行持・コラム

HOME//行持・コラム//正泉寺 お盆供養

ブログ

正泉寺 お盆供養

今年もお盆がやってまいりました。龍源山正泉寺では毎年7月にお盆供養法要を行います。コロナウイルス感染がまた都内で増加している中での法要でした。参列者全員アルコール消毒、マスク着用、本堂内不要な私語を慎んでいただきながら檀信徒、梅花講員の皆様と共に勤めさせていただきました。




 

~法話~


 

お盆は正式には盂蘭盆といいます。インドの言葉であるウランバーナを当て字にしたものです。ウランバーナは「逆さまに吊るされる苦しみ」という恐ろしい意味があります。


この恐ろしい「逆さまに吊るされる苦しみ」がお盆として


中国や日本で行うようになったのはお釈迦様が亡くなられてから1000年以上が経った時代に創作された盂蘭盆経というお経の中にある物語が由来です。


ブッタの弟子に目連という方がいました。この方、生まれつき神通力があったと言われていました。今でいう霊感のようなものでございましょうか。その目連が修行中、夢の中で亡くなった自分のお母さんが死後、鬼のいる地獄の世界で飢えと渇きに苦しんでいる姿を見ます。地獄ですのでお腹がすいても食べ物はありません。喉が渇いても水もありません。まさに逆さまに吊るされたような苦しみの中にいるおかあさん。目連はお母さんを救おうと夢の中で食べ物や飲み物を送り続けます。


しかし、口元まで食べ物を運んでも口の中から炎が出て食べ物を焼き尽くしてしまいます。運よく口の中まで入っても喉が針のように細くなっており食べさせることができません。


嘆き悲しんだ目連は、夢の中でお母さんが苦しんでいることを師匠であるブッタに相談しました。するとブッタはこう示されました。目連の母親は目連をかわいがるあまり、皆で支えあい助け合うとうい布施の心を忘れ業を重ねてきた。両手一掬いの水ですら乾き苦しんでいる人に「これは目連の水だ」といい施さなかった。その報いを受けている。


過去を取り戻すことは出来ないが、母親が出来なかった布施を行うことが母親を救う方法である。



それから目連は修行僧にはもちろん生き物全てに対し布施の心を持って接し続けたそうです。



この話はもちろんブッタが亡くなった後に作られた逸話です。


このお話の柱は互いに支えあい助け合う思いやりの心の大切さです。目連のお母さんは、わが子かわいさのあまり、他を愛することを忘れてしまった。自分さえよければ他人はどうなっても構わない。欲の為、貪りの為に争い殺しあう人間の醜さをみて説かれたのが地獄です。盂蘭盆経の地獄は決して死後の世界ではなく現実に生活している私たちの日常に地獄が現れます。


皆様、昔話のウサギと亀という話はよくご存じだと思います。


ウサギと亀が山のふもとから山の向こうまでかけっこ競争をしました。自分の速さを過信したウサギが途中で昼寝をしていて亀に負けるというというお話です。


この話を永平寺にいた時に門前町の子供たちに紙芝居で読んだことがあります。その時にある一人の女の子が「なぜ亀さんは寝ていたウサギさんを起こしてあげなかったのですか」と訊ねてきました。思いもよらない質問に正直戸惑ってしましました。その子には亀がウサギを起こさずにゴールしたことがフェアではないと思えたのでしょう。私たちの感覚からすると亀の努力が報われた良い話と受け止めます。しかし、女の子は亀の中にある助け合い支えあいの心に問いかける質問をしてきました。私は衝撃を受けました。目連のお母さんも自分は息子のために正しい事をしていると思っても視野を変えれば自分さえよければそれでいいという心がここに現れてきます。日本の社会に目を向けてみても学歴主義で少しでもよい学校へ良い会社へ高い給料を、と望みます。少しでも豊かな生活を送るためです。もちろん目標に向かって努力することは素晴らしい事です。しかし、その裏で他人を蹴落とし他人の病気を喜び、入学さえできれば手段を選ばないとなれば、それは正しい努力とは言えません。


個人の事だけでなく国を見ても、日本という国は資源が少なく海外から原料を輸入し製品化して生活しております。金で買ったら自分のもの働いて稼いで何が悪い。働かずに貧しいのは当たりまえ。しかし、世界には草木が一本も育たない場所もあり。武器を手にとってしか生きられない紛争地帯もあるのです。かりに日本が原料の供給を拒否されたら多くの日本人が路頭に迷うことになります。感謝を忘れた独りよがりの国は批判を浴びる結果になるでしょう。



現在、令和になり1年以上がたち世界はIT化とグローバル化によって更なる進歩と発展を勝ち得たかに見えましたがコロナウイルスによって思わぬ脆さを露呈してしまいました。


未知のウイルスが猛威を振るう中、治療の最前線で身命を賭して医療に従事されている方々の努力にもかかわらず万を有に超える人々の命が失われています。我々の日常生活はこの半年間のうちにウイルス感染拡大と命の危機という恐怖の迷路に迷い込んでしまいました


しかし、歴史を振り返ると、いのちの危機の時代は今だけではありません。ペスト、コレラ、黄熱病、天然痘の伝染病、紛争戦争、自然災害、我々は常に命の危機の中にいるのです。


命の危機に直面するとどうしても自分の事を中心に考え人間関係がギスギスします。ペストによるユダヤ人迫害、ハンセン病患者の差別などの例も数多くあります。日本でも度々ニュースで報道されているように、偏見による不当な差別やいじめの問題も起こり始めています。


こんな時代だからこそ私たちは盂蘭盆経の教えを思い出し、布施の心を持ち、決して他人を差別することの無いよう、慈しみ溢れる温かな人間関係・社会を築いていかなければなりません。


コロナウイルスが落ち着くまでまだまだ時間がかかりそうです。皆様の心と体の健康を願いお盆の法話とさせていただきます。

SHARE
シェアする

ブログ一覧