆に示して曰く:
無身の人、病を患い、無手の人、薬を合す。
無口の人、服食(ふくじき)し、無受の人、安楽なり。
且(しばら)く道(い)え膏肓(こうこう)の疾(やまい)、如何が調理せん。
膏肓(こうこう)・・・胸と腹の間の部分。みぞおちあたり。一番治療しづらい場所と言われていた。
服食(ふくじき)・・・食べ物や薬を食べること。
調理・・・料理じゃないよ。調剤と脈理のこと。つまり、診察から処方までをさす。
現代語訳
体の無い人が病を患ったら、手の無い人が薬を調合する。
口の無い人が食べ物を食べれば、何も食べていない人が安らかになる。
治療が難しい病気はどうやって治せばいいのか?
本則
挙す。
雲門大師云く、
「光透脱せざれば、両般(りょうはん)の病有り【還って口乾き、舌縮まることを覚うや】。一切処、明らかならず、面前に物有る、是一【白目に鬼を見る、是眼花あること莫しや】。
一切の法空を透得するも、隠隠地(おんおんち)に箇の物有るに似て相似たり。亦是、光透脱せざるなり【早く是胸に結ぶ那(なん)ぞ喉閉(こうへい)に堪えん】。
又、法身にも亦両般の病有り【禍(わざわい)単(ひと)えに行われず】。法身に到ることを得れども、法執(ほっしゅう)忘ぜず。己見(こけん)猶存するが為に、法身辺に堕在(だざい)す、是一【唯、邪崇のみにあらず。更に家親あり】。
直饒(たとえ)、透得するも放過(ほうか)せば即ち不可なり【病を養うて身を喪(ほろぼ)す】。
子細に点検し将(も)ち来たれば、甚麼(なん)の気息か有らん。亦是れ病なり」【医博未だ門を離れざるに又早く癇病(かんびょう)発す】。
【】の中は本則のコメントです。
雲門・・・雲門文偃(うんもんぶんえん)禅師(864~949年)。
隠隠地(おんおんち)…あいまいな。
甚麼(なん)の気息か有らん・・・返事がない、ただのしかばねのようだ。
癇病(かんびょう)・・・神経質な人。現代でいうところの不安症や強迫性障害。
現代語訳
雲門禅師が教壇に登って言った。
「今日は4つの病気について話をします。
『物事に実体は無い』という空を考えると、目の前の物が在るのか無いのか分からなくなってしまう。これが一つ目の病気である。
次に、『実体が無い』という空が分かった!!と思うと『空の性質』があるように思えて『空』に執着してしまう。これが二つ目の病気である。
次に、物事を見る時に意識して常に『実体が無い、空である』という見方を守って、実際には身動きが取れなくなってしまう。これが三つ目の病気である。
次に、自らの存在の在り方を細かく観察してみると、役割も意味も持たない『あるがままの自己』こそ涅槃だ!!と思ってしまう。これが四つ目の病気である【病院で完治したと言われて、退院したとたんに不安になって心を病んでしまうようなものだ】。
頌
頌に曰く。
森羅万象、崢嶸(そうこう)に許(まか)す【さもあらばあれ、何ぞ汝を礙(さ)えん。識得すれば寃(えん)を為さず】。
透脱無方なるも眼睛(がんぜい)を礙(さ)う【閃棒榾桗(せんぼうこうだ)に著く】。
彼の門庭を掃う誰か力有る【迹を払えば痕を成す。隠さんと欲すれば弥(いよいよ)露(あら)わる】。
人の胸次(きょうじ)に隠れて自から情を成す【心疑えば暗鬼を生ず】。
船は野渡(やと)の秋を涵(ひた)して碧なるに横たえ【死水に浸却す】、
棹(さお)は蘆花(ろか)の雪を照らして明(めい)なるに入る【岸に住して却って人を迷わす】。
串錦(かんきん)の老漁市に就かんことを懐(おも)い【本を著けて利を図る】、飄飄(ひょうひょう)として一葉(いちよう)浪頭に行く【流れに随って妙を得】。
崢嶸(そうこう)に許(まか)す・・・高い低いがあるが、そのままを受け入れよう。
現代語訳
森羅万象、全てをあるがままに任せよう【本当に空が分かれば心がすっきりしているだろう】。
全てを「空」で見る事が出来れば、物事を見る時に遮るものは無い【鞭をビュンビュン振り回せば丸く見える】。
雑念や妄想を払いのけてしまうというのはどのような力か?【雑念妄想を払った後は、その痕跡が残っている、その痕跡も消そうとしても、その消そうとした痕跡が残っている】
自分では払ったつもりでも実は雑念妄想がこびりついている【払ったことに捉われればまた雑念妄想が生じる】。
澄みきって波風も無い秋の夜に、船着き場に船が一隻。船頭が棹を持って向こう岸に渡そうとするとき、雪が降ってきた。すすきの穗と雪が混じり、見分けが付かなくなってきた。
漁師は釣った魚を串刺しにして市場へ向かっている。ひょうひょうとしたその姿は悟りも迷いも救いも苦しみも無い。
解説
難しい話をして、考え事をしている風な顔をしていれば賢そうに見えるが、それは誤解です。
私もそうですが、結局仏道を難しく考えようとすると、只の思考マニアになってしまいます。
考えればいいってわけではありません。何も考えずに、シンプルに物事を考えられる人の方が天下を取って、案外何気ない日常を幸せに生きていける気がします。考えるなんてのは暇な時間があるからかもしれない。考える時間があるなら動いた方が良いかもしれない。
道元禅師も正法眼蔵現成公案の巻で「自己をはこびて万法を修証するを迷とす、万法すすみて自己を修証するはさとりなり。
迷を大悟するは諸仏なり,悟に大迷なるは衆生なり。さらに悟上に得悟する漢あり,迷中又迷の漢あり。
諸仏のまさしく諸仏なるときは,自己は諸仏なりと覚知することをもちゐず。しかあれども証仏なり、仏を証しもてゆく。」と示しています。
まさに、迷いの中に悟りがあり、『悟った』などと思っていたり、これこそが仏道修行だと思っている内はまだまだなのですね。
第十二則「地蔵種田」
第十二則 地蔵種田(じぞうしゅでん)
衆に示して曰く:
才子は筆耕し、弁士は舌耕す。
我が衲僧家(のっそうけ)、露地の白牛(びゃくご)を看るに慵(ものう)し。
無根の瑞草(ずいそう)を顧みず、如何が日を度(わた)らん。
衲僧家(のっそうけ)・・・破れた布を着て修行する僧侶。主に禅僧をさす。
露地の白牛(びゃくご)・・・苦しみから逃れた境地。法華経の譬喩品に出てくる例え話に由来。ある時、男が帰宅していると、自宅が燃えていることに気が付く。慌てた男は庭から家の中を確認すると子供たちが火事に気付かず遊んでいた。男の声に気が付くも遊びに夢中で子供たちは家から出ようとしない。そこで家の外(露地)に白い牛が引く車を持ってきて、「もっと楽しい車の玩具があるよ~」と言って子供たちを外に出したという話。
無根の瑞草(ずいそう)・・・根っこが無いのに生き生きとしている草。ここでは何事にも根拠を持たず生きている様と訳します。
現代語訳
文才がある人は小説を沢山書き、口が達者な人は沢山演説する。
しかし本当の禅僧は、苦しみから逃れようとかも考えず、根拠のない悟りとか特別な修行も求めない。
さて、こんな禅僧はどのようにして日常を送っているのか?
本則
挙す。
地蔵、脩山主(しゅうさんしゅ)に問う、「 甚(なん)の処より来る?」【来処を知らずと道い得てんや】。
脩云く、「南方より来る」【好し下載を与えるに】。
蔵云く、「南方近日仏法如何?」【行説好し話するに】。
脩云く、「商量(しょうりょう)、浩浩地(こうこうち)」【低声】。
蔵云く、「争(いか)でか如(し)かん我が這裏(しゃり)、田を種(う)え飯を摶(まろ)めて喫せんには」【少売弄】。
脩云く、「三界を争奈(いかん)せん」【猶這箇の在る有り】。
蔵云く、「汝、甚麼(なに)を喚んでか三界と作す」【南方は猶可なり。北方は更に㬠(はなはだ)し】。
【】の中は本則のコメントです。
地蔵・・・地蔵桂琛(じぞうけいちん)禅師(867~928年)。羅漢院というお寺に移った為、羅漢桂琛とも。
脩山主(しゅうさんしゅ)…龍済紹脩(りゅうさいしょうしゅう)禅師。地蔵桂琛(じぞうけいちん)の弟子。詳細は不明。
商量(しょうりょう)・・・議論、問答。もともとは商売で買い手売り手の値段決めの応酬のこと。
浩浩地(こうこうち)・・・盛んである。
飯を摶(まろ)めて・・・箸やスプーンを使わない時代は焚いたお米を右手の親指人差し指中指の三指で丸くして食べていた。現代のインドでも一部地域ではこのように食べている。
三界・・・この苦しみに満ちた世の中。一切皆苦の人の生。
少売弄・・・ドヤ顔してるけど全然すごくないよ、という意味。
現代語訳
地蔵禅師の元に、かつて脩という弟子が居た。
脩は地蔵禅師の修行に不満を持ち、他のお寺を渡り歩いていた。
ある日、地蔵禅師が田んぼを耕していると脩が帰ってきた。
地蔵禅師「お、どこに行ってたんだ?」
脩「南の方のお寺に行っていました。」
地蔵禅師「ほう、南のお寺はどうだった?」
脩「皆さん、仏法について議論が盛んで、勉強熱心でした!!」
地蔵禅師「そうかそうか、因みに私は毎日田んぼを耕し、お米を焚いて食べる日々を送っているぞ。」
脩「その日常でどうやって苦しみや執着や煩悩から抜け出せるのですか?」
地蔵禅師「なんじゃ、その『苦しみ』とか『執着』とか『煩悩』は?そんなもの、この世のどこにあるのだ?」
頌
頌に曰く。
宗説、般般(はんぱん)尽く強いて為す【今日、便りを著けず】。
耳口(じく)に流伝すれば便ち支離(しり)す【衆僧怪しむことなかれ】。
田を種(う)え飯を摶(まろ)む家常(かじょう)の事【別に有るべからず】。
是れ飽参(ぼうさん)の人にあらずんば知らず【知ることを要して作麼(なに)かせん】。
参じ飽いて明らかに知る所求なきことを【更に須らく天童に請益する一遍すべし】。
子房(しぼう)終に封侯(ほうこう)を貴(ねが)わず【また是霊亀尾を曳く】。
機を忘じ帰り去って魚鳥に同じうす【流れに随って妙を得】。
足を濯(あら)う滄浪煙水(そうろうえんすい)の秋【受用不尽】。
宗説・・・仏教の教え。
般般・・・議論が盛ん。
子房・・・漢の時代の優秀な家臣。
封侯・・・領地を貰う事。
足を濯(あら)う滄浪煙水(そうろうえんすい)の秋・・・世情や常識のしがらみから解放されること。楚という国の大臣が、派閥争いで左遷される話が由来。左遷された大臣が左遷先の田舎で痩せ衰えていた。滄浪という河のほとりに行ったときに漁師から「おや、あなたは有名な大臣じゃないですか。どうしたんですか暗い顔して」と訊ねてきた。大臣は「世間が濁ってしまって、私一人だけ清らかだ」と愚痴った。すると漁師が「河の水が綺麗なら帽子を洗えばいいし、濁っていたら足を洗えばいいじゃないですか」と言った。世間を悲観するよりも、その世間でどのように生きるかを見ようという故事。
現代語訳
仏法についての議論や勉強は他人や自分に尻を叩かれて行うものだ。
耳で聞いて口で語るだけの仏法は結局支離滅裂になっていくだろう【理屈で語れると思うなよ】。
田んぼを耕しご飯を食べるという日常の生活こそが修行そのものであるとは知られていない【仏法を知ろうとしている内は分からないだろう】。
日常そのものが修行であるということは、何も求めず、何の為でもない生き方そのものである。
優秀な家臣が褒美を欲しがらずに只々忠義を尽くしたように、魚や鳥と共に生きていくように、世間の流れに随いながらゆったりと生きていくようなものだ。
解説
示衆ですが、耕すという字を使っています。もちろん比喩ですが、耕すという言葉は古来インドの経典である小部経典蛇の章に出てきます。
仏陀が托鉢をしながら歩いている時のこと。畑を耕している婆羅門の所に行き、食べ物を乞食しました。
すると婆羅門は「私は自分で畑を耕し、種を播きます。そして収穫して食べます。もし、食べ物が欲しいのならフラフラしてないで自分で畑を耕せばいいじゃないですか。」
仏陀が言います。「いえ、私も畑を耕し、種を播き収穫して食べます。」
婆羅門「なにを言ってるんですか。鍬も道具も持っていないのに、何を耕しているというのだ!!」
仏陀「私の心が種です。そして私の日々の行為が雨です。智慧が鋤となり、慚愧が鍬となり、心を向ける対象物が支柱となります。言葉を慎み行動を慎むことが草刈りとなります。慈悲の心が放牧となります。怠けない精進の心が牛となります。このように、これが私の耕作です。」
これが耕作の例え話です。ではこの仏陀が説いた「耕す」とは日常のどんな生活であろうか?という問いかけをしています。
余談ですが、この仏陀の話には続きがあります。仏陀の言葉に感銘を受けた婆羅門はお粥を渡します。すると仏陀は「私の言葉の対価として差し出した物は食べるに値しない。取引は煩悩の元となり、功徳を無くすものです。」婆羅門は「では仏陀よ、このお粥は誰に渡せばいいのでしょうか?」仏陀「婆羅門よ、神も悪魔も動物も植物も食べないだろう。植物も生えていない動物も住んでいない水の中に捨てなさい」と言って、捨てさせました。
徹底した仏陀の姿勢が記されています。でも、もったいないですね、、、
本則です。
まず原文に載っていませんが、地蔵桂琛(じぞうけいちん)禅師の元には少なくとも三人の弟子が居ました。脩山主(しゅうさんしゅ)、進山主(しんさんしゅ)、法眼文益(ほうげんぶんえき)です。このうち、脩山主(しゅうさんしゅ)、進山主(しんさんしゅ)は修行が物足りないと言って出て行ってしまいます。そして、脩山主(しゅうさんしゅ)が戻ってきたのが今回の問答です。
議論や勉強を沢山やっても、日常底をしっかり生きる事に勝る仏法は無い、と示しています。
実は、この12則は私の師匠が永平寺で首座(しゅそ)を務めた時の本則(テーマ)です。永平寺では年に二人、夏と冬に首座(リーダー)という役職を選び、修行のテーマを首座が決めます。200人以上の修行僧をまとめるリーダですので、永平寺からも認められ出家者としての軸(テーマ)が定まっている人が選ばれます。
その師匠が平成4年に首座を務めた時のテーマが地蔵種田です。
そんな師匠も現在は東京拘置所にて教誨師を務めています。教誨師は犯罪を犯してしまった人と面談を重ね、生き方を共に考えるボランティアです。特に東京拘置所は死刑囚も入る場所です。最後の死刑執行の立ち合いまでが教誨師の役目。そんな中で師匠は、「日常の生活を整えれば心も行動も整う、その行為によって自分は何者にでもなれる、変われるんだ」と説いていました。トイレのスリッパを整える。食事の時に手を合わせいただきますと言う。洗濯物を丁寧に畳む。などなど、当たり前ですが意外と出来ていなところまで徹底して整えていけば人生が整う。
そして、私にはよく「本なんか読むな、仏教の勉強なんかするな、心を動かしたいんだったら人に逢え、テレビを見ろ、漫画を読め」と言います。まさに地蔵種田を徹底する生き方が師匠からにじみ出ています。
最後の苦しみとか、そんなものどこにあるんだ?というのは、そもそも、「苦しみ」とか「悟り」に実体はなく根拠もない。心の苦しみを無くすためにと行動することも、悟りを目指して修行することも無意味だと言っています。よく勘違いされますが、悟りを開くとか、悟りを得るという言葉自体が間違っています。悟りが開けるならば、悟りとは○○であると説明できなければいけない。しかし、仏陀は悟りとは涅槃とは○○だと語ってはいません。根拠のない悟りを目指すのではなく、ある特定の行為(修行)を行い「悟る自己」の存在を現成させる。ここで、「自分は悟っている、という認識を持つ行為」をしてしまうと仏道から離れてしまうので、悟っている自己を認識することはできません。この根拠のない「仏である自己」を行為によって存在させること、これこそが日常底の耕す食べるという行為だと地蔵は言っています。根拠のない悟りに向かって議論しても悟りが何か永遠に分からない以上、ナンセンスでしょう。
仏道は根拠のない悟りを定義しない。これは一種の賭けです。
頌の解説です。
正法眼蔵行持の巻に「仏祖の大道、かならず無上の行持あり、道環して断絶せず、発心・修行・菩提・涅槃、しばらくの間隙あらず、行持道環なり。このゆえに、みづからの強為にあらず、他の強為にあらず、不曾染汚の行持なり。」とあります。
往々にして出家者が集まると、2つのパターンがあります。車の話、美味しい店の話などの世間話をするグループ。そして、仏法について話すグループと。どちらが良くて、どちらが悪いという話ではなく、皆何かしら話さずにはいられないのでしょう。無言が気まずいのか駆り立てられるように、何かを話、うろうろします。ドンと構え、自分にも他人にも圧力をかけられない、そんな境地を体験したいものです。
第十三則「臨済瞎驢」
第十三則 臨済瞎驢(りんざいかつろ)
衆に示して曰く:
一向に人の為にして己れ有ることを知らず。
直に須らく法を尽くして民無きことを管せざるべし。
須らく是れ木枕(もくちん)を拗折(ようせつ)する悪手脚(あくしゅきゃく)なるべし。
行に臨むの際、合(まさ)に作麼生(そもさん)。
人の為に・・・ここでは師匠が弟子に教化すること。
行に臨むの際・・・臨終。もうすぐ亡くなる際。
作麼生・・・なにか?という問いかけ。
現代語訳
自分のことも顧みずに人に尽くす人がいる。そのように優しく丁寧に教えることもある。
法律を全てきっちりと守らなければならない国には人々が住まなくなってしまう。そのように厳しく激しく教える事もある。
これらは、木の枕をねじ切るくらいの常識外れの手段をもって、弟子に教えていく禅僧の姿をあらわしている。
では臨終の時、どのような手段を使って弟子に示すのか?
本則
挙す。
臨済将(まさ)に滅を示さんとして三聖に囑す、「吾が遷化(せんげ)の後、吾が正法眼蔵を滅却することを得ざれ」【甚の死急をか著くるや】。
聖云く、「争でか敢えて和尚の正法眼蔵を滅却せん」【小心と偽れども、なお大胆】。
済云く、「忽ち人有って汝に問わば作麼生(そもさん)か対(こた)えん?」【虎口裏に身を横たえる】。
聖、便ち喝す【機に当たって父に譲らず】。
済云く、「誰か知らん、吾が正法眼蔵、這(こ)の瞎驢辺(かつろへん)に向かって滅却することを」【重賞の下、必ず勇夫有り】。
【】の中は本則のコメントです。
臨済・・・臨済義玄(りんざいぎげん)禅師(???~867年)。黄檗希運禅師の弟子。臨済院の住職をしていた。
三聖…三聖慧然禅師。臨済義玄禅師の弟子。詳細は不明。
遷化・・・衆生を教化する場所を移す事。転じて僧侶が死ぬ事。
正法眼蔵・・・釈迦牟尼仏から伝わる正しい仏法。
現代語訳
臨済禅師が亡くなる時、弟子の三聖に言った。
「私が死んだ後、釈迦牟尼仏から伝えられてきた教えが無くならないようにしっかりと守っていきなさい」【死に際にそんなに慌てなくてもいいものを】。
三聖「教えが無くなるわけないじゃないですか」【謙虚そうに見えて実に大胆である】。
臨済禅師「では、今、誰かが来て正法眼蔵について聞かれたら何と答えるんだ?」【三聖が発する力強い言葉に身構えた】。
三聖「かぁぁぁぁァァァーーーーーーーーーつ」【師匠に対して遠慮が無い】
臨済禅師「あぁ、正法眼蔵はこの目の見えないロバのような男によって滅ぼされるんだろう(ニコッ)」【素晴らしい人には大きな称賛が付随するものだ】
頌
頌に曰く。
信衣半夜に蘆能(ろのう)に付す【賊児賊智】、攪攪(こうこう)たり黄梅(おうばい)七百の僧【上梁正しからず】。
臨済一枝の正法眼【半明半暗全く今朝に在り】、瞎驢滅却して人の憎しみを得たり【心甜く口苦し】。
心心相印し【販私塩の漢】、祖祖灯を伝う【壁を穿って光を盗む】。
海嶽を夷平し【黄鶴楼を拳倒し鸚鵡州を踢翻す】、鵾鵬(こんぼう)を変化す【手を翻せば是雲、手を覆えば是雨】。
只箇の名言比擬し難し【なお少なき事を嫌うこと在り】、大都(おおよそ)手段、翻倒(ほんとう)を解す【正法眼蔵なお在り】。
信衣半夜に蘆能(ろのう)に付す・・・達磨大師から数えて五代目の弘忍禅師が六代目の慧能禅師に夜中、達磨大師から伝わる袈裟を渡した故事に因む。
攪攪・・・騒ぎ。紛争。
黄梅七百の僧・・・五祖弘忍禅師の弟子700人が、まさか愚か者と言われていた慧能禅師が袈裟を受け継いだと聞いて大騒動になった。
販私塩の漢・・・塩を密売する人。古来より塩の販売は国の専売特許であった。転じて人知れず伝えることを指す。
壁を穿って光を盗む・・・ある熱心な人が貧しくて油が買えなかった時に、壁に穴を空け隣の家から漏れる光で読書をしたという故事。
現代語訳
昔、五祖弘忍禅師が夜中に六祖慧能禅師に袈裟を相続させた。修行達は、まさか慧能が受け継ぐとは思っておらず大騒動になった【古参の修行僧がしっかりしなきゃいけない】。
臨済禅師の教えも三聖に相続された【明るくもない暗くもない明け方のような教えがここに在る】。三聖は臨済禅師の教えを滅却して修行僧たちの怨みを買うだろう。
塩を人知れず密売するように師匠の心をひっそりと受け継ぎ、それが代々受け継がれてきた。
それは、海や山を平らにするような、魚を大きい鳥に変えるような、言いようの無い手段によって伝えられるのだろう。
解説
この話は、師匠から弟子へ何をどのように伝えるのかという問答です。
仏陀も達磨大師もそうですが、何をもって「私の教え」が伝わったと判断したのか?それは、結局のところ分からないです。師匠の教えや心が完璧に分かりました、などと言っている内はダメです。分かるわけがない。どんなに長く他人と生活しようが永遠に分からない。
その分からない中で臨済禅師が「私の正法眼蔵」という表現を使って、まるでこの世に理解できる根拠のある「正法眼蔵(教え)」が存在するかのように言った。
三聖は、もうすぐ亡くなる師匠に対して、「臨済禅師の正法眼蔵」を受け継ぐと言いながらも、いざ「どのように伝えるのか?」と聞かれると「かーーーー」と喝を入れるだけでした。根拠も意味の無いモノを説明しろと言われても意味の無い言葉でしか説明できない。
最後に嬉しそうに「私の正法眼蔵は三聖によって滅ぼされる」と言った。
どの弟子にも「これが臨済禅師の正しい仏法だ」などとは言って欲しくなかったのでしょう。臨済禅師の仏法などは所詮臨済禅師だけのもの、臨済禅師の生涯(テーマ)で活きるもので、誰にも通用することは無いでしょう。
頌では、五祖と六祖のエピソードを引用しています。ある時、五祖が「私の法を受け継ぐ者を決める。各々自分の所見を書きなさい」と言った。その時、弟子の中でも優秀だと言われている神秀という人が「身是菩提樹 心如明鏡台 時時勤払拭 莫使惹塵埃」と書いて部屋の前に貼った。これを見た修行僧は「これは神秀が五祖の後継者だろう」と思い、それ以降、誰も所見を書かなかった。しかし、慧能はこれに対して「菩提本非樹 明鏡亦非台 仏性本清浄 何処有塵埃」と書いた。
神秀の詩は「人間は本来、身も心も悟りの中にあるのだから、努力して苦しみの原因を払いのければ、そこに悟りが現れてくる」という意味です。
一方、慧能の詩は「人間を見た時に、悟りというモノなどどこにも無く、仏も無い。在るかのように定義するのは悟りと迷いという区別をしているからだ。どこにも悟りも迷いも苦しみも無いだろう」と真っ向から否定した。
これを見た五祖は夜中に六祖を呼び出し、自身の袈裟を相続させ、「これからお前は六祖になるんだ。これを持って逃げろ」と言った。
なお、補足すると出家を志した慧能は読み書きが出来ず、正式に出家をさせてもらえず寺の米搗きをする従業員であった。その為、この詩は代理人に書いてもらった。
朝になると大騒ぎ、まさか神秀ではなく正式に出家もしていない慧能が相続するとは!!700人の修行僧は大騒ぎ、代表して慧明という元軍人の僧侶が慧能を追いかけ袈裟を取り返そうとする。すると慧能は慧明に対して、「善と悪の判断を無くした時、その人をどのように判断するのか?」と言った。それを聞いて慧明は慧能の一番弟子になった。
この六祖慧能禅師より一気に中国全土に仏教が広まっていく。