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坐禅仲間


正泉寺には可愛い坐禅仲間がいます。
カプセルトイの「座禅」シリーズの動物たちです。(像は「合掌」シリーズ)


2年前、時間つぶしに商業施設をうろうろしていたところ、
ガチャガチャコーナーで偶然見つけ、つい回してしまいました。
すると、一匹もかぶることなくコンプリート!運命的な出会いでした。


そして、先日「其の二」を見つけました。
今回はかぶらずコンプリート!とまではいきませんでしたが、
住職の引きの強さで、無事に全員揃いました♪


せっかくですので、彼らに協力してもらい、
曹洞宗の坐禅の特徴について、少しお話したいと思います。

目次

警策

このカプセルトイの説明書には「警策(けいさく)」と仮名がふられていました。
臨済宗の座禅を参考に作られたのかもしれません。曹洞宗では「警策(きょうさく)」と呼びます。

警策を受ける時は象のように合掌をします。自ら警策を受けたい場合は、合掌にて待ちます。また、警策を持ちながら歩く僧侶(マンドリル・プレーリードッグ)が右肩をポンと警策で叩くと、合掌をして警策を受けます。

坐禅と聞くと、警策でバシッと叩かれるイメージが強い方もいると思います。しかし、警策の歴史は意外と浅く、日本では江戸の中期に中国より持ち込まれました。中国でも700年前宋の時代に臨済宗・栄西禅師や曹洞宗・道元禅師が修行した際は無かったようなので宋代以降に流行したと考えられます。
江戸時代に警策を日本に伝えたのは黄檗宗の隠元禅師です。インゲン豆や木魚、タケノコ(孟宗竹)を広めたことでも有名な禅僧です。

臨済宗や曹洞宗で警策の叩き方は異なりますが、基本的にはバシッィィィィィィという音を鳴らし散漫になっている思考や意識を専一に戻すことを目的としています。なので、本来は痛くないはずなのですが・・・。叩くのが下手な人が叩くととっても痛い(´;ω;`)。因みに、私は永平寺修行時代、下手すぎてボグッという鈍い音が出て、叩かれた修行僧は悶えていました。申し訳ない・・・。

ただ私個人としては、本当に自らの意志で坐禅を組みに来た方であれば、あえて警策を用いる必要はないと考えます。本当に道心があれば、自らが思量によって非思量に気付いていくと思います。

面壁(めんぺき)

曹洞宗の坐禅は壁に向かって座る面壁坐禅を行います。これは達磨大師が少林寺というお寺の洞窟で壁に向かい坐禅を組んでいたという言い伝えからだそうです。しかし、実はこの達磨大師の面壁は嘘です。正確にいうと壁に向かっていたかどうかは分かっていません。
達磨大師が坐禅をしているのを見た人々が、心を定め全く動かずに坐禅をする達磨大師を見て「壁観婆羅門(へきかんばらもん)」と呼びました。婆羅門とは僧侶のことです。日本人が読むと「壁を見ている僧侶」となりますが、実は中国語では「観」は「~~のように」という意味もあるので、正確には「壁のように動かずに座っている僧侶」が
正しい訳になります。漢文に詳しい人であれば分かるかと思いますが「壁を見る」を訳すと壁観ではなく「看壁」となります。
これが、いつしか面壁という言葉となり日本にも伝わりました。中国に留学していた道元禅師ももちろん中国語を勉強していましたから読み間違えて指導したわけはではないと思います。実際、曹洞宗でも住持(修行道場の長)と首座(修行僧のリーダー)など数人の役職の方は面壁をしません。

木版(もっぱん)

動物たちの後ろに映っている木版(もっぱん)という鳴らしもの。これはパコッという音がでます。とてもよく響き永平寺にような大きな寺院では各建物に木版があり、伝言ゲームのように建物ごとに順番に鳴らしながら山内の状況や今から行われる修行内容が伝えられます。正泉寺は小さいので1つだけです。

因みに木版に書かれている文字は「生死事大 無常迅速 各宜醒覚 慎勿放逸」です。生死の問題は大きな事柄である、時が流れるのは速い、各々、しっかりと覚醒して生きていきなさい、身と口と心を慎みながら散漫で身勝手な行いと思考を止めなさい。という意味です。

生死は二元論的な思考で「生」と「死」を扱うかどうかという問いかけと、自身の限られた生命をどのように自己が扱うかという問いかけでしょうか。いつか正法眼蔵「生死の巻」を提唱させていただきたいと思いますので、その時に詳しく・・・。

無常迅速の文字を観るといつも、「あぁまた今日も無駄な時間を過ごしてしまった」と反省させられます。いつしか大本山永平寺で「人間は皆、常に命がけ。気づいてないだけで一瞬一瞬が命がけ」と言われました。まさに、この瞬間にちょっとずつ年を重ね、死に向かっていきます。その命を燃やす時間をいたずらに過ごしてはいけないと思う時が往々にしてあります。
しかし、怠惰欲というのは恐ろしいもので、気づくとゴロゴロと怠けていたり、読もうと思って買った本が全く手を付けられずに積みあがっていく事があります。
こんな時、私に反省を促してくれるのは共に座禅をしてくれる参禅者や、共に勉強会を開いてくれる僧侶の方々です。その恩に報いる為にも、この木版の文字を常に掲げていく必要があるのでしょう。

法界定印(ほっかいじょういん)

坐禅の際、手は法界定印という形を組みます。指の第二関節くらいまでを左手が上になるように重ねます。親指をつくかつかないかくらいの力で付けます。これが法界定印です。
気合を入れすぎると肩と親指に力が入り、法界定印がタマネギのような形になります。逆に眠たくなったり、考え事をしていると親指が離れていきます。そうすると警策でバシッとされてしまうかも・・・。

この3匹は法界定印が綺麗ですね。

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