2024.9.22~秋彼岸会法要~
令和6年9月22日(日)
秋の彼岸会法要を修行いたしました。
雨の中、約140名の方にご参列いただきました。
また、今回の法話は、住職より「関わり方」についてお話をいたしました。
皆様ご参列、お疲れ様でした。ありがとうございました。
目次
~法話~「関わり方」
お参りありがとうございます。
今日のお話は「関わり方」についてです。
家族や大切な方を亡くすと、哀しさ、寂しさ、時には後悔にさいなまれます。
皆様の中にも、そのようなせつなさを感じて過ごして来た方もいると思います。
なぜ我々は大切な方を亡くすと切なく苦しいのか。
もっと話がしたかった、旅行に行きたかった、日常の何気ない日々を過ごしたかった。
そこには、大切な方の存在を感じられない切なさ・苦しさがあります。
道元禅師は「全てのモノの存在は、自分の行為によって決定する」と示されています。
それは、他者の存在も同様です。
自分が他者にどのように関わるかでその方の存在が現れてくる。
生きているか亡くなっているかは関係がない。
他者の存在は自分の行いが決定づけていると説いています。
今から8年前、私は鹿児島県のお寺で修行していました。場所は姶良市。
目の前に桜島が見え、風向きによっては火山灰が降る地域。
そんな自然豊かな場所の小高い丘の上にあるお寺でした。
そのお寺に来た時に予定表を見ると、必ず毎月20日に法事が入っていることに気が付きました。
先輩のお坊さんに聞いたところ、テルさんという方の亡くなった娘さんの月命日ということでした。
今では、テルさんも特に予約することなく、20日の10時になるとお寺に来て法事することが恒例になっているそうです。
私がお寺にきて初めて迎える20日の法事の日。10時少し前にテルさんが本堂にいらっしゃいました。
おおよそ80歳くらいのニコニコと笑顔の素敵な女性の方でした。
「こんにちは、初めまして先日からこのお寺で修行させていただいています」と挨拶をすると、
テルさんはお寺の参道の坂を上がってきたためか少し息切れをしながら
「あら、初めまして。今日はよろしくね。娘の月命日なのよ。」と明るく返してくれました。
そして法事が始まり、ご焼香のご案内をしました。
テルさんが香炉の前に進み封筒を横に置きました。そして丁寧に合掌しご焼香をされ席に戻られました。
法要が終わった後に、「本日はお疲れ様でした。」と言うと「ありがとうございました。香炉の横に置いた封筒はね娘へのお小遣いなの。3000円しか入ってなんだけどね。そのままご本尊様に供えてね。」と言いました。
「はい。お供えさせていただきます。娘さんはおいくつだったんですか。」と聞くと「34歳だったの。元気な時は、イタリアで通訳の仕事をしててね。日本に帰ってきた時はいつも、お土産を買ってきてくれてね。またこれで美味しいお土産買ってきてねって、お小遣いを渡していたのよ。」と教えてくれました。
とても、仲が良い母娘であり、優しいお母さんなんだな、と感動すると同時に、
その仲の良い娘さんを亡くされ、辛い思をされたのであろうと胸が締め付けられる思いでした。
それから4か月後の20日。その日は、10時になってもテルさんがお参りに来ません。
どうしたんだろう、体調を崩したのかなと心配していると、10時半になりテルさんがお寺に来ました。
その時のテルさんのお姿を見て私は吃驚しました。なんとテルさん車いすに乗っていたのです。
しかも一人で車いすを漕いできたと言います。
お話を聞くと、家の階段で足を滑らせ足の骨を折ってしまったとのことでした。
医者から家で安静にと言われたが、どうしても月命日のお参りがしたくて自分で車いすを漕いできたそうです。
お寺の坂を頑張って登って来られたのでテルさんは汗をびっしょりかいていました。
そこからは私が車いすを押し、本堂へ案内し法事を行いました。
車いすを香炉の前まで押すとテルさんはいつものようにご焼香され、娘さんへのお小遣いである封筒を香炉の横に置きました。
帰りは家まで付き添いますと申し出て車いすを押しながら2人でお寺を出ました。
お寺を出てからすぐにテルさんが「今日はありがとね。ほんとは松葉づえでも良かったんだけど、また転びそうでね。大変だけど車いすを使ってみたの」と言いました。
「大変でしたね」と言うと、「大変だったけど、あ、娘にお小遣いあげなくちゃって思うと、なんとしてもいかなくちゃってなってね」と。
私は、車いすを押しながら、一生懸命に車いすを漕いで来たであろうテルさんの背中とその言葉で、
亡くなった娘さんの存在を強く感じました。
テルさんにここまで大変な思いさせてお寺に導いたのは誰であろうか、
テルさんのこのとてつもない原動力はどこからくるのか。
それは亡き娘さんの存在それ自体です。
もうこの世にないはずの娘さんの存在がとてつもない力を持っているのだと。
これほどの力を持って人を動かすのだと。
道元禅師の教え、「すべてのモノの存在は、自分の行為によって決定する。」
つまり、自分の関わり方によって、大切な方の存在が現れてくるのです。
テルさんの娘さんへの関わり方は毎月のお小遣いなのでしょう。
テルさんの暖かな関わり方に触れる事が出来ました。
これからも亡くなった方に対する切なさ・苦しさは尽きないと思います。
しかし、一番大切なのは、「今」亡くなった方と自分がどのように関わるかです。
形見の品を持つ
お墓や仏壇に手を合わせる
お写真に声を掛ける
もし、自分に苦しみを与える存在として現れているのであれば、いったん距離をおくのもよいでしょう。
そして、皆様一人ひとりが様々な思いを抱え、
今日こうして法要にご参列いただいたのも素晴らしい関わり方の一つです。
大切な方のために費やした時間、思い、行動、そのすべてが、その方を存在づける「関わり方」です。
ぜひこれからもその関わりを大切にしてください。