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正泉寺草刈り



 

6月20日正泉寺護持会の役員の皆様にお集まりいただき、草刈りを行いました。

毎年行っている二国橋空地と無量庵あみだ堂の清掃に加え、今年は境内地の草むしりも行っていただきました。

梅雨の草の伸びやすい時期に合わせて行いました。

 

周利槃特(しゅりはんどく)


ブッタの弟子に一番頭の悪い男がいました。それが周利槃特という、バカボンの「レレレのおじさん」のモデルではないかといわれている男。

ブッタの話を聞いてもよく理解できず、要領も悪い為ほかのお坊さん達に迷惑をかけてばっかりでした。しまいには、一緒に修行していた兄に「帰りなさい」と言われてしまします。

周利槃特はブッタに相談します。「物覚えが悪く、周りに迷惑もかけてしまう。私は出家者に向いていないのではないのですか」と。

しかしブッタは「頭の良し悪しは修行生活に関係ありません。己は頭が良いと思っている者こそ一番の愚か者です。これからは、『塵を払え塵を払え』と唱えひたすらに掃除をしなさい。」と仰られました。

それから周利槃特は周りから「掃除なんて誰でもできる」「掃除以外の事は出来ないくせに」と罵られても、ブッタが示されたようにひたすらに何年も何年も「塵を払え」と唱え掃除を続けました。使っていた箒はボロボロになり、雑巾はどんどん汚れていく。それを見て周利槃特は、物事の移り変わり(諸行無常)に気づきました。

そして、箒や雑巾がボロボロになる代わりに床や物はどんどん綺麗になっていく。人の心の汚れも同じように徐々に汚れていき、汚れは落ちにくいが常日頃から心の塵を払うことを意識すれば自ずと心の塵もなくなっていくことに気づきました。

それからも周利槃特は、何年何十年とひたすら「塵を払え」と唱え掃除を行いついに、阿羅漢(あらかん)と呼ばれる悟りの第一歩へ到達しました。

 

禅宗では、一に作務、二に作務、三に作務、四に坐禅、五に読経、と教えられるように日々の何気ない作務という「行い」を仏の「行い」として「修める」ことが修行です。周利槃特のように全ての行いを仏の行いと心得て、悟りに到達するために行うのではなく、行いがそのまま悟りであると肝に銘じ続けていく。我々の生活も同じであると思います。

 

本日は護持会役員の皆様が周利槃特のようにひたすらに境内地を綺麗にしていただき、その功徳が今正泉寺にあふれています。

お盆まであと3週間となりました。この功徳によって素晴らしい心持でお盆を迎えられることに感謝いたします。
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