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令和4年 ~成道会~

12月8日、14時より成道会(じょうどうえ)を厳修いたしました。


 

気温も下がり、外に出るのが億劫になるこの頃。12月8日も寒くなりましたが、20名近い参列者の方が見えられました。

今年は、また新型コロナウイルスの流行があり法要後の豆乳粥は中止とさせていただきました。

 

法話 「コンブのように」




成道会とはお釈迦様がお悟りを開かれた事をたたえる法要です。

今から2500年前お釈迦様は出家し様々な修行ののち、行っていた修行に疑問を持ち12月1日より菩提樹の下で座禅を組み12月8日の明け方お悟りを開かれたと伝えられています。

「我と大地有情と、同時に成道す」

この言葉は、お釈迦さまがお悟りを開かれたときの言葉です。大地有情とは、自然環境、目に映る全てと自分が意識する現象全てです。お釈迦さまは、自分だけではなく、全てのいのち、そしていのちと一体となっている自然環境と共に悟りを開いた、とお示しになられたのです。これは、我々がこの世に生まれ今までに蓄えてきた知識によって物事を分別する心を取り去りありのままを見たとき全てが平等であったという事です。

我々は物事を分別する心によって様々な苦しみを生んでしまいます。その一つが劣等感、です。

劣等感 つまりコンプレックス

さて、コンプレックスが無いよという方いらっしゃいますしたら手を挙げてください。ゼロですね。

そうなんです。人間だれしもコンプレックスを持っている。

我々はついつい周りの人と自分を比べてしまい劣等感を感じてしまいます。自分よりお金を持っているあの人は自分より幸せである。自分より仕事で評価されているあの人は自分より偉いだろう。自分より友人が多いあの人は自分より素敵である。と

比較すれば比較する程上がいて落ち込んでしまう。でもこれが人間なんです。しかし、これではいつまでたってもコンプレックスを無くすことはできません。

ではどうすればよいのか。それは1500年前インドから中国に渡った達磨さんというお坊さんが示してくれています。

達磨さんが中国へ着くと、インドから偉いお坊さんが素晴らしい教えを伝えに来てくれた。と噂が広まり王様からお城に呼ばれます。そして達磨さんは勉強熱心な王様に質問をされます。私は今まで沢山のお寺を作り写経をし僧侶を増やしてきたがその功徳はどのくらいだ。達磨さんは答えました「功徳はありません」。では仏教において一番尊い物とはなんだ?達磨さんは答えます。「仏教に一番尊いものなんてありません。」王様はがっかりします。素晴らしい尊い教えを聞けると思っていたのに、達磨さんの口から、そんなものは無いと言われてしまった。そこで王様は、ではお前は功徳のある偉いお坊さんではないのか。と尋ねると。達磨さんは「私は何者でもありません」私も王様も仏様と同じ素晴らしい命を持っている。その無条件に素晴らしい命を生きているのだから、功徳を求めたり偉い偉く無いと誰かと比べる必要など無いのです。と説きました。

 

私は大学3年生の頃、就職活動を始めました。自分の長所を探しエントリーシートを書き、面接に行き自己アピールをする。そんな日々を送っておりました。集団面接の際は他の就活生の話す内容も聞こえてきます。「国内海外問わずボランティア活動を行ってきました」「サークルの代表を務めていました」「TOEICで990点をとりました」と様々な自己アピールを聞くたびに私の気持ちは落ち込んでいきます。もちろん海外でボランティア活動をしたこともなければサークルの代表もしていない。TOEICで高得点をとったこともない。自分はこれまで何を達成し何を残してきただろうか。そう考えると自分が何も残していない事「自分のちっぽけさ」に暗い気分になりました。

そんな中就活の息抜きもかねて夏休み友人と北海道旅行に行きました。場所は知床半島。目の前に北方領土が見える北海道の北東の場所です。大きな港町がある羅臼町という場所へ行った際、海岸沿いを歩いていると海岸がずっと遠くのほうまで真っ黒になっていることに気付きました。近くに寄ってみるとその黒い正体は5mくらいの長い海藻でした。海岸にある案内板を見ますと、羅臼町は羅臼昆布という高級昆布の名産地だそうです。海岸で大量の昆布を干していたのが黒い海岸に見えたのです。これは是非、昆布料理を食べなければと思い。港町の食堂へ行きました。小さな食堂ですが入った瞬間から磯と海鮮料理のいい香りがしてきました。さっそくお店の方にお勧めの昆布料理があったら食べてみたいです。とお願いいたしました。すると昆布の定食メニューを出してくれることになりました。炊き込みご飯に汁物おかず漬物とお盆に乗せられ運ばれてきました。しかし、定食の中に昆布の姿が見当たりません。確かに食べてみると磯の香りとコクがありものすごくおいしい定食です。しかし、昆布の定食と言われるとどこに昆布が入っているのか分かりません。

店の方にこの定食で昆布が使われているのはどの料理ですか?と尋ねると。店の方は嬉しそうに全部に昆布が使われていますよ。昆布料理というのは「昆布の出汁がきいているね」と言われるようではまだまだなんです。昆布の存在なんて気が付かなくても口にした人が「なんかすごくおいしいね」と感じてくれる。それが昆布のうまみなんですよ。と答えました。

それを聞いてはっと気付きました。今自分は自分自身の味をアピールしたがっている。と

そう、本当に価値のある事というのは本人にも他人にも気付かれないものである。

美味しいお味噌汁を飲んでいるときに、昆布がやってきて「それ私の味だよ。どう?おいしい?」と言われたら昆布の味に意識が強くなり、ただただ美味しいという気持ちが消えてしまします。でも昆布はそんなことはしません。昆布は昆布としてただただ無言で美味しさを引き立てている。

誰かと比べ劣等感を感じても私たちには昆布のように無言の美味しさがある。これは皆さんそれぞれが持っている素晴らしい美味しさです。

私たちは日々舗装されている道路を歩いていますがその道を誰が作ったのかなんて知りません。電気やガスだってそうです。大事な家族を救てくれた薬があっても開発者の名前を知ることもありません。

人間どうしても見栄を気にしてしまい、目立つ人が気になってしまうこともあります。そんな時、達磨さんが王様に聞かれたように自分自身に自分は何者だと問いかけてください。そして自分で答えるんです。自分は何者でもない。ただの昆布です。と 昆布のように無言の素晴らしい美味しさを持っていると

自分の美味しい味に気付いてもらう必要なんてありません。あなたが日々やっていることは必ず誰かの役に立ち回りまわって誰かの人生を支えています。

さあ、明日からと言わず今日から劣等感なんか吹き飛ばし達磨さんのように昆布のように生きていきましょう。

 
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