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従容録の自己流解説「なぜ意味不明な禅問答が必要なのか」

さて、2025年で正泉寺坐禅会を初めて5年となります。夜の坐禅会の後に行う茶話会にて「禅語紹介シリーズ」「永平寺の聯と額」をテーマに話してきました。
参禅者の方々には申し訳ないのですが、夜の坐禅会は朝ほど頭が働かず難しいテーマについては避けていました。
しかし、正泉寺に来られる参禅者の方々も勉強熱心! 気合を入れて何かしらのテーマに挑もうと奮起しました。2025年初旬の坐禅会で「仏陀の原点的な教え」「中国の祖師方の公案」「道元禅師の提唱や言葉」のどれかをテーマにしていきたいとお話したところ、ある参禅者から禅問答について詳しく知りたいとの声が挙がりました。

そこで、禅問答つまりは「公案と呼ばれる問題提起」をテーマに行う事としました。我々の生きる意味、生まれた意味、死ぬ意味、自己の存在とは、なぜ生きづらいのか等々、問いかけに対して永遠に答えは出ないけれども、挑んでいく歴代の僧侶の姿をドラマチック?に読み解いていこうと思います。有名な公案の総括本は曹洞宗で使用される「従容録(しょうようろく)」臨済宗で使用される「無門関(むもんかん)」「碧巌録(へきがんろく)」の3つです。最初は曹洞宗の寺院らしく従容録を読み進めていきたいと思います。

まず、従容録(しょうようろく)の解説本の少なさ!!師匠から弟子へ口伝でされるという性質上、解説本が少ない事には納得していますが、それでも誰かしら本にしているだろうと思っていました。甘かった。
少なからずあるブログや本に目を通したが綿密な出家者目線の解説が無く、仏教を多少齧った程度の解釈でした。そもそも、公案(禅問答)に答えなどないのでしょうが。

参考文献が無い以上、私流で読み解いていくしかありません。そして、過去の公案と繋がっていたり登場人物が被る場合、読み返せるようにホームページのコラム機能を使い公開いたします。私自身も忘れない為に都度編集を加えながら書き足していきます。

まず、以下の点を読み解いていく為の軸とします。
1,自己の本質や自己そのものが単一で存在しない
  これは、自己の存在認識が二元論的に自分と他人の対比による言語化された虚構の概念であるから。

2,「悟り」や「真理」という言葉に根拠を持たない。
  仏陀は悟りについて具体的に経典で言及していない。あくまでも悟ったと言う経験談を語っているに過ぎないので「悟り」が何かを定義しない。

3,人権や道徳、倫理に関わる問題はそのまま読み進める。
  ジェンダー、身分、職業、暴力、身体的障害等は現代の感覚とかけ離れているが、あくまでも当時の感覚と捉え気を悪くせず受け止めていただきたい。

目次

従容録の紹介

まず、従容録とは中国の宋の時代に活躍した宏智正覚(わんししょうがく)禅師がまとめた「宏智禅師頌古百則」に対して、同時代の禅僧である万松行秀(ばんしょうぎょうしゅう)禅師がコメントや評価や禅問答の狙いを加えたものです。
中国の禅僧が著した本なので漢文で書かれているが、坐禅会では書き下しと解説のみとします。また従容録の現代語訳をする上で難しい語句は読み仮名と注釈を入れていきます。

第一則「世尊陞座」

第一則 世尊陞座(せそんしんぞ)

衆に示して曰く:

門を閉じて打睡(だすい)して上上の機を接す。
顧鑑(こかん)頻申(ひんしん)曲げて中下の為にす。
那(なん)ぞ曲碌木上(きょくろくもくじょう)、鬼眼晴(きがんぜい)を弄(ろう)するに堪えん。
箇の傍らに肯(うけが)わざる底あらば出で来たれ。也(ま)た伊(かれ)を怪しむことを得ず。

上上の機…優れた者。
顧鑑…左右を見る事。 頻申…師匠が弟子に指導する姿勢を表す。 
曲碌木上…曲がった木で出来た椅子。正確には寄りかかるもの。 
鬼眼晴…鬼のような目つき、気味の悪い様子、顔色を卑しく見る事。
伊…ここでは異論を唱える人を指している。

現代語訳
勝れた者を指導して仏道を歩ませるのは、眠っていても簡単に出来る。しかし、普通の人を仏道に入れさせるには様々な手段方法をとらなければならない。教壇に登って様々な言葉を語って仏道を理解させようとするのは見るに堪えない。私(万松行秀)はこのように考えるが、異論がある者は前に出よ。別に異論があっても変だとは思わない。

本則

挙す。
世尊、一日陞座(しんぞ)。【今日、便りを著けず。】文殊、白槌して云く、「諦観法王法、法王法如是。」【知らぬ佗は是何の心行じ。】世尊便ち下座。【別日に再び商量せん。】

【】の中は本則のコメントです。
世尊…仏陀のこと。 陞座…高いところに登り説法する事、現代だと学校の教壇。
白槌…カチッと音の出る木で出来た鳴らしもの。ここでは話始める合図に使っている。
諦観法王法、法王法如是…法王とは法を説く最上の人の意味で仏陀を表す。

現代語訳
ある日、仏陀が説法をする為、教壇に登り座った。【しかし、今日集まった大衆は明らかな仏法が理解でき無さそうだ】文殊菩薩がカチッと木を叩き「明らかな仏陀の法を観よ。仏陀の法はまさしく是の如くである」と言って何も仏陀が話していないのに説法を終わらせてしまった。【文殊菩薩はどのような心でこのように言ったのであろうか】仏陀は文殊菩薩の言葉を聞いて黙って教壇から降りていった。【他の日にまた説法を聞けるのだろうか。いや別の日など無いであろう。】

頌に曰く。
一段の真風見るや也麼(またなし)や。綿々として化母(けぼ)、機梭(きさ)を理(おさ)む。
古錦(こきん)を織り成して、春象(しゅんぞう)を含む。東君の漏泄(ろせつ)を奈何(いかん)ともすること無し。

化母…母は子を産むことから、万物の創造神。
機梭…織物をする機械。
東君の漏泄…東君は春の神さま。ここでは文殊菩薩の白槌。

現代語訳
皆さん、世尊陞座の真意がわかったであろうか。創造の神が縦糸と横糸から布を織るように物事を変化させる在りようは、春の景色のようだ。芽吹くから春なのか、春だから芽吹くのか。文殊菩薩の言葉は何とも言えない絶妙な働きがあった。

解説

禅問答と聞くと、言葉を交わしまくるのかと思いきや「世尊陞座」の話は文殊菩薩の一言のみで終わっています。

「悟り」を説明してくれると大衆が期待していたが、そもそも「悟り」とは「仏陀の体験」であり言葉で経験を正確に伝える事は出来ない。仮に同じ経験をしてみなさいと言われても、その経験で得られた実体験が仏陀と同じであるかどうかは仏陀自身にも経験者にも分からない。仏陀が証明してくれるわけでもなく、仏陀の悟りを明確に「これが悟りだ」と言ってくれるわけでもない。

永平寺に居た時に、ある大学教授にリンゴを出されて「このリンゴの味をリンゴを食べたこと無い人に言葉で説明せよ」と言われた。もちろん、正確に言葉では説明できない。この世尊陞座の話はこのリンゴの話とは全く違う。もしリンゴの話と同じであれば、悟りは経験で手に入れられるので言葉で説明できないという経験至上主義になってしまう。そうではなく、「○○が悟る」という認識構造がそもそも間違いなので、仏陀は座を降りたと考える。過去の経験によってではなく「今の行為によって仮に設定される悟りっぽいものがあるが認識は出来ない」くらいしか私であれば言えない。
(ちなみに、大学教授がリンゴと座禅について話し終わった後、永平寺の老師が「普段坐禅をしない人が坐禅について語るとは片腹痛いですね」とボソッと言ったのは内緒の話)

なぜこれが第一則なのかというと、言葉で言い得ない悟りをこれから何とか工夫を凝らし言語化していく姿勢を表しているのではないかと思います。第二則以降、仏陀以外の僧侶が如何にして仏陀の沈黙を言葉に出すのか。それが正解とか不正解ではなく、言葉で表すことに挑戦する姿勢が大事であるということでしょう。
テストの点数の順位だの、偏差値だの、営業成績だのに振り回されていると、いつしか問題には答えがあってしかるべきと思いがちです。仏教以外の宗教は特にそうでしょう。生きる意味、生まれてきた意味、自己の個性、生きがいに神や聖書という虚構の元、それが答えかのように指し示す。仏教は答えに挑むが正解を出す事を目的としないのです。答えを出そうとする姿勢そのものが証りであると言っても過言ではないでしょう。

第二則「達磨廓然」

第二則 達磨廓然(だるまかくねん)
この公案は短く纏められすぎているので、本則以外の武帝と達磨の会話を詳細に記す。

衆に示して曰く:

卞和(べんか)三たび献ず、未だ刑に遭うことを免れず。
夜光人に投ず、剣を按ぜざる鮮(な)し。
卒客(そっきゃく)に卒主(そっしゅ)無し。仮に宜しうして真に宜しからず。
羞珍異宝(しゅうちんいほう)、用うることを著(え)ず。
死猫児頭(しみょうにとう)、拈出す、看よ。

卞和(べんか)三たび献ず…卞和(べんか)という名前の人が、ある山の谷で宝玉を手に入れた。それを中国の王である霊王に献上した。しかし、霊王は宝玉は偽物であると言い、罰として卞和の足を切り落とした。霊王が退位し武王が即位すると、また卞和は武王に宝玉を献上した。しかし、武王も宝玉は偽物であると言い、罰として卞和の残りの足も切り落とした。武王が退位し文王が即位すると文王は宝玉は本物であると認め、卞和は宝玉を抱いて泣いた。この故事は韓非子に出てくる。
夜光人に投ず、剣を按ぜざる鮮(な)し…夜に光の玉が浮いていたら、多くの人は驚いて剣を抜くであろう。
卒客(そっきゃく)に卒主(そっしゅ)無し…突然の客には素早い対応が難しいという意味。
羞珍異宝…珍しい宝物をすすめる。
死猫児頭…死んだ猫の頭。何の価値も無いものを表すが、値段を付けられない宝玉の意味として用いられる。プライスレス。

現代語訳
ベンカという人が霊王・武王に宝玉を献上したが、見る目の無い王はベンカの両足を切った。夜、家来が主人の足元を照らそうと提灯を付けたら、主人は驚いて剣を抜き、家来から敵意があると怪しまれた。
これと同じで達磨は武帝に真の宝物を献上しようとしたが、武帝はそれが理解できなかった。また、達磨は夜の灯りを献上したが、武帝はそれが分からず剣を抜いた。
客である達磨を主人である武帝はしっかりと迎えられなかったのである。
武帝は理屈で仏道を考えるのみで、考えの及ばない仏道を学ぼうとはしない。
何が宝玉か分からないのであれば、死んだ猫の頭を目の前に持ってこようか。さあ、この猫の頭の価値は如何ほどであろうか。

本則

挙す。
梁の武帝、達磨大師に問う【清旦に起き来たって曽って市に利あらず】。「如何なるか是れ聖諦第一義」【且(しばら)く第二頭に向かって問え】。磨云く、「廓然無聖」【劈腹剜心】。帝云く、「朕に対する者は誰そ」【鼻孔裏に牙を認む】。磨云く、「不識」【脳後に腮を見る】。帝契はず【方木は円竅に入らず】。遂に江を渡って少林に至って面壁九年【家に滞貨無ければ富まず】。

【】の中は本則のコメントです。
梁の武帝…465年~549年の梁の初代皇帝。仏教を保護し、自らも袈裟をかけ、般若経の講義を行ったといわれる。
達磨大師…中国仏教の初祖。インドの香至国の第3皇子。インドより中国に来たとされるが詳細は不明、伝説的な存在となっている。中国語が理解できていたかも謎。
聖諦第一義…悟りの一番の核心。
廓然無聖…なんの仕切りもない状態。
劈腹剜心…腹をつんざき、心をえぐる。腹を割って話すの強烈バージョン。
脳後に腮を見る…あごの骨が出っ張っていて、後ろから見ても顎の輪郭が見える人。悪人の形相の例え。
方木は円竅に入らず…四角い木は丸い穴にはまらない。

現代語訳
3年間の歳月をかけて並々ならぬ決意を持ってインドから中国へ来た達磨大師。おそらく、人々に仏道を伝えるという大悲心のなせる行いであろうか。
達磨大師の船が梁の港に着くと、すぐに武帝の耳に入った。武帝はすぐに達磨大師を城に呼んだ。達磨大師が城を訪れたのは港に船が着いてからわずか1週間後のことである。
達磨大師と面会した武帝は質問した【達磨が早起きして市場に行っても、何も買えない】。
武帝「私は、即位してから沢山の寺を造り、お経を書き写して、得度式を行い沢山の僧侶を輩出した。この功徳はどれほどのものか?」
達磨「功徳は無い」
武帝「なぜ功徳がないのか?」
達磨「武帝の行いはあくまでも、人が行う作業であって、かえって煩悩を生む原因となる。影の形を作り出すような物で『有り』と言えるが『実』ではない。」
武帝「では、功徳とはなんだ?!」
達磨「智慧とは円のようなもので、全ての行為は自然と空になる。そのような功徳を求めようとする者はあまりいないだろう。」
武帝「では、悟りの1番重要なものはなんだ?」【1番があれば2番があるのだから、2番も質問しろよ。】
達磨「雲一つない空に遮るものがなにもない境地です。」【腹を割って話してくれた】
武帝「なにも無いと言うのであれば、目の前にいるお前は誰だ!!?」【鼻の穴に牙なんか生えていないのに、トンチンカンな質問をしたものだ】
達磨「識によって判断できるものではない。」【鋭い言葉だ】
武帝「わけわかんない」【丸い穴に四角い木を嵌めようとしても無理だ】
達磨は武帝とは心が通わないと思い、19日城に滞在した後に、揚子江を渡って魏の国へ行った。そこで少林寺に入り、9年間の坐禅生活を行った。【できる限りの言語化を試みたが、語り尽くしてしまった。もう語る事は出来ないだろう】


※正法眼蔵行持の巻を参照

頌に曰く。
廓然無聖、来機逕庭。得は鼻を犯すに非ずして斤を揮(ふる)い、失は頭を廻らさずして甑(そう)を堕す。寥寥(りょうりょう)として少林に冷坐し、黙々として正令(しょうれい)を全提す。秋清うして月霜林を転じ、河淡(あわ)うして斗夜柄(やへい)を垂(た)る。縄縄として衣鉢(えはつ)児孫に付す。此より人天薬病(やくへい)と成る。

来機逕庭…逕庭は、この場所とあの場所という意味。達磨と武帝がかけ離れていることを指す。
得は鼻を犯すに非ずして斤を揮(ふる)い…鼻先についた泥汚れを斧の一振りで取り去った故事。
失は頭を廻らさずして甑(そう)を堕す…甑は蒸籠(せいろう)のこと。ある僧が家に居候していた時の事、家主と歩いている際に僧が担いでいた蒸籠を落とした。しかし、家主は見向きもせず立ち去った。それを見た別の僧が「この家主は見込みがある」と思ったという故事。
斗夜柄(やへい)を垂(た)る…斗は北斗七星。柄杓の柄が垂れているように空にあるので、手が届きそうという意味。

現代語訳
達磨大師が「廓然無聖(隔たりが無い)」と言ったが、武帝と達磨の間は隔たりが大きすぎた。
鼻に着いた泥を斧で傷つけずに取るように、蒸籠を落としても咎めないという達磨大師の力量がある。
少林寺に行き坐禅をくみ、言葉に出さない達磨の家風を提示した。その家風は、秋の澄み渡った夜空に満月が出てきて、天の川が淡く見え、北斗七星が届きそうなくらいはっきり見えるようなものである。この家風が袈裟と応量器と共に弟子に伝えられてきた。
しかし、時がだんだん経つに従って薬が病気となってしまった。

解説

武帝が即位していた時の中国はシルクロードを通って経典だけが伝わってきていたようです。かの有名な三蔵法師達が長い長い道のりを歩き、経典を手に入れ、さらに中国語に翻訳してくれました。しかし、文字だけで伝わるのみに留まっていました。

ざっくりと達磨大師の意志を読み取っていきます(私の主観です)。
ある禅僧の言葉を借りれば、我々が日常で行っている人生ゲームを止めると言う事です。人間は成長するに従い、誰かに褒められたい、頭が良くなりたい、楽しい事がしたいと思い始め、次第に自分の人生を思い通りに進めようとします。より良い人生を歩みたい、その為により良い会社に入る、その為により良い大学に入る、その為に沢山勉強する。充実した人生を送りたい、その為に異性にモテたい、その為に着飾りたい、その為にお金を稼ぎたい、その為に割のいい仕事に就きたい。
それを人生ゲームであると言うわけです。人生ゲームを絶え間なく続ける我々人間はゲームを止められない自分に嫌気がさし、終りの見えないゲームに疲れ、思い通りにいかないゲームにイライラする。ゲームが上手くいっていれば良いでしょう。しかし、次第に老いて体は動かなくなり、社会で必要とされなくなり、病気でゲームを強制ストップさせられる。その時に、常にゲームに興じていた人は思うでしょう。何故私は存在しているのだろうと。何故ゲームをさせられているのだろうと。
これを言葉で伝えてもゲームに没頭している人には伝わらない。であれば武帝の元を去った達磨大師は責められないでしょう。

坐禅をして何になるのかと言われれば「なんにもならない」のである。何の為でもなく座りきる。そこに何かの為に座ると言ってしまうと、たちまちそれは人生ゲームになってしまう。
だから達磨大師は人生ゲームならぬ王様ゲームをしている武帝にゲームを止めよと伝えたかったのでしょう。
そもそも、「○○して何になる?」という問いかけをした時に、テレビが発明され何になるの、電球が発明されて何になるの、私が生れて何になるの、生きていて何になるのかと問われ、ゲームに参加する以前の生まれたての赤ん坊にとっては「なんにもならない」であろう。強制的に始まったゲームにおいてルールが変わっただけのことである。
もちろん、人生ゲームこそが生きがいであり生きる意味だと思えばそれで結構ですが、生きづらさを感じる時、そのゲームから降りるコツくらいは、この世にあってもいいでしょう。まぁ、そのコツ自身もゲームの一部かもしれませんが...

第三則「東印請祖」

第三則 東印請祖(とういんしょうそ)

衆に示して曰く:

劫前未兆(ごうぜんみちょう)の機、烏亀(うき)火に向かう。
教外別伝(きょうげべつでん)の一句、碓觜(たいし)に花を生ず。
且(しばら)く道(い)え。還って受持読誦(どくじゅ)の分有りや也(ま)た無しや。

劫前未兆…劫はものすごく長い時間。物事の分別がつく前の生まれたての時。
烏亀…目の見えない亀。
教外別伝…文字や言語の及ばない教え。
碓觜…碓は石臼。觜は端っこの意味。石臼の端っこの意味。

現代語訳
物事の分別が着く前の盲目の亀のような時は火が怖い物と認識できないので火に向かって行ってしまう。
文字や言語にたよらない教えがあり、まるで石臼の端っこに花が咲くように理屈では語れない教えです。
さあ、答えてみなさい。お経を読むことの意味を、無意味を。

本則

挙す。
東印度の国王、二十七祖般若多羅を請して斎す【往々に口債を償い去る】。
王問うて日く、「何ぞ看経せざる?」【功無うして禄を受くれば寝食安からず】。
祖云く、「貧道は入息陰界に居せず、出息衆縁に渉らず、常に如是経を転ずること百千万億巻」【上来の講讃、限り無き勝因】。

【】の中は本則のコメントです。
東印度…昔、インドは5個の国に分かれていた。その東の国。堅固国という名前であった。
般若多羅…バラモン階級出身の仏陀から数えて27代目の僧侶。菩提達磨大師の師匠。
口債…口の債務。僧侶が食事の供養を受ければ、貸しを作ったことになり、読経をもって返済する。
貧道…仏道が乏しいという意味。僧侶が自分の事を謙遜して言う時に用いる。拙僧と同じ。
陰界…五蘊のこと。色受想行識。
衆縁…自己と対象物との関わり方によって現れる存在。

現代語訳
東インドの国の国王が般若多羅和尚を食事の席に招いた【どの僧侶も食事を頂いたら口の債務を抱える事になり、読経するのが常識である】。
しかし、般若多羅和尚は読経しなかった。
国王が問う「なんで読経しないの?」【ただで食事を食べれば後ろめたくて安眠も出来ないし、食べた心地がしないだろう】。
般若多羅和尚が答えた「私の全ての行為がそのまま百千万億のお経です。お経を読むのではなく、教えを読むから「経典」という存在が現れるように、私の一挙手一投足がその行為によって言葉に出来ない仏法を現わしている」【この般若多羅和尚の示す教えは何物にも勝る仏法であろう】。

頌に曰く。
雲犀(うんさい)月を玩(もてあそ)んで燦として輝(ひかり)を含み【暗に一線を通ずれば文彩すでに彰(あら)わる】、木馬は春に遊んで駿(しゅん)にして覊(ほだ)されず【百花叢裏に過ぎて一葉身を沾(うるお)さず】。
眉底一双碧眼寒(すさ)まじ【曽て蚍蜉の隊を趁(お)わず】。看経(かんぎん)那(なん)ぞ牛皮を透るに到らん【過也】。
明白の心、曠劫(こうごう)を超え【威音前の一箭】、英雄の力、重囲を破る【両重の関を射透す】。
妙円の枢口(すうく)、霊機を転ず【何ぞ曽て動著せん】。寒山来時の路を忘却すれば【暫時も住せされば死人に如同す】、拾得(じっとく)相将(ひき)いて手を携えて帰る【須らく是当郷の人なるべし】。

雲犀…雲で出来た犀。木馬も同じく木で出来た馬の事であり常識外れの存在を現す。
眉底一双碧眼…二つの眉毛の下にある二つの目、碧眼は般若多羅和尚の目の意味。
蚍蜉…蟻🐜。
威音前…威音仏という仏陀の表現方法。妙法蓮華経に出てくる。
枢…物事の要の意味。
寒山…僧侶の名前。実在不明。
拾得…僧侶の名前。実在不明。
豊干(ぶかん)和尚の所に寒山(かんざん)と拾得(じゅっとく)という在家とも僧侶とも分からない髪がぼさぼさの2人が出入りしていた。ある時、村長が訪ねてきて「あの2人は誰だ?」と言った。豊干和尚は「あの2人は文殊菩薩と普賢菩薩だ」と言った。それを聞いた村長は早速2人の所に行き礼拝した。すると2人は「なんで礼拝してるのですか?」と尋ねると「文殊菩薩と普賢菩薩だからです」と言った。すると2人は「いやいや、それよりも豊干和尚は阿弥陀様だから、まずはあの方から礼拝した方がいいですよ」と言った。それを聞いた村長は急いで豊干和尚の元に行ったが、もう豊干和尚は居なかった。


現代語訳
犀のような形の雲が月の光に当たって輝き、自由に空を飛んでいる【暗闇に月光が一線に差し込めば綺麗な模様が浮かぶ】。馬のような木が春の季節に自由に遊んでいる【多くの花や草に付いた露にも触れることなく走るだろう】。
般若多羅和尚の眉毛の下の目は鋭く凄まじい【蟻は甘い香りに誘われて隊列を組んで進むが、本物の僧侶は名誉や利益、文字による概念を追うことは無い】。読経すれば厚い牛の皮に穴が開くくらいの勢いで文字を追ってしまい捉われてしまう【この文字を残してる時点で禅問答の著者も牛の皮を破っている】。
明暗などの二元論に捉われない心の状態は、時間の長短にも影響を及ぼさない【仏陀が居た時代の前から、対象物への行為を貫くことで対象物の存在が確定していく】。
英雄が二重三重の囲いを突破していくように【迷や悟、裏と表のような二元論を縁起により自己の行為が貫いている】、不思議な縁起の見方によって世界中の物事が現成している【何かが単一で存在していることは無い】。
寒山が来た道を忘れてしまえば、拾得が手を引いて2人仲良く帰っていくように、東インドの国王を般若多羅和尚が手を引いて導いたのであろう【ちょっとでも二元論に陥れば生と死という狭間に嵌まってしまう。しかし、手を引いて一緒に帰れるのであれば目指す道は同じなのであろう】。

解説「モリヌークス問題」

最初に「分別が着く前」、「盲目の亀が火に向かう」とある。
我々が、物事や現象を認識する時にある程度の訓練がいる。大人になると、無意識に視覚情報や聴覚情報を処理できるが実は生まれたての赤ん坊はそうではない。これはモリヌークス問題という実験で現代では証明されている。
モリヌークス問題とは、アイルランドの科学者であるウイリアム・モリヌーが友人に宛てた手紙に由来する。
モリヌーの妻が失明した。その時に、尊敬する友人の科学者にこのような手紙を送った。
「生まれつき盲目の人がいたとする。その人が手で触っただけで、その物質が球体か立方体か判断できるようになった。ある時、外科手術で目が見えるようになった。その時、かつて盲目だった人は視覚情報だけで球体や立方体を判断できるか?」
この手紙が送られたのは今から300年前のこと。症例が少ないことから長年未解決問題であったが、近年およその結論が出た(先天盲開眼者の視覚世界 鳥居 修晃,望月 登志子 (著))。
盲目患者は目が見えるようになっても、光の洪水が認識出来るだけで物の境界線は認識できなかった。ここに○○がある、と認識出来るようになるまで平均6ヶ月かかった。

つまり、物事の境界線は生活にどの程度必要かに応じて言語で固定化されて認識される。それを、赤ん坊の頃から訓練し、親や周りから言語を習い境界線に囲まれた領域を言語に結び付ける。これは「赤色」「青色」「黄色」というように。もし、色を概念化しなくても良い環境であれば境界線はいらない。平安時代は「紫色」「緑色」は存在しなかったそう。芝生が青いや青りんごが緑色なのに青と表現するのはこの為。また、とある部族は色の明暗のみの言語しかないという。
降水量が多い日本では、雨を表す単語が「梅雨、五月雨、秋雨、春雨、霧雨、小雨、小ぬか雨、氷雨、雷雨
来雨、降雨、俄雨、時雨、慈雨、好雨、涼雨、順雨、甘露」など多数ある。一方ロシアでは、雪の降り方を表す単語が多数ある。このように物質現象は物事の境界線を言語で固定化し、大人数で共有し初めて現実となる。

であれば、この境界線を引く訓練と言語の訓練を受ける前の我々は盲目の亀のように火を認識出来ずに火に突っ込んでいく事もあるであろう。

解説「衆に示して曰く」

まず、この禅問答を読むにあたり、二元論と縁起について大衆に示しています。二元論とは何かの対比で物事を認識するということです。「机がある」という時に、「机」と「机以外」という境界線を引き、「机」を認識している。そこに「机」の境界線を引く生活上の必要性があるから「つくえ」という言語で固定化している。もし、地球が全て陸地であれば、「陸」と「海」という境界線や言語は必要では無かったであろう。
縁起はそうではない、「私が机として扱う」から「机」が在ると考える。机として扱わない時は机ではない。「勉強する」という行為で「勉強机」が現れ、「食事をする」という行為で「食卓」が現れる。
このように、縁起は行為によって存在が現れるので、言語で固定化する必要は無い。この縁起によって自己の存在の仕方と他人による存在のさせられ方を伝えていく仏法は教外別伝であり、言語に表すと石臼に花が咲くような、意味不明な文言になってしまうという。
であれば、このお経を読むという行為も何を根拠にお経を読むのかと言えば、「私がお経を読む」のではなく「読むという行為」は「お経」を現わしている。そこに仏法が有るのか無いのかと言われれば、「読む」行為以外も仏法であると言うほかは無いのでしょう。

日本では、日蓮宗系や念仏系、華厳宗があります。
日蓮宗系は妙法蓮華経という経典を、念仏系は三部経という経典を読み、南無妙法蓮華経や南無阿弥陀仏を唱える。華厳宗は華厳経を読む。しかし、曹洞宗臨済宗黄檗宗という中国系の宗派は特定のお経は無い。そこに、「○○を認識する」のではなく「認識が○○を存在付ける」という縁起の理法から、文字による認識を用いないという徹底した姿勢があります。


般若多羅和尚の弟子が達磨大師ですが、達磨大師はこの話に出てくる東インドの国の第3皇子です。兄である第1皇子も第2皇子も般若多羅和尚の弟子になりました。なので、この国王は自分の息子を悉く出家させているということです。
第二則の達磨大師と武帝の話のように決裂していないことから、般若多羅和尚も国王も王子も目指す道は一緒なのだと分かりますね。

解説「本則と頌」

食事の供養を受けると、対価としてお経を読むというのが通例であったことに驚く。まさに、今の日本のお布施文化と同じであろうか。ここに、先祖供養とは書かれていないので、あくまでも「仏陀の教えを説く」ことを対価としているのであろうか。であれば現代の日本よりはマシかもしれない。

曹洞宗では特に典座と食事作法が重視される。道元禅師も役職別に心構えを記した「知事清規」とは別に台所の長である典座について「典座教訓」という長い書物を記した。そして食事をする作法を「赴粥飯法」を中国の「赴粥飯」を基に記している。調理から給仕、食器を広げる作法、食べ終りの作法まで事細かに決まっている。そこに自我意識の介入も無ければお経も無い。あるのは、「食材」と「供養をしてくれる人」と「共に食事をする僧侶」への敬意だけである。
そこに自我意識が介入し、好き嫌いや自分が食べたいペースや食べ方があると作法では無くなってしまう。そして、器や今座っている場所、食材、関わる人すべてに対して敬意が無ければそれは「業」を積み重ねる作業となってしまう。「業」ではなく「法」を実践する作法でなくてはならない。
その作法を実践するという行為がそのまま、仏法である。とすれば、般若多羅和尚の食事や歩き方までもがそのまま読経せずとも最上の仏法であろうか。

般若多羅和尚の弟子が達磨大師ですが、達磨大師はこの話に出てくる東インドの国の第3皇子です。兄である第1皇子も第2皇子も般若多羅和尚の弟子になりました。なので、この国王は自分の息子を悉く出家させているということです。
第二則の達磨大師と武帝の話のように決裂していないことから、般若多羅和尚も国王も王子も目指す道は一緒なのだと分かりますね。

第四則「世尊指地」

第四則 世尊指地(せそんしち)

衆に示して曰く:

一塵纔(わず)かに挙ぐれば大地全く収まる。
匹馬単槍(ひっばたんそう)、彊(きょう)を開き土を展ぶることは、便ち可なり。
処に随って主と作り、縁に遇うて宗に即する底、是甚麼人(なんびと)ぞ。

匹馬…一匹の馬。
単槍…一本の槍。
彊…国の境界線。

現代語訳
ホコリと土は扱う人の行為によってゴミにもなり、貴重な資源にもなる。価値判断を持たない時はホコリ一つを手に取ると、そこに大地全てが収まっている。
一匹の馬に乗り一本の槍を持って国土を広げても、「自分が国土として扱う」という行為によって国土の範囲が決まってくる。
自分の自由な行為をもって、存在の在り方を自由自在に見る事の出来る人とはどのような人か?

本則

挙す。
世尊、衆と行く次いで【他の脚跟に随って転ず】、手を以て地を指して云く、
「此の処宜しく梵刹を建つべし」【太歳頭上、土を動かすべからず】。
帝釈、一茎草(いっきょうそう)を将って地上に挿(さしはさ)んで云く、
「梵刹(ぼんせつ)を建つること已に竟(おわ)んぬ」【修造易からず】。
世尊微笑す【賞罰分明】。

【】の中は本則のコメントです。
梵刹…寺院。修行僧の修行する場所。
太歳…土地神。
帝釈…帝釈天。仏教の守護神。

現代語訳
ブッダが弟子と歩いていた時の事【一緒に歩いている弟子たちは、主人公になり切れていない】、地面を指してこう言った。
「おっ、この場所は修行するのにいい場所だなぁ~。よっしゃ、ここにお寺を建てよう!!」【土地神の手前、勝手に土を掘り返さない方が良いだろう】
すると帝釈天が、雑草の一つを摘まんで地面に刺して、言った。
「よっしゃ、これでお寺が建ちましたぞ!!」【この建立は簡単なようで簡単ではない】
それを見てブッダは微笑んだ【この微笑は褒美か罰則か。答えははっきりしている】。

頌に曰く。
百草頭上無辺の春【夾山猶在り】。手に信(まか)せて拈じ来って用い得て親し【荒田に入って揀(えら)ばず】。
丈六の金身(こんしん)功徳聚(くどくじゅ)【不審】。
等閑に手を携(たずさ)えて紅塵(こうじん)に入る【場に逢うて戯を作す】。
塵中(じんちゅう)能く主と作る【一朝権手に在り】。化外(けがい)自ら来賓す【令行の時を看取せよ】。
触処(そくしょ)生涯、分に随って足る【人より得ず】。
未だ嫌わず伎倆の人に如からざることを【面に慚ずる色無し】。

夾山…僧侶の名前。
丈六…一丈六尺。4.85m。仏像の標準的な高さ。

現代語訳
生い茂る草の上に春の風が吹けば、春でないところは無い【夾山が生きているようだ】。
草の一本を手に取ってみても、春でないものは無い【荒れた田の雑草も同じ】。
その草の扱う行為が自由自在であれば草という存在の在り方も自由自在であり、草も寺院に成り得る。
草一本も功徳の集まった仏像のようである【仏像の機嫌はいかがであろうか】。
ブッダが弟子たちと手を取り合って俗世間で法を説く【その場に応じた説法がある】。
俗世間の中でブッダが主となる【主人公ならば衆生を活かすも殺すも自由自在である】。
帝釈天のような、他宗教の神もブッダの教えを聞きに来る【ブッダと帝釈天の心の一致をよく見るべし】。
あくまでも、自己の存在も自己の行為によって存在が確立する【他人から押し付けられるものではない】。
他人から承認されないからといって不足に思うことは無い【少しも恥じでは無い】。

解説

最初の示衆では、二元論ではなく縁起での物事の見方を示している。ホコリが大地であるというのは、物の存在とは扱う人次第であり、人が対象物をどのように扱うかで存在が確立する。ホコリをどのように扱うか、大地をどのように扱うか、そこに対象物への行為が存在しない時にホコリの存在も大地の存在も無い。逆に平等に扱えばホコリも大地も同じ存在である。
ホコリは「邪魔だと思い掃除をする」という行為によってゴミという価値判断になる。土は「境界線を引き、国土として自由に扱う」という行為から重要な資源という価値判断になる。ホコリを奪い合い戦争は起きないが国土を巡って戦争は頻繁に起こる。

そして、扱う行為の幅によっても存在の幅が変わってくる。

本則では、お寺を建てよう、というブッダの言葉がある。寺院というと現代ではお墓があり先祖供養の場所である。しかし、仏教は先祖供養の宗教でもなくお墓を祀る宗教でもない。
では、どのような場所かと言われれば、修行僧が心を定め、心の養い、生や死への問いかけに挑み続ける場であろうか。そのような場所を「ここに作ろう」と言うのであれば、建物というよりも、修行の中心的な場を設けようということであろうか。
そして、その場を作るのは立派な仏像や屋根付きの建物ではなく、その場を修行場所として扱うブッダと弟子の行為であろう。
昔、師匠が葬儀や法事を「拝み屋の仕事」と言っていた事に衝撃を受けた。師匠は葬儀や法事はあくまでも『死』を受け止める仕事という位置付けだったのだろうか。出家者が行う行為ではないと思っていたのか。私も葬儀をして対価の如くお布施を受け取ることに抵抗がある。
葬儀や法事のみ行い、それ以外は住職とその家族と俗人と同じ生活をしているのであれば、住職が住んでいる場所は寺院ではなくハリボテである。そこに寺院を寺院たらしめる行為が無いからである。
帝釈天が一本の草を刺しただけで寺院が建ったという意味は、帝釈天が草を本尊として扱い、修行する行為をもってその土地を扱うことで寺院という存在が確立したことを示す。

帝釈天の登場の意味はおそらく、バラモン教の神がブッダを手伝う事で仏教の優位性を主張したい著者の意図であろうか。

頌に示して曰く、では草と春の例えが出てくる。冬が終わり春が来ると草が芽吹く。その時に、草が芽吹くから春が来たのか、春が来たから草が芽吹いたのか。そのどちらでもなく、私が草を草として扱い、春を春として扱うからこそ草が芽吹き、春が来る。私に関係なく草も春も存在しない。その行為が及ぶ範囲においては、どこをとっても草であり春である。
そして、自己と対象物との関係性だけでなく、『自己』と『自己の行為』にも言及する。『私は几帳面である』『私は男性である』『私は教員である』という自己の属性や個性を認識するときに、他人からの承認は意味を成さないということである。

自分らしさ、個性、強み、長所などは所詮、他人と比較し、他人から承認されないと感じる事ができない。しかし、縁起ではそうではない。自己とは自己がどのような行為を今していて、その行為で自己がどのような存在を現しているか。それだけである。
野球選手が野球選手であることを根拠づけるのは、周りから野球選手であると認識されるかどうかでもなく、自分が野球選手であると宣言するかどうかでもなく、『野球を今プレイする』ことである。今野球をしておらず、他人の野球に口出ししているなら野球評論家として存在しているだろうし、野球人生の自伝を書いているのであれば作家として存在している。
それ以外の自己の在り方は錯覚であるので、他人から褒められなくても、認められなくても恥じる必要はない。

第五則「青原米価」

第五則 青原米価(せいげんべいか)

衆に示して曰く:

闍提(しゃだい)、肉を割きて親に供ずるも、孝子の伝に入らず。
調達(ちょうだつ)、山を推して仏を圧するも、豈に忽雷(こつらい)の鳴るを怕(おそ)れんや。
荊棘林(けいきょくりん)を過得し、栴檀林(せんだんりん)を斫倒(しゃくとう)して、
直きに年窮歳尽(ねんきゅうさいじん)を待って、旧(ふる)きに依って孟春(もうしゅん)猶(な)お寒し。
仏の法身、甚麼(なん)の処にか在る。

闍提…人の名前。戦争に敗れて両親を伴って逃げる途中、食べるものが無くなって餓死しそうになった。その時、闍提は自分の肉を切り取って両親に食べさせた。最上の親孝行の話。
調達…提婆達多(だいばだった)というブッダの従弟。ブッダと対立し、教団を抜ける。その後、ブッダを殺そうと山の上から岩を落とすが、ブッダには当たらずに砕けた岩の破片のみがブッダに当たり小指を怪我した。
忽雷…罪を犯すと雷が落ちて身が引き裂かれるという意味。
荊棘林…荊の林。
栴檀林…良い香りのする木の林。
年窮歳尽…大晦日。
孟春…元旦。

現代語訳
飢えた親に自分の肉を削ぎ落し食べさせた人も最上の「善」であるとは言えない。
ブッダを殺そうとして怪我をさせた人も一番の「悪」とは言えない。
多くの苦難を乗り越えても「善」とは言えないし、他人に迷惑をかけても「悪」とは言えない。
大晦日の寒さも、元旦の寒さも同じであるが、人はそこに本来無いはずの境界線を引いている。では善悪の境界線はどこにあるのか。

本則

挙す。
僧青原に問う。
「如何なるか是れ仏法の大意?【小官は多く律を念う】」。
原云く。
「盧陵(ろりょう)の米、作麼の価ぞ【老将は兵を論ぜず】」。

青原…青原山(せいげんざん)で修行する行思(ぎょうし)禅師のこと。
盧陵…米の産地であり、青原山の近く。

現代語訳
ある僧侶が、青原行思禅師に質問した。
「ざっくりと仏の教えを説明してください【横着するなよ、頭の固い人だ】。」
青原行思禅師が答えた。
「町では今、米の価格はどれくらいかのう?【熟練した将軍は、どのような兵を扱うかは気にせず、自身の軍略によって戦う】」

頌に曰く。
太平の治業に象(かたち)無し【旄頭星現るるや也(また)未だしや】。野老の家風至淳なり【争でか如かん我が這裏、田を種(う)え飯を搏(まろ)めて喫せんには】。
只管に村歌社飲す【窮鬼子快活不徹なり】。那ぞ舜徳堯仁を知らん【始めて忠考を成す】。

旄頭星…星の名前。明るいときは平和で暗いときは国が乱れるという。
至淳…至極純朴の意味。少しも身を飾ることも、心を偽ることもない様子。田んぼを耕す村の老人の純朴な様子。
田を種え飯を搏めて…従容録十二則「地蔵種田」にもある言葉。昔インドでは箸やスプーンが無く、ご飯を食べる時は手で丸く団子状にして口に運んでいた。このことを飯を搏めるという。
村歌社飲…村の宴会。平和な様子。
窮鬼子…貧乏人。
舜徳堯仁…かつての優秀な皇帝達のこと。

平和な世の中には、そもそも平和という概念が無い【平和が国を乱すということもある】。
田んぼを耕す老人は今平和かどうかなど考えてもいない【ただ種を植えご飯を食べるのみ】。
村で宴会をして歌を歌い酒を飲んでいる時に平和かどうかなど考えていない【貧乏人も満足している】

平和という概念が無いので、かつての優秀な皇帝のことも忘れている【これこそ真の忠義である】。
平和を考えないように、仏法や悟りを考えない時に初めて仏法に触れることが出来る。

解説

どんな親孝行もどんな犯罪も善悪を決めているのは、あくまでも二元論に捉われている人間である。猫が可愛く鳴いても善悪は無く、ライオンが狩りをして動物を殺すことに善悪が無い。そこには、善を善として扱う人間の行いがあり、悪を悪として扱う行為だけがある。
別に善悪を決めるなとか、持つなということではない。あくまでも、境界線を引いて判断しているのは自分であるということである。絶対的な善や、無条件の悪は存在しない。ある国、ある民族、ある条件下でその善悪の境界線が決まる。
であれば、「仏法」と「仏法以外のもの」を分けて概念化するのも自分に他ならない。であれば他人に仏法の大意を聞く時点で、仏法と仏法以外の境界線が無条件であるはずだと勘違いしているからに他ならない。
なので、「米の価値はどれくらいだ」と買い手に主体性に任せた価値を持ち出した。その値段はあくまでも売り手と買い手の条件によって変わってくる。
かつて、青果市場で働いていた私には馴染みのある話です。

頌に平和についての文言がある。私からすると今の日本は平和です。平和すぎる。戦争も無い、絶対的貧困も無い、医療も充実している。もちろん、戦争は無くても殺人事件はあるし、相対的貧困もある、医者が手を尽くしても亡くなる事もあり、災害も頻発している。しかし、いつ平和が訪れるかと言えば、人々の不平不満が亡くなった時である。そんな時は永遠に来ないであろう。
平和なはずなのに、税金が高いだの、有名人の不祥事が許せないだの、ネガティブなニュースで溢れかえっている。
結局、平和も非平和を知っている世代が過去と比較して感じる事しかできない。であれば、常にハイスピードで人間の欲望を満たす国でしか平和は訪れない。
生存本能として危険やネガティブを察知しやすい人間はどんなに発展しても満足することはないだろう。出家者や仏教徒はこの永遠に来ない平和を求めるゲームから降りる事を目指してほしいものである。

広島県の僧侶からこんな話を聞いた。
「近所の農家の方々がいつもお米や野菜を持ってきてくれるので、米と野菜を買ったことが無い。農家のおじいちゃんおばあちゃんを見てるといつも余計な事を考えずに、只生きているように見える。そこに、自分の生きがいや、幸せや平和という事がそもそも頭に無いようである。農家が相手にしているのは自然である。思い通りに行かなくて当たり前の世界で生き、常に自分に出来る最大限の事をコツコツとしていくだけで。そこに仏法の大意を見た気がした。」
良い大学に行かなくても、お金を稼げなくても、自己実現出来なくても、平和や幸せは意外と近くに在るものであろうか。

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