謹んで新年のご挨拶を申し上げます
令和6年の除夜の鐘は500名以上の方が、
正泉寺にご参拝くださいました。ありがとうございました。
旧年中は皆様に様々な形でお力添えをいただき、
無事に新しい年を迎えることができました。感謝申し上げます。
本年もよろしくお願い申し上げます。
目次
- ○ 住職よりご挨拶
住職よりご挨拶
昨年は、元日早々に能登半島地震が発生いたしました。
被災された方々、また、被災地にご家族やご友人をお持ちの方々に
心からのお悔やみとお見舞いを申し上げます。
仏陀が生きた時代も道元禅師が生きた時代も、
災害と戦争が絶えない時代でした。
どの時代、どの場所、どの環境に置かれても、
人々の怒り、悩み、焦り、恥、悲しみ、絶望は付きまとってくるものです。
先日、社会科見学に来た相原小学校の児童から多くの質問を受けました。
その質問の最初は「お寺はなんのためにできたんですか?」でした。
とても、素朴かつ核心をついた質問です。
おそらく多くの大人たちは、「寺」とは葬儀や法事の場であり、
お墓がある場所であり、先祖供養の場所であると感じているでしょう。
しかし、仏陀が最初に修行した祇園精舎は、
葬儀も法事もお墓も先祖供養もありませんでした。
そこにあるのは、お寺に居る人々が、心を揺さぶられず、
心安らかに生きていくための実践をする場所のみでした。
そして、生まれや性別に関係なく、心が常に安らかに定まっている人達を僧侶と呼びました。
法事や墓地、先祖供養としての役割を否定はしませんし、
現代の僧侶として受け止めていかなければならないと思います。
しかし、今一度「寺」の意味と在り方を皆様と一緒に問い直して、
2025年の一年間を過ごしたいと思います。
皆様の今年一年の「安心」と震災復興、世界の平和を祈念し、ご挨拶とさせていただきます。
正泉寺住職 素堂良峻 合掌