令和5年 涅槃会 ~3人の目隠し家来と象~
2月15日はお釈迦様の御命日です。御命日に毎年お寺では涅槃会(ねはんえ)という法要を行います。
実際にお釈迦様の正確な命日は分かっておらず、南方の仏教のお祭り「ウェーサーカ」の日、2月の満月に法要を行うようになりました。
今年は風が強く寒い中、30名を超える方々にご参列いただきました。
法話

今日は正義・正しさについての話をします。
本日お唱えしたお経はお釈迦様が亡くなるときに弟子たちへ「これだけは心にとめて生きていきなさい」と示された遺言が書かれています。その中の八個の教えの一つが「不忘念(ふもうねん)」という内容です。
この「不忘念」とは正しさとは何かを忘れるなという教えです。
では、仏教では何を基準に正しい正しくないを判断するのか。
もうすぐ、ウクライナとロシアの戦争も1年がたちます。はたしてロシアが正しいのかウクライナが正しいのか、マスクの着用が個人判断になります。着けるのが正しいのか外すのが正しいのか。
私たちの日常生活の中に正しい正しくないの判断が多く存在します。
仏陀は悟りへの正しい八つの道、八正道というものを説いています。正しい行動、正しい言葉、正しい心、と。しかし、逆に仏陀自身は私の言葉も行動も実は相手にとって正しくない、とも言っています。
自分にとっては正しいのに、相手にとっては正しくない。
自分の判断が正しいと思った時点でその判断は正しくないものになってしまう。というのが仏陀の教えです。
お経にこんなお話がります。
ある国の王様が旅の商人から象をプレゼントされました。その国には象がいなかったので、初めて象を見た王様は遠い国にはこんな生き物がいるのか、大変驚きました。そこで王様はある遊びを思いつきました。同じく象を見たことが無い家来を3人集め目隠しをさせました。そして目隠しをした状態で象に触らせ、象がどのような生き物か言い当てられたら褒美をとらすと言いました。
目隠しをした家来たちは各々恐る恐る象に触りに行きます。一人は象の足に触りました、一人は象のしっぽに触りました。一人は象の牙に触りました。そして、家来たちはそれぞれ、象を触って感じた意見を述べました。「象は柱のように太くて毛の生えていない生き物です」、「いえ、象は細長くて先がふさふさしている生き物です」、「いえ、象は固くて尖っている生き物です」
その言葉を聞いた家来たちは、他の人は褒美欲しさに出鱈目を言い自分を惑わせようとしていると思い喧嘩を始めました。「王様、象は確実に太い柱のような生き物でふさふさの毛も生えていなければ、固く尖ってもいないです。私の言葉が正しいです。」「いやいや、確かに象は細長くふさふさした毛が生えていました。太くもなければ尖ってもいないです。私が正しい。」「いやいや、絶対、象は固く尖った生き物です。他の二人は褒美欲しさに私を惑わそうと嘘を言っています。」と王様に訴えかけました。
これが我々が日常で感じている正しさです。「これは常識だ」、「これは一般論だ」、「これは当たり前だ」と、物事を判断し、自分こそが絶対正しいと思い込む。そして私は正しいのだから相手が間違っており、相手も正しくあるべきだと思ってしまいます。
その「私は正しい」「私の考えは正しい」という思いは、本当に正しいのか。
人と人とが関わる時、必ず見解の違いが出てきます。「これはどう考えても自分のほうが正しい」「いや、一般常識で考えてそれはおかしいだろ」と思う事があります。
しかし、その「どう考えても」というのは、自分の頭で考えている以上、どうしたって「自分の考え」でしかありません。「一般常識で考えれば」というのも、自分の知識と経験からはじき出した常識で考えているわけですから、立場も経験も知識も違う人とは「常識」が異なる事もあるでしょう。「自分の常識」は1億2000万分の一人の常識であり、日本人全員に通用しないかもしれません。
つまり仏陀が説く正義、正しさとは、「正しいと判断しないこと」です。
三人の家来たちは、相手の意見や自分の意見を正しい正しくないで判断せず、意見を持ち寄れば少しだけ正解に近づけたかもしれません。でも、持ち寄った意見で出た結論も正しくはないです。触っただけでは、象の背中の広さも、目の位置も、色も鳴き声も分かりません。
自分が正しい、正義だ、と判断したものは、どんなことをしても結局は自分だけのものになってしまうのです。
もし、仏陀が説く「正しい正しくないを判断しない」という正義を持って頂ければ、自分の正しさを押し付けようと誰かに怒ることも、相手の行動言葉思いを変えようと争う事も、無くなります。
しかし、正しい正しくないの判断をしなくても、日常生活では、常に判断をしていかなければなりません。では、仏陀が説く判断の方法とは何か。それはまた別の機会にお話をしたいと思います。
今日は仏陀の正義である、私は正しいという思いは正しくないという事をお持ち帰りください。
※今回の法話は人権問題を考慮し実際の寓話を編纂しております。