行持・コラム

HOME//行持・コラム//お盆供養 ~報恩感謝の心~

ブログ

お盆供養 ~報恩感謝の心~



 

今年もお盆がやってまいりました。新型コロナウイルスという未曾有の災禍、御参列の方々へのマスク着用、手指のアルコール消毒、本堂内の換気を徹底していただきながらの法要をお勤めいたしました。


心配していたお天気も当日は雨が降る事も無く、100名を超える多くの皆様にご参列いただきました。至らぬ点もあったかと存じますが護持会役員の皆様のご尽力、御参列していただきました皆様の御協力に心から感謝申し上げます。


 

~法話~


本日はお参りいただきありがとうございます。

新型コロナウイルス感染症の収束の兆しが見えない中ではありますが、こうしてお顔を拝見することができ、とても嬉しく思います。

 

 

長引くコロナ禍で皆様、ストレスが溜まっていることと思います。コロナにかかり重症化し家族に迷惑をかけてしまうのではないか、自粛生活によって外に出て友人と話す機会が減り、リモートでの会話ばかりになり人との繋がりが希薄になってしまった、など悩みストレスは尽きません。

私自身もお宮のお祭りが中止になり、友人とも会えない日々が続くと人との繋がり方の変化を考えさせられます。

 

ブッタや曹洞宗を日本へ伝えた道元禅師様はこの人との繋がりを最大限に活かしきる素晴らしい方法を説かれています。

 

それが、本日お唱えいたしました、修証義第五章に書かれています、報恩でございます。

恩に報いると書いて報恩

「恩」という言葉について考えてみましょう。皆様には「恩」という言葉がどのように響いているでしょうか。日常生活の中で恩という文字が入っている言葉が多くあります。恩を着せる。恩着せがましい。恩知らず、恩返し、恩をあだで返す。なにか重く窮屈な印象があります。

しかし、恩という漢字を古代の日本人は「めぐみ」と読んでいました。「日本書紀」のなかに恩という字を使い、神武天皇が「私は本当に恩(めぐ)まれた男である。この恩(めぐみ)はまさしく母のようである。」と述べる一文があります。

 

めぐみと読むと恩という言葉には温かくふんわりと抱きかかえてくれる感情がこもった雰囲気を感じられます。

恩を「めぐみ」と読み考えてみますと、人と人との間を取りもつ柔らかな関係を表現している言葉であることが理解できます。

 

私が大学生のころ、部活で北海道へキャンプに行ったことがあります。そこのキャンプ場はきれいに整備されており、休日という事もあって家族で来られている方がちらほら見受けられました。芝生に大きなシート広げ、昼食の準備をしていると隣の家族連れも同じようにシートを広げて昼食を食べ始めるところでした。お父さんとお母さんと5歳くらいのユウタ君と両親に呼ばれている長男、やっと歩けるくらいの赤ん坊の四人家族です。まだ家族が食べ始めたころユウタ君が「お弁当いらない アイスが食べたーい」と言いぐずり始めます。お母さんは赤ちゃんに離乳食を食べさせるのに必死でユウタ君にかまってあげられません。ユウタ君は一生懸命お父さんに「もうおなかいっぱいお弁当いらない」「アイス食べさせて」とお願いをしています。

傍から見ると微笑ましい光景であると同時にもし自分が父親だったらどうやって子供を注意しようかなどと考えているとその家族のことが気になってしまい、昼食の準備をしながら目が離せなくなってしまいました。

するとお父さんは「ユウタ パパの膝に乗って少し話そうか」とユウタ君を呼びました。

アイスが食べたくて仕方がないユウタ君は怒ったり泣いたりしてなかなかお父さんの膝に乗るまでに時間がかかりましたが、ようやく落ち着いてお父さんの膝の上で話し始めました。

「ユウタ よくママにプレゼントを作ってあげるよね」

「うん さっきもねお花を摘んであげたの」

「ママはなんて言ってた」

「ママうれしいって言ってた そこに飾ってあるよ」

とお弁当箱の横においてある一輪の花を指さしました。

「じゃあね もしママがユウタのプレゼントなんかいらない

こんなお花じゃなくて他のがいいって言ったらどんな気持ち?」

そうお父さんがきくとユウタ君はショックを受けた顔をして「いやだぁ」

と口がへの字に曲がって今にも泣きだしそうな顔になりました。

もともとご機嫌斜めだったこともありますが、この会話だけでショックをうける子供の想像力はすごいですね。

お父さんはユウタ君に言います。

「ママが作ってくれるご飯はね ユウタへのプレゼントなんだよ

ユウタが喜んでくれると思って嬉しい気持ちで作っているんだよ

それはユウタがママにお花を摘んでいるときの気持ちと同じだね」

ユウタ君は

「うん」と答えます。

「ママがユウタの為に一生懸命作ったプレゼントをいらないって言われたら自分で捨てるんだよ。どんな気持ちかな」

と言うとユウタ君は

「ごめんなさいママ~」と泣きながら言いました。

 

ぐずっている子供に怒鳴るの

ではなく諭すことでお母さんからの愛情たっぷりのプレゼント「めぐみ」に気づかせてあげたお父さんに感動したと同時にもし自分だったらどうやって叱ろうかなどと考えていた自分の思考の浅はかさが恥ずかしくなりました。

 

そして我々の日常生活でも同じであることに気づかされました。ユウタ君が毎日作ってくれるお母さんからのご飯の愛情「めぐみ」に気付けたように。我々も今此処に立っているのも、息をしているのも、明日朝が迎えられるのも「あたりまえ」ではなく「有難い」めぐみによるものです。それに普段は意識を向けられません。だからこそ、お盆のような、自分自身に関わる「繋がり」と「めぐみ」を確認する大切な時間が必要となると思います。

ご先祖様に思いをめぐらし、亡き大切な方の生き様を思い出し、今を生かし生かされ支え支えられて代々脈々と受け継がれてきた我が命に気付き感謝した時にブッタや道元禅師が説かれた報恩が完成します。
SHARE
シェアする

ブログ一覧