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令和3年 秋彼岸会

寒さ暑さも彼岸までと申しますが、今年のお彼岸は30℃近くまで気温が上昇し蒸し暑い一週間となりそうです。


9月19日(日)お彼岸の法要を行いました。緊急事態宣言下ではありましたが、皆様それぞれ体調を調え、感染症対策にご留意され、多くの方にご参列いただきありがとうございました。



法話


 

皆さまお参りありがとうございました。


お彼岸がやってまいりました。前回お話した愛語に引き続き利行についてお話させていただきます。


この利行とは利他行と自利行という二つのことを指します。自利行はいったん置いておきます。まずは利他行から。利他行とは他人の利益になる行いです。


他人の利益になる行いをしなさい。つまり与える人になりなさい。これが今回のメインテーマです。



皆さんどうですか。


「与える人って具体的になにを与えるの?」「与えるほどの物もってないけどーーー」


と思いますよね。



確かに急に与える人になりなさいと言われても具体的に何をしたらいいのか分かりません。


そのヒントが修証義の中にございます。


突然ですが問題です。今日お唱えした修証義に動物が2匹出てきました。何かわかりますか?




それは、亀と雀です。


道元禅師は子供向けの本から引用し利行を説きました。子供向けの本の亀と雀といえば、そう、浦島太郎と舌切り雀です。(実際の引用されている中国の故事は話が違います)


いじめられている亀を見つけ、また、弱った雀を見つけた主人公はどうしたか。なんのためらいもなく亀を雀を助けるんですね。そこに損得勘定もなくただ心の赴くままに亀と雀を助ける。これが利他行です。


われわれは、普段なにか人の為になることをしなきゃとか、与える人になるために頑張らなきゃとか、思わなくても、すでに利他行の心、与える人になる資質を備えてるんです。


電車に乗っていて足の悪い人がいたら席を譲る、迷子の子供がいたら声をかけてあげる、そんな日常の中に利他行があります。本日も皆さんマスクをつけ参列をしていただいています。息苦しいですよね。でもこれも、周りの人に安心を与える利他行です。本日の法要も護持会役員の方々がなんとか皆様に安心して法要に参列していただきたいと、話し合いを重ね利他行を積み重ねていただき法要を迎えることが出来ました。本当にありがたい限りです。


皆さまもなにげない日常の中で与える人側になる機会があったら積極的に与える人に徹していただきたいと思います。


菩薩様が説いたこの利他行を本日はお土産にお持ち帰りいただき本日の法話を終わりたいと思います。と締めたいところですが、今日はもう一歩踏み込んでお話をしたいと思います。


利他行の話を聞いてどうですか?


情けは人の為ならずとは言うけれど


与える人になりなさいと言われて、はいそのとおりですね。よし明日からやろう、となりますか。いやいや、そんなの奇麗ごとでしょ。この資本主義社会において与える人じゃなくで、ギブ&テイクが正しいんじゃない?


いや、結局はずるい人が得するんでしょ。と思いますよね。私もそう思ってました。


これは、半分正解で半分間違いです。どういうことか


最近の心理学の幸福度を調査する研究で自分は不幸であると答えた人のうちほとんどが与える人でした。なんだやっぱり与える人は損をしてるじゃないか。しかし、なんと幸福度合が最も高いグループの実に90%以上も与える人でした。つまり、与える人は不幸な人とものすごく幸福な人に分かれてしまうんですね。


これを解決するのが道元禅師が示された利行です。


一番最初に利行は利他行と自利行のことです。といいましたが、おい自利行はどこに行ったんだと、自利行とは自分を利益する行いのことです。利他行の逆ですね。


菩薩様や道元禅師は利行は一法なり普く自他を利するなりと説かれています。他者に利益を渡すと自分が損をすると考えがちですがそうではない。利行とは利他行と自利行二つが表裏一体になった行いのことを言います。


他人だけじゃなくて自分の利益になる行い。これはギブアンドテイクの事を言っているのではなくて、あくまでもまず自分が見返りを求めずまずは与える人になるということは変わりませんが。知らず知らずのうちに自分自身や世界中に巡ってくる行いの事をいいます。


電車で席を譲っている人を見て、ああ自分も同じ状況に出くわしたら席を譲ろうと思う人がいるかもしれません。迷子の子供に声をかけ助けてあげたらその子供が大きくなっとき同じように声をかけられる大人になるかもしれません。マスクをして周りに安心感を与えて自分も安心できるその姿を見て周りもマスクをつけお互いに配慮できる。だからこそ日本ではマスク着用を義務化しなくてもほとんどの方がマスクをつけている。これは日ごろの皆様の行いがそのまま日本中に浸透している結果です。


このように自利行と利他行が表裏一体となった行いを実践するコツが2つあります。そのコツを踏まえて与える人になれば、すごく幸福な与える人になれます。二つのコツ それは、自己犠牲しすぎない、本当に必要なものを与えること、です。


では自利行のない利他行の例を紹介しましょう。


先ほどの利他行のみを追い求めるといつか自己犠牲になっていきます。会社で何々君これやっといて、「はい」、あれやっといてよ「はい」これおねがーい「はい」ってなんでも引き受けて自分が摩耗していくことないですか?また、自分が足を骨折しているのにお年寄りに席を譲ったり、


これは自己犠牲しすぎており自利行のない利他行です。


浦島太郎や翁のように自然と助けたように無理をしたり頑張りすぎない。


私は法話をするときたまに菩薩様をアンパンマンに例えます。お腹を空かせている子供を見つけたらアンパンの顔をちぎって分け与える。これは利他行ですが、あくまで顔はまたジャムおじさんに作ってもらえるから出来ることです。


これが二度と再生しない顔だったらそれは利行ではなくなってしまいます。


つぎは本当に必要なものを与えるです。女性に依存している男性、いわるゆ「ひもの男」がいて女性からお金をもらってもパチンコに使ってしまう。いくら与えてもどんどんパチンコに使ってしまう。これでは意味がないですね。むしろ与えることによってどんどんお互いをダメにしてします。


よく、魚を与えるか、釣りの仕方を教えるかという例えがあります。相手が魚を求めてきても餓死寸前で今食べなくては死んでしまうという状況でない限り釣りの仕方を教えましょう。


とある中国のお寺でそこの住職と小僧さんが庭を眺めているとどこからか鹿が近づいてきました。まだ、角が生えたてで親元から離れて間もない鹿のようです。小僧さんが「かわいい鹿だな~」と眺めていると突然住職が鹿に向かって石を投げました。当たりはしなかったものの鹿は驚いて逃げていきます。びっくりした小僧さんは「なぜ石を投げたのですか」と住職に詰め寄ります。すると住職は「あの鹿は人間への警戒心がなかった、あれでは直ぐに人間に捕まって食べられてしまう」と


小僧さんは住職のその優しさに気付きました。


時には、その状況に応じて相手が本当に必要としているものを考えてあげなくては利行になりません。もし、そこで鹿に餌をあげようものなら鹿はどんどん人間に近づいていきやがて捕まってしまいます。極端な例ですが、その石を投げる行為ですら利行になることがある。



はい、どうでしょうか今回は今までの布施や愛語と違ってちょっと複雑でテクニックのいる教えでした。本日の利行をお持ち帰りいただき、与える人になってみよう。週に一回でも利行を実践してみよう。自分の為ではない何かをやってみよう。特定の誰かのためにじゃなくても、道に落ちている缶をゴミ箱に捨てるでもなんでもいい。とりあえずやってみよう。いつかそれは巡り巡って世界中に目には見えない小さな影響を与え、いつか自分に返ってくるから。


では、春のお彼岸で会いましょう。



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