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従容録の自己流解説「11則~20則」

さて、従容録の第11則から20則を読み解いていきます。
1則から10則まではこちら 「従容録1則~10則」

以下の点を読み解いていく為の軸とします。
1,自己の本質や自己そのものが単一で存在しない
  これは、自己の存在認識が二元論的に自分と他人の対比による言語化された虚構の概念であるから。

2,「悟り」や「真理」という言葉に根拠を持たない。
  仏陀は悟りについて具体的に経典で言及していない。あくまでも悟ったと言う経験談を語っているに過ぎないので「悟り」が何かを定義しない。

3,人権や道徳、倫理に関わる問題はそのまま読み進める。
  ジェンダー、身分、職業、暴力、身体的障害等は現代の感覚とかけ離れているが、あくまでも当時の感覚と捉え気を悪くせず受け止めていただきたい。

4,本則の漫画のみを読み解くと読み手の自由な解釈が無限に出てくるため、
  宏智正覚禅師と万松行秀禅師が何を狙ってエピソードを取り上げたかにフォーカスして読み解く。

目次

第十一則「雲門両病」

従容録 第十一則 雲門両病

第11則 雲門両病(うんもんりょうびょう)

衆に示して曰く:

無身の人、病を患い、無手の人、薬を合す。
無口の人、服食(ふくじき)し、無受の人、安楽なり。
且(しばら)く道(い)え膏肓(こうこう)の疾(やまい)、如何が調理せん。

膏肓(こうこう)・・・胸と腹の間の部分。みぞおちあたり。一番治療しづらい場所と言われていた。
服食(ふくじき)・・・食べ物や薬を食べること。
調理・・・料理じゃないよ。調剤と脈理のこと。つまり、診察から処方までをさす。

現代語訳
体の無い人が病を患ったら、手の無い人が薬を調合する。
口の無い人が食べ物を食べれば、何も食べていない人が安らかになる。
治療が難しい病気はどうやって治せばいいのか?

本則

挙す。
雲門大師云く、
「光透脱せざれば、両般(りょうはん)の病有り【還って口乾き、舌縮まることを覚うや】。一切処、明らかならず、面前に物有る、是一【白目に鬼を見る、是眼花あること莫しや】。
一切の法空を透得するも、隠隠地(おんおんち)に箇の物有るに似て相似たり。亦是、光透脱せざるなり【早く是胸に結ぶ那(なん)ぞ喉閉(こうへい)に堪えん】。
又、法身にも亦両般の病有り【禍(わざわい)単(ひと)えに行われず】。法身に到ることを得れども、法執(ほっしゅう)忘ぜず。己見(こけん)猶存するが為に、法身辺に堕在(だざい)す、是一【唯、邪崇のみにあらず。更に家親あり】。
直饒(たとえ)、透得するも放過(ほうか)せば即ち不可なり【病を養うて身を喪(ほろぼ)す】。
子細に点検し将(も)ち来たれば、甚麼(なん)の気息か有らん。亦是れ病なり」【医博未だ門を離れざるに又早く癇病(かんびょう)発す】。

【】の中は本則のコメントです。
雲門・・・雲門文偃(うんもんぶんえん)禅師(864~949年)。
隠隠地(おんおんち)…あいまいな。
甚麼(なん)の気息か有らん・・・返事がない、ただのしかばねのようだ。
癇病(かんびょう)・・・神経質な人。現代でいうところの不安症や強迫性障害。

現代語訳
雲門禅師が教壇に登って言った。
「今日は4つの病気について話をします。
『物事に実体は無い』という空を考えると、目の前の物が在るのか無いのか分からなくなってしまう。これが一つ目の病気である。
次に、『実体が無い』という空が分かった!!と思うと『空の性質』があるように思えて『空』に執着してしまう。これが二つ目の病気である。
次に、物事を見る時に意識して常に『実体が無い、空である』という見方を守って、実際には身動きが取れなくなってしまう。これが三つ目の病気である。
次に、自らの存在の在り方を細かく観察してみると、役割も意味も持たない『あるがままの自己』こそ涅槃だ!!と思ってしまう。これが四つ目の病気である【病院で完治したと言われて、退院したとたんに不安になって心を病んでしまうようなものだ】。

頌に曰く。
森羅万象、崢嶸(そうこう)に許(まか)す【さもあらばあれ、何ぞ汝を礙(さ)えん。識得すれば寃(えん)を為さず】。
透脱無方なるも眼睛(がんぜい)を礙(さ)う【閃棒榾桗(せんぼうこうだ)に著く】。
彼の門庭を掃う誰か力有る【迹を払えば痕を成す。隠さんと欲すれば弥(いよいよ)露(あら)わる】。
人の胸次(きょうじ)に隠れて自から情を成す【心疑えば暗鬼を生ず】。
船は野渡(やと)の秋を涵(ひた)して碧なるに横たえ【死水に浸却す】、
棹(さお)は蘆花(ろか)の雪を照らして明(めい)なるに入る【岸に住して却って人を迷わす】。
串錦(かんきん)の老漁市に就かんことを懐(おも)い【本を著けて利を図る】、飄飄(ひょうひょう)として一葉(いちよう)浪頭に行く【流れに随って妙を得】。

崢嶸(そうこう)に許(まか)す・・・高い低いがあるが、そのままを受け入れよう。


現代語訳
森羅万象、全てをあるがままに任せよう【本当に空が分かれば心がすっきりしているだろう】。
全てを「空」で見る事が出来れば、物事を見る時に遮るものは無い【鞭をビュンビュン振り回せば丸く見える】。
雑念や妄想を払いのけてしまうというのはどのような力か?【雑念妄想を払った後は、その痕跡が残っている、その痕跡も消そうとしても、その消そうとした痕跡が残っている】
自分では払ったつもりでも実は雑念妄想がこびりついている【払ったことに捉われればまた雑念妄想が生じる】。
澄みきって波風も無い秋の夜に、船着き場に船が一隻。船頭が棹を持って向こう岸に渡そうとするとき、雪が降ってきた。すすきの穗と雪が混じり、見分けが付かなくなってきた。
漁師は釣った魚を串刺しにして市場へ向かっている。ひょうひょうとしたその姿は悟りも迷いも救いも苦しみも無い。

解説

難しい話をして、考え事をしている風な顔をしていれば賢そうに見えるが、それは誤解です。
私もそうですが、結局仏道を難しく考えようとすると、只の思考マニアになってしまいます。
考えればいいってわけではありません。何も考えずに、シンプルに物事を考えられる人の方が天下を取って、案外何気ない日常を幸せに生きていける気がします。考えるなんてのは暇な時間があるからかもしれない。考える時間があるなら動いた方が良いかもしれない。
道元禅師も正法眼蔵現成公案の巻で「自己をはこびて万法を修証するを迷とす、万法すすみて自己を修証するはさとりなり。
迷を大悟するは諸仏なり,悟に大迷なるは衆生なり。さらに悟上に得悟する漢あり,迷中又迷の漢あり。
諸仏のまさしく諸仏なるときは,自己は諸仏なりと覚知することをもちゐず。しかあれども証仏なり、仏を証しもてゆく。」と示しています。
まさに、迷いの中に悟りがあり、『悟った』などと思っていたり、これこそが仏道修行だと思っている内はまだまだなのですね。

第十二則「地蔵種田」

従容録 12則 地蔵種田

第十二則 地蔵種田(じぞうしゅでん)

衆に示して曰く:

才子は筆耕し、弁士は舌耕す。
我が衲僧家(のっそうけ)、露地の白牛(びゃくご)を看るに慵(ものう)し。
無根の瑞草(ずいそう)を顧みず、如何が日を度(わた)らん。

衲僧家(のっそうけ)・・・破れた布を着て修行する僧侶。主に禅僧をさす。
露地の白牛(びゃくご)・・・苦しみから逃れた境地。法華経の譬喩品に出てくる例え話に由来。ある時、男が帰宅していると、自宅が燃えていることに気が付く。慌てた男は庭から家の中を確認すると子供たちが火事に気付かず遊んでいた。男の声に気が付くも遊びに夢中で子供たちは家から出ようとしない。そこで家の外(露地)に白い牛が引く車を持ってきて、「もっと楽しい車の玩具があるよ~」と言って子供たちを外に出したという話。
無根の瑞草(ずいそう)・・・根っこが無いのに生き生きとしている草。ここでは何事にも根拠を持たず生きている様と訳します。

現代語訳
文才がある人は小説を沢山書き、口が達者な人は沢山演説する。
しかし本当の禅僧は、苦しみから逃れようとかも考えず、根拠のない悟りとか特別な修行も求めない。
さて、こんな禅僧はどのようにして日常を送っているのか?

本則

挙す。
地蔵、脩山主(しゅうさんしゅ)に問う、「 甚(なん)の処より来る?」【来処を知らずと道い得てんや】。
脩云く、「南方より来る」【好し下載を与えるに】。
蔵云く、「南方近日仏法如何?」【行説好し話するに】。
脩云く、「商量(しょうりょう)、浩浩地(こうこうち)」【低声】。
蔵云く、「争(いか)でか如(し)かん我が這裏(しゃり)、田を種(う)え飯を摶(まろ)めて喫せんには」【少売弄】。
脩云く、「三界を争奈(いかん)せん」【猶這箇の在る有り】。
蔵云く、「汝、甚麼(なに)を喚んでか三界と作す」【南方は猶可なり。北方は更に㬠(はなはだ)し】。


【】の中は本則のコメントです。
地蔵・・・地蔵桂琛(じぞうけいちん)禅師(867~928年)。羅漢院というお寺に移った為、羅漢桂琛とも。
脩山主(しゅうさんしゅ)…龍済紹脩(りゅうさいしょうしゅう)禅師。地蔵桂琛(じぞうけいちん)の弟子。詳細は不明。
商量(しょうりょう)・・・議論、問答。もともとは商売で買い手売り手の値段決めの応酬のこと。
浩浩地(こうこうち)・・・盛んである。
飯を摶(まろ)めて・・・箸やスプーンを使わない時代は炊いたお米を右手の親指人差し指中指の三指で丸くして食べていた。現代のインドでも一部地域ではこのように食べている。
三界・・・この苦しみに満ちた世の中。一切皆苦の人の生。
少売弄・・・ドヤ顔してるけど全然すごくないよ、という意味。

現代語訳
地蔵禅師の元に、かつて脩という弟子が居た。
脩は地蔵禅師の修行に不満を持ち、他のお寺を渡り歩いていた。
ある日、地蔵禅師が田んぼを耕していると脩が帰ってきた。
地蔵禅師「お、どこに行ってたんだ?」
脩「南の方のお寺に行っていました。」
地蔵禅師「ほう、南のお寺はどうだった?」
脩「皆さん、仏法について議論が盛んで、勉強熱心でした!!」
地蔵禅師「そうかそうか、因みに私は毎日田んぼを耕し、お米を炊いて食べる日々を送っているぞ。」
脩「その日常でどうやって苦しみや執着や煩悩から抜け出せるのですか?」
地蔵禅師「なんじゃ、その『苦しみ』とか『執着』とか『煩悩』は?そんなもの、この世のどこにあるのだ?」

頌に曰く。
宗説、般般(はんぱん)尽く強いて為す【今日、便りを著けず】。
耳口(じく)に流伝すれば便ち支離(しり)す【衆僧怪しむことなかれ】。
田を種(う)え飯を摶(まろ)む家常(かじょう)の事【別に有るべからず】。
是れ飽参(ぼうさん)の人にあらずんば知らず【知ることを要して作麼(なに)かせん】。
参じ飽いて明らかに知る所求なきことを【更に須らく天童に請益する一遍すべし】。
子房(しぼう)終に封侯(ほうこう)を貴(ねが)わず【また是霊亀尾を曳く】。
機を忘じ帰り去って魚鳥に同じうす【流れに随って妙を得】。
足を濯(あら)う滄浪煙水(そうろうえんすい)の秋【受用不尽】。


宗説・・・仏教の教え。
般般・・・議論が盛ん。
子房・・・漢の時代の優秀な家臣。
封侯・・・領地を貰う事。
足を濯(あら)う滄浪煙水(そうろうえんすい)の秋・・・世情や常識のしがらみから解放されること。楚という国の大臣が、派閥争いで左遷される話が由来。左遷された大臣が左遷先の田舎で痩せ衰えていた。滄浪という河のほとりに行ったときに漁師から「おや、あなたは有名な大臣じゃないですか。どうしたんですか暗い顔して」と訊ねてきた。大臣は「世間が濁ってしまって、私一人だけ清らかだ」と愚痴った。すると漁師が「河の水が綺麗なら帽子を洗えばいいし、濁っていたら足を洗えばいいじゃないですか」と言った。世間を悲観するよりも、その世間でどのように生きるかを見ようという故事。

現代語訳
仏法についての議論や勉強は他人や自分に尻を叩かれて行うものだ。
耳で聞いて口で語るだけの仏法は結局支離滅裂になっていくだろう【理屈で語れると思うなよ】。
田んぼを耕しご飯を食べるという日常の生活こそが修行そのものであるとは知られていない【仏法を知ろうとしている内は分からないだろう】。
日常そのものが修行であるということは、何も求めず、何の為でもない生き方そのものである。
優秀な家臣が褒美を欲しがらずに只々忠義を尽くしたように、魚や鳥と共に生きていくように、世間の流れに随いながらゆったりと生きていくようなものだ。

解説

示衆ですが、耕すという字を使っています。もちろん比喩ですが、耕すという言葉は古来インドの経典である小部経典蛇の章に出てきます。
仏陀が托鉢をしながら歩いている時のこと。畑を耕している婆羅門の所に行き、食べ物を乞食しました。
すると婆羅門は「私は自分で畑を耕し、種を播きます。そして収穫して食べます。もし、食べ物が欲しいのならフラフラしてないで自分で畑を耕せばいいじゃないですか。」
仏陀が言います。「いえ、私も畑を耕し、種を播き収穫して食べます。」
婆羅門「なにを言ってるんですか。鍬も道具も持っていないのに、何を耕しているというのだ!!」
仏陀「私の心が種です。そして私の日々の行為が雨です。智慧が鋤となり、慚愧が鍬となり、心を向ける対象物が支柱となります。言葉を慎み行動を慎むことが草刈りとなります。慈悲の心が放牧となります。怠けない精進の心が牛となります。このように、これが私の耕作です。」
これが耕作の例え話です。ではこの仏陀が説いた「耕す」とは日常のどんな生活であろうか?という問いかけをしています。
余談ですが、この仏陀の話には続きがあります。仏陀の言葉に感銘を受けた婆羅門はお粥を渡します。すると仏陀は「私の言葉の対価として差し出した物は食べるに値しない。取引は煩悩の元となり、功徳を無くすものです。」婆羅門は「では仏陀よ、このお粥は誰に渡せばいいのでしょうか?」仏陀「婆羅門よ、神も悪魔も動物も植物も食べないだろう。植物も生えていない動物も住んでいない水の中に捨てなさい」と言って、捨てさせました。
徹底した仏陀の姿勢が記されています。でも、もったいないですね、、、

本則です。
まず原文に載っていませんが、地蔵桂琛(じぞうけいちん)禅師の元には少なくとも三人の弟子が居ました。脩山主(しゅうさんしゅ)、進山主(しんさんしゅ)、法眼文益(ほうげんぶんえき)です。このうち、脩山主(しゅうさんしゅ)、進山主(しんさんしゅ)は修行が物足りないと言って出て行ってしまいます。そして、脩山主(しゅうさんしゅ)が戻ってきたのが今回の問答です。
議論や勉強を沢山やっても、日常底をしっかり生きる事に勝る仏法は無い、と示しています。
実は、この12則は私の師匠が永平寺で首座(しゅそ)を務めた時の本則(テーマ)です。永平寺では年に二人、夏と冬に首座(リーダー)という役職を選び、修行のテーマを首座が決めます。200人以上の修行僧をまとめるリーダですので、永平寺からも認められ出家者としての軸(テーマ)が定まっている人が選ばれます。
その師匠が平成4年に首座を務めた時のテーマが地蔵種田です。
そんな師匠も現在は東京拘置所にて教誨師を務めています。教誨師は犯罪を犯してしまった人と面談を重ね、生き方を共に考えるボランティアです。特に東京拘置所は死刑囚も入る場所です。最後の死刑執行の立ち合いまでが教誨師の役目。そんな中で師匠は、「日常の生活を整えれば心も行動も整う、その行為によって自分は何者にでもなれる、変われるんだ」と説いていました。トイレのスリッパを整える。食事の時に手を合わせいただきますと言う。洗濯物を丁寧に畳む。などなど、当たり前ですが意外と出来ていなところまで徹底して整えていけば人生が整う。
そして、私にはよく「本なんか読むな、仏教の勉強なんかするな、心を動かしたいんだったら人に逢え、テレビを見ろ、漫画を読め」と言います。まさに地蔵種田を徹底する生き方が師匠からにじみ出ています。

最後の苦しみとか、そんなものどこにあるんだ?というのは、そもそも、「苦しみ」とか「悟り」に実体はなく根拠もない。心の苦しみを無くすためにと行動することも、悟りを目指して修行することも無意味だと言っています。よく勘違いされますが、悟りを開くとか、悟りを得るという言葉自体が間違っています。悟りが開けるならば、悟りとは○○であると説明できなければいけない。しかし、仏陀は悟りとは涅槃とは○○だと語ってはいません。根拠のない悟りを目指すのではなく、ある特定の行為(修行)を行い「悟る自己」の存在を現成させる。ここで、「自分は悟っている、という認識を持つ行為」をしてしまうと仏道から離れてしまうので、悟っている自己を認識することはできません。この根拠のない「仏である自己」を行為によって存在させること、これこそが日常底の耕す食べるという行為だと地蔵は言っています。根拠のない悟りに向かって議論しても悟りが何か永遠に分からない以上、ナンセンスでしょう。
仏道は根拠のない悟りを定義しない。これは一種の賭けです。

頌の解説です。
正法眼蔵行持の巻に「仏祖の大道、かならず無上の行持あり、道環して断絶せず、発心・修行・菩提・涅槃、しばらくの間隙あらず、行持道環なり。このゆえに、みづからの強為にあらず、他の強為にあらず、不曾染汚の行持なり。」とあります。
往々にして出家者が集まると、2つのパターンがあります。車の話、美味しい店の話などの世間話をするグループ。そして、仏法について話すグループと。どちらが良くて、どちらが悪いという話ではなく、皆何かしら話さずにはいられないのでしょう。無言が気まずいのか駆り立てられるように、何かを話、うろうろします。ドンと構え、自分にも他人にも圧力をかけられない、そんな境地を体験したいものです。

第十三則「臨済瞎驢」

従容録 十三則「臨済瞎驢」

第十三則 臨済瞎驢(りんざいかつろ)

衆に示して曰く:

一向に人の為にして己れ有ることを知らず。
直に須らく法を尽くして民無きことを管せざるべし。
須らく是れ木枕(もくちん)を拗折(ようせつ)する悪手脚(あくしゅきゃく)なるべし。
行に臨むの際、合(まさ)に作麼生(そもさん)。  

人の為に・・・ここでは師匠が弟子に教化すること。
行に臨むの際・・・臨終。もうすぐ亡くなる際。
作麼生・・・なにか?という問いかけ。

現代語訳
自分のことも顧みずに人に尽くす人がいる。そのように優しく丁寧に教えることもある。
法律を全てきっちりと守らなければならない国には人々が住まなくなってしまう。そのように厳しく激しく教える事もある。
これらは、木の枕をねじ切るくらいの常識外れの手段をもって、弟子に教えていく禅僧の姿をあらわしている。
では臨終の時、どのような手段を使って弟子に示すのか?

本則

挙す。
臨済将(まさ)に滅を示さんとして三聖に囑す、「吾が遷化(せんげ)の後、吾が正法眼蔵を滅却することを得ざれ」【甚の死急をか著くるや】。
聖云く、「争でか敢えて和尚の正法眼蔵を滅却せん」【小心と偽れども、なお大胆】。
済云く、「忽ち人有って汝に問わば作麼生(そもさん)か対(こた)えん?」【虎口裏に身を横たえる】。
聖、便ち喝す【機に当たって父に譲らず】。
済云く、「誰か知らん、吾が正法眼蔵、這(こ)の瞎驢辺(かつろへん)に向かって滅却することを」【重賞の下、必ず勇夫有り】。

【】の中は本則のコメントです。
臨済・・・臨済義玄(りんざいぎげん)禅師(???~867年)。黄檗希運禅師の弟子。臨済院の住職をしていた。
三聖…三聖慧然禅師。臨済義玄禅師の弟子。詳細は不明。
遷化・・・衆生を教化する場所を移す事。転じて僧侶が死ぬ事。
正法眼蔵・・・釈迦牟尼仏から伝わる正しい仏法。

現代語訳
臨済禅師が亡くなる時、弟子の三聖に言った。
「私が死んだ後、釈迦牟尼仏から伝えられてきた教えが無くならないようにしっかりと守っていきなさい」【死に際にそんなに慌てなくてもいいものを】。
三聖「教えが無くなるわけないじゃないですか」【謙虚そうに見えて実に大胆である】。
臨済禅師「では、今、誰かが来て正法眼蔵について聞かれたら何と答えるんだ?」【三聖が発する力強い言葉に身構えた】。
三聖「かぁぁぁぁァァァーーーーーーーーーつ」【師匠に対して遠慮が無い】
臨済禅師「あぁ、正法眼蔵はこの目の見えないロバのような男によって滅ぼされるんだろう(ニコッ)」【素晴らしい人には大きな称賛が付随するものだ】

頌に曰く。
信衣半夜に蘆能(ろのう)に付す【賊児賊智】、攪攪(こうこう)たり黄梅(おうばい)七百の僧【上梁正しからず】。
臨済一枝の正法眼【半明半暗全く今朝に在り】、瞎驢滅却して人の憎しみを得たり【心甜く口苦し】。
心心相印し【販私塩の漢】、祖祖灯を伝う【壁を穿って光を盗む】。
海嶽を夷平し【黄鶴楼を拳倒し鸚鵡州を踢翻す】、鵾鵬(こんぼう)を変化す【手を翻せば是雲、手を覆えば是雨】。
只箇の名言比擬し難し【なお少なき事を嫌うこと在り】、大都(おおよそ)手段、翻倒(ほんとう)を解す【正法眼蔵なお在り】。 

信衣半夜に蘆能(ろのう)に付す・・・達磨大師から数えて五代目の弘忍禅師が六代目の慧能禅師に夜中、達磨大師から伝わる袈裟を渡した故事に因む。
攪攪・・・騒ぎ。紛争。
黄梅七百の僧・・・五祖弘忍禅師の弟子700人が、まさか愚か者と言われていた慧能禅師が袈裟を受け継いだと聞いて大騒動になった。
販私塩の漢・・・塩を密売する人。古来より塩の販売は国の専売特許であった。転じて人知れず伝えることを指す。
壁を穿って光を盗む・・・ある熱心な人が貧しくて油が買えなかった時に、壁に穴を空け隣の家から漏れる光で読書をしたという故事。

現代語訳
昔、五祖弘忍禅師が夜中に六祖慧能禅師に袈裟を相続させた。修行達は、まさか慧能が受け継ぐとは思っておらず大騒動になった【古参の修行僧がしっかりしなきゃいけない】。
臨済禅師の教えも三聖に相続された【明るくもない暗くもない明け方のような教えがここに在る】。三聖は臨済禅師の教えを滅却して修行僧たちの怨みを買うだろう。
塩を人知れず密売するように師匠の心をひっそりと受け継ぎ、それが代々受け継がれてきた。
それは、海や山を平らにするような、魚を大きい鳥に変えるような、言いようの無い手段によって伝えられるのだろう。

解説

この話は、師匠から弟子へ何をどのように伝えるのかという問答です。
仏陀も達磨大師もそうですが、何をもって「私の教え」が伝わったと判断したのか?それは、結局のところ分からないです。師匠の教えや心が完璧に分かりました、などと言っている内はダメです。分かるわけがない。どんなに長く他人と生活しようが永遠に分からない。
その分からない中で臨済禅師が「私の正法眼蔵」という表現を使って、まるでこの世に理解できる根拠のある「正法眼蔵(教え)」が存在するかのように言った。
三聖は、もうすぐ亡くなる師匠に対して、「臨済禅師の正法眼蔵」を受け継ぐと言いながらも、いざ「どのように伝えるのか?」と聞かれると「かーーーー」と喝を入れるだけでした。根拠も意味の無いモノを説明しろと言われても意味の無い言葉でしか説明できない。
最後に嬉しそうに「私の正法眼蔵は三聖によって滅ぼされる」と言った。
どの弟子にも「これが臨済禅師の正しい仏法だ」などとは言って欲しくなかったのでしょう。臨済禅師の仏法などは所詮臨済禅師だけのもの、臨済禅師の生涯(テーマ)で活きるもので、誰にも通用することは無いでしょう。
頌では、五祖と六祖のエピソードを引用しています。ある時、五祖が「私の法を受け継ぐ者を決める。各々自分の所見を書きなさい」と言った。その時、弟子の中でも優秀だと言われている神秀という人が「身是菩提樹 心如明鏡台 時時勤払拭 莫使惹塵埃」と書いて部屋の前に貼った。これを見た修行僧は「これは神秀が五祖の後継者だろう」と思い、それ以降、誰も所見を書かなかった。しかし、慧能はこれに対して「菩提本非樹 明鏡亦非台 仏性本清浄 何処有塵埃」と書いた。
神秀の詩は「人間は本来、身も心も悟りの中にあるのだから、努力して苦しみの原因を払いのければ、そこに悟りが現れてくる」という意味です。
一方、慧能の詩は「人間を見た時に、悟りというモノなどどこにも無く、仏も無い。在るかのように定義するのは悟りと迷いという区別をしているからだ。どこにも悟りも迷いも苦しみも無いだろう」と真っ向から否定した。
これを見た五祖は夜中に六祖を呼び出し、自身の袈裟を相続させ、「これからお前は六祖になるんだ。これを持って逃げろ」と言った。
なお、補足すると出家を志した慧能は読み書きが出来ず、正式に出家をさせてもらえず寺の米搗きをする従業員であった。その為、この詩は代理人に書いてもらった。
朝になると大騒ぎ、まさか神秀ではなく正式に出家もしていない慧能が相続するとは!!700人の修行僧は大騒ぎ、代表して慧明という元軍人の僧侶が慧能を追いかけ袈裟を取り返そうとする。すると慧能は慧明に対して、「善と悪の判断を無くした時、その人をどのように判断するのか?」と言った。それを聞いて慧明は慧能の一番弟子になった。
この六祖慧能禅師より一気に中国全土に仏教が広まっていく。

第十四則「廓侍過茶」

従容録 廓侍過茶

第十四則 廓侍過茶(かくじかさ)

衆に示して曰く:

探竿(たんかん)手に在り、影草(ようぞう)身に随う。
有る時は鉄に綿団を裏(つつ)み、有る時は綿に特石(とくせき)を包む。
剛を以て柔を決することは即ち故是なり、強に逢うては即ち弱なる事如何。

探竿手に在り、影草身に随う。・・・探竿は草むらを探る棒、影草は隠れ蓑のこと。泥棒の七つ道具と言われている。
特石・・・大きな石。

現代語訳
相手の力量を探ろうとする者もいれば、自分の力量を隠そうとする人もいる。
このように、他人と相対したとき鉄を風呂敷に包むように接することもあれば、風呂敷を鉄で包むという非常識な接し方もある。
強い者が弱い者を押さえつける事はよくある。では、目の前の人が威圧的な態度で接してきたら弱弱しい態度で受け止めて良いだろうか?

本則

挙す。
廓侍者、徳山に問う、「従上(じゅうじょう)の諸聖、什麼(なん)の処に向かって去るや?」【汝が鼻孔裏に在り】。
山云く、「作麼作麼(そもそも)」【迅雷耳を掩(おお)うに及ばず】。
廊云く、「飛龍馬(ふりゅうめ)を勅点すれば跛鼈(はべつ)出頭し来る」【家富んで児嬌(おご)る】。
山便ち休し去る【饒人(にょうじん)、是癡なるにあらず】。
来日、山、浴より出ず。
廓、茶を過(わた)して山に与う。
山、廓が背を撫(ぶ)すること一下【断送して竿頭に上る】。
廓云く、「這の老漢、方(まさ)に始めて瞥地(べつち)」【覆車、轍を同じくする】。
山、又休し去る【虎頭虎尾一時に収む】。

【】の中は本則のコメントです。
廓侍者・・・伝承不明。侍者は身の回りの世話をする僧侶のこと。
徳山…徳山宣鑑(782~865年)。「臨済の喝、徳山の棒」と並び称された禅僧。荒々しい禅風の僧として知られる。
飛龍馬(ふりゅうめ)・・・足の速い馬。
跛鼈(はべつ)・・・足の遅いスッポン。


現代語訳
ある日、侍者が徳山禅師に質問した。
「歴代の禅師達はどこに行ってしまったんですかね~?」【己の鼻の中にいるぞ!】
徳山「え?なに?なに?よく聞こえなかったな~」【雷の音は耳を覆ってもよく聞こえるだろう】
侍者「(すっとぼけやがって)なぁんだ、良い答えが聞けると思ったのに、答えが分からないからってはぐらかすんですね~~~。フッ」【裕福なボンボンの子供はクソだな】。
徳山は黙って部屋から居なくなってしまった【流石、徳山禅師だ】。
後日、徳山がお風呂から出ると、侍者がお茶を入れて持ってきた。
徳山は「おっ、気が利くね~」という意味で肩を叩いた【徳山は侍者を持ち上げるな~~】。
侍者「この老いぼれが、やっと俺の気遣いに感謝したか」【侍者は二度の過ちに気付かないのか】。
それを聞いても徳山は怒るわけでも無く、また部屋から出て行ってしまった【虎のように威張っている人を包み丸め込んでしまった】。

頌に曰く。
覿面(てきめん)に来たる時、作者知る【昧き者は覚らず】。
可の中、石火電光遅し【已に新羅を過ぎる】。
機を輸(つく)く謀主(ぼうしゅ)に深意(しんい)有り【兵を埋めて闘いを掉(いど)む】。敵を欺く兵家に遠思(えんし)無し【深く慮庭に入る】。
発すれば必ず中(あた)る【其の便りを得るに慣れる】。
更に誰をか謾ぜんや【臓を併せて捉獲(そくかく)す】。
脳後に腮(さい)を見て、人触犯し難し【曽て蛇咬を経】。眉底に眼を著けて、渠(かれ)便宜を得たり【偽って知らざるを打(まね)る】。 

覿面(てきめん)・・・目の当たりにする。
作者・・・力量のある優れた人。
新羅・・・朝鮮半島。ここでは遠く離れた地の意味。
機を輸く・・・機は相手の意味。相手に負ける。
蛇咬を経・・・一度蛇に咬まれた人は、縄を見ただけで吃驚する。

現代語訳
徳山禅師は相手がオラオラしているのを見た時、その対処方法を熟知している【我が強いと対処方法が分からない】。
その対処方法を電光石火の如く素早く構築していく【めっちゃ早い!】。
徳山禅師がわざと負けたかのように見せた意図は凡夫には理解できないだろう【兵を待ち伏せさせて奇襲をかけるかのようだ】。
徳山禅師の敵に発した矢は百発百中だ【訓練が行き届いている】。
この徳山禅師に傲慢な心を持って相対しようとするものなどいないだろう【泥棒を捕まえるだけでなく、盗品も奪い返した】。
徳山禅師にうっかり気軽に近づこうものなら、大きな被害を受けるぞ【一度痛い目に会うと、もう話すことも出来ない】。

解説

この話のポイントは徳山禅師という方はとても激しい気性の方であるということです。今回はオラオラ系の侍者にオラオラされて、オラオラされっぱなしです。この話だけを見ると、大人しい禅師なのだろうと錯覚してしまいます。
臨済の喝、徳山の棒という言葉が伝わるように、臨済禅師は何事にも「カァァーーーーッツ」と言って理屈で説明しない方でした、徳山禅師は何事にも棒を振り回し仏法を示す方でした。
徳山禅師のエピソードとしては、偶像崇拝に傾倒した弟子たちを戒めるために仏殿を破壊したというものがあります。
その徳山禅師が、オラオラ系の相手には逆に柔らかい態度で臨み、逆に丸め込んでしまうという話です。
堅い石と石同士がぶつかれば、どちらかがいつか割れてしまう。しかし、どちらか一方が柔らかい粘土であったら、どちらも割れることはありません。粘土は形が崩れても元に戻せます。
そんな、人間関係の話でした。
言うは易し、行うは難しですね。

第十五則「仰山挿鍬」

従容録 仰山挿鍬

第十五則 仰山挿鍬(ぎょうざんそうしゅう)

衆に示して曰く:

未だ語らざるに先ず知る、之を黙論(もくろん)と謂う。
明らかにせざるに自ずから顕わる、之を暗機(あんき)と謂う。
三門前に合掌し、両廊下に行道す。
箇の意度(いたく)あり、中庭上に舞いを作し、後門下に頭を揺がす、又作麼生(そもさん)。 

黙論・・・以心伝心のような言葉を用いずに心が通じる様子。
暗機・・・心がぴったりと一致する様子。投機ともいう。現代では投機はギャンブル的な意味で用いられる。自分の目論見通りに相場がぴったりと動く様を投機と呼ぶようになった。
三門・・・三解脱門の略。空門、無相門、無作門を三解脱門といい、寺の入り口を指す。
両廊下・・・仏殿の左右に伸びている回廊。永平寺などの禅寺は建物が回廊で繋がっており、山門を横切る時は仏殿の正面を通る為、仏殿側を向いて合掌一礼する。

現代語訳
よく知った仲であれば、言葉を交わさなくても仏道の実践ができる。
これは、山門前で合掌し廊下を歩くように、そのようになっているという以外の理由もなく、余計な分別が無い。
このように心がピッタリと一致していれば、お互いの姿が見えなくても同じダンスのリズムを刻めるだろう。その心の一致とはなんだろうか?

本則

挙す。
潙山、仰山に問う、「甚(なん)の処よりか来たる?」【是来処を知らざるにあらず】。
仰、云く、「田中(でんちゅう)より来たる」【汝、甚(なん)として草に落ちるや】。
山、云く、「田中多少の人ぞ?」【只父子両箇】。
仰、鍬子(しゅうす)を挿下(そうげ)して叉手(しゃしゅ)して立つ【放去は較危し】。
山、云く、「南山には大いに人有って茆(ちがや)を刈る」【草を打って蛇を驚かす】。
仰、鍬子(しゅうす)を拈(ねん)じて便ち行く【収来は、はなはだ速やかなり】。

【】の中は本則のコメントです。
潙山・・・潙山霊祐(いざんれいゆう)禅師(771~853年)。百丈懐海の弟子。
仰山・・・仰山慧寂(ぎょうざんえじゃく)禅師(807~883年)。潙山の弟子。仰山の弟子たちの門流は潙仰宗と呼ばれた。
叉手・・・みぞおちの前で左手を握り、右手で左拳を覆う作法。何も持っていない時は、合掌、叉手、法界定印の三種類で手を身体の中心に置く。

現代語訳
出かけていた仰山が帰ってきた。手には鍬を持っていた。
すると師匠である潙山が聞いた。
「どこに行ってたんだ??」【どこに行っていたかは知っていてこの質問をした】
仰山が答えた。
「田んぼを耕していました。」【その答えでは足りないぞ】
潙山が聞いた。
「田んぼにはどんな人が居たんだ?」【師匠と弟子だからこそ、この質問の真意が分かった。】
仰山は持っていた鍬を地面に刺して、叉手して直立した。
潙山が言った。
「南山には大勢の人が居て、茅を刈っているぞ。」【仰山を注意した。】
仰山は鍬を担いで部屋に帰っていった。

頌に曰く。
老覚(ろうかく)情多くして子孫を念(おも)う【婆心はなはだ切なり】。
而今慚愧(ざんぎ)して家門を起こすことを【三十年塩醋(えんそ)を少(か)かず】。
是れ須らく南山の語を記取すべし【貴人多く忘れる】。
骨に鏤(ちりば)め肌に銘じて共に恩を報ぜよ【恨心捨てず】。 

老覚・・・ここでは潙山霊祐(いざんれいゆう)禅師のこと。
婆心・・・老婆が孫を見るかのような慈悲の心。
而今・・・いま。いままさに。
慚愧・・・恥ずかしいと思う心。
塩醋(えんそ)・・・漬物や保存食を作る時に使う保存料(塩)など。

現代語訳
潙山霊祐禅師はとても優しく弟子の事を指導している【老婆が孫を見るように親切だ】。
今、仰山慧寂(ぎょうざんえじゃく)禅師は師匠に注意され、それを素直に受け止めて、師匠の心を継いだ【三十年間も塩を加え熟成させた】。
師匠から言われた言葉をしっかりと胸に置き修行するべきだ。
骨にも肌にも、師匠の言葉を心を刻み恩に報いなさい。

解説

ちょっと現代語訳だけではよく分からない話です。
どこから来たのかという問いは、場所を指しているわけではありません。「自己とは何か?」「自己の正体は何だ?」という問いかけです。第6則の「祖師西来意」と同じで、達磨さんは何故インドから中国に来たのか?をそのままの意味で捉える事はありません。
「来る」というのを「どのような行為によって」と変換し、「どのような行為によって、今の自己という存在が現れているのか?」と読みなおします。
すると本則は、どこから来たのか?は「自己の存在」そのものの問いかけです。
仏教においては存在の見方を「存在を私が認識する」から「私の認識(行為)が存在を現す」に転換します。
なので、自己の存在も同じく自己のどのような行為で自己が現れているのかによって瞬間瞬間の存在様式が変化します。これを諸行無常と言います。
返ってきた仰山に対して潙山は「今の自己の在り様はなんだ?」と問いかけた。
仰山は「田んぼを耕すという日常底において自己が存在させられています」と答えた。
しかし、これではまるで自分ひとりの行為が自分の在り様を単純に現してるように聞こえる。これでは不十分だと潙山は更に質問する。「その自己を現す行為をした田んぼにはどんな人たちが居たんだ?」つまり、他人から受け取る行為があるだろうと。他人との関わり合いの中で自己と他己の行為が絡み合っていたんじゃ無いのかと問いかけた。
仰山は鍬を置き、手を中心に置き直立不動することで、自己の全ての行為を放棄し、言葉も放棄し、他人から受ける行為も放棄した。
それを見た潙山は「大勢の人が茅を刈っている」と言った。つまり他人の行為はまだ働いているぞと戒めた。
自己の存在は自己の行為だけではなく、他人から強制的に課せられる自己の在り方もあると言う事です。

以前、テレビでキラキラネームの話題が挙げられていました。そこで、「名前は親から子供への初めてのプレゼント」と発言しているタレントがいました。もし、プレゼントであれば子供側に拒否権があっても良いと思います。しかし、実際は拒否できない。であればプレゼントという表現ではなく、消えない烙印でしょう。「名前は親から子供への初めての消えない烙印」です。
それは、今後子供が社会で生きていく中で決して自己の行為で解決できない他人から押し付けられた存在様式です。
最初が名前というだけの話であり、生きていく中でこの他人から押し付けられるものは多数あります。点数化された知能、他人と比較されないと自覚できない長所短所、マナーや一般常識などの同調圧力。これこそ生きづらさの一因でしょう。
出家とはここから抜け出し自由自在な存在になることですが、一人では生きていけない人間は完全に抜け出せるわけは無く、ある程度の他人との折り合いをつけながら苦しみを抱えて生きていかなければいけないでしょう。

第十六則「麻谷振錫」

第十六則 麻谷振錫(まよくしんしゃく)

衆に示して曰く:

鹿を指して馬と為し、土を握って金と成す。
舌上に風雷を起こし、眉間に血刃を蔵(かく)す。
坐ながらに成敗を観、立ちどころに死生を験(こころ)む。
且(しばら)く道(い)え是れ何の三昧ぞ。 

鹿を指して・・・秦の国の二世皇帝の時代の故事に因む。秦の大臣である趙高は皇帝以上の権力を得ていた。その事を皇帝に示すために、鹿を皇帝に献上し「これは馬です」と言った。皇帝は「これはどう見ても鹿であろう」と言った。そこで趙高は重臣達を呼び、「これは馬であろう?」と聞いた。重臣たちの多くは「はい、これは馬です。」と言った。鹿ですと答えた重臣は粛清された。
成敗・・・勝負が決する。成功と失敗。
三昧・・・サンスクリット語のサマディの音写。組み合わせという意味から「心を統一する」と意訳される。ここでは「心の動きを観察し、事象の捉え方を観察する」という意味。

現代語訳
鹿を指して馬と見る。土を握って黄金と捉える。
口の中に台風を起す。眉間に鋭い刃を納る。
何もしていないのに勝負が決して、一瞬のうちに一生分の経験をする。
さて、この常識はずれな物事の捉え方とはどのような心の働きであろうか?

本則

挙す。
麻谷(まよく)、錫(しゃく)を持して章敬(しょうけい)に到り、禅床(ぜんしょう)を遶(めぐ)ること三匝(さんそう)、錫を振るうこと一下(いちげ)、卓然(たくぜん)として立つ【はなはだ禅有り】。
敬云く、「是是」【且く一半を信ず】。
谷(よく)、又南泉に到り、禅床を遶ること三匝、錫を振るうこと一下、卓然として立つ【来朝更に楚王に献じ看よ】。
泉云く、「不是不是」【また且く一半を信ず】。
谷云く、「敬は是と道う、和尚什麼(なん)としてか不是と道(い)う?」【棺木裏に睜眼す】。
泉云く、「章敬は即ち是、汝は不是【雪上に霜を加う】。此は是れ、風力の所転、終に敗壊(はいえ)を成す」【人を殺さば須らく血を見るべし】。

【】の中は本則のコメントです。
麻谷・・・麻谷宝徹(まよくほうてつ)禅師。馬祖道一禅師の弟子。麻谷山にて修行をされていた。
錫・・・錫杖。旅の時に持つ棒。上部に音が鳴る鈴のようなものが付いている。
章敬・・・章敬(しょうけい)懐暉(えき)禅師(754~815年)。馬祖道一の弟子。
禅床を遶ること三匝・・・インドの挨拶の風習。昔は手を洗う水も無ければトイレットペーパーも箸もスプーンも無い。その為、肛門を拭くなどの汚いものは左手を使い、食事などの清らかにしたいものは右手を使う風習があった。お袈裟も不浄な左側を隠すように着る。目上の人に対しては清らかな右半身を向けて、その人の周りを3回回る敬意の表し方があった。
中国でも同じような作法が伝わっている。本来は三回回った後に錫杖を置き頭を下げるのが到着の挨拶である。錫杖を置かず立ったままの麻谷の態度は無礼である。
南泉・・・南泉普願禅師(748~834年)。馬祖道一禅師の弟子。
睜眼・・・目を覚ます。

現代語訳
麻谷宝徹が錫杖を持って兄弟子である章敬の所へ来た。
作法に随って、章敬の周りを3回回った。しかし、回った後、頭も下げず章敬の前に直立した【調子に乗ってるな~】。
章敬は「よしよし」と褒めた【半分だけ褒めた】。
次に兄弟子である南泉の元へ行き同じように3回回って直立した。
南泉は「それではダメだ」と言った【半分だけダメだ】。
麻谷「章敬和尚はよしよしと言いました。なぜ南泉和尚はダメだと言うのですか?」【棺桶の中で目覚めるように半分生きて半分死んでいるようなものだ】。
南泉「章敬の発言はそれで良い。しかし、麻谷はダメだ。何が良くて何が悪いのかなど、いつしか無くなってしまう。もともと良し悪しに根拠など無いのだから。」【良し悪しを見る時、根拠がない事を徹底して見なければならない】。

頌に曰く。
是と不是と【細腰の鼓子両頭打つ】。
好し椦䙡(けんき)を看るに【頭を刺して裏許に在き了れり】、抑するに似たり、揚するに似たり【手抬手捺】。
兄たり難く、弟たり難し【頭高頭低】。
縦や彼、既に時に臨む【手を翻せば是雲】。奪や我れ何ぞ特地ならん【手を覆せば是雨】。
金錫一たび振って太はだ孤標【塵を脱し俗を離れる】。縄牀三たび遶って閑(しず)かに遊戯(ゆげ)す【行に因って臂を掉(ふる)う】。
叢林擾擾(そうりんじょうじょう)として是非生ず【矮子戯を看る】。
想い像(や)る髑髏前(どくろぜん)に鬼を見ることを【家に白沢の図有れば必ず是の如きの妖怪なし】。 

細腰の鼓子両頭打つ・・・でんでん太鼓のこと。裏も表も同じ音が鳴る。
椦䙡・・・獣を捕まえる罠。
手抬手捺・・・手を挙げているようにも挙げていないようも見える曖昧なかんじ。
縦や・・・よしよしと言って許すこと。
奪や・・・許さないこと。
特地・・・わざと。
孤標・・・卓然として立つ。
縄牀・・・縄を編んで作った椅子。
叢林・・・修行僧の集団のこと。
矮子戯を看る・・・背が低くて演劇が見えないのに、周りの感想だけを聞いて批評する人のこと。
髑髏前に鬼を見ることを・・・只の髑髏を幽霊かのように見てしまうこと。妄想。

現代語訳
章敬は「よし」と言った、南泉は「ダメだ」と言った。これは罠である【でんでん太鼓は裏も表も同じ音が鳴る、であればでんでん太鼓に裏と表は無い。同じように良しも悪いも実のところ区別が無い】。
先生が「この問題分かる人―?」と聞いた時に手を挙げているのか挙げていないのか曖昧な生徒のように、また兄が絶対優れているとも言えないし弟が絶対劣っているとも言えないことと同じだ。
「良し」と言われても偶々そう言われただけで、「悪い」と言われても何も特別なことじゃない。
麻谷が錫杖を振って直立したのも良くも悪くもないことである。
集団になると自然と良し悪しが出てくる【ひどい妄想だ】。
集団の中で、裁判のように長い時間議論をして有罪無罪を決めても、結果妄想の域を出る事は無い。

解説

『これから「正義」の話をしよう』という本がかつてベストセラーになりました。
この本によると正義の決め方は3つあると言います。1つ目が幸福の最大化、2つ目が自由の尊重、3つ目が美徳の促進。

幸福の最大化は「最大多数の最大幸福」ともいわれます。ざっくり言うと多数決で幸福を決めようというものです。
有名な「最大多数の最大幸福」は優勢思想と黒人奴隷でしょう。
中世ヨーロッパやカナダ、アメリカなどで盛んになった思想です。白人は文化や技術が進み優勢である。キリスト教は多数派であり優れた教えである。なので、多数派の白人は劣った黒人を使役し、より良い社会を白人中心に作っていこう。多数派の人種が少数派の人種を奴隷にすることで多数派の幸福が最大化されるだろう。少数派には残酷な正義です。

自由の尊重は多数決以前に個人の意思が尊重される正義です。誰かに迷惑をかけなければ、何を正義とするかは個人の自由という完全個人主義です。もし最大多数の最大幸福を推進すれば同性の結婚など検討する余地は無いでしょうし、いじめも被害者が少数派であれば表に出てこないでしょう。自由の尊重を正義とすれば同性の結婚もできるし、いじめも人権問題も解決していきます。と同時に売春する自由や自殺する自由、臓器を販売する自由も保証されてしまいます。なぜなら売春も自殺も多くの場合誰にも迷惑をかけないからです。

美徳の促進は、ある集団において話し合いで決めましょうというものです。何が正義か何が悪かは多くの議論を重ね折り合いをつけながら決めていきましょうというものです。

有名なトロッコ問題を挙げて解説しています。あなたがトロッコに乗っています。ブレーキが壊れてしまいました。前方を見ると先の線路に5人の作業員がいました。このままでは5人ともトロッコに轢かれて死んでしまいます。しかし、トロッコについているレバーを引けば途中で進行方向を変えることが出来ます。しかし、これもまた進行方向を変えると変えた先に1人の作業員がいます。レバーを引かなければ5人が死にレバーを引けば1人が死ぬという状況です。
さてあなたはどうしますか?という問題です。
幸福の最大化では5人を助け、犠牲者を1人にするでしょう。自由の尊重では、5人を助けたければ助ければいいし、レバーを引いて死んでしまう人が肉親や恋人であれば5人を殺せばいい。美徳の促進では、大声で5人の作業員と1人の作業員と話し合う必要があります。おそらく話し合う間にトロッコに轢かれてしまうでしょうが。

この麻谷の問答では、そのどれでも無く、そもそも良し悪しを決めない。何が礼儀で何が常識で何が正解か決めないことが示されています。「章敬の発言はそれで良い。しかし、麻谷はダメだ。」と南泉禅師が言ったのは、章敬の判断に基づいて「良し」と言ったに過ぎず、その発言に根拠を求め「ダメだ」と言われると忽ちその発言にも根拠があるだろうと思ってしまう。
つまり、どんな善悪、正解不正解を論じようとも、だれかに「よし」「ダメだ」と言われようとも、そこに根拠はなく「どちらかが正しい」などと言う罠にかかってはいけないということです。

特に現代の法治国家では本来曖昧な良し悪しや正義と悪という対立構造が条件に関わらず絶対的なものだと錯覚させる。
六法全書に書かれているから、それが文化だから、伝統だから、常識だからと。
特に小学校中学校などの義務教育では、この正解と不正解の絶対性を子供たちに刷り込んでいきます。白黒はっきりと教え込まれるでしょうが、そもそも白黒はっきりわかる物事など些事です。
自分の価値観と違う物事や意見の相違にぶつかった時こそ、決めない力を持ってください。決めない力を行使出来なければ次は暴力でねじ伏せるしかありませんし、国家レベルであれば戦争しかありません。そんな馬鹿げたことは、まさに鹿を見て馬だと言えずに殺されることと同じです。

第十七則「法眼毫釐」

従容録 第十七則 法眼毫釐

第十七則 法眼毫釐(ほうげんごうり)

衆に示して曰く:

一雙の孤雁(こがん)、地を搏(はう)って高く飛び、一対の鴛鴦(おしどり)、池辺に独立す。
箭鋒(せんぽう)相柱(あいさそ)うることは即ち且らく致(お)く。
鋸解秤錘(こげひょうすい)の時、如何。 

箭鋒相柱う・・・「列子」の話。弟子が師匠から弓を習い奥義を極めた。そして天下無双の弓使いとなった。しかし、師匠だけが邪魔になった。そこで師匠を殺そうと思った。ある日、野原で二人が相対して双方から弓を放った。すると途中でお互いの矢が見事に真ん中でぶつかり矢が落ちた。という故事。甲乙つけたがい技巧の一致を表す。
鋸解秤錘・・・秤の分銅を鋸で切る。出来ない事の意味。

現代語訳
一対の雁が地面すれすれを飛んだと思えばもう一方は空高く飛んだ、一対のオシドリが居たかと思えば一匹が池の上で休んでいた。
弓の名人の師匠と弟子がお互いに弓を放った時、空中で弓がぶつかり合い落ちたように、絶妙な存在の働きの一致がある。
では、分銅をノコギリで切れないような、働きが一致しない時はどうすればよいのか?

本則

挙す。
法眼(ほうげん)、脩山主(しゅうさんしゅ)に問う、
「毫釐(ごうり)も差有れば天地懸かに隔たる、汝作麼生(そもさん)か会す?」【誰か敢えて動著せん】。
脩云く、「毫釐も差有れば天地懸かに隔たる」【百草を闘わしむとも甚麼(なん)の難きこと有らんや】。
眼云く、「恁麼ならば又争(いかで)でか得ん?」【鉄山横たわって路に在り】。
脩云く、「某甲只だ此の如し。和尚又如何?」【鼻頭を捩転(れいてん)す】。
眼云く、「毫釐も差有れば天地懸かに隔たる」【将に謂(おも)えり別に有りと】。
脩便ち礼拝す【錯を将て錯に就く】。

【】の中は本則のコメントです。
法眼・・・法眼文益(ほうげんぶんえき)禅師(885~958年)。地蔵桂琛(じぞうけいちん)の弟子。
脩山主(しゅうさんしゅ)…龍済紹脩(りゅうさいしょうしゅう)禅師。地蔵桂琛(じぞうけいちん)の弟子。詳細は不明。
毫釐も差有れば天地懸かに隔たる・・・達磨大師の孫弟子である鑑智僧璨(かんちそうさん)禅師の著書である信心銘に出てくる。毫釐は筆の先の細い毛のこと。ちょっとでも違うと天と地のように大きく隔たりが出来てしまう。

現代語訳
法眼禅師が弟弟子の脩に質問をした。
法眼「信心銘に『ちょっとでも差があれば天と地のように大きく隔たりが出来る』とあるが、お前はどのように解釈する?」【だれもこの言葉で動揺などしない】。
脩「ちょっとでも差があれば天と地のように大きく隔たりが出来る」【なんと頼りない言葉だ】。
法眼「そんなことではどうやって鑑智僧璨(かんちそうさん)禅師の意図が学べるんだ?」【さすが法眼だ】。
脩「私はこのようにしか言えないが、兄弟子はどうやって解釈するんですか?」【脩は法眼の鼻をつまんで捩じってみた】。
法眼「ちょっとでも差があれば天と地のように大きく隔たりが出来る」【何か別の解釈があると思ったか】。
脩は法眼に礼拝し、毫釐も差有れば天地懸かに隔たるということを徹底した【言い表せないからこそ、どのように言い間違えるかが重要なのだ】。

頌に曰く。
秤頭に蝿が坐すれば便ち欹傾(いけい)す【他の一星を謾じ過ごさず】。
万世の権衡(けんこう)、不平を照らす【斗満ちて秤錘住す】。
斤両錙銖(ししゅ)、端的を見る【錯って認めること莫れ】。
終に帰して我が定盤星(じょうばんせい)に輸(ま)く【鉤頭の意を領取せよ】。

星・・・目盛りのこと。
権衡・・・秤の錘と棹のこと。
斗・・・秤の目盛り。
秤錘住す・・・秤の目盛りに錘を置けば水平になる。絶妙なバランスで平衡を保っている様子。
斤両錙銖・・・中国の重さの単位。斤は256グラム。両は16グラム。錙は3.6グラム。銖は0.6グラム。
定盤星・・・0の目盛り。

現代語訳
秤とは公平で自我が入り込む余地は無い。蠅一匹が止まるだけで傾いてしまう【これは誰にも止めることは出来ない】。
世の中の理不尽はまさにこの秤のようなものである【法眼禅師は秤の真ん中に錘を置き平衡にした】。
様々な重さの錘を使って均衡を保とうとも、最終的には0の目盛りに勝るものはない【この意図をしっかりと受け入れろ】。

示衆の解説

国連や米国国務省の発表では日本語が世界中の言語の内で最も習得が難しい言語となっているそうです。韓国語や中国語が5段階評価の内⑤なのに対して日本語は⑤+だそうです。
その原因の一つはおそらく助数詞でしょうか。箸は1つあれば1本、2つあれば1膳。靴下も1つであれば1個、右左そろえば1足。ややこしいですね。
箸の働きも1本では発揮できず、1膳無いと食事が出来ない。靴下も1個では違和感があるし片方が冷えてしまう。
箸や靴下の存在の働きは微妙な作用によって成り立っている。片方しかなかったり、長さが違ったり、太さが違うだけで、その存在を箸や靴下として扱えなくなってしまう。
日常では無意識に箸や靴下を当たり前のように使っているが、実のところ絶妙なバランスで存在している。それは放った矢が空中でぶつかるように、絶妙な力加減である。ちょっとでも力加減、作用が違うと存在そのものが消滅してしまう。
分銅がノコギリで切れないという表現を見てみよう。分銅をノコギリで切ろうとしても切れない、まずそこに分銅としての存在もあり得ない。分銅は重さを測ると言う役割、働きがあるから分銅である。ノコギリもノコギリたりえない。ノコギリも物を切ることで初めてノコギリとなる。分銅が木であればノコギリとして働きが出来るだろうし、分銅も相対するのがノコギリではなく秤であれば分銅としての本分を全うできる。
この絶妙な関係性の差異によってその存在の働きが機能しなくなってしまう。

さて、本則ですがさっぱりです。そもそも信心銘の解説をしないと始まりません。

信心銘解説

信心銘の最初を紹介解説します。
『至道無難、唯嫌揀択。
但だ憎愛莫ければ、洞然(とうねん)として明白なり。
毫釐(ごうり)も差有れば、天地懸(はるか)に隔たる。
現前を得んと欲せば、順逆を存すること莫かれ。』
意訳します。
『仏道にいたる道は決して難しくない。ただ選り好みの心を遠ざけるだけである。
憎しみや愛着が無ければ、その道ははっきりと見えてくる。
しかし、ここにちょっとでも憎愛の自我意識が介入すれば仏道からはとても遠くなってしまう。
認識作用によって得られる存在様式を自我意識に捉われずに、そのまま見ようとするのならば、二元論的に物事を見る事を止めるのである。』
信心銘は鑑智僧璨禅師の著書の漢詩です。憎愛と表現されるように物事を見た時に我々は見たままではなく何かしらの感情や根拠の無い判断をします。子猫が生れれば人間は可愛いと思います。しかし、鷲やタヌキから見れば美味しい餌です。それを残酷だと勝手に判断するのが人間です。そんな人間もゴキブリは平気で殺します。ゴキブリも森に入れば重要な分解者ですし、鶏からすれば美味しい餌です。綺麗な花を見れば大事に育て、雑草と思えば勝手に抜く。これが自我意識を持って物事をみる憎愛です。その自我意識を介入させない実践が仏道です。言葉に出せば選り好みをしないという簡単な結論に至ります。
しかし、この自我意識が少しでも介入すれば、その少しによって生に対する虚しさ切なさ、生きる苦しみが徐々に大きくなっていく。
この自我意識が介入しない世界とは縁起によるパラダイムシフトです。
つまり、自己の行為がそのものの存在を現前(決定)させる。子猫を見た時に可愛いと思うから、子猫がペットや守る存在として現れる。もともと無条件で子猫という存在が在るわけではない。
植物に対して、「綺麗だな」「愛でたいな」という行為が花という存在を現前(決定)させる。「邪魔だな」「煩わしいな」という態度が雑草としての存在を現前(決定)させる。もともと、花や雑草という存在が自己の行為に関係なく在るわけではない。
実際に猫じゃらしの花を花と認識する人はいないでしょう。逆に葉が変色しただけのアジサイやオシロイバナの苞や萼と呼ばれる器官を我々は花と認識しています。
つまり、自分の行為がそのものの存在を現前させると考えると、その植物を花として存在させるか雑草として存在させるかは自分次第になります。自己の行為(自我意識)が無い状態ではナニモノでもないということです。そこに少しでも自我意識が入ればナニモノでもないはずのモノに存在様式が与えられる。

解説

さて本則の解説です。法眼禅師はこの信心銘の語句をどのように解釈するのだ?と問いかけます。
すると脩は語句をそのまま言葉に出します。
私は法眼禅師の問いかけを、自我意識が介入しない実践をどう実践するのかという問いかけと考えます。
脩は自我意識を介入させない為には「毫釐(ごうり)も差が無い事(少しでも介入させない意識を持つこと)」と答えた。
すると法眼禅師は「自我意識を介入させない意識もまた自己の行為(自我意識)である。それでどうやって仏道が実践できるのか?」と問い直した。
脩は答えに困ってしまったので、「では、法眼禅師だったらどうするのですか?」と逆に聞いた。
すると法眼禅師は脩と同じ答えを言った。先ほど「それでは自我意識が介入している」とダメ出しした答えを敢えて間違えた。
この縁起を言語化するという行為自体が縁起を「縁起と二元論」という対立構造としての二元論的にしか説明できない以上、どんな言葉でも間違えになってしまう。それを分かって敢えて言葉に出すのか、それとも分かった風に言葉に出すのかでは大きな違いがある。ここで重要なのは、どのように言い間違えるかである。だから万松行秀禅師のコメントにて【錯を将て錯に就く(言い間違えを使って間違いを示す)】と示されている。
そして頌では宏智正覚禅師が蠅一匹で秤が傾いてしまうのを誰も止める事は出来ないと表現し、あえて蠅を乗せる事で傾きが在ることを示すことが出来ると言っている。

第十八則「趙州狗子」

従容録

第十八則 趙州狗子(じょうしゅうくす)

衆に示して曰く:

水上の葫蘆(ころ)、按著(あんじゃく)すれば便ち転ず。
日中の宝石、色に定まれる形無し。
無心を以て得るべからず、有心を以ても知るべからず。
没量(もつりょう)の大人(だいにん)、語脈裏(ごみゃくり)に転却せらる、還って免れ得る底有りや。

水上の葫蘆・・・水の上に浮かぶヒョウタンを指一本で動かないように抑えたり、沈めることが出来ないという意味。
日中の宝石・・・ダイヤモンドを昼間に外に出すと、太陽の光を乱反射して様々な色に輝くことを表す。
語脈裏に転却せらる・・・言語に捉われている。
没量の大人・・・計り知れない大人物。

現代語訳
水に浮かんでいるヒョウタンを指で押さえつけても安定せずにクルクル回ってしまう。
昼間にダイヤモンドを光に当てると様々な色に輝く。
そんな思い通りにもいかず、自分の意識や努力によって定まらない心を、無心によっても得る事ができないし、心を用いて変える事も出来ない。
この有る無いの言語の迷路から抜け出せる大人物はいるか?

本則

挙す。
僧趙州に問う、「狗子(くす)に還(かえ)って仏性有りや也(また)無しや?」【街を攔(さえぎ)り塊(つちくれ)を趁(お)う】。
州云く、「有」【也曽て添えず】。
僧云く、「既に有り。甚麼(なん)としてか却って這箇(しゃこ)の皮袋(ひたい)に撞入(どうにゅう)するや?」【一款に便ち招く、自領出頭】。
州云く、「他の知って故(ことさら)に犯すが為なり」【且く招承すること莫れ、是なんじを道うにあらず】。
又僧有り問う、「狗子に還って仏性有りや也た無しや?」【一母の所生】。
州云く、「無」【也曽て滅せず】。
僧云く、「一切衆生皆仏性有り、狗子が什麼(なん)としてか却って無なる?」【憨狗(かんく)鷂子(ようす)を趁(お)う】。
州云く、「伊(かれ)に業識(ごっしき)の有る在るが為なり」【右具に前の如し。款に拠って案に結す】。

【】の中は本則のコメントです。
趙州・・・趙州従諗(じょうしゅうじゅうしん)(778~897年)。南泉普願禅師の弟子。
狗子…犬。
款・・・罪人の告白。

現代語訳
ある僧侶が趙州禅師に質問した。「犬にも仏性はありますか?」【この僧侶は言葉の塊を追って迷っている】。
趙州「有る」【答えを与えようと思っても与えられない】。
僧侶「仏性が有るのならば、あの犬の皮に包まれた体にどうやって入っていったのですか?」【僧侶は自分の言葉で自分も犬と同じであると言っている】。
趙州「仏性はそれを承知で犬の中に入った。犬はそれを承知で仏性を入れた」【早とちりするな。仏性のことを言っているのではない。犬のことを言っているのではない】。
またある時、別の僧侶が趙州禅師に同じ質問をした【この僧侶も前の僧侶と同じ腹から生まれたのだな】。
趙州「無し」【無いと言っても滅するわけではない】。
僧侶「なぜ無いのですか?涅槃経には全てものに仏性が有ると言っているのに、犬には何故無いのですか?」【愚かな犬がハヤブサを追いかけまわしておるわい】。
趙州「犬の存在も仏性の存在も妄想によって起こるものであるからだ」【この僧侶も右に同じく言語に陥っている。同罪だ。】

頌に曰く。
狗子に仏性有り、狗子に仏性無し【打して一団となし、練って一塊となす】。
直鉤(ちょっこう)、元、命に負(そむ)く魚を求む【這の僧、今日死すべし】。
気を遂い、香を尋ぬ雲水の客【鼻孔を穿却するも也知らず】。
嘈嘈雑雑(そうそうぞうぞう)として分疎(ぶんそ)をなす【競うて枯骨を齧んで啀喍嘷吠(がいさいこうべい)す】。
平らかに展演し【争い欺くことなし。あい諫(あやま)ることを休(や)めよ】、大いに舗舒(ほじょ)す【材高くして語壮なり】。
怪しむこと莫れ儂(かれ)が家初めを慎しまざることを【一言口を出づれば駟馬も追い難し】。
瑕疵(けし)を指点して還って璧(たま)を奪う【白拈巧偸(びゃくねんこうちゅう)】。
秦王は識らず藺相如(りんそうじょ)【当面に蹉過(さか)す】。

直鉤、元、命に負く魚を求む・・・中国の故事。太公望の話。太公望は河に真っすぐな針を使って釣りをしていた。これでは魚は釣れない。周の国の文王がこれを怪訝に思い、「その針では魚は釣れないぞ」と言った。すると太公望は「たしかに釣れません。釣れるのは自ら命を捨てる魚だけでしょう。」と答えた。
雲水の客・・・行脚する住所不定の僧侶のこと。
嘈嘈雑雑・・・入り乱れてざわざわしている様。
競うて枯骨を齧んで啀喍嘷吠す・・・法華経譬喩品の故事。多くの犬が競って肉が残っていな骨を噛んでいる。あまりにも勢いよく噛みすぎて歯ぐきから血が出た。その血を肉汁だと勘違いしてさらに骨を噛み続けている。
白拈巧偸・・・昼間に行われるスリのこと。
秦王は識らず藺相如・・・史記にある故事。完璧という言葉が生れた話。趙の国の王に藺相如という家臣がいた。ある時、趙の国の宝とされている宝石を秦の国が城15城と交換したいと申し出があった。素晴らしい宝石とはいえ、城15城は小さい国にも匹敵する規模である。この好条件を受け入れれば強国である秦に臣従するようなものだし、断れば「無礼だ!!」と秦に侵略の口実を与えてしまう。どうしようか迷った趙の王は家来である藺相如に相談した。すると藺相如は「ここは交換しましょう。もし秦が嘘をつき城を渡さなければ傷一つ付けずに宝石を持って帰ってきます(璧を完うして帰ります)。では私が秦の国へ使者として行って交渉してきます」と言った。藺相如は秦の国へ行き宝石を王へ渡した。すると秦の王はその宝石を家臣や妻達に見せびらかすだけで城の話など全くしなかった。そこで藺相如は王に「じつは王様、その宝石には小さい傷があります。傷の場所を教えましょう。」と言い、王に近寄り、宝石を奪い取った。その後、秦の王の非を責め、趙の国の立場も傷つけずに帰る事が出来た。という話。
当面に蹉過す・・・対面しているのに遠いという意味。

現代語訳
犬に仏性が有る、犬に仏性が無いというが、そもそも有無を論じる二元論で物事を見るものでは無い【有る無しではなく有無という一語にしてしまえば有る無しという概念が無い】。
餌もついておらず、針も真っすぐなのに、この僧侶は餌を妄想し針に食らいついている【この僧侶は太公望に釣りあげられてしまう】。
この二人の僧侶は有無の言語を追いかけ、言語の概念を追いかけている【趙州禅師が言語をもって言語を穿っているのに、分かっていない】。
自分の了見や価値観で言い合っている内は、無い餌を貪っている犬と同じだ。犬は骨を噛んで歯ぐきから出る血を肉汁だと思い込んで咬み続ける。
趙州禅師は仏法を示した。品質の良いものを平等に売っている。買うかどうかはその人次第である。しかし、安くは無いぞ。
趙州禅師が有ると言い、無しと言ったのを矛盾していると思っている内は、言葉に捉われている【口から出た言葉は追いかけても仕様がない】。
相対しても、言葉を追いかけては大きな隔たりが出来てしまう。

示衆の解説

ヒョウタンとダイヤモンドの例えが出てきます。ブリリアントカットが当時あったのかどうかは定かではありませんが、ダイヤモンドは確かに何色に輝くかと言われると様々な色に輝きます。
ヒョウタンを押さえつけも思い通りにいかないように、我々の人生も思い通りにいきません。この思い通りにいかないという思いが膨張し苦しみに変わっていく。あの人ともっと仲良くなれたら。自分がもっと人から好かれていたら。もっと仕事が安定したら。もっとお金があったらと。仏教では思い通りに適い現実を解決しようとはしません。それは自己啓発本にお任せします。そうではなく、仏教ではその「思い」も「心」も、「思う自己」も実体がなく、消去することが出来るかもしれないというアイディアを持って実践します。しかし、「思い」も「自己」も縁起により実体が無いと言ってしまうと、思慮分別が無くなり人間としてに生活能力が壊滅してしまいます。
そこで人々は、自己啓発本よろしく、こう考えます。「思い」「心」と言ったものの中に、苦しみから逃れられる「心の持ちよう」や「マインドの転換」があるだろうと。
これでは「心」や「思い」、「悟りを得られる自己」という実体があるという事です。
そうではない、というのが仏教における「仏性」の考え方です。心が有る無いとか、自己が有る無いという言葉を持って心や自己を計ること自体がそもそも間違いであり、二元論的な言語に捉われていることになる。
さて、ここに言語に捉われない大人物はいるか?

解説

まず、仏性が何かという説明をしなければいけません。
仏性とは、「仏になれる可能性」「仏の性質」と言われます。そして「全てのものに仏性が備わっている(悉有仏性)」と涅槃経で示されています。誰しも、苦しみ生きづらさ虚しさ無く生きていける仏の本質が備わっていると。
しかし、ここで大きな疑問が起こります。仏教では縁起の教えに基づき、自己の本質を実体視しないし、諸行無常の考えから、存在の在りようは、その瞬間の行為と対象物との関係性で無限に変化していく。であれば、「仏の性質」なるものも、「仏の本質」も「仏性」も実体として概念として存在することは無い。
では、仏性とは何か。それは「存在の在り方そのもの」と解釈します。
復習になりますが、「ここにコップがある」という文章は「コップ」という存在が元から存在していることを前提に成り立っている。縁起ではそうではありません。私がコレに液体を入れ、それを飲むという行為において「コップ」という存在が限定的に現れると考えます。さらに、液体を入れ飲む私という存在も、あらかじめ私という存在がいて行為をするわけではなく、液体を入れ飲むという行為において「飲む私」という限定的な存在が現れます。
そのことを踏まえ「悉有仏性」を読むと「全ての生き物、物質、現象は無常な存在の在り様を示している」となります。
ここで、仏性が有るという「有る」の文字は、存在するという意味でも無ければ、有無の有でもなければ、認識覚知できないモノの対する有るでもない。仏性、つまり存在の在り方は有るでも無いでもない、二元論的に見るものでは無いということです。
例えば、世界中が全て陸地であり、池も海の無い世界において、そもそも陸という概念が存在するでしょうか?逆に星が全て水に覆われていたら海という概念は存在するでしょうか?
陸と海という境界線があるからこそ、陸という概念が生まれ、「私が陸を歩く」という言葉が成り立ちます。すると、人間は成長するに従いこう思うのです。「陸という存在は海に関係なく、私が境界線を引く引かないに関わらず絶対的に存在しているのだ」と。
実際は「私が海と陸に境界を引く」という行為によって「陸」という存在と「海と陸に境界線を引く私」という存在が浮かび上がる。
今回の仏性の話では、この縁起による存在の仕方を認識するのか、認識できるものなのかという話です。
犬に、存在の在り方があるのか無いのかを僧侶は聞いているのです。「犬の存在の在り方の概念」を聞いても、有る無いは言えない。なぜなら、陸も海も無条件で有るわけでも、無いわけでも無いからです。「私が境界線を引き陸を陸として扱う」以上、陸が有るわけでも無いわけでもないからです。なにかの存在が無条件に絶対的に在るなんてことは無いのです。
別にこの話は犬でもサルでも雉でも海でも陸でも良かったわけです。
この事が分からずに、「有る」の言葉を追いかけ、「無い」の言葉に突っかかった僧侶は、本来ありもしない餌を妄想し太公望に釣りあげられてしまうし、歯ぐきの血を肉汁だと妄想し骨を噛み続ける犬となってしまう。

第十九則「雲門須弥」

第十九則 雲門須弥(うんもんしゅみ)

衆に示して曰く:

我は愛す韶陽(じょうよう)新定(しんじょう)の機、一生人の与めに釘楔(ていけつ)を抜く。
甚(なん)としてか有る時は門を開いて膠盆(こうぼん)を掇出(てつしつ)し、
路に当たって陥穽(かんせい)を鑿成(さくせい)す。
試みに揀弁(けんべん)して看よ。

韶陽・・・雲門禅師の居住している所。
新定の機・・・雲門禅師の新しいアイディア。
釘楔を抜く・・・心に刺さった矢を抜く。
膠盆・・・アツアツのモノが乗っているお盆。手のつけようのない様。
掇出(てつしつ)・・・つき出す。
陥穽を鑿成す・・・落とし穴を作る。

現代語訳
雲門禅師は、生涯を他人の心の苦しみを和らげることに徹した方である。
しかし、優しいばかりではない。時には、とても難解な問いかけをしたり、落とし穴を作って身動きが取れないようなことをする。
さて、この雲門禅師の話を見てみよう。

本則

挙す。
僧雲門に問う、
「不起一念、還って過有り也また無しや?」【言は清く、行い濁るの漢】。
門云く、
「須弥山(しゅみせん)」【険】。

【】の中は本則のコメントです。
雲門・・・雲門文偃(うんもんぶんえん)禅師(864~949年)。

現代語訳
ある僧侶が雲門禅師に質問した。
「一念も起こさず、何も思わず、思慮分別を無くせば、罪や過ちが無いのでしょうか?」【言ってることとやってることが違うぞ】。
雲門禅師が答えた。
「須弥山」【険しい答えだ】。

頌に曰く。
不起一念須弥山【一句に便ち了ず】。
韶陽(じょうよう)の法施、意は慳(けん)なるに非ず【天童も也少なからず】。
肯(うけがい)い来らば両手に相ひ分付せん【只、恐れる汝、承当不下なることを】。
擬し去れば千尋攀ずべからず【徒に斫額(しゃくがく)に労す】。
滄海(そうかい)濶(ひろ)く【天を涵(ひた)し日を浴びて涯岸無し】、白雲閑(しずか)なり【鶴に伴い風に随って自由を得たり】。
毫髪(ごうはつ)を将(も)って其の間に著くこと莫れ【已に太多生】。
仮鶏の声韻は我を謾じ難し【真、偽を掩(おお)わず】。
未だ肯(あ)えて模胡として関を放過せず【西天の令厳なり】。

承当不下・・・受け取ることが出来ない。
斫額・・・額に手を当てて遠くを見る仕草。
已に太多生・・・めっちゃ多い。
仮鶏の声韻・・・史記の故事。田文という秦の家臣がいた。田文は讒言によって秦の王に殺されそうになる。田文は夜中に屋敷を抜け出し故郷である齊に向かった。それに気づいた王は追っ手を差し向けた。田文が逃げる途中に関所があった。その関所は夜は閉まっており、明け方鶏の鳴き声と共に開けることになっていた。まだ暗く関所が開いていないのを見て、共に逃げていた食客がニワトリの鳴き声の真似をした。すると本物のニワトリもつられて鳴き始め、関所が開いた。これにより、田文は無事逃げられた。
模胡として関を放過せず・・・いい加減に関所を開けるなという意味。

現代語訳
雲門禅師が須弥山と答えた問答がある。
雲門禅師の答えは言葉にすれば簡単だか、難解である。雲門禅師も意地悪で言ったのではない。
この須弥山の意味が分かれば両手に余るほどの仏法があるだろう【ただ、穿ってみれば、いつまでも受け取ることは出来ない】。
少しでも分別にこだわって見れば須弥山は谷が深くいつまでも登ることは出来ない【遠くを見ているだけで登れないだろう】。
青い海はどこまでも広く、雲は静かに流れる。そこに思慮分別は無い。
髪の毛一本でも分別が入れば髪の毛どころではなく大きく差が開いてしまう。
ニワトリの声で騙そうとも、そうはいかないぞ【真も偽もないのだから】。
口先ばかりで関所を通ろうなど許さない【インドの仏法は厳格だ】。

解説

11則しかり、雲門禅師の話は、現代語訳と解説に困ります。
雲門須弥の内容をざっくりと言うと、「心に何も思わず、好きも嫌いも良いも悪いも分別しない時、罪咎があるのでしょうか?」という質問がそもそも、罪咎の有無を気にしている以上、心に何も思わずでは無いという事です。心に何も思わずであれば、そもそも罪咎の有無の質問が出ようはずがない。
であれば、どのように答えるか。それが「須弥山」です。
この須弥山とはインドの思想では世界の中心の山となっています。仏教ではヒマラヤ山脈、または仏陀が説法をした霊鷲山(りょうじゅせん)を指します。
つまり比べるまでもない存在という意味でしょうか。
「我慢大会ときいて我慢できずに来ました!!」「ギャンブルはもう止めました。ほんとうに止めたかどうか賭けましょう!」と言ってくる人に何を教えたら良いのか・・・
とりあえず、その言葉が矛盾していますよ。言葉と行動が一致していないですよ。とでも言えばいいのでしょうか。
雲門禅師は、須弥山と答えた。その意図は世界の中心のように、概念としてあったとしても実体が無いということでしょうか?多分・・・
コインの中心を思い浮かべてみてください。中心は点として存在します。しかし、点というのは実物が存在しません。これが点だ!とペンで印をつけても、ペンで書いた以上、拡大すれば面積があり、平面です。1次元の点ではありません。須弥山も世界の中心であり、概念としてあったとしても実体はない。もっといえば概念化されてもいない曖昧なものです。
僧侶の質問はそもそも、概念としては何を聞きたいかなんとなく分かるにしても、明確な概念化実体化ができるような話でもないということです。このようなことは、答えを出さない。放置する姿勢を仏教ではとります。

第二十則「地蔵親切」

第二十則 地蔵親切(じぞうしんせつ)

衆に示して曰く:

入理の深談(じんだん)、三を嘲り四をさく。
長安の大道、七縦八横。
忽然として口を開いて説破し、歩を挙げて踏著(とうじゃく)せば、
便ち高く鉢嚢(はつのう)を掛け柱杖(しゅじょう)を拗折(ようせつ)すべし。
且らく道え、誰か是れ其の人。

入理の深談・・・真実の理を説くこと。
三を嘲り四をさく・・・朝三暮四。荘子の故事に由来する。ある猿回しのおじいさんが、食物の在庫が少なくなり困り果てていた。その為、飼っていた猿に「トチの実を朝に3つ暮れに4つ与える」と言いました。猿は少ないと怒り出します。そこでおじいさんが「では、朝に4つ暮れに3つ与えよう」と言いました。すると猿は喜んだという話。細部が変わっても結局なにも変わっていないことを表す。
長安の大道、七縦八横・・・長安の都、。
高く鉢嚢を掛け柱杖を拗折す・・・行脚する際に必要な鉢(食器)を入れた袋を近くの枝に引っ掛け、行脚で必要なくなった杖を折る。

現代語訳
仏陀が理屈っぽく物事を言ったり、修行の段階を分類したりして教えを示したが、それらは結局方便であり仮に設定する概念に過ぎない。
長安の都は碁盤の目にように道が張り巡らされ、どの道からも都にたどり着くことが出来る。
これと同じように、仏道をわざわざ理屈っぽく議論したり、本当の修行を求めて全国を行脚する必要は無い。
この行脚を止めた人とはどのような人か?

本則

挙す。
地蔵、法眼に問う、「上座何くにか往くや?」【人を羅織して作麼(なに)かせん】。
眼云く、「迤邐(いり)として行脚す」【草鞋銭を索め去るや】。
蔵云く、「行脚の事、作麼生(そもさん)?」【果然として放不過】。
眼云く、「知らず」【何ぞ早く恁麼にいわざる】。
蔵云く、「不知最も親切」【就身打劫】。
眼、豁然として大悟す【ほとんど盤纏を費やさん】。

地蔵・・・地蔵桂琛(じぞうけいちん)禅師(867~928年)。羅漢院というお寺に移った為、羅漢桂琛とも。
法眼・・・法眼文益(ほうげんぶんえき)禅師(885~958年)。地蔵桂琛(じぞうけいちん)の弟子。
上座・・・高座の上に登り説法することが許された僧侶。
羅織・・・羅は鳥を捕まえるかご。織は人を捕まえる縄。
迤邐・・・ぶらぶらする。
就身打劫・・・身ぐるみを剥ぐこと。
盤纏を費やさん・・・旅費を使わなくて済んだ。

現代語訳
地蔵禅師が法眼に聞いた。
「どこへ行くんじゃ?」【引き留めてはいけない】。
法眼「決まっていません。いろいろな道場を尋ねて修行の旅をしようと思います。」【旅費はしっかり持ったのか】。
地蔵「いろいろな道場に行き修行することの意味はなんだ?」【地蔵禅師の問いかけは抑え処を抑えた!】。
法眼「知りません。いろいろな場所に行き修行してどうなるかなど、気にもならないです。」
地蔵「その知らないという事が最も仏道に取り組んでいることになるのだ」【法眼はこれで身ぐるみ剥がされたな】。
法眼はこの言葉で、『知らない』という仏道の在り方に気付いた。

頌に曰く。
而今、参じ飽いて当時(そのかみ)に似たり【吾猶昔人のごとし。昔人に非ず】。
簾繊(れいせん)を脱尽して不知に到る【猶這箇の在る有り】。
短に任せ、長に任せて剪綴(せんてつ)することを休(や)める【抂げて功夫を費やす】。
高きに随い下(ひく)きに随って自ずから平治す【心力を労せず】。
家門の豊倹(ほうけん)時に臨んで用う【塩醋を欠くことを得ず】。
田地優遊(ゆうゆう)、歩みに信(まか)せて移す【行かんと要せば即ち行く】。
三十年前行脚の事【思量すべきことなし】、分明に辜負(こふ)す一双の眉【旧に依って眼上に在り】。

簾繊・・・ちょっとのこと。少しの煩悩。
剪綴(せんてつ)・・・剪は長く切りそろえる事。綴は短くそろえる事。
功夫を費やす・・・功夫は工夫ではなく骨を折る事。無駄な苦労をする。
豊倹・・・豊かさと貧しさ。
塩醋・・・漬物や保存食を作る時に使う保存料(塩)など。
辜負・・・背くこと。


現代語訳
今、この修行してきた人生を考えてみると、昔と何も変わったところは無い【私は昔の自己と同じようであるが、同じではない】。
ちょっとした心の垢を取り除いて、結局自己がどのように変わったか分からないという事が分かった【しかし、結果が分からなくても、その心の垢を取り除いた足跡は在る】。
長いモノは長いままに、短いモノは短いままに任せ、無理に揃えなくてもいいだろう【無理に揃えようとしても無駄骨を折るだけだ】。
その時々に合わせていけば自然と揃ってくるではないか。
それぞれの家でも豊かな時も貧しいときも、その時の状況に合わせて暮らしていくだけである【塩などの本当に重要な物資には困っていない】。
それは田んぼを悠々自適に歩き回るようなものだ。
三十年前に修行を始めたが、その時から眉毛はしっかりと目の上にあった。その当たり前のことに抵抗していたのだろう。

解説

この話のポイントは「不知(知りません)」です。
目の上に眉毛が在ることも知らないのが人間です。眉毛はそこに有るのではく、自分の認識のもと、在る。普段意識もしていないし、眉毛の機能もよく分からず、有難いとも思わない。これと同じく、今何に悩み何に苦しみ何を求めているのかもよく分かっていない。自分はどうやって死ぬのか、どうやって生きるのか分からない。いくら言語化しても永遠に分からないでしょう。しかし、この分からない事を知ろうと挑みつづけることも一つの仏道でしょう。
おそらく法眼は行脚や修行の意味を知らずに、ただ研鑽を積もうとしていたのでしょう。しかし、そこに「問いかけ」を持ちながら行脚するのか、「知らない」という事を分かった上で行脚するのかには大きな違いがあるでしょう。もし、この違いが分かれば行脚する必要もないでしょう。示衆にもあるように、難しい議論や理屈もいらないし、どんな修行道場であっても歩む道のゴールは大きく変わらないという事です。

そして、「知らない」に挑みつづけ行脚する時、行脚する前とした後、何が違うのかというと何も違わないし、違いも分からない。
悟りも悟る前と悟った後は何が違うか分からない。それは、悟りも生きる意味も自分で仮設するものだからです。
よく、そんな意味も分からない、やって何になるか分からないものに時間なんか割けないという人がいます。勉強も仕事も資格や給与といった対価、また他人から称賛されるという精神的対価を求めるのでしょうが、「対価=意味」という法則はありません。
知らなくても、意味が分からなくても、行脚する。行脚の意味なんか気にせずに行脚(知らないに挑む)する。
私はスポーツ全般を観ません。オリンピックも見たことがありません。テレビで流れているので所が興味が皆無なので記憶に残っていません。そんな私からするとサッカーや野球などのスポーツなどは意味不明で無価値な事の最たるものです。球を蹴って特定の場所に入れる事にどんな生産性があるのでしょうか。球を打って一周走ることにどんな意味があるのでしょうか。そこに意味なんかもともとありません。意味が生れるのは、その意味不明な行為に熱狂し一喜一憂し応援する人々の行為が意味を生成するのでしょう。仏道も同じです。もともと意味なんかありません。自分の人生にもです。そこに意味を生成することが道を歩むことです。意味を生成する前と後で大きな変化はありません。
道元禅師は中国から帰ってきて時に、「何を学んできたのだ?」と聞かれて「空手還郷にして、眼横鼻直なる事を知る。(何も持って帰ってきてない。ただ目は横に鼻は真っすぐについていることを知った)」と言いました。わざわざ危険を冒してまで中国に行ったのだから、新しい経本を写してきたり、画期的な仏法を持って帰ってくるのが常です。しかし、道元禅師は中国に行く前と同じく目は横に付いているし、鼻は真っすぐであったと言いました。なにも修行をして変わることは無いのでしょう。ただ、修行をした足跡が残り、知らないことに挑み続ける姿勢を続けながら意味を生成し続ける。
簡潔に言えば、自分の人生のテーマを持つという事です。

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