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従容録の自己流解説「1則~10則」

「従容録11則~20則」

さて、2025年で正泉寺坐禅会を初めて5年となります。夜の坐禅会の後に行う茶話会にて「禅語紹介シリーズ」「永平寺の聯と額」をテーマに話してきました。
参禅者の方々には申し訳ないのですが、夜の坐禅会は朝ほど頭が働かず難しいテーマについては避けていました。
しかし、正泉寺に来られる参禅者の方々も勉強熱心! 気合を入れて何かしらのテーマに挑もうと奮起しました。2025年初旬の坐禅会で「仏陀の原点的な教え」「中国の祖師方の公案」「道元禅師の提唱や言葉」のどれかをテーマにしていきたいとお話したところ、ある参禅者から禅問答について詳しく知りたいとの声が挙がりました。

そこで、禅問答つまりは「公案と呼ばれる問題提起」をテーマに行う事としました。我々の生きる意味、生まれた意味、死ぬ意味、自己の存在とは、なぜ生きづらいのか等々、問いかけに対して永遠に答えは出ないけれども、挑んでいく歴代の僧侶の姿をドラマチック?に読み解いていこうと思います。有名な公案の総括本は曹洞宗で使用される「従容録(しょうようろく)」臨済宗で使用される「無門関(むもんかん)」「碧巌録(へきがんろく)」の3つです。最初は曹洞宗の寺院らしく従容録を読み進めていきたいと思います。

まず、従容録(しょうようろく)の解説本の少なさ!!師匠から弟子へ口伝でされるという性質上、解説本が少ない事には納得していますが、それでも誰かしら本にしているだろうと思っていました。甘かった。
少なからずあるブログや本に目を通したが綿密な出家者目線の解説が無く、仏教を多少齧った程度の解釈でした。そもそも、公案(禅問答)に答えなどないのでしょうが。

参考文献が無い以上、私流で読み解いていくしかありません。そして、過去の公案と繋がっていたり登場人物が被る場合、読み返せるようにホームページのコラム機能を使い公開いたします。私自身も忘れない為に都度編集を加えながら書き足していきます。

まず、以下の点を読み解いていく為の軸とします。
1,自己の本質や自己そのものが単一で存在しない
  これは、自己の存在認識が二元論的に自分と他人の対比による言語化された虚構の概念であるから。

2,「悟り」や「真理」という言葉に根拠を持たない。
  仏陀は悟りについて具体的に経典で言及していない。あくまでも悟ったと言う経験談を語っているに過ぎないので「悟り」が何かを定義しない。

3,人権や道徳、倫理に関わる問題はそのまま読み進める。
  ジェンダー、身分、職業、暴力、身体的障害等は現代の感覚とかけ離れているが、あくまでも当時の感覚と捉え気を悪くせず受け止めていただきたい。

4,本則の漫画のみを読み解くと読み手の自由な解釈が無限に出てくるため、
  宏智正覚禅師と万松行秀禅師が何を狙ってエピソードを取り上げたかにフォーカスして読み解く。

目次

従容録の紹介

まず、従容録とは中国の宋の時代に活躍した宏智正覚(わんししょうがく)禅師がまとめた「宏智禅師頌古百則」に対して、同時代の禅僧である万松行秀(ばんしょうぎょうしゅう)禅師がコメントや評価や禅問答の狙いを加えたものです。
中国の禅僧が著した本なので漢文で書かれているが、坐禅会では書き下しと解説のみとします。また従容録の現代語訳をする上で難しい語句は読み仮名と注釈を入れていきます。

第一則「世尊陞座」

第一則 世尊陞座(せそんしんぞ)

衆に示して曰く:

門を閉じて打睡(だすい)して上上の機を接す。
顧鑑(こかん)頻申(ひんしん)曲げて中下の為にす。
那(なん)ぞ曲碌木上(きょくろくもくじょう)、鬼眼晴(きがんぜい)を弄(ろう)するに堪えん。
箇の傍らに肯(うけが)わざる底あらば出で来たれ。也(ま)た伊(かれ)を怪しむことを得ず。

上上の機…優れた者。
顧鑑…左右を見る事。 頻申…師匠が弟子に指導する姿勢を表す。 
曲碌木上…曲がった木で出来た椅子。正確には寄りかかるもの。 
鬼眼晴…鬼のような目つき、気味の悪い様子、顔色を卑しく見る事。
伊…ここでは異論を唱える人を指している。

現代語訳
勝れた者を指導して仏道を歩ませるのは、眠っていても簡単に出来る。しかし、普通の人を仏道に入れさせるには様々な手段方法をとらなければならない。教壇に登って様々な言葉を語って仏道を理解させようとするのは見るに堪えない。私(万松行秀)はこのように考えるが、異論がある者は前に出よ。別に異論があっても変だとは思わない。

本則

挙す。
世尊、一日陞座(しんぞ)。【今日、便りを著けず。】文殊、白槌して云く、「諦観法王法、法王法如是。」【知らぬ佗は是何の心行じ。】世尊便ち下座。【別日に再び商量せん。】

【】の中は本則のコメントです。
世尊…仏陀のこと。 陞座…高いところに登り説法する事、現代だと学校の教壇。
白槌…カチッと音の出る木で出来た鳴らしもの。ここでは話始める合図に使っている。
諦観法王法、法王法如是…法王とは法を説く最上の人の意味で仏陀を表す。

現代語訳
ある日、仏陀が説法をする為、教壇に登り座った。【しかし、今日集まった大衆は明らかな仏法が理解でき無さそうだ】文殊菩薩がカチッと木を叩き「明らかな仏陀の法を観よ。仏陀の法はまさしく是の如くである」と言って何も仏陀が話していないのに説法を終わらせてしまった。【文殊菩薩はどのような心でこのように言ったのであろうか】仏陀は文殊菩薩の言葉を聞いて黙って教壇から降りていった。【他の日にまた説法を聞けるのだろうか。いや別の日など無いであろう。】

頌に曰く。
一段の真風見るや也麼(またなし)や。綿々として化母(けぼ)、機梭(きさ)を理(おさ)む。
古錦(こきん)を織り成して、春象(しゅんぞう)を含む。東君の漏泄(ろせつ)を奈何(いかん)ともすること無し。

化母…母は子を産むことから、万物の創造神。
機梭…織物をする機械。
東君の漏泄…東君は春の神さま。ここでは文殊菩薩の白槌。

現代語訳
皆さん、世尊陞座の真意がわかったであろうか。創造の神が縦糸と横糸から布を織るように物事を変化させる在りようは、春の景色のようだ。芽吹くから春なのか、春だから芽吹くのか。文殊菩薩の言葉は何とも言えない絶妙な働きがあった。

解説

禅問答と聞くと、言葉を交わしまくるのかと思いきや「世尊陞座」の話は文殊菩薩の一言のみで終わっています。

「悟り」を説明してくれると大衆が期待していたが、そもそも「悟り」とは「仏陀の体験」であり言葉で経験を正確に伝える事は出来ない。仮に同じ経験をしてみなさいと言われても、その経験で得られた実体験が仏陀と同じであるかどうかは仏陀自身にも経験者にも分からない。仏陀が証明してくれるわけでもなく、仏陀の悟りを明確に「これが悟りだ」と言ってくれるわけでもない。

永平寺に居た時に、ある大学教授にリンゴを出されて「このリンゴの味をリンゴを食べたこと無い人に言葉で説明せよ」と言われた。もちろん、正確に言葉では説明できない。この世尊陞座の話はこのリンゴの話とは全く違う。もしリンゴの話と同じであれば、悟りは経験で手に入れられるので言葉で説明できないという経験至上主義になってしまう。そうではなく、「○○が悟る」という認識構造がそもそも間違いなので、仏陀は座を降りたと考える。過去の経験によってではなく「今の行為によって仮に設定される悟りっぽいものがあるが認識は出来ない」くらいしか私であれば言えない。
(ちなみに、大学教授がリンゴと座禅について話し終わった後、永平寺の老師が「普段坐禅をしない人が坐禅について語るとは片腹痛いですね」とボソッと言ったのは内緒の話)

なぜこれが第一則なのかというと、言葉で言い得ない悟りをこれから何とか工夫を凝らし言語化していく姿勢を表しているのではないかと思います。第二則以降、仏陀以外の僧侶が如何にして仏陀の沈黙を言葉に出すのか。それが正解とか不正解ではなく、言葉で表すことに挑戦する姿勢が大事であるということでしょう。
テストの点数の順位だの、偏差値だの、営業成績だのに振り回されていると、いつしか問題には答えがあってしかるべきと思いがちです。仏教以外の宗教は特にそうでしょう。生きる意味、生まれてきた意味、自己の個性、生きがいに神や聖書という虚構の元、それが答えかのように指し示す。仏教は答えに挑むが正解を出す事を目的としないのです。答えを出そうとする姿勢そのものが証りであると言っても過言ではないでしょう。

第二則「達磨廓然」

第二則 達磨廓然(だるまかくねん)
この公案は短く纏められすぎているので、本則以外の武帝と達磨の会話を詳細に記す。

衆に示して曰く:

卞和(べんか)三たび献ず、未だ刑に遭うことを免れず。
夜光人に投ず、剣を按ぜざる鮮(な)し。
卒客(そっきゃく)に卒主(そっしゅ)無し。仮に宜しうして真に宜しからず。
羞珍異宝(しゅうちんいほう)、用うることを著(え)ず。
死猫児頭(しみょうにとう)、拈出す、看よ。

卞和(べんか)三たび献ず…卞和(べんか)という名前の人が、ある山の谷で宝玉を手に入れた。それを中国の王である霊王に献上した。しかし、霊王は宝玉は偽物であると言い、罰として卞和の足を切り落とした。霊王が退位し武王が即位すると、また卞和は武王に宝玉を献上した。しかし、武王も宝玉は偽物であると言い、罰として卞和の残りの足も切り落とした。武王が退位し文王が即位すると文王は宝玉は本物であると認め、卞和は宝玉を抱いて泣いた。この故事は韓非子に出てくる。
夜光人に投ず、剣を按ぜざる鮮(な)し…夜に光の玉が浮いていたら、多くの人は驚いて剣を抜くであろう。
卒客(そっきゃく)に卒主(そっしゅ)無し…突然の客には素早い対応が難しいという意味。
羞珍異宝…珍しい宝物をすすめる。
死猫児頭…死んだ猫の頭。何の価値も無いものを表すが、値段を付けられない宝玉の意味として用いられる。プライスレス。

現代語訳
ベンカという人が霊王・武王に宝玉を献上したが、見る目の無い王はベンカの両足を切った。夜、家来が主人の足元を照らそうと提灯を付けたら、主人は驚いて剣を抜き、家来から敵意があると怪しまれた。
これと同じで達磨は武帝に真の宝物を献上しようとしたが、武帝はそれが理解できなかった。また、達磨は夜の灯りを献上したが、武帝はそれが分からず剣を抜いた。
客である達磨を主人である武帝はしっかりと迎えられなかったのである。
武帝は理屈で仏道を考えるのみで、考えの及ばない仏道を学ぼうとはしない。
何が宝玉か分からないのであれば、死んだ猫の頭を目の前に持ってこようか。さあ、この猫の頭の価値は如何ほどであろうか。

本則

挙す。
梁の武帝、達磨大師に問う【清旦に起き来たって曽って市に利あらず】。「如何なるか是れ聖諦第一義」【且(しばら)く第二頭に向かって問え】。磨云く、「廓然無聖」【劈腹剜心】。帝云く、「朕に対する者は誰そ」【鼻孔裏に牙を認む】。磨云く、「不識」【脳後に腮を見る】。帝契はず【方木は円竅に入らず】。遂に江を渡って少林に至って面壁九年【家に滞貨無ければ富まず】。

【】の中は本則のコメントです。
梁の武帝…465年~549年の梁の初代皇帝。仏教を保護し、自らも袈裟をかけ、般若経の講義を行ったといわれる。
達磨大師…中国仏教の初祖。インドの香至国の第3皇子。インドより中国に来たとされるが詳細は不明、伝説的な存在となっている。中国語が理解できていたかも謎。
聖諦第一義…悟りの一番の核心。
廓然無聖…なんの仕切りもない状態。
劈腹剜心…腹をつんざき、心をえぐる。腹を割って話すの強烈バージョン。
脳後に腮を見る…あごの骨が出っ張っていて、後ろから見ても顎の輪郭が見える人。悪人の形相の例え。
方木は円竅に入らず…四角い木は丸い穴にはまらない。

現代語訳
3年間の歳月をかけて並々ならぬ決意を持ってインドから中国へ来た達磨大師。おそらく、人々に仏道を伝えるという大悲心のなせる行いであろうか。
達磨大師の船が梁の港に着くと、すぐに武帝の耳に入った。武帝はすぐに達磨大師を城に呼んだ。達磨大師が城を訪れたのは港に船が着いてからわずか1週間後のことである。
達磨大師と面会した武帝は質問した【達磨が早起きして市場に行っても、何も買えない】。
武帝「私は、即位してから沢山の寺を造り、お経を書き写して、得度式を行い沢山の僧侶を輩出した。この功徳はどれほどのものか?」
達磨「功徳は無い」
武帝「なぜ功徳がないのか?」
達磨「武帝の行いはあくまでも、人が行う作業であって、かえって煩悩を生む原因となる。影の形を作り出すような物で『有り』と言えるが『実』ではない。」
武帝「では、功徳とはなんだ?!」
達磨「智慧とは円のようなもので、全ての行為は自然と空になる。そのような功徳を求めようとする者はあまりいないだろう。」
武帝「では、悟りの1番重要なものはなんだ?」【1番があれば2番があるのだから、2番も質問しろよ。】
達磨「雲一つない空に遮るものがなにもない境地です。」【腹を割って話してくれた】
武帝「なにも無いと言うのであれば、目の前にいるお前は誰だ!!?」【鼻の穴に牙なんか生えていないのに、トンチンカンな質問をしたものだ】
達磨「識によって判断できるものではない。」【鋭い言葉だ】
武帝「わけわかんない」【丸い穴に四角い木を嵌めようとしても無理だ】
達磨は武帝とは心が通わないと思い、19日城に滞在した後に、揚子江を渡って魏の国へ行った。そこで少林寺に入り、9年間の坐禅生活を行った。【できる限りの言語化を試みたが、語り尽くしてしまった。もう語る事は出来ないだろう】


※正法眼蔵行持の巻を参照

頌に曰く。
廓然無聖、来機逕庭。得は鼻を犯すに非ずして斤を揮(ふる)い、失は頭を廻らさずして甑(そう)を堕す。寥寥(りょうりょう)として少林に冷坐し、黙々として正令(しょうれい)を全提す。秋清うして月霜林を転じ、河淡(あわ)うして斗夜柄(やへい)を垂(た)る。縄縄として衣鉢(えはつ)児孫に付す。此より人天薬病(やくへい)と成る。

来機逕庭…逕庭は、この場所とあの場所という意味。達磨と武帝がかけ離れていることを指す。
得は鼻を犯すに非ずして斤を揮(ふる)い…鼻先についた泥汚れを斧の一振りで取り去った故事。
失は頭を廻らさずして甑(そう)を堕す…甑は蒸籠(せいろう)のこと。ある僧が家に居候していた時の事、家主と歩いている際に僧が担いでいた蒸籠を落とした。しかし、家主は見向きもせず立ち去った。それを見た別の僧が「この家主は見込みがある」と思ったという故事。
斗夜柄(やへい)を垂(た)る…斗は北斗七星。柄杓の柄が垂れているように空にあるので、手が届きそうという意味。

現代語訳
達磨大師が「廓然無聖(隔たりが無い)」と言ったが、武帝と達磨の間は隔たりが大きすぎた。
鼻に着いた泥を斧で傷つけずに取るように、蒸籠を落としても咎めないという達磨大師の力量がある。
少林寺に行き坐禅をくみ、言葉に出さない達磨の家風を提示した。その家風は、秋の澄み渡った夜空に満月が出てきて、天の川が淡く見え、北斗七星が届きそうなくらいはっきり見えるようなものである。この家風が袈裟と応量器と共に弟子に伝えられてきた。
しかし、時がだんだん経つに従って薬が病気となってしまった。

解説

武帝が即位していた時の中国はシルクロードを通って経典だけが伝わってきていたようです。かの有名な三蔵法師達が長い長い道のりを歩き、経典を手に入れ、さらに中国語に翻訳してくれました。しかし、文字だけで伝わるのみに留まっていました。

ざっくりと達磨大師の意志を読み取っていきます(私の主観です)。
ある禅僧の言葉を借りれば、我々が日常で行っている人生ゲームを止めると言う事です。人間は成長するに従い、誰かに褒められたい、頭が良くなりたい、楽しい事がしたいと思い始め、次第に自分の人生を思い通りに進めようとします。より良い人生を歩みたい、その為により良い会社に入る、その為により良い大学に入る、その為に沢山勉強する。充実した人生を送りたい、その為に異性にモテたい、その為に着飾りたい、その為にお金を稼ぎたい、その為に割のいい仕事に就きたい。
それを人生ゲームであると言うわけです。人生ゲームを絶え間なく続ける我々人間はゲームを止められない自分に嫌気がさし、終りの見えないゲームに疲れ、思い通りにいかないゲームにイライラする。ゲームが上手くいっていれば良いでしょう。しかし、次第に老いて体は動かなくなり、社会で必要とされなくなり、病気でゲームを強制ストップさせられる。その時に、常にゲームに興じていた人は思うでしょう。何故私は存在しているのだろうと。何故ゲームをさせられているのだろうと。
これを言葉で伝えてもゲームに没頭している人には伝わらない。であれば武帝の元を去った達磨大師は責められないでしょう。

坐禅をして何になるのかと言われれば「なんにもならない」のである。何の為でもなく座りきる。そこに何かの為に座ると言ってしまうと、たちまちそれは人生ゲームになってしまう。
だから達磨大師は人生ゲームならぬ王様ゲームをしている武帝にゲームを止めよと伝えたかったのでしょう。
そもそも、「○○して何になる?」という問いかけをした時に、テレビが発明され何になるの、電球が発明されて何になるの、私が生れて何になるの、生きていて何になるのかと問われ、ゲームに参加する以前の生まれたての赤ん坊にとっては「なんにもならない」であろう。強制的に始まったゲームにおいてルールが変わっただけのことである。
もちろん、人生ゲームこそが生きがいであり生きる意味だと思えばそれで結構ですが、生きづらさを感じる時、そのゲームから降りるコツくらいは、この世にあってもいいでしょう。まぁ、そのコツ自身もゲームの一部かもしれませんが...

第三則「東印請祖」

第三則 東印請祖(とういんしょうそ)

衆に示して曰く:

劫前未兆(ごうぜんみちょう)の機、烏亀(うき)火に向かう。
教外別伝(きょうげべつでん)の一句、碓觜(たいし)に花を生ず。
且(しばら)く道(い)え。還って受持読誦(どくじゅ)の分有りや也(ま)た無しや。

劫前未兆…劫はものすごく長い時間。物事の分別がつく前の生まれたての時。
烏亀…目の見えない亀。
教外別伝…文字や言語の及ばない教え。
碓觜…碓は石臼。觜は端っこの意味。石臼の端っこの意味。

現代語訳
物事の分別が着く前の盲目の亀のような時は火が怖い物と認識できないので火に向かって行ってしまう。
文字や言語にたよらない教えがあり、まるで石臼の端っこに花が咲くように理屈では語れない教えです。
さあ、答えてみなさい。お経を読むことの意味を、無意味を。

本則

挙す。
東印度の国王、二十七祖般若多羅を請して斎す【往々に口債を償い去る】。
王問うて日く、「何ぞ看経せざる?」【功無うして禄を受くれば寝食安からず】。
祖云く、「貧道は入息陰界に居せず、出息衆縁に渉らず、常に如是経を転ずること百千万億巻」【上来の講讃、限り無き勝因】。

【】の中は本則のコメントです。
東印度…昔、インドは5個の国に分かれていた。その東の国。堅固国という名前であった。
般若多羅…バラモン階級出身の仏陀から数えて27代目の僧侶。菩提達磨大師の師匠。
口債…口の債務。僧侶が食事の供養を受ければ、貸しを作ったことになり、読経をもって返済する。
貧道…仏道が乏しいという意味。僧侶が自分の事を謙遜して言う時に用いる。拙僧と同じ。
陰界…五蘊のこと。色受想行識。
衆縁…自己と対象物との関わり方によって現れる存在。

現代語訳
東インドの国の国王が般若多羅和尚を食事の席に招いた【どの僧侶も食事を頂いたら口の債務を抱える事になり、読経するのが常識である】。
しかし、般若多羅和尚は読経しなかった。
国王が問う「なんで読経しないの?」【ただで食事を食べれば後ろめたくて安眠も出来ないし、食べた心地がしないだろう】。
般若多羅和尚が答えた「私の全ての行為がそのまま百千万億のお経です。お経を読むのではなく、教えを読むから「経典」という存在が現れるように、私の一挙手一投足がその行為によって言葉に出来ない仏法を現わしている」【この般若多羅和尚の示す教えは何物にも勝る仏法であろう】。

頌に曰く。
雲犀(うんさい)月を玩(もてあそ)んで燦として輝(ひかり)を含み【暗に一線を通ずれば文彩すでに彰(あら)わる】、木馬は春に遊んで駿(しゅん)にして覊(ほだ)されず【百花叢裏に過ぎて一葉身を沾(うるお)さず】。
眉底一双碧眼寒(すさ)まじ【曽て蚍蜉の隊を趁(お)わず】。看経(かんぎん)那(なん)ぞ牛皮を透るに到らん【過也】。
明白の心、曠劫(こうごう)を超え【威音前の一箭】、英雄の力、重囲を破る【両重の関を射透す】。
妙円の枢口(すうく)、霊機を転ず【何ぞ曽て動著せん】。寒山来時の路を忘却すれば【暫時も住せされば死人に如同す】、拾得(じっとく)相将(ひき)いて手を携えて帰る【須らく是当郷の人なるべし】。

雲犀…雲で出来た犀。木馬も同じく木で出来た馬の事であり常識外れの存在を現す。
眉底一双碧眼…二つの眉毛の下にある二つの目、碧眼は般若多羅和尚の目の意味。
蚍蜉…蟻🐜。
威音前…威音仏という仏陀の表現方法。妙法蓮華経に出てくる。
枢…物事の要の意味。
寒山…僧侶の名前。実在不明。
拾得…僧侶の名前。実在不明。
豊干(ぶかん)和尚の所に寒山(かんざん)と拾得(じゅっとく)という在家とも僧侶とも分からない髪がぼさぼさの2人が出入りしていた。ある時、村長が訪ねてきて「あの2人は誰だ?」と言った。豊干和尚は「あの2人は文殊菩薩と普賢菩薩だ」と言った。それを聞いた村長は早速2人の所に行き礼拝した。すると2人は「なんで礼拝してるのですか?」と尋ねると「文殊菩薩と普賢菩薩だからです」と言った。すると2人は「いやいや、それよりも豊干和尚は阿弥陀様だから、まずはあの方から礼拝した方がいいですよ」と言った。それを聞いた村長は急いで豊干和尚の元に行ったが、もう豊干和尚は居なかった。


現代語訳
犀のような形の雲が月の光に当たって輝き、自由に空を飛んでいる【暗闇に月光が一線に差し込めば綺麗な模様が浮かぶ】。馬のような木が春の季節に自由に遊んでいる【多くの花や草に付いた露にも触れることなく走るだろう】。
般若多羅和尚の眉毛の下の目は鋭く凄まじい【蟻は甘い香りに誘われて隊列を組んで進むが、本物の僧侶は名誉や利益、文字による概念を追うことは無い】。読経すれば厚い牛の皮に穴が開くくらいの勢いで文字を追ってしまい捉われてしまう【この文字を残してる時点で禅問答の著者も牛の皮を破っている】。
明暗などの二元論に捉われない心の状態は、時間の長短にも影響を及ぼさない【仏陀が居た時代の前から、対象物への行為を貫くことで対象物の存在が確定していく】。
英雄が二重三重の囲いを突破していくように【迷や悟、裏と表のような二元論を縁起により自己の行為が貫いている】、不思議な縁起の見方によって世界中の物事が現成している【何かが単一で存在していることは無い】。
寒山が来た道を忘れてしまえば、拾得が手を引いて2人仲良く帰っていくように、東インドの国王を般若多羅和尚が手を引いて導いたのであろう【ちょっとでも二元論に陥れば生と死という狭間に嵌まってしまう。しかし、手を引いて一緒に帰れるのであれば目指す道は同じなのであろう】。

解説「モリヌークス問題」

最初に「分別が着く前」、「盲目の亀が火に向かう」とある。
我々が、物事や現象を認識する時にある程度の訓練がいる。大人になると、無意識に視覚情報や聴覚情報を処理できるが実は生まれたての赤ん坊はそうではない。これはモリヌークス問題という実験で現代では証明されている。
モリヌークス問題とは、アイルランドの科学者であるウイリアム・モリヌーが友人に宛てた手紙に由来する。
モリヌーの妻が失明した。その時に、尊敬する友人の科学者にこのような手紙を送った。
「生まれつき盲目の人がいたとする。その人が手で触っただけで、その物質が球体か立方体か判断できるようになった。ある時、外科手術で目が見えるようになった。その時、かつて盲目だった人は視覚情報だけで球体や立方体を判断できるか?」
この手紙が送られたのは今から300年前のこと。症例が少ないことから長年未解決問題であったが、近年およその結論が出た(先天盲開眼者の視覚世界 鳥居 修晃,望月 登志子 (著))。
盲目患者は目が見えるようになっても、光の洪水が認識出来るだけで物の境界線は認識できなかった。ここに○○がある、と認識出来るようになるまで平均6ヶ月かかった。

つまり、物事の境界線は生活にどの程度必要かに応じて言語で固定化されて認識される。それを、赤ん坊の頃から訓練し、親や周りから言語を習い境界線に囲まれた領域を言語に結び付ける。これは「赤色」「青色」「黄色」というように。もし、色を概念化しなくても良い環境であれば境界線はいらない。平安時代は「紫色」「緑色」は存在しなかったそう。芝生が青いや青りんごが緑色なのに青と表現するのはこの為。また、とある部族は色の明暗のみの言語しかないという。
降水量が多い日本では、雨を表す単語が「梅雨、五月雨、秋雨、春雨、霧雨、小雨、小ぬか雨、氷雨、雷雨
来雨、降雨、俄雨、時雨、慈雨、好雨、涼雨、順雨、甘露」など多数ある。一方ロシアでは、雪の降り方を表す単語が多数ある。このように物質現象は物事の境界線を言語で固定化し、大人数で共有し初めて現実となる。

であれば、この境界線を引く訓練と言語の訓練を受ける前の我々は盲目の亀のように火を認識出来ずに火に突っ込んでいく事もあるであろう。

解説「衆に示して曰く」

まず、この禅問答を読むにあたり、二元論と縁起について大衆に示しています。二元論とは何かの対比で物事を認識するということです。「机がある」という時に、「机」と「机以外」という境界線を引き、「机」を認識している。そこに「机」の境界線を引く生活上の必要性があるから「つくえ」という言語で固定化している。もし、地球が全て陸地であれば、「陸」と「海」という境界線や言語は必要では無かったであろう。
縁起はそうではない、「私が机として扱う」から「机」が在ると考える。机として扱わない時は机ではない。「勉強する」という行為で「勉強机」が現れ、「食事をする」という行為で「食卓」が現れる。
このように、縁起は行為によって存在が現れるので、言語で固定化する必要は無い。この縁起によって自己の存在の仕方と他人による存在のさせられ方を伝えていく仏法は教外別伝であり、言語に表すと石臼に花が咲くような、意味不明な文言になってしまうという。
であれば、このお経を読むという行為も何を根拠にお経を読むのかと言えば、「私がお経を読む」のではなく「読むという行為」は「お経」を現わしている。そこに仏法が有るのか無いのかと言われれば、「読む」行為以外も仏法であると言うほかは無いのでしょう。

日本では、日蓮宗系や念仏系、華厳宗があります。
日蓮宗系は妙法蓮華経という経典を、念仏系は三部経という経典を読み、南無妙法蓮華経や南無阿弥陀仏を唱える。華厳宗は華厳経を読む。しかし、曹洞宗臨済宗黄檗宗という中国系の宗派は特定のお経は無い。そこに、「○○を認識する」のではなく「認識が○○を存在付ける」という縁起の理法から、文字による認識を用いないという徹底した姿勢があります。


般若多羅和尚の弟子が達磨大師ですが、達磨大師はこの話に出てくる東インドの国の第3皇子です。兄である第1皇子も第2皇子も般若多羅和尚の弟子になりました。なので、この国王は自分の息子を悉く出家させているということです。
第二則の達磨大師と武帝の話のように決裂していないことから、般若多羅和尚も国王も王子も目指す道は一緒なのだと分かりますね。

解説「本則と頌」

食事の供養を受けると、対価としてお経を読むというのが通例であったことに驚く。まさに、今の日本のお布施文化と同じであろうか。ここに、先祖供養とは書かれていないので、あくまでも「仏陀の教えを説く」ことを対価としているのであろうか。であれば現代の日本よりはマシかもしれない。

曹洞宗では特に典座と食事作法が重視される。道元禅師も役職別に心構えを記した「知事清規」とは別に台所の長である典座について「典座教訓」という長い書物を記した。そして食事をする作法を「赴粥飯法」を中国の「赴粥飯」を基に記している。調理から給仕、食器を広げる作法、食べ終りの作法まで事細かに決まっている。そこに自我意識の介入も無ければお経も無い。あるのは、「食材」と「供養をしてくれる人」と「共に食事をする僧侶」への敬意だけである。
そこに自我意識が介入し、好き嫌いや自分が食べたいペースや食べ方があると作法では無くなってしまう。そして、器や今座っている場所、食材、関わる人すべてに対して敬意が無ければそれは「業」を積み重ねる作業となってしまう。「業」ではなく「法」を実践する作法でなくてはならない。
その作法を実践するという行為がそのまま、仏法である。とすれば、般若多羅和尚の食事や歩き方までもがそのまま読経せずとも最上の仏法であろうか。

般若多羅和尚の弟子が達磨大師ですが、達磨大師はこの話に出てくる東インドの国の第3皇子です。兄である第1皇子も第2皇子も般若多羅和尚の弟子になりました。なので、この国王は自分の息子を悉く出家させているということです。
第二則の達磨大師と武帝の話のように決裂していないことから、般若多羅和尚も国王も王子も目指す道は一緒なのだと分かりますね。

第四則「世尊指地」

第四則 世尊指地(せそんしち)

衆に示して曰く:

一塵纔(わず)かに挙ぐれば大地全く収まる。
匹馬単槍(ひっばたんそう)、彊(きょう)を開き土を展ぶることは、便ち可なり。
処に随って主と作り、縁に遇うて宗に即する底、是甚麼人(なんびと)ぞ。

匹馬…一匹の馬。
単槍…一本の槍。
彊…国の境界線。

現代語訳
ホコリと土は扱う人の行為によってゴミにもなり、貴重な資源にもなる。価値判断を持たない時はホコリ一つを手に取ると、そこに大地全てが収まっている。
一匹の馬に乗り一本の槍を持って国土を広げても、「自分が国土として扱う」という行為によって国土の範囲が決まってくる。
自分の自由な行為をもって、存在の在り方を自由自在に見る事の出来る人とはどのような人か?

本則

挙す。
世尊、衆と行く次いで【他の脚跟に随って転ず】、手を以て地を指して云く、
「此の処宜しく梵刹を建つべし」【太歳頭上、土を動かすべからず】。
帝釈、一茎草(いっきょうそう)を将って地上に挿(さしはさ)んで云く、
「梵刹(ぼんせつ)を建つること已に竟(おわ)んぬ」【修造易からず】。
世尊微笑す【賞罰分明】。

【】の中は本則のコメントです。
梵刹…寺院。修行僧の修行する場所。
太歳…土地神。
帝釈…帝釈天。仏教の守護神。

現代語訳
ブッダが弟子と歩いていた時の事【一緒に歩いている弟子たちは、主人公になり切れていない】、地面を指してこう言った。
「おっ、この場所は修行するのにいい場所だなぁ~。よっしゃ、ここにお寺を建てよう!!」【土地神の手前、勝手に土を掘り返さない方が良いだろう】
すると帝釈天が、雑草の一つを摘まんで地面に刺して、言った。
「よっしゃ、これでお寺が建ちましたぞ!!」【この建立は簡単なようで簡単ではない】
それを見てブッダは微笑んだ【この微笑は褒美か罰則か。答えははっきりしている】。

頌に曰く。
百草頭上無辺の春【夾山猶在り】。手に信(まか)せて拈じ来って用い得て親し【荒田に入って揀(えら)ばず】。
丈六の金身(こんしん)功徳聚(くどくじゅ)【不審】。
等閑に手を携(たずさ)えて紅塵(こうじん)に入る【場に逢うて戯を作す】。
塵中(じんちゅう)能く主と作る【一朝権手に在り】。化外(けがい)自ら来賓す【令行の時を看取せよ】。
触処(そくしょ)生涯、分に随って足る【人より得ず】。
未だ嫌わず伎倆の人に如からざることを【面に慚ずる色無し】。

夾山…僧侶の名前。
丈六…一丈六尺。4.85m。仏像の標準的な高さ。

現代語訳
生い茂る草の上に春の風が吹けば、春でないところは無い【夾山が生きているようだ】。
草の一本を手に取ってみても、春でないものは無い【荒れた田の雑草も同じ】。
その草の扱う行為が自由自在であれば草という存在の在り方も自由自在であり、草も寺院に成り得る。
草一本も功徳の集まった仏像のようである【仏像の機嫌はいかがであろうか】。
ブッダが弟子たちと手を取り合って俗世間で法を説く【その場に応じた説法がある】。
俗世間の中でブッダが主となる【主人公ならば衆生を活かすも殺すも自由自在である】。
帝釈天のような、他宗教の神もブッダの教えを聞きに来る【ブッダと帝釈天の心の一致をよく見るべし】。
あくまでも、自己の存在も自己の行為によって存在が確立する【他人から押し付けられるものではない】。
他人から承認されないからといって不足に思うことは無い【少しも恥じでは無い】。

解説

最初の示衆では、二元論ではなく縁起での物事の見方を示している。ホコリが大地であるというのは、物の存在とは扱う人次第であり、人が対象物をどのように扱うかで存在が確立する。ホコリをどのように扱うか、大地をどのように扱うか、そこに対象物への行為が存在しない時にホコリの存在も大地の存在も無い。逆に平等に扱えばホコリも大地も同じ存在である。
ホコリは「邪魔だと思い掃除をする」という行為によってゴミという価値判断になる。土は「境界線を引き、国土として自由に扱う」という行為から重要な資源という価値判断になる。ホコリを奪い合い戦争は起きないが国土を巡って戦争は頻繁に起こる。

そして、扱う行為の幅によっても存在の幅が変わってくる。

本則では、お寺を建てよう、というブッダの言葉がある。寺院というと現代ではお墓があり先祖供養の場所である。しかし、仏教は先祖供養の宗教でもなくお墓を祀る宗教でもない。
では、どのような場所かと言われれば、修行僧が心を定め、心の養い、生や死への問いかけに挑み続ける場であろうか。そのような場所を「ここに作ろう」と言うのであれば、建物というよりも、修行の中心的な場を設けようということであろうか。
そして、その場を作るのは立派な仏像や屋根付きの建物ではなく、その場を修行場所として扱うブッダと弟子の行為であろう。
昔、師匠が葬儀や法事を「拝み屋の仕事」と言っていた事に衝撃を受けた。師匠は葬儀や法事はあくまでも『死』を受け止める仕事という位置付けだったのだろうか。出家者が行う行為ではないと思っていたのか。私も葬儀をして対価の如くお布施を受け取ることに抵抗がある。
葬儀や法事のみ行い、それ以外は住職とその家族と俗人と同じ生活をしているのであれば、住職が住んでいる場所は寺院ではなくハリボテである。そこに寺院を寺院たらしめる行為が無いからである。
帝釈天が一本の草を刺しただけで寺院が建ったという意味は、帝釈天が草を本尊として扱い、修行する行為をもってその土地を扱うことで寺院という存在が確立したことを示す。

帝釈天の登場の意味はおそらく、バラモン教の神がブッダを手伝う事で仏教の優位性を主張したい著者の意図であろうか。

頌に示して曰く、では草と春の例えが出てくる。冬が終わり春が来ると草が芽吹く。その時に、草が芽吹くから春が来たのか、春が来たから草が芽吹いたのか。そのどちらでもなく、私が草を草として扱い、春を春として扱うからこそ草が芽吹き、春が来る。私に関係なく草も春も存在しない。その行為が及ぶ範囲においては、どこをとっても草であり春である。
そして、自己と対象物との関係性だけでなく、『自己』と『自己の行為』にも言及する。『私は几帳面である』『私は男性である』『私は教員である』という自己の属性や個性を認識するときに、他人からの承認は意味を成さないということである。

自分らしさ、個性、強み、長所などは所詮、他人と比較し、他人から承認されないと感じる事ができない。しかし、縁起ではそうではない。自己とは自己がどのような行為を今していて、その行為で自己がどのような存在を現しているか。それだけである。
野球選手が野球選手であることを根拠づけるのは、周りから野球選手であると認識されるかどうかでもなく、自分が野球選手であると宣言するかどうかでもなく、『野球を今プレイする』ことである。今野球をしておらず、他人の野球に口出ししているなら野球評論家として存在しているだろうし、野球人生の自伝を書いているのであれば作家として存在している。
それ以外の自己の在り方は錯覚であるので、他人から褒められなくても、認められなくても恥じる必要はない。

第五則「青原米価」

第五則 青原米価(せいげんべいか)

衆に示して曰く:

闍提(しゃだい)、肉を割きて親に供ずるも、孝子の伝に入らず。
調達(ちょうだつ)、山を推して仏を圧するも、豈に忽雷(こつらい)の鳴るを怕(おそ)れんや。
荊棘林(けいきょくりん)を過得し、栴檀林(せんだんりん)を斫倒(しゃくとう)して、
直きに年窮歳尽(ねんきゅうさいじん)を待って、旧(ふる)きに依って孟春(もうしゅん)猶(な)お寒し。
仏の法身、甚麼(なん)の処にか在る。

闍提…人の名前。戦争に敗れて両親を伴って逃げる途中、食べるものが無くなって餓死しそうになった。その時、闍提は自分の肉を切り取って両親に食べさせた。最上の親孝行の話。
調達…提婆達多(だいばだった)というブッダの従弟。ブッダと対立し、教団を抜ける。その後、ブッダを殺そうと山の上から岩を落とすが、ブッダには当たらずに砕けた岩の破片のみがブッダに当たり小指を怪我した。
忽雷…罪を犯すと雷が落ちて身が引き裂かれるという意味。
荊棘林…荊の林。
栴檀林…良い香りのする木の林。
年窮歳尽…大晦日。
孟春…元旦。

現代語訳
飢えた親に自分の肉を削ぎ落し食べさせた人も最上の「善」であるとは言えない。
ブッダを殺そうとして怪我をさせた人も一番の「悪」とは言えない。
多くの苦難を乗り越えても「善」とは言えないし、他人に迷惑をかけても「悪」とは言えない。
大晦日の寒さも、元旦の寒さも同じであるが、人はそこに本来無いはずの境界線を引いている。では善悪の境界線はどこにあるのか。

本則

挙す。
僧青原に問う。
「如何なるか是れ仏法の大意?【小官は多く律を念う】」。
原云く。
「盧陵(ろりょう)の米、作麼の価ぞ【老将は兵を論ぜず】」。

青原…青原山(せいげんざん)で修行する行思(ぎょうし)禅師のこと。
盧陵…米の産地であり、青原山の近く。

現代語訳
ある僧侶が、青原行思禅師に質問した。
「ざっくりと仏の教えを説明してください【横着するなよ、頭の固い人だ】。」
青原行思禅師が答えた。
「町では今、米の価格はどれくらいかのう?【熟練した将軍は、どのような兵を扱うかは気にせず、自身の軍略によって戦う】」

頌に曰く。
太平の治業に象(かたち)無し【旄頭星現るるや也(また)未だしや】。野老の家風至淳なり【争でか如かん我が這裏、田を種(う)え飯を搏(まろ)めて喫せんには】。
只管に村歌社飲す【窮鬼子快活不徹なり】。那ぞ舜徳堯仁を知らん【始めて忠考を成す】。

旄頭星…星の名前。明るいときは平和で暗いときは国が乱れるという。
至淳…至極純朴の意味。少しも身を飾ることも、心を偽ることもない様子。田んぼを耕す村の老人の純朴な様子。
田を種え飯を搏めて…従容録十二則「地蔵種田」にもある言葉。昔インドでは箸やスプーンが無く、ご飯を食べる時は手で丸く団子状にして口に運んでいた。このことを飯を搏めるという。
村歌社飲…村の宴会。平和な様子。
窮鬼子…貧乏人。
舜徳堯仁…かつての優秀な皇帝達のこと。

現代語訳
平和な世の中には、そもそも平和という概念が無い【平和が国を乱すということもある】。
田んぼを耕す老人は今平和かどうかなど考えてもいない【ただ種を植えご飯を食べるのみ】。
村で宴会をして歌を歌い酒を飲んでいる時に平和かどうかなど考えていない【貧乏人も満足している】

平和という概念が無いので、かつての優秀な皇帝のことも忘れている【これこそ真の忠義である】。
平和を考えないように、仏法や悟りを考えない時に初めて仏法に触れることが出来る。

解説

どんな親孝行もどんな犯罪も善悪を決めているのは、あくまでも二元論に捉われている人間である。猫が可愛く鳴いても善悪は無く、ライオンが狩りをして動物を殺すことに善悪が無い。そこには、善を善として扱う人間の行いがあり、悪を悪として扱う行為だけがある。
別に善悪を決めるなとか、持つなということではない。あくまでも、境界線を引いて判断しているのは自分であるということである。絶対的な善や、無条件の悪は存在しない。ある国、ある民族、ある条件下でその善悪の境界線が決まる。
であれば、「仏法」と「仏法以外のもの」を分けて概念化するのも自分に他ならない。であれば他人に仏法の大意を聞く時点で、仏法と仏法以外の境界線が無条件であるはずだと勘違いしているからに他ならない。
なので、「米の価値はどれくらいだ」と買い手に主体性に任せた価値を持ち出した。その値段はあくまでも売り手と買い手の条件によって変わってくる。
かつて、青果市場で働いていた私には馴染みのある話です。

頌に平和についての文言がある。私からすると今の日本は平和です。平和すぎる。戦争も無い、絶対的貧困も無い、医療も充実している。もちろん、戦争は無くても殺人事件はあるし、相対的貧困もある、医者が手を尽くしても亡くなる事もあり、災害も頻発している。しかし、いつ平和が訪れるかと言えば、人々の不平不満が亡くなった時である。そんな時は永遠に来ないであろう。
平和なはずなのに、税金が高いだの、有名人の不祥事が許せないだの、ネガティブなニュースで溢れかえっている。
結局、平和も非平和を知っている世代が過去と比較して感じる事しかできない。であれば、常にハイスピードで人間の欲望を満たす国でしか平和は訪れない。
生存本能として危険やネガティブを察知しやすい人間はどんなに発展しても満足することはないだろう。出家者や仏教徒はこの永遠に来ない平和を求めるゲームから降りる事を目指してほしいものである。

広島県の僧侶からこんな話を聞いた。
「近所の農家の方々がいつもお米や野菜を持ってきてくれるので、米と野菜を買ったことが無い。農家のおじいちゃんおばあちゃんを見てるといつも余計な事を考えずに、只生きているように見える。そこに、自分の生きがいや、幸せや平和という事がそもそも頭に無いようである。農家が相手にしているのは自然である。思い通りに行かなくて当たり前の世界で生き、常に自分に出来る最大限の事をコツコツとしていくだけで。そこに仏法の大意を見た気がした。」
良い大学に行かなくても、お金を稼げなくても、自己実現出来なくても、平和や幸せは意外と近くに在るものであろうか。

第六則「馬祖白黒」

第六則 馬祖白黒(ばそはくこく)

衆に示して曰く:

口を開くことを得ざる時、無舌の人は語ることを解す。
脚を抬(もた)げ起たざる処、無足の人は行くことを解す。
若し也(ま)た他の彀中に落ち、句下に死在せば、豈(あ)に自由の分有らんや。
四山相迫(あいせま)る時、如何が透脱(とおだつ)せん。 

四山…四苦。生老病死のこと。
透脱…解脱と同じ。縛られる物から抜け出す事。

現代語訳
言葉を話さない世界では、「話す」という概念も「黙る」という概念もそもそも存在しない。
足を上にあげて誰も歩かない世界では「歩く」という概念も「立ち止まる」という概念も存在しない。
このように、他の概念でも同じ事が言える。文字や言語で「絶対の○○」ということを強く思っている内は自分を縛り苦しめる縄からは抜け出せない。
では、生きている上で自分に纏わりついてくる縄からどうやって抜け出せばよいのか?

本則

挙す。
僧、馬大師に問う、「四句を離れ百非を絶して請ふ、師某甲に西来意を直指せよ」【若し這の僧の問頭を知らば人の多少の心力を省かん】。
大師云く、「我今日労倦す、汝が為に説くこと能わず【已に舡中の月あり】、智蔵に問取し去れ」【更に帆上の風を添う】。
僧、蔵に問う【却って人の処分を受く】。
蔵、云く、「何ぞ和尚に問わざる?」【好本多同】。
僧、云く、「和尚教え来って問わしむ」【可煞霊利】。
蔵、云く、「我今日頭痛す、汝が為に説くこと能わず、海兄に問取し去れ」【我馬祖の弟子と作り得ざるべからず】。
僧、海に問う【苦瓠は根に連なって苦しむ】。
海、云く、「我、這裏に到りて却って不会」【甜瓜は蔕に徹して甜し】。
僧、大師に挙示す【草鞋銭を索取せよ】。
大師云く、「蔵頭は白く、海頭は黒し」【更に参ぜよ三十年】。

【】の中は本則のコメントです。
馬・・・馬祖道一(ばそどういつ)禅師。(707~786年)馬祖道一禅師の門下に臨済宗、黄檗宗、潙仰宗がある。
四句・・・すべての現象が一、異、有、無の四つに分類できるという概念。
百非・・・この4つの概念自体にも一、異、有、無の4つの概念がるので、4×4で16。ここに過去現在未来の3つを掛けると48になる。そこに実際に現れる「顕在」と現れない「潜在」を掛けると96になる。そして根本の四句を足して100とする。
西来意・・・達磨大師がインドから中国に仏道を伝えた意図。ここでは、仏道の真髄、仏法の奥義を指す。
智蔵・・・西堂智蔵(せいどうちぞう)禅師。(735~814年)馬祖道一禅師の弟子。
好本多同・・・書道で良い手本に倣って、筆跡がよく似ること。
海・・・百丈懐海(ひゃくじょうえかい)禅師。(739~814年)。馬祖道一禅師の弟子。年齢は智蔵の下になるが、出家の年齢は年上になるので智蔵の兄弟子。
苦瓠は根に連なって苦しむ・・・苦い瓜は根っこまで苦い。愚者はどこまでも愚者という意味。
草鞋銭・・・僧が行脚するときの交通費。

現代語訳
ある僧侶が馬祖道一に質問した。
「理屈っぽい事を抜きにして禅の極意を教えてください。」【もしこの僧侶が質問の意図を理解していたら他人に苦労をかけなかっただろう】
馬祖道一が答えた。
「ちょっと今日疲れているから、私の弟子の智蔵に聞いてきなさい。」【自分が乗っている船を月が明るく照らしている。それで良いではないか。さらに馬祖の親切で追い風も吹いている】
僧侶は言われた通りに智蔵禅師に質問した。
智蔵が答えた。
「いや、馬祖道一禅師に聞けばいいじゃん」【さすが、師弟だから同じく議論から降りた】
僧侶が言った。
「馬祖道一禅師の所に行ったら智蔵禅師に聞けと言われました。」【なに言ってんだこいつ】
智蔵が答えた。
「ちょっと今日頭が痛いから、兄弟子の懐海に聞いてみて。」【このとぼけ方は見事だな、私も馬祖の弟子になりたい】
僧侶は懐海に質問した。【愚か者はどこに行っても愚かだな】
懐海は答えた。
「さぁねぇ~。よく分かんないね~」【馬祖も智蔵も懐海も皆、議論を降り、言葉を用いないのは流石だ】
仕方が無いので、事の顛末を馬祖道一に報告しに行った。【ご苦労なこった。旅費分のお駄賃くらいは馬祖から貰えよ】
すると馬祖道一は
「うん。そうか。智蔵は年寄りだから白髪であっただろう。懐海は若いから黒髪であったであろう。なにも珍しいことではない。禅の極意が分かったか?」と言った。【簡単には理解できないであろう。余計なことは考えずに30年はそこで修行したほうがいいね。】

頌に曰く。
薬の病と作る【胡人乳を飲んで返って良医を怪しむ】、前聖(ぜんしょう)に鑑みよ【師多ければ脈乱れる】。
病の医と作る【薬を以て薬を下して、毒を以て毒を去る】、必ずや其れ誰そ【是天童なること莫しや】。
白頭黒頭、克家(こっけ)の子【一窯に焼き就す】。
有句無句、裁流(せつる)の機【更に潙山をして笑い転た新たならしめん】。
堂々として坐断す舌頭の路【一死再活せず】。
応に笑ふべし、毘耶(びや)の老古錐【只一橛を得たり】。 

胡人乳を飲んで返って良医を怪しむ・・・どんな病気にも薬として羊乳を飲ませるヤブ医者がいた。それを知った王様が名医が薬として羊乳を飲ませようとして、逆に怪しんだ。というインドの故事。
克家(こっけ)の子・・・家を盛り立てる子供。
一窯に焼き就す・・・同じ窯で焼かれた同じ形の焼き物。
潙山・・・潙山大安(いざんだいあん)禅師。(793~883年)
毘耶(びや)の老古錐・・・毘耶(びや)はインドのお城の名前。毘耶(びや)の近くに住んでいた維摩居士(ゆいまこじ)のことを指す。老古錐は錐が古くなって先が丸くなった様。老熟した僧侶を表す言葉。

現代語訳
薬は病気を治すものだが、使い方によっては逆に毒になることもある【診断する医師が多ければ、色々な事を言われて逆に不安になる】。
正確な診断と的確な処方箋を書ける名医はどこにいるのか?それは、馬祖道一禅師と弟子である智蔵と懐海である【同じ馬祖の門下だからこそ同じ対応をしたのだ】。
言葉で議論することの無意味さを知っているのだ。堂々とそこに居るだけで言葉を用いない修行がここにある。
議論を盛んに行うインドの維摩居士などとは真逆だ。

解説

示衆では、言語による概念の固定化を離れる人について書かれている。我々は物事を認識するとき、それをどんな言語で表現するか分からないと、認識自体が曖昧になる。例えば、「赤と黄色の間の色」という概念を橙色やオレンジ色と表現する。では、「橙色と赤色の間の色」を表現しようとしたときに、表現の仕様が無い。厳密に言うと橙色もオレンジ色も「橙のような色」と「オレンジのような色」なので、色の概念を現す言語ではない。
そもそも、赤色と橙色の間を現す言語が無くても日常生活に支障はない。生活にどの程度必要かに応じて言語による概念の固定化が行われる。第3則のモリヌークス問題にもあるように、地域や文化や生活環境に応じて物事の境界線を言語で固定化している。細かい色の区分はそれこそ画家等には必要であろう。
口を開くことを得ざる時、無舌の人は語ることを解す。とあるのは、言語で概念を固定化しない世界観では明確な限定された概念が存在しないということでしょう。続く足の例えも同じく、寝っ転がりながら足を上にあげていれば、いつまでも起き上がることも歩くことも出来ない。その時に「歩く」という言語と概念自体が崩壊する。
このように言語で固定化された概念で「絶対の○○」という価値観で生きていれば、自由自在の境地には程遠い。
人間は生きていると、特に人と関わっていると「思い通りにいかない」「許せない」「認めてもらえない」と思い、怒りや悩み虚無感が襲ってきます。その時に頭の中で起こっていることは、「絶対に○○が正しい」「自己とは○○でなければ」「常識では○○だ」という言語の概念でしょう。これをどのように取り外すのか?

本則は、今までで一番長い話になっている。間抜けな僧侶が言葉で仏道の真髄を聞こうと馬祖道一や智蔵や懐海の所に行くが全員にあしらわれてしまう。疲れているだの、頭が痛いだの、俺も分かんないと言われてしまう。
ここで、私の解釈では体験でしか悟りや禅の極意を理解できない、という立場をとらない。これでは体験が全て実践が全てとなってしまう。
では馬祖達は何をしているのかというと議論から降りている。そもそもが、仏陀の悟りとか涅槃とかは言葉としてはあるが、それが何なのかは誰にもわからない。「悟った」と言っている人だってそれが「仏陀の悟り」と同一かどうか証明は出来ない。
禅の極意は○○である。と言ってしまうと、二元論的に「極意」と「極意以外の物」と概念化されてしまう。それは、体験で理解できる何かでもない。永遠に分からないモノであるからこそ、徹底して無視を決め込む。
これは、ブッダも同じことをしている。「死とはなにか?」「前世はあるのか?」「世界を構成する要素は?」「生まれてきた意味とは?」という問いかけに対して徹底して「無記」と答えている。「無記」とは分からないモノ、語る意味がないモノという事です。

そして最後に馬祖道一は「智蔵の頭は白くて、懐海の頭は黒い」と当たり前のことを言っている。それは、馬祖が白を白として扱い、黒を黒として扱う事によって白と黒という色の存在が現成するという至極当然のことこそが禅の極意であるというように言い間違えている(どのように言い間違えるかが重要)。それは絶対的な白や黒があるわけではない。物事に白黒と絶対の境界線は無く、勝手に自分が引いているだけである。そんな境界線を引く作業を止めていけば、無条件な○○に捉われない作法の世界に入ることが出来る。しかし、それが必ず悟りであるとか禅の極意であるとは言えない。絶対などは絶対ないのだから。いやそれも絶対ないなぁ。

第七則「薬山陞座」

第七則 薬山陞座(やくさんしんぞ)

衆に示して曰く:

眼耳鼻舌、各(おのおの)一能有って、眉毛は上に在り。
士農工商、各一務に帰して、拙者は常に閑なり。
本分の宗師、如何が施設(せせつ)せん。 

一能…一つの能力。一つの機能。一つの働き。
眉毛は上に在り…眉毛は五感の機能に関係ない、ゆとりのある存在という意味。
一務…一つの職務。一つの役割。
拙者…私という意味だが、ここでは職務も役割も無い人のこと。
施設…法を施し、供養の場を設けるという意味。

現代語訳
目も耳も鼻も舌も、色と音と香と味を知る為に働いている。しかし、眉毛は何の能力も無い。ただ目の上にあるだけにみえる。
世間を見ると士農工商とそれぞれの職務があり働いている。しかし、全く生産活動をしない僧侶がいる。ただそこにいるだけにみえる。
さて、では僧侶はどのようにして法を人々の説くのか?

本則

挙す。
薬山久しく陞坐(しんぞ)せず【動は静に如かず】。
院主(いんじゅ)白して云く、「大衆久しく示誨(じかい)を思う、請う和尚、衆の為に説法したまえ」【重きに便りして軽きに便りせず】。
山、鐘を打たしむ。
衆、方(まさ)に集まる【頭(こうべ)を聚(あつ)めて相を作して那事(なにごと)ぞ悠々たる】。
山、陞坐、良久して便ち下座して方丈に帰る【一場の話覇(わは)】。
主、後(しりえ)に随って問う、「和尚適来(せきらい)、衆の為に説法せんことを許す。云何(いかん)ぞ一言を垂れざる?」【大海若し足ることを知らば百川応に倒流すべし】。
山、云く、「経に経師(きょうじ)あり、論に論師(ろんじ)あり、争でか老僧を怪しみ得ん」【惜しむべし龍頭蛇尾(りゅうとうだび)なることを】。

【】の中は本則のコメントです。
薬山…薬山惟儼(やくさんいげん)。(745~828年)青原行思禅師の孫弟子。
陞座…第一則と同じ。高いところに登り説法する事、現代だと学校の教壇。
院主…寺の事務の責任者。住職のことではない。
示誨(じかい)…示も誨も教え示すの意味。
良久…ちょっとの間をおいて。
方丈…住職の部屋。
適来(せきらい)…近頃は。
経師論師…経典にある三蔵(経蔵・論蔵・律蔵)のそれぞれの専門家。
老僧…ここでは薬山惟儼のこと。

現代語訳
最近、住職が修行僧に講義をしていなかった【講義をしない方がむしろ良いだろう】。
そこで、事務長が住職の所に行って、お願いした。
「最近、講義が無いので何か修行僧に講義をしてください」
すると住職が「よし、じゃあ授業開始のチャイムを鳴らして」と言った。
修行僧が講堂に集まってきた【呑気に何かの講義を期待している】。
住職は教壇に登ってしばらくすると、一言も言わずに部屋に帰ってしまった【その場に言語を破る教えがあった】。
事務長が慌てて住職を追いかけた。
「住職!!さっき講義してくれるって言ったじゃないですか!なんで帰っちゃうんですか?」【この説法が不足だと文句を言うな】。
住職は「経典の講義ならば大学の教授にしてもらったほうがいい。理屈を聞きたいのなら哲学者に聞けばいい。私が何も話さないのは当たり前だ。」【講義で黙っているのであれば、事務長に聞かれても黙っていても良かったのではないか?】

頌に曰く。
癡児(ちじ)、意を刻む止啼銭(していせん)【何の用をか作すに堪えん】。
良駟追風(りょうしついふう)、影鞭(えいべん)を顧みる【踢起して便(すなわ)ち行く】。
雲、長空を掃(はら)うとき月に巣くう鶴【樹下底、一場の懡儸(もら)】。
寒清(かんせい)、骨に入って眠りを成さず【眼を開いて夢を作す】。

癡児、意を刻む止啼銭…涅槃経嬰児行品にある例。子供が駄々をこねて騒いでいるので両親が困り果てていた。そこで、ヤナギの葉っぱを与えると、まるで黄金を見たかのように喜び泣き止んだ。ヤナギの葉は金では無いのに。
良駟追風、影鞭を顧みる…雑阿含経の四馬の例え。ある四頭の馬がいた。一頭は鞭の影を見て驚き走り出す。一頭は鞭が毛に触れて驚いて走り出す。一頭は鞭が肉に触れてから初めて驚いて走り出す。最後の一頭は鞭が骨にまで達して初めて驚く。
踢起…足で蹴る。
懡儸(もら)…恥ずかしい。

現代語訳
修行僧に教えを示すのは、駄々をこねる子供に「宝物だよ~」と言って、おもちゃを差し出すようなものだ【おもちゃなんか貰って何になるのか】。
鞭で叩かなくても走り出してくれる馬がいるというが、一言も聞かずに走り出してくれる馬はいないのか【ケツを蹴飛ばして歩かせろ】。
雲一つない夜空に月が浮かび上がっている。月に鶴がかかると鶴が見えなくなってしまう。目で見えないからといって鶴が居なくなったわけではない。
薬山禅師の働きとは目で見る事ではない。月と鶴の境界線が見えないからといって、鶴が居ないとも、居るとも言わない。

解説

眉毛はなんの機能も無いように見えるが、どんな働きがあるのかな?という問いかけから始まっている。眉は何の機能も無いが、以外にも眉を使う慣用句が沢山ある。眉に迫る、眉に唾をつける、眉に火がつく、眉を上げる、眉を落とす、眉を曇らす、眉をひそめる、眉を開くなど。
眉毛は何の機能も持たないように見えて、眉毛が動くことで意外な作用がある。
余談ですが、頭を剃ると汗をかいた時に頭から直接顔に汗が垂れてきます。それが見事に眉毛で止まり目に汗が入りません。眉毛の有難さが夏になると時に分かります。
また、現代では多岐にわたる職業においても、それぞれに需要と供給があり、自分の役割が誰かの為になるから金が貰えるわけです。しかし、僧侶(葬式坊主を除く)は誰かの役に立つわけでも無いし、何かを生産することもない。では僧侶の働きとは?
ここで「閑」という言葉を使っています。悠々自適な境地、縛られない境地です。私もかつてはサラリーマンでした。仕事を要領よくこなそうとしたり、営業成績を上げようとしたりすると、試行錯誤しながら忙しく業務に追われるわけです。そのような社会の歯車から抜け出すのが僧侶(出家者)でしょう。抜け出すことを出世間とも言いますが、現在は出世というと昇進と同じ意味で使われてしまいます。本来は仕事においても人間関係においても、家庭の事柄からも抜け出した者という意味があります。
そんな、世間のはからいから抜け出した僧侶がどのように人々を導くのか。そもそも導く行為をしてしまうと働きや職務となってしまうのではないか?というのが示衆です。

本則を読むと、小学生の時に授業が始まってるのにずっと騒いでいることに先生が怒って職員室に帰ってしまったという出来事を思い出します。そんな時は学級委員か真面目な女子が謝りに職員室に行くんですよね~。今では先生がこんなことしたらモンペからクレームが来るのかな?
もちろん、この本則では別に薬山は怒って部屋に帰ってしまったわけではありません。
薬山禅師たちが修行する寺では既に修行が根付いていて、眉毛のように世間の役割を手放せていたのでしょう。であれば、あえて何かの言葉で示す必要もないし、逆に何かを言ってしまうと修行僧に役割を与えてしまう事になる。
ここで、第1則の世尊陞坐と違うのは院主に聞かれて答えている点です。コメントでは、最後まで黙っていた方が良いとありますが、私はそうは思いません。なぜなら、院主(事務長)はお寺の中で事務(役割)を与えられているからです。本山のように大勢が集まる寺には会計担当、料理担当、修繕担当のような役割を僧侶に割り振られます。
ブッダがいたインドの寺院では、身の回りの世話は全て檀徒と呼ばれる人たちがやってくれます。料理も寝る場所も座禅をする場所の確保もやってくれます。中国ではそうは行きません。そこが第1則との大きな違いでしょう。そんな寺院内の役割を与えられている院主には言葉で説明する。その言葉は薬山禅師の優しさでしょう。

薬山禅師のお寺の修行とはどんなものだったのか。修行と聞くと、多くの人は瀧に打たれたり、護摩炊きをしたり、石の上でヨガみたいなポーズをとったり、山の中を不眠不休で走り回るというイメージがあるだろうか。世界中を見ても、そんな非日常の特別な体験こそが有難く尊いと感じる人は少なくない。檀徒や信徒から見ても、もしかしたら出家者は特別で、想像もつかないような特別な修行を積んでいると思われているでしょう。
実はそうではない。朝起きて、ただ座り、用を足し、食事をして、掃除をするだけ、修行の中身を言葉で表すと、なんお変哲もない日常を過ごしているように見える。そこに何か特別な実践があるわけではない。そう聞くと檀徒の中には、「だったら働いて生産活動しなさい。お布施を要求するな」という意見が出てもおかしくない。私もそう思います。
ただその日常の中で、全ての物事、生物、無機物に対して敬意を持ちかつ、全ての行いに自我意識の介入を極力少なくしている。食事も入浴もトイレも全て作法が決まっている。食事に関しては特に細かく、お粥1杯にかける時間は速くても40分、慣れていない人だと1時間程かかる。
その時間をかける作法に特別な理由は無い。敬意を込めて、自我意識の介入を無くすだけの生産性のない作法です。トイレの個室で作法を徹底しいても誰からも見られないし、誰かの為にもならない。そんな効率性や生産性には関係のない世界です。
その効率や生産などの働きから離れた僧侶に対して現代のお布施に文化はとても抵抗があります。
葬儀のお礼、法要のお礼で渡されるお布施は、何かの働きを僧侶に与えてしまう金銭の授与であり、本当のお布施では無いのかもしれませんね。

最後の頌は現代語訳でも分かりづらいですね。私も訳し方に熟考しました。
まぁ、ざっくり言うと、夢は皆で見れば現実ですということです。お金の価値なんか特にそうですね。皆が1万円札はこのくらいの物を買える価値がある、と夢を見ているからこそ価値があるかのように取引ができる。夢を見る人が少数派になれば忽ち只の丈夫な紙になってしまう。
薬山禅師が何かを語ったとしても結局は言葉を解釈して夢を見るだけで終わってしまう。1万円札の働きを決定づけてしまうと、そこには1万円札の価値に縛られる自分が現れる。1万円札を燃やせ!捨てろ!と言われても、只の紙だとは思えなくて捨てられない。薬山禅師が仏法とは○○だ!と言ってしまうと仏法が○○以外では無くなってしまい自由自在から遠くなってしまう。

第八則「百丈野狐」

第八則 百丈野狐(ひゃくじょうやこ)

衆に示して曰く:

箇の元字脚(がんじきゃく)を記して心に在けば、地獄に入ること箭(や)を射るが如し。
一点の野狐涎(やこせん)、嚥下すれば三十年吐不出。
是西天の令(れい)、厳(げん)なるにあらず。
只だ獃郎(がいろう)の業重きが為なり。
曾て忤犯(ごぼん)の者、有りや。 

元字脚(がんじきゃく)・・・一つの事柄。一つの言語。
野狐涎(やこせん)・・・野生の狐のよだれ。誤った教えの例え。
西天の令・・・インドの決まりごと。
獃郎・・・愚かな人。
忤犯(ごぼん)の者・・・間違いをしてしまった人。

現代語訳
ある物の在り方を認識しようとした時に、無条件にその物が単一で存在していると認識してしまうと、永遠にその誤った認識から抜け出すことが出来ない。
これはインドから伝わる因果の法則、つまり因果によって現れる物の存在様式がはっきりしているからというわけではない。
さて、皆さん、この誤った因果の考え方を今までしていたことがあるだろうか。思い返してみよう。

本則

挙す。
百丈上堂。
常に一老人有って法を聴いて、衆に随って散じ去る【鬧中に静を取る】。
一日去らず【従来這(こ)の漢を疑著(ぎじゃく)す】。
丈乃(すなわ)ち問う、「立つ者は何人ぞ?」【事交わりを解せず、客来たらば須らく待すべし】。
老人云く、「某甲(それがし)、過去迦葉仏(かしょうぶつ)の時に於て、曾て此の山に住す【元是当家の人】。
学人有って問う、大修行底の人還って因果に落つるや也た無しや【但好事を行じて前程を問うこと莫れ】。
他(かれ)に対(こた)えて道(いわ)く、「不落因果(ふらくいんが)」と【一句合頭の語、万劫の繋驢橛(けろけつ)】。
野狐身に堕すること五百生【儞因果に落ちずと道う】。
今、請う和尚、一転語を代(かわ)れ」【甚の来由をか著けんや】。
丈云く、「不昧因果(ふまいいんが)」と【一坑に埋却せん】
老人言下に於て大悟す【狐涎猶在り】。

【】の中は本則のコメントです。
鬧中に静を取る・・・騒がしい中で一人落ち着いている。
事交わりを解せず…普段は声を掛けない。
迦葉仏(かしょうぶつ)・・・ブッダの前世。
繋驢橛(けろけつ)・・・ロバを繋ぐ杭のこと。縄で繋がれて束縛されていることの例え。
一転語・・・一言で心境を変えること。一言で相手を悟らせること。
不昧因果(ふまいいんが)・・・因果の道理が明らかになっていること。

現代語訳
百丈山で住職をしている懐海禅師が修行僧の為に講堂で説法をしていた。
いつも修行僧と一緒に講堂に来ては話を聞く老人がいた。
懐海禅師はいつも不審に思っていた。ある日、説法が終わり、修行僧達が帰った後も老人が講堂に残っていた。
いつもは声を掛けないが、この日は百丈懐海禅師が声を掛けた。
「いつも話を聞きに来ていますね。今日はどうしたんですか?」
老人が答えた。「私は昔、この百丈山の住職をしていた者です。ある時、修行僧が私の所に来て『今の行為が後の結果を決めてしまうという因果の道理がありますが、仏道修行をする我々はこの道理に従わなければならないのでしょうか?』と聞いてきました。そこで私は『修行する人は因果の道理に従う必要は無い』と答えました。すると、私自身が修行や因果について訳が分からなくなってしまいました【自分で因果に従わないと言っておきながら、因果に従って言葉を発してしまった】。懐海禅師にお願いがあります。どうか因果について納得できる言葉を私にください。」
懐海禅師が言った。
「修行の根底は因果の道理を明らかに見る事である。」
この言葉で老人は納得した【納得しているが結局のところ、まだ因果の道理が分かっていない。言葉が残っているうちはダメだ】。

頌に曰く。
一尺の水、一丈の波【幸いに自ずから河清海晏(かせいかいあん)】。
五百生前奈何(いかん)ともせず【早く今日の事を知に繳(まと)う】。
不落不昧、商量せり【頑涎断えず】。
依然として撞入(どうにゅう)す葛藤窠(かっとうか)【腰に纏い脚に繳(まと)う】。
阿呵呵(あかか)【笑うに堪えたり、悲しむに堪えたり】。会すや也(また)たなしや【牛頭を按じて草を喫せしむ】。
若し是れ汝、灑灑落落(しゃしゃらくらく)たらば【虫の木を食むが如し】、我が哆哆和和(たたわわ)を妨げず【偶爾として文を成す】。
神歌社舞(しんかしゃぶ)自ら曲を成す【拍拍是れ令】。
手を拍して其の間に哩羅(りら)を唱う【細末に将ち来る】。

河清海晏(かせいかいあん)・・・黄河が透き通り、海も波が立たずに静かな様子。平穏な様。
阿呵呵(あかか)・・・ワハハという笑い声。
灑灑落落・・・灑は洗の旧字。洗い落とす。
哆哆和和(たたわわ)・・・赤ちゃんが話す意味のない言葉。
神歌社舞(しんかしゃぶ)・・・お祭りのカラオケ大会等。
哩羅(りら)・・・自然と口に出る歌。

現代語訳
コップ一杯の水を池に垂らすと、大きな波が出来る【波は自然と落ち着いてくる】。
この老人も長年、因果について迷ったと言っているが、池に水を垂らす前のことはどうしようもない【これも自然と落ち着いてくるでしょ】。
不落なのか不昧なのかを考えても結局のところ分からないことが分かるだけであろう【分からない事柄が腰や足に纏わりつく】。
わっはっはーーー。この大笑いの意味が分かるか、分からないか?【これは牛の死体に草を食べさせているようなものだ】
もし、皆がこの纏わりつくモノを取り除けたならば、意味のない事の意味が分かるだろう【虫が木を齧った跡が思いがけず文字になるようだ】。
神社のお祭りのカラオケ大会で即興の歌を皆で歌い、手拍子の間にもリズムに乗って歌が出来ていくようなものだ【その歌に意味なんかないし、理解しようとなんて誰も思わないが、意味を考える事が無意味とも言えない】。

解説

今回の現代語訳には「正法眼蔵 深信因果の巻」を参照しました。尚、正法眼蔵では従容録ではなく無門関の百丈野狐をとり取り上げています。
野狐を直訳せずに因果に迷うというニュアンスにしました。
さて、まずは示衆ですが、因果の道理で間違った人はいますか?という問いかけになっています。
因果の道理というのが何かというと、これは「ある事象」は「原因」の結果であるということです。例えば、「風が吹いた」から「風車が回る」という道理です。これは明確です。この簡単な因果の道理を間違って見ている事はありますか?と言い本則にいきます。

本則では老人(狐)と百丈懐海禅師の問答になっています。
老人が大修行を実践する人は因果に落ちないと言ってしまうと、その「因果に落ちない」という言葉が原因で「修行僧が理解する」という結果を生んでしまう。因果に落ちないと言いながらも因果の道理にハマってしまっています。
この因果に落ちないという言葉の矛盾を解決する言葉を百丈懐海禅師に求めます。すると懐海禅師には「因果の道理がはっきりとしている」と返します。

なぜこの老人が「因果に落ちない」といったのか。それを考察します。大乗仏教では龍樹菩薩の中論の思想が基盤にあります。その中論の中で超意訳ですが、「因果関係が世界を構成しているわけではなく、因果関係は人間が思考する上で使用する道具のようなものある。」という文があります。なので、大修行底の中で因果関係による思考をしないのであれば、使用されない道具は道具ではなく存在しない事になります。因果を使用しない大修行の事を「因果に落ちない」と言ったのでしょう。
これは、ある行為がそのものの存在を現成させるという縁起の観点から正しいように見えます。縁起では「男が歩く」という表現が成立しません。「歩く」という行為が存在とセットなので、存在としては「歩いている男」であり、「歩く」と「男の存在」は切り離せないと言う事になります。
坐禅ではこの「○○する自己」の存在様式が「意味を持たせない」「何の為にも行わない」ことで解体されていきます。
するとあたかも因果関係がそこに無い(落ちない)かのように見えるのではないでしょうか。

ただ、道元禅師や頌にもあるように、一滴の水が波を作るように因果の道理は確かにあると言います。有るというか有るように見える。
つまり因果が無いのではなく、意味の無い因果の道理に意味づけをしているのが人間であり、その意味づけがそもそもの煩悩の元であると言う事です。

さて、皆さんは占いや予言を信じますか?実は私はこの占いや予言にアレルギーがあります。
この正泉寺の住職になり檀徒や信徒の葬儀を務めさせていただくようになると、以外にも信じてはいないが気にする人が多いことに驚きました。一番は暦です。カレンダーを見ると友引、仏滅、赤口などの六曜と呼ばれる暦が付いています。これは中国の道教の流れなので道教の信者以外は気にする必要もなさそうですが、友引に葬儀はしたくないという人が結構な数います。理由は簡単です。『なんとなく気になる』というものです。気にしなくてもいいよ、と言われても気になってしまう。
因みに私に占い予言等のアレルギーがあるのは父親と父方の祖父母の影響です。事あるごとに暦や方角を占っていました。驚いたのは今日は東の方に向かうと良くないから一回南に移動してから北東に向かうと言って職場に行ったときです。なんでも根拠が欲しかった私には理解できませんでした。まぁ、本人がそうしたいのならどうでもいいんですが。
問題はこれによって周りが振り回されることです。中学高校の時のことです。私が通っている仏教系中高一貫校はなんと私の父親と叔父が事務員と教員で働いていました。その学校で連続して不幸がありました。修学旅行中に教員が乗っていた車が事故に遭い1人が亡くなり3人が重傷を負いました。そしてその翌月には校長先生が会議中にくも膜下出血によって突然亡くなりました。たまたま不幸が続いただけのようですが、占いに凝っている父親と叔父は祖母の知り合いの霊媒師?のような方を勝手に学校に呼んで原因を調べてもらったと言います。その結果、霊媒師が理科実験教室の骸骨の呪いだと言います。呪いだといわれた生物の教員はどんな思いをしたのか。想像すると私もなんだか学校に居づらい気持ちになりました。幸いにも新しく就任した校長先生は「御祓いしたければ勝手にどうぞ」というスタンスだったので、霊媒師の御祓いが密かに行われたそうです。
高校3年生の時に校長先生と面談する機会がありました。家族とそこまで仲良くないみたいな話をすると、「あなたの家には狐が居るからな~」と校長先生が言いました。当時は何となく意味は分かりましたが、今思うと、校長先生は因果に落ちないと言って狐になった老人の事を重ねていたのだと思います。

そこに原因と結果という因果関係が本当にあったのかどうかは分かりません。信じればそうだろうし、信じなければ嘘なのでしょう。

ただ問題は自分の中で勝手に意味づけしていることだと分からずに、絶対の因果法則がそこにあると強く思い込んでしまう事でしょう。
どんな因果がそこにあるのか我々には分からないし、因果の道理は「風が吹いた」から「風車が回る」というごくごく当たり前で無意味なことです。そこに、この時間のこの向きの風は吉だ!とか風車の回り方が不気味だという意味付けや感想を勝手に持っているに過ぎません。意味が無い事を承知で意味づけしていかなければいけません。
なので因果に落ちないという語句も因果をはっきりと見るという語句も共に間違っていることになります。「落ちない」と言ってしまうと「因果」によって会話をしている以上矛盾しますし、「因果がはっきりとしている」と言っても結局分からない部分が絶対に残ってしまいます。
この本則も、狐に例えられたのであれば、最後は人間に生まれ変わってハッピーエンドで良かったでしょう。しかし、「不昧因果」では因果を言い得ていないし、永遠に言い当てる事が出来ないのでしょう。何故なら明確な原因も結果も分からないから。


最後に頌を見てみましょう。
「不落」だの「不昧」だのと議論している内は頑固な涎が止まらないとバッサリ切り捨てています。
そして次に急に大声で笑いだします。「この笑った意味が分かるか?」と言います。もちろん分かりません。そうなんです。分からないんです。分からないのに「因果がはっきりしている(不昧因果)」と言えるのか?笑ったという結果があるのに「因果に落ちない(不落因果)」と言えるのか?と聞いています。
この分からなさを、そのまま受け入れていけば、赤ちゃんが話す言葉にならない言葉のように放置できるだろう。と言います。
そうですよね、我々は赤ちゃんが話した「あ“―――」とか「ゔ―――」にどんな意味があるんだろうとは考えずにそのままに出来ます。
最後に祭りでのカラオケ大会で歌詞を忘れてもその場のノリだけで意味不明な歌詞で歌い切るようなものだと表現して終わっています。

ある臨床宗教師の僧侶から聞いたお話です。
30歳で脳性麻痺によって首から下が動かなくなってしまった患者さんと面談をしたそうです。その患者さんは首から上は動く為、ストローとパソコンのマウスを連動させて、オンラインの悩み相談を仕事にしているそうです。
ある面談の日に、患者さんからぽろっと「俺はな前世で悪い行いをしたからこんな体になっちまったんだ。だから、この人生ではなるべく良い事をして来世では健康な体で生きていけるように悩み相談をしてんだ。」と言ったそうです。
これは仏教では「悪しき業論」と呼ばれ否定されるものですが、その僧侶は否定も肯定も出来なかったそうです。
そして、次の面談の日に患者さんが「お坊さん、この前は前世とか来世とか言ったけど、前世来世を信じてるわけじゃないんだ。でも、この動かない体を見ると、そう思わないと納得が出来ないんだよ。なんの理由もなく理不尽に不条理に自分だけ体が動かなくなるなんて受け入れられないじゃないか。だから前世のせいだって思うようにしてんだ。」と言いました。
僧侶は前回の面談で否定も肯定もしなくて良かった、と思ったと同時に、「分からないこと」を受け入れる難しさと苦しさを痛感したそうです。

この百丈野狐の話はまさに、「わからない」という暗闇の中を生きていく仏道という道の難しさを示しているのでしょう。

第九則「南泉斬猫」

第九則 南泉斬猫(なんせんざんびょう)

衆に示して曰く:

滄海を踢翻(てきほん)すれば、大地塵(ちり)のごとくに飛ぶ。
白雲を喝散(かつさん)すれば、虚空粉のごとくに砕く。
厳に正令(しょうれい)を行ずるも、猶是半提(なおこれはんてい)。
大用(だいゆう)全く彰(あら)われば、如何が施設(せせつ)せん。

踢翻(てきほん)・・・足で蹴っ飛ばしてひっくり返す事。
喝散(かつさん)・・・ふーっと息を吐いて吹き飛ばす事。
半提・・・少しかいつまんで話す。
大用・・・僧侶の心もち。

現代語訳
海を蹴っ飛ばして大地が吹き飛ぶように、入道雲に息を吹きかけて太陽が顔を出すように、常識や正義を転換していく。
しかし、まだまだ半分しか実践できていない。では、完璧に実践できるようにはどうしたらよいか?考えてみなさい。

本則

挙す。
南泉一日、東西の両堂猫児(みょうじ)を争う【人、平らかにして語らず、水平らかにして流れず】。
南泉見て遂に提起して云く、「道ひ得ば即ち斬らじ」【誰か敢えて鋒に当たらん】。
衆、対(こた)うる無し【直に雨の頭に淋(そそ)ぐを待て】。
泉、猫児を斬却して両断と為す【刀を抜いて鞘に入らず】。
泉、復た前話を挙して趙州に問う【再来、半文に直(あた)らず】。
州、便ち草鞋を脱して頭上に戴いて出ず【好し一刀両断を与えるに】。
泉云く、「子(なんじ)若し在らば恰(あたか)も猫児を救い得ん」【心斜めなれば口の喎むことを覚えず】。

【】の中は本則のコメントです。
南泉・・・南泉普願禅師(748~834年)。馬祖道一禅師の弟子。
両堂…大きなお寺であったのでしょうか。お寺の西側の修行僧と東側の修行僧のこと。
提起・・奪い取って掲げる。
州・・・趙州従諗(じょうしゅうじゅうしん)(778~897年)。南泉普願禅師の弟子。

現代語訳
ある日、南泉禅師のお寺で東と西にあるお堂に住む修行僧たちが「猫に仏性は有るのか無いのか」と論争になっていた【人は不平不満が無ければ黙っているものだ】。
見かねた南泉禅師が猫を奪い取って、掲げて言った。
「この猫の仏性について、核心を突いた言葉が言える者はいるか?いなければ猫をこの刀で切ってしまうぞ!!」【これは答えられないだろう】。
修行僧達は誰も答えられなかった【グズグズしていると雨が降ってきて濡れちゃうぞ】。
答えられない修行僧を見て南泉禅師は刀で猫を一刀両断してしまった【いったん抜いた刀は簡単には鞘に戻せない】。
南泉禅師はこのことを弟子である趙州(じょうしゅう)に話した。そして、「趙州(じょうしゅう)であればどのように答える?」と聞いた【同じことを二度も問題にするのはセンスが無いな~】。
すると趙州(じょうしゅう)は履いていた草鞋を脱いで頭に乗せてどっか行ってしまった。
それを見た南泉禅師は「あーあー、あの場に趙州(じょうしゅう)が居たら猫を斬らずにすんだのに~」と言った。

頌に曰く。
両堂の雲水、尽く紛拏(ふんだ)す【理有れば、声高に在らず】。
王老師、能く正邪を験(こころ)む。利刀斬断して倶に像を亡ず【消得す、龍王多少の風】。
千古、人をして作家(さっけ)を愛せしむ【一人有って肯がわず】。
此の道未だ喪(ほろ)びず【死猫児頭何の用をか作すに堪えん】。
知音嘉(ちいんか)すべし【無しと道わじ、只是少し】。
山を鑿(うが)って海に透すことは唯(ひと)り大禹(たいう)を尊ぶ【功浪(みだ)りに施さず】。
石を錬って天を補うことは独り女媧(じょか)を賢とす【一を闕(か)いて不可なり】。
趙州老、生涯有り【手に信(まか)せて招じ来たって不是無し】、草鞋頭に戴いて些些に較(あた)れり【且く一半を信ず】。
異中来也(いちゅうらいや)還って明鑑【衲子謾じ難し】。
只だ箇の真金、沙に混ぜず【是真滅し難し】。

紛拏・・・紛は乱れるの意味。拏はつかみ取るの意味。入り乱れてつかみ合っているということ。
王老師・・・南泉普願禅師のこと。出家前は王という苗字だったそう。
作家・・・唐の時代の優れた文学者のことを作家といい、転じて心の働きが優れている人のこと。
知音・・・よく知っている人。ここでは趙州従諗(じょうしゅうじゅうしん)禅師のこと。
大禹・・・黄河の治水工事をした禹王のこと。実在したか不明の夏王朝の王様。
女媧(じょか)・・・中国の神話に登場する人類想像の女神。禹王と並べて、南泉普願禅師と趙州従諗禅師とを重ねて称えている。
生涯・・・その人の人生のテーマ。
些些に較(あた)れり・・・ちょっとは当たっているという意味。

現代語訳
修行僧達が猫を巡って取っ組み合いをしていた【自分が正しいと思っているから声が大きくなるのだ】。
南泉禅師は、この「私は正しい」という妄想を刀で一刀両断した。多くの人が称賛するだろう【しかし、私は猫を殺す事を認めない】。
南泉禅師が示した仏法はこれからも語り継がれるだろう【そうだが、猫の死体など何の役に立つのだ】。
趙州(じょうしゅう)も立派であった。治水工事をした禹王と天地を創造した女媧(じょか)のような二人だ【南泉か趙州どちらかが欠けてしまっては問答が成り立たないだろう】。
議論をしないという趙州(じょうしゅう)のやり方は大したものだ【草鞋を頭に乗せようが、違う行為で議論を降りようが同じ仏道である】。
砂金がいつまでも砂利に混じらないように、趙州(じょうしゅう)の仏法がはっきりとしているな。

解説

狐の次は猫の話です。
有名な話です。道元禅師も随聞記の中で取り上げており、「一刀両断せずに逃がせば良かったのに、斬らずに越したことはない」とコメントしています。
さて、結論から言うとこの話は「議論から降りろ」「白黒決めるな」ということです。仏性が何かとか、猫の存在とは何かという事は関係なく、ただただ言葉で言い合っても仕方ないことを示しています。
言葉が強くなるのは「自分が絶対に正しい」と思っているからです。
お釈迦様の遺言として知られる遺教経に不戯論(ふけろん)という教えが出てきます。出家者は議論をするなという事です。話し合いはしても良いが議論となると自分の正しさを持ち出して押し通す事になってしまう。
今の世の中を見ると、なんでもかんでも決めつけたがっているように見えます。まさに分断の世界です。戦争においても、移民問題においても、税金問題においても、話し合いをする時にお互いが正当性を主張すれば、その根拠を巡って永遠に応酬が続くでしょう。
政治においてもそうです。もし、万人が良いと思う政策であればとっくに実行されています。そうではなく、その政策で得する人損する人、賛成の人反対の人がそれぞれいるから決まらない。それを、自分の考え主張は正しいと思いながら議論の場、国会の場に立つと忽ち攻撃的になり戯論になります。

別に、私も皆さんも日常生活で他人と関わるときに国会で相対しているわけでも無く、生き死にを左右する議論をしているわけではないと思います。ここで、「決めない」という決断、「議論から降りる」という決断、「私は他人にとって正しくない」と決断する余地を持っていただきたいと思います。

第十則「台山婆子」

第十則 台山婆子(だいざんばす)

衆に示して曰く:

衆に示して曰く:
収有放有、干木(かんぼく)身に随う。
能殺能活(のうせつのうかつ)、権衡(けんこう)手に在り。
塵労魔外(じんろうまげ)、尽く指呼(しこ)に付す。
大地山河(だいちせんが)、皆戯具(けぐ)と成る。
且(すべか)らく道え是れ甚麼(なん)の境界ぞ。

干木・・・人形師が人形を自由自在に操る棒。人を活かし人を殺すことの出来る自由自在の棒の例え。
権衡(けんこう)・・・分銅で重さを測る竿秤のこと。自由自在に人の力量を測れるものの例え。

現代語訳
人を指導するとき、手取り足取り教えるか、放任主義的に任せるか自由自在である。
分銅を動かし天秤を平衡にするように、活かすも殺すも、自由自在である。
心を乱す原因(悪魔)も自由自在に調教出来る。
大地も山も河も全てが遊び道具のように自由自在である。
さてクイズです。この自由自在とはどんなことでしょうか?

本則

挙す。
台山の路上に一婆子有り【傍城庄屋道を夾む兎】。
凡そ僧有り台山の路什麼(いずれ)の処に向かって去ると問えば【一生行脚して去処(きょしょ)も也(また)知らず】、
婆云く、「驀直去(まくじきこ)」と【未だ好心に当らず】。
僧わずかに行く【賊に著(つ)くも也知らず】。
婆云く、「好箇の阿師(あし)又恁麼(いんも)にし去る」【汝、早く侯白】。
僧、趙州(じょうしゅう)に挙示す【人平らかにして語らず】。
州云く、「待て与(ため)に勘過(かんか)せん」【水平らかにして流れず】。
州、亦た前の如く問う【陥虎の機】。
来日に至って上堂云く、「我汝が為に婆子を勘破し了れり」【我、さらに侯黒】。

【】の中は本則のコメントです。
台山・・・中国の山の名前。文殊菩薩の霊場で僧侶が一度は行ってみたい山らしい。
傍城庄屋…城下町の片田舎。
驀直去(まくじきこ)・・真っすぐ進め。
阿師・・・お坊さん。あの僧侶。
勘過(かんか)・・・吟味する。調べる。
勘破・・・見抜いた。

現代語訳
文殊菩薩の霊場である台山は多くの僧侶が行く場所である。
台山に行く途中の茶屋に1人の老婆がいた。
お茶を出された僧侶は老婆に「台山にはどの道に行けばいいですか?」と尋ねた【行脚を繰り返しても自分の行先も知らないとは】。
すると老婆は「真っすぐ行きなさい」と言った【どうやら親切心ではなさそうだ】。
僧侶が言われた通りまっすぐ行くと老婆は「立派そうに見えたあの僧侶も真っすぐ行ったか~」とぼやいた。
それを聞いていた別の僧侶が事の顛末を趙州(じょうしゅう)禅師に報告した【この僧侶は相当怪しんだのだろう】。
すると趙州(じょうしゅう)は「よっしゃ!!私が行って、その老婆の事を確かめてこよう!」
趙州(じょうしゅう)は同じように老婆に道を聞いた。
後日、趙州(じょうしゅう)は「老婆の事を確認してきたから、もう大丈夫!!」と言った。

頌に曰く。
年老いて精と成る、謬(あやま)って伝えず【切に忌む人家の男女を魔魅することを】。
趙州(じょうしゅう)古仏、南泉に嗣ぐ【鎮州の端的大蘿蔔(すずしろ)を出だす】。
枯亀(こき)命を喪(うしな)うことは図象(ずしょう)に因る【霊鬼霊神返って羅網(らもう)に遭う】。
良駟(りょうし)追風も纏牽(てんけん)に累(わずらわ)さる【驟風驟雨も覊韁を免れず】。
勘破了老婆禅【幾箇の男児か是丈夫】。
説いて人前に向かえば銭に直(あた)らず【根の聖ならざるを知る】。

枯亀(こき)命を喪(うしな)うことは図象(ずしょう)に因る・・・昔の中国では亀を火であぶって割れた甲羅の模様で吉凶を占ったそう。亀かわいそ..

現代語訳
趙州(じょうしゅう)も年を重ねると熟練されてきますね~。流石、南泉禅師の仏法を継承した人だ!!【本場の大根は流石立派だ】。
亀は火であぶられ甲羅が割れるから殺されてしまう【立派な人も分別という網に絡まっては本領を発揮できない】。
速く走れる良馬も縄で繋がれては走れない。
趙州(じょうしゅう)は老婆の禅の心を見破ったと言ったが、この心を人前で説けば一銭の価値も無い【心配すること無い、としか言いようがない】。

解説

まずは示衆の「自由自在」の語句から見ていきます。自らに由りて自らが在ると書き下せます。仏教では縁起や諸行無常と言われる考え方です。我々は「ここにペンがある」「ここに私がいる」と存在の認識を五感によって感じています。しかし、縁起ではもって限定的に存在が現れると考えます。「ここにペンがある」ではなく、手に取りそれを使って紙に文字を書くという行為をした時に「ペンという存在」が浮かび上がると考えます。
文殊菩薩は維摩経というお経で維摩居士という人とこんな会話をしています。
文殊が維摩の家をお見舞いに訪ねた時のことです。
維摩「文殊さん、よくいらっしゃいました。今まで来たことが無かったのに(本当はある)」
文殊「はい、そうです。既に来た者はさらに来ることはありません。既に去った者はさらに去る事はありません。『来る人』という存在が改めて『来る』という属性を得る事はありませんから。」
維摩「その通りでしょう。」
文殊「ところで、維摩の家は何も無く空っぽですが、なぜでしょう?」
維摩「世界中の国土もまた空っぽです。」
文殊「何故、空っぽなのでしょうか?」
維摩「実体が無いという空の性質によって空っぽです。」
文殊「空の性質に、どんな空が備わっているのでしょうか?」
維摩「妄想分別しない自由自在の境地が空の性質です。」
文殊「空の性質を妄想分別することは可能でしょうか?」
維摩「分別し認識する対象も、分別する私(主体)も空なので、空の性質を分別する事はありません。」

さて、ここで何が言いたいかと言うと、存在を認識するのではなく、認識や行為が存在を決定づけると言いたいのでしょう。
来た者去る者という表現は、文殊菩薩という一貫した存在はなく、「家に来た文殊」という限定的な存在様式がそこにあり、来た文殊が改めて家に来ることは無い。「家に来た文殊」は家に来た瞬間の存在であり前後裁断されているということです。
そして、自由自在の境地とは部屋が空っぽかどうかは、その部屋を扱う人の行為によって如何様にも存在を決定づけられるといいうことです。よく諸行無常を物事が移り変わるという慣性の法則のように語る人がいますが、そうではなく物事の存在様式は自らの行為によって何者にでも変化する、そして自己の存在様式も同様に一貫した自己は無く、自らの行為に由って自らの存在が現れる。これが自由自在であるということです。
示衆ではこの自由自在の境地とはどのように感じる事ができるのか?という問いかけをしています。

本則ですが、示衆や頌だけでは何を言わんとしているのか分かりませんので、ここは臨済禅師(???~867年)の言葉を借りて解釈していきます。
臨済禅師「平凡な僧侶は台山に登って文殊菩薩に会いに行くという。この誤った風習は早く止めるべきである。文殊は台山にはいない。物事に対して勝手な境界線を引かない、前後裁断された存在様式を疑わないという実践こそが文殊菩薩を存在させるもだ。」
文殊菩薩の霊場である台山に行く途中というのがポイントかと考えます。文殊菩薩は維摩経や華厳経で主に「空」「智慧」について説いています。つまり、多くの修行僧は「文殊菩薩という存在を認識する」為に山に登っていたのでしょう。しかし、文殊は「自己の認識や行為によって存在する」のであって何処かの場所に初めから居るわけではない。
老婆は文殊菩薩が提示した空や智慧の実践の道を「真っすぐ行きなさい」と言っているのでしょう。そう言えばいいのに意地悪な老婆ですね。しかし、おそらく言葉で丁寧に説明されて納得できるものでもないでしょう。だからこそ、真っすぐ行っても台山にたどり着かないと知った時、気づける僧侶が居るかもしれないことに賭けたのかもしれません。
そして趙州が確かめに行こうと言ったのは、老婆が道の事について言ったのか、文殊の実践を真っすぐ進めと言ったのか調べようという意味でしょう。そして道は真っすぐでは無かったと分かったからこそ、老婆の意図を見破ったと報告をした。しかし、ここで事細かく老婆の意図を伝えなかったのは、老婆の賭けに趙州も乗ったのでしょう。安心して台山に行って同じような「真っすぐ進め」と言われて気づく修行僧が現れる事を。

頌についてです。
趙州の事を讃えまくっています。そして最後に、老婆の意図を言葉に出せば価値が無くなると締めくくっています。言葉に出せば、老婆の賭けの意味が無くなってしまうから。

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