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令和4年 秋彼岸会

今年もお彼岸の季節がやってまいりました。

敬老の日、秋分の日の連休に天気が荒れてしまいましたが、暑さ寒さも彼岸までと申しますように徐々に気温も下がり過ごしやすい日々を送られていることとご拝察いたします。

さて、秋彼岸会法要は今年120名もの方々にご参列いただきました。彼岸会法要中は狙ったかのように雨も上がり、護持会役員の皆様のご助力により無事厳修されました。

 

法話 ~明珠在掌~



さて、今回も少しだけお話をさせていただきます。

今回のお話はこちら「明珠在掌」。「みょうじゅたなごころにあり」と読みます。みょうじゅ、明るい玉と書きますが、これは宝石を表しています。そして、掌とは手のひらの事です。本当に大切な宝物はもうすでに自分の掌の中にある。本当の幸せとは自分自身の中にある。という意味です。

我々は、つい幸せや生きがいを外に求めようとします。仕事で成功して沢山お金を稼ぐことに執着したり、周りから褒められたい尊敬されたいと名誉を求めたり、はたはま中には自分探しの旅などに出かける人までいます。

仏教では、天上天下唯我独尊という言葉があるように、「わたし」という存在が無条件で尊く美しく素晴らしい明珠です。それは、他人にとってもその人自身が無条件に尊く美しい明珠です。その素晴らしい尊い宝物である自分を見失ってはいけません。お金持ちでなくとも、他人から尊敬されなくても、自分探しで生きがいを見つけなくても明珠はしっかりと自分の中にあります。2500年前仏陀が村の人々へ説いた百喩経というお経の中にあるお話を紹介いたします。

百喩経 「夫婦と三つの餅」

ある夫婦が近所から3つの餅をもらいました。

それを2人で1つずつ食べました。すると当然、1つお餅が余ります。残った1つはどちらが食べようかという話になりました。夫は「俺のほうが体が大きいから俺が食べる」妻は「あなた最近太り気味だから私が食べるわ」と意見が分かれてしまいました。

そこで夫がこんな提案をします

「この余った餅は先に言葉をしゃべった者は食べられない。最後まで黙っていた方が食べるということにしようではないか」と。妻もその提案に乗りました。

一言でも先にものを言えば、餅を食べることができないので、

二人はどんな用事があっても、全て手真似で用を足し、沈黙を守っていた。

ところが、その夜、盗賊が家に入ってきました。

二人は例の約束があるので、目を開いていながら黙っている。

盗賊は二人とも口が利けないに違いないと思い、

妻に乱暴をはたらき、全ての財物を持ち去ろうとしまいた。

夫は、それでも黙っているので、妻は耐え切れずに叫びました。

「あなた、盗賊がこんなことをしているのに、1つの餅のために黙っているとは何事ですか」

すると夫はすかさず、

「さあさあ、これで餅は私のものだ」と手を叩いて喜んだ。

 

「多くの人は小さな名誉や利益にとらわれ、大きな尊いものを失っているものだ」

という教えです。

もちろん、小さな利益とは餅を食べることで、大きな尊いものは妻自身と自分自身のことですね。

妻自身の無条件に尊く美しい明珠も自分自身の明珠もたった1つの餅のために見失ってはいけません。

本日はこの「明珠在掌」という言葉をお持ち帰りいただき法話としたいと思います。

 
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